ナミブ砂漠の大きな大きな砂山、デューン45。
そこに朝日を見に行ったときのこと。

多くのツーリストに混じってデューンを登り、
しばらく待つと

 
朝日が出た。
たっぷりの真っ赤な光が私を、すべてのものを照らす。
 
隣の山まで行ってみるという勇輝を別れ、
私はそこに留まった。
あたりに人がいなくなって、ふっと私は太陽に顔を向けた。
しばし立ちつくす。
 
次の瞬間、なぜか私は泣いていた。
砂山の斜面で、ひとり、わーんと声を出していた。
びっくりして、ショックを受けて、嬉しくて、泣いていた。
なんか、不思議だったのだけど、
太陽から声が聞こえた気がしたのだ。
あったかく、優しい声。
言葉じゃなくイメージだったのかもしれないけど、
こういうことを言われたんだ。
 
時間を無駄にしてはいけない。
今やるべきことを一生懸命やりなさい。
 
その、“やるべきこと”の意味が、一番びっくりしたんだ。
ニュアンスが言葉だと難しいんだけど、
とにかく、仕事とか家事育児とかじゃ
ないようなもの。
私で言えば、今してる旅そのものではないもの。
目の前のやらなくちゃいけないことじゃなくて、
なんの役にも立たないような、でもワクワクする、
新しいこと(もしくは忘れていたこと)、面白いこと。

目から鱗がぽろりと落ちて、砂の中に消えていった。
 
旅がしたくて、決断をした。
ここまでやってきた。旅をしてきた。
それが、私の日々のすべてになっていた。
これ以上贅沢なことはないと思っていた。
毎日、出会いがあり、景色が変わり、くるくると心が動いていく。
でもそんな毎日が続いていったとき、
ふっと自分が鈍感に思えてくるときがあった
 
実際、前日もここに夕日を見にやってきたけど、
うおーと感激している勇輝のとなりで
私はポカンとしてたんだ(鼻をほじ
るしかない程に)。
景色があんまり凄かったのもあるかもしれないけど、
現実なんだか夢なんだか、今がいつでどこでみたいな時空がつかめなくなってた。
赤ちゃんは脳の許容量以上の刺激や情報があると眠ってしまうらしいけど、
そういえば
ここのところちょっとボーっとしてたんだ。
疲れたのかなんなのか、とにかくノッていない、
車輪がスタックしたような感じだったんだ。

そういうときって、視点が定まってない。
見ているようで何も見ていない。
大事なものはとんと見失ってるのに、
小さな小さなことにだけ敏感になって、
チクチクして無用に傷ついたりする。
 
東京でもこれに少し似た感覚に陥った時期があったな。
圧倒されて、ついていけなくて、
立ち尽くして、言葉を失くす。
大きな心臓の鼓動が聞こえなくなって、
毛細血管の先の先だけが妙にリアルだった。
 

そんな私への、太陽からのヒントだったのかもしれない。
そういうどうしようもないときは、
正論(自分がどれだけ恵まれてるか感謝せ
ねばとか)でも
自虐(なんでこんなダメなんだろうとか)でもなくて、
全然違
うことに目を向けたほうがいいこともあると、
教えようと
してくれたのかな。
もっとできる。
もっと面白いことがある。

 
 
今持っているもの少しずつをやせ細らせていくようなこれからの人生ではなくて、
ここらでまた新しい風呂敷包みを1こ手に入れるような、
新しいパンパン
の引き出しを1つ増やすような。
諦めていたチャレンジ、
忘れていた夢、
埃をかぶっていたテキスト、
挫折した何か。
 
出来ない理由を箇条書きで挙げるのではなく、
自分の「ニヤリ」「クスクス」
「ワクワク」だけを頼りに前に一歩出す。
大人になってしまった、いやむしろ

大人だからそこの愉快な一歩。
やりた
いことはいっぱいある。
そうだ、うん。ある!
 
 
いい写真が撮れたとホクホク顔で戻ってきた勇輝。
心から「よかったね」と言う。
なんだか気持ちが優しくなっている。
「なんかいいことあった?」っていう顔されたけど
・・・内緒にした。
 
 
 
(MIWA)