以下私がPCにつけている日記より。(つまりかなり暑苦しいですごめんなさい)

勇輝とマックでゆっくり話をしてから2日。
朝、黴臭いベッドの中で、自分の中のぼやっとしているものについて考えていた。
もちろん景色、風、匂い、味、そして人との出会いにグッときたことは数知れず。
でも、でも、なんだろうこの感じ。
どこか夢を見ているような、映像を見ているような、変な感覚があったなと振り返る。
10年前の上海や15年前のセネガルのほうが感動したんじゃないか、とか。
いや、だからこそ
当時と比較して、
何か感じなくちゃ感じなくちゃと焦ったり、
自分が大人になってしまったせいなのかと悲しんだりもした。
多くの情報の斜め読み、くだらないゴシップと訳知り顔のシニカルな批評。
自分の中に似合いもしない嘲笑やら慇懃やらが増えて、
本気と本気じゃないことの境界が知らずにぼやけていたのかもしれない。

確かにこれまでの旅路では、
腰を抜かすほど壮大な景色も見ていなければ、
満天の星空もまだ見ていない。
でもそれが問題なのではないだろう。
私は見たことのない景色を見るために来たのではないから。
じゃあなんなんだ。
出発前にはこう考えていた。
「これからの人生、私(たち)がやるべきことは何か、とことん考える時間にしたい」。
まあ言わば宝物探しだ。
そしてもう、宝物は結局どこにあるかだいたい勘付いている。
たぶん、・・・自分自身の中。
じゃあ私は今何を知ればいいんだろう。
うーん。わかんないや。
とにかく、もっと頭で考ないように気をつけよう。
Don’t think,feel.って?分かっちゃいるんだけどね。

ぼやっとした何かはつかめないままだった。

9:45チェックアウト。
昨日勇輝の付き添いで行った病院で、便秘には熟れたバナナがいいと
アドバイスされた。ホテルのフロント前のソファっつーかベンチで、
勇輝が買ってきたバナナを食べさせられる。
バナナは、嫌いな食べ物を聞かれたとき唯一答えるアイテムだ。
とくに熟れたの。美味しいと念じる。うまい。
でも嫌だ。許してくれない勇輝。最後の黒いとこだけ食べてくれた。
ゴミを捨てに奥へ行く。勇輝が捨てた壊れたつっかけサンダルは
どうやら従業員の少年のものになったらしい。
私に見つかり恥ずかしそう。役にたててよかった。
すごく注目を浴びながら、ザックを背負い、昨日下見したバス乗り場へ。
敷地内に入ると金属探知のゲートがあり、さりげなく無視しようとしたら通れと。
通ったらピー!とアラームが。
鳴ったよって顔で私が見ると、かっちょよく制服でキメた姉さんは
行け、と。なんじゃそりゃ!
これが、堂々壁に書いあるこの国のISO。
だいたいここかな、という場所に行くと、いた!
小太りでまつ毛の長い添乗員が「マイソルマイソルマイソッ!!!」と
いい声を出していた。嬉しそうに乗れと言う。
荷物が大きかったので最前列を陣取れた(座ってた青年を笑顔でどけたうえで)。
バスはガラガラで、添乗員と、「男!」って感じの運転手が
色んなところで一時停止して客集めに必死だ。
勇輝が隣で「88Rで何人乗って何便で…」となにやら計算している。
彼らには1日2,500円くらいかな・・・と。
今日の運転手は運転がうまいだけでなく、その佇まいや
ダイナミックかつ繊細なギアーさばきがなんとも渋くてかっちょよい。
自ら外に「マイソッ!」と声を張る姿もよい(運転手がやるのは珍しい)。
勇輝がまた萌えている。男のロマン。
その甲斐あってか結構客が集まり、バスはいっぱいになった。
広く見通しがいい道をひたすら進む。
木々、山々、ところどころに小さな集落とWELCOMEの横断幕
(シュガーシティとかシルクシティとかその顔で?!っていう名前がついてる)。
前にエンジンがあるバスはそりゃあもううるさくて、久々にアイポッドを取り出した。
全開の窓からの生活臭のある風に煽られながら、
爆音で聞いたのは椎名林檎の「この世の限り」。

「Just turn away and take this point of view nothing is old and nothing is new」

よく分かんないけど勝手に涙が溢れ出てきた。

私がここに来ようが来まいが当然お構いなしに世界は回っていて、
私が見たことあろうがなかろうが感動しようがしまいが幻滅しようが、
これが、これこそがリアルで。
そして何年後でもない、今、今の私がここにいて。
その事実に、心が震えた。
ああ、世界は常に広く、私は常に自由なんだ。
ザッツオール。それだけなんだ。

木材やキビを山のように乗せたトラック、の上に座った人、
トラクターや牛車、を運転するおっさんの黒い横顔、逆走するバイク、
バスから手を出して入れろだの行けだの攻防(客まで参加する)、
オート三輪を後ろから押して走り出したら飛び乗る兄ちゃん4人。

ヘルメットの規制、積載量の規制、信号、標識、そんなのが無いところで
こんなに逞しく人々は。
空いたままのバスのドア。と急停車急発進。
東京じゃ絶対ありえないが、
落ちねーよそんなに簡単に!
ああ、きてよかった。

ソツの無いものへの慣れと同時に染み付いたクレーム根性。
大きなものに対する卑下と諦めの感情。
すぐに比較と称して優劣を決めたがる潜在意識。
インドとインド人がいとおしい。そんで東京が好だ。日本が好きだ。
それでいいんだ。

ああ、受け止め、抱きしめることのできる女性になりたい。
33年間の七転び八起き。やっと、描けつつあった将来の絵。十二分な幸せ。
でも、固まりかけていたカサブタを引っ剥がしてよかった。
赤い血が吹き出している。体温のある私の血だ。

メモ帳にこんなことをなぐり書いていた。
「まだ見ぬ君達よ。今、母はたくさん学んで、君達に会うまでにもっと
“いいんだよ”を増やそうと思います。いい子で待っててくれてありがとう。」


ちょっと分かりづらいですが、これが私の今の「リアルな感動」であり
旅に出て1ヶ月の素直な思いです。
とにかく、どう変化してゆくかわからないけど、
これからも正直に(バカな記事も書きますが)思いを綴っていきたいと思います。

っていう記事をアップしようとしたら、大切な人からメールが届いていた。
以下彼女のメールより。


最近、私の胸に響いた言葉です。
「人間は色々なことを乗り越えて、色々なものを創り上げてきたけれど、
寛容にだけはなれなかった。」
大江健三郎さんの文章から。
寛容でいることがとても大切なことで、
人間がいまだに学ばなくてはいけないことだと。
人間は自分と考えが違うからと言って、
その人を殺しては(排除しては)ダメだ。
自分が何か行き詰ったときには、別のことに目を向けて
もう一度考えてみるべきだ。それが寛容だと。
なんか美和に伝えたくて。。。

なあんだ。
リアルに感動することばっかじゃんか世の中は!

(MIWA)