湖を臨むお気に入りの宿で寝起きし
日中は町に出てそれぞれのレッスンに励む。
それ以上でもそれ以下でも無い毎日のリズムを楽しみつつ
カタベイステイは1週間を数えようとしていた。

僕のお面は無事にできあがり、
美和はマシンの想像を超える実力を見せ
いつのまにかアシスタントに昇格し、
フリーレッスンと引き換えに
店番を任されるにまでなっていた。


お面づくり最終工程、髪の毛と髭を彫り、サンディング


靴墨を歯ブラシで塗りつけ、完成


関係ないけどお師さん52歳の肉体美をどうぞと


美和がつくったブレスレット、レザーの切れ端もプラスチックも全てリサイクル


マシンの作業を手伝いながら店番中

*

そしてこの期間は、別の意味でもとても有意義な時間だった。
何人かとの出会いや良き会話があり、
「アフリカ」をより肌で感じることができるようになったのだ。

目の前に広がる貧困の現実、
働かない若者たち、
人種差別の空気。

貧困などはインドを彷彿させる部分もあるが、
どこかが決定的に違う。
その差は何なのか、どんな背景があるのか。
南ア、ナミビア、ザンビア、マラウィと4カ国を旅する中で
なんとなくたまっていた疑問ともやもや。

それらが、少しずつだが払拭されていった気がする。

僕に理解をくれた4人と、
彼ら彼女らとの会話の一部を紹介したいと思う。

1.マシン(本名はソージュ、28歳)

前述の美和の師匠、マシンは、
マラウィ北部の町の漁師の家に生まれ、
若い時に国を出てモザンビークへ渡り
ビーチボーイをしながらモノを売り生活してきた。

その後少しずつ貯金しながらワイヤーワークの学校へ通ったり
タンザニアやヨーロッパへ旅をして見聞を広めてきたと言う。

今では自分の店を持つまでになった彼に、
僕らは「働かない若者」について聞いてみた。

「彼らは計画をたてる、という事ができないのさ。
今日稼いだお金は今日のビールに使い、明日のことを考えられない。
アニマルだよ。で、金が無くなって、
今度はお金を持っている人にたかる、その繰り返しさ。
俺のところにもしょっちゅう来る。たばこをくれ、何をくれ、ってね。
アフリカンは助け合いの精神があるから最初の1回はあげるよ。
でも2回目以降は絶対にあげない、きりがないから。
僕らは(密かに)彼らをガーベッジピープルと呼んでるよ。」

アニマル、ガーベッジ(ゴミ)、なんと強い言葉だろう。
断っておくけれど彼は人の文句ばかり言う人でも
過激な思想を持つ人でもない。
その彼がそう表現するくらいの現実が広がっているという事だ。

そんな彼はどうして他のローカルと違うのだろう。
親からの教育、それと旅したことが大きいと言う。

「僕はヨーロッパに行ってびっくりしたんだ。
みんな毎日朝から晩まで本当によく働いていた。
白人たちはただお金を持ってるんじゃない、
ちゃんと働いて、そして、貯金をしてるんだ、
そのことに気づいたんだ。」

実際、彼は本当によく働く。
いつ店に行っても椅子に座って作業をしている。
聞くと毎朝必ず6時に店に来て夕方6時までずっといると言う。

これからについて聞くとそれこそしっかりプランがあった。
子供は2人(1人目の子を今奥さんは妊娠中だ)、
近々店を改装しハイシーズンの年末に備える、
将来お金を貯めたら今度は家族で海外に旅行をしたい、と。

(アフリカンは育てる財力が無いのに子供を多く産み過ぎる、
と計画出産について何度も何度も力説していたのは笑った)

懸命に働き少しずつお金をためて夢を実現していく、
そんなアフリカンのHOPEのような彼との会話は本当に楽しいものだったが、
「働かない若者」というネガティブな現実が
逆にくっきり 僕の中に印象付けられた気もする。

 

2.ユウコちゃん&ケイちゃん

ある日町を歩いていると1人の日本人に話かけられた。
それがJICA青年協力隊員としてこの町で働くユウコちゃんだった。
どうも~と話し始めたのだがなんとも感じがよく、
つい夕飯にお誘いをしたのがきっかけで、
以来先輩隊員のケイちゃんと共に仲良くさせてもらった。

彼女たちはこのカタベイでもう約1年半も活動をしている経験者。
国際協力の課題やこの町に住む事の難しさなど色々教えてもらった。

色々ある課題の中でも根が深いというのが、
「もらって当然」精神だと言う。

「彼らは援助される事に慣れてしまっていて
外国人が来たらお金がもらえると思っている。
現状を自分たちで変えようと努力をしないで
ただ待つだけの人たちが多いのは本当に深くて大きな課題だ。」

(勿論全員ではないが)現地の人と働く中で、
最初はフレンドリーに接してきても
お金を引き出せないと分かると急に態度を変えるような、
そんな悲しい経験も何度もしていると言う。

また、マシンの言う計画性の無さと同じことを
こんな表現で話してくれた。

「ここは失業率も高く仕事の無い村人たちは本当に多い。
でもそんな彼らも携帯だけは持っていて、
あたし達を見るとクレジット(プリペイド式の通話料金)をくれとか言ってくる。
携帯の前に家の屋根を直したら?って笑っちゃう時がある。」

文化も常識も何もかもが違う異国の地に足をすえて、
美しいだけじゃない、見たくない現実と戦いながら、
2年も活動をする協力隊員たち。

ただ旅行者として「ちょっとイイコト」をしてる
僕らとは比べ物にならない努力だと改めて感じるとともに、
そんな彼女たちの経験談は深く心に響いた。


オフロードバイクで村をかけまわる、イカしてます

 

3.リッチー(リチャード・マークス20歳)

マシンがガービッジと呼ぶ若者たち、
ユウコちゃんケイちゃんの言う「もらって当然」精神、
これらの根底にあるものを感じさせてくれたのは、
マヨカに泊まっていた1人のアフリカ人、リッチーだった。

ジンバブエに生まれたリッチーは、
5年前から家族と共にオーストラリアに住んでいる、
言ってみればダブル国籍の白人だ。

その頃ジンバブエは悪名高きムガベ政権により
人口の1%にも満たない白人への迫害がされ、
半ば追われるような形で国を出たと言う。

途中で国を離れた彼は中でも特殊なケースではあるが、
彼は、旅する中で見たアフリカのもう1つの顔、白人アフリカンだ。

敬虔なキリスト教徒の彼に僕が様々な疑問でチャレンジする
というような会話を通じて、短い期間だったが、
彼とは本当に良い関係を築くことができた。

そんな彼は(思春期を過ごし人間形成をしてくれた
オーストラリアと並んで)ジンバブエを祖国と言い
自分にはアフリカンの血が流れていると胸を張る。

「例えば食べ物を手で食べるところ、
初めて会った人とも自然に家族の話をするところ、
誰とでも手を握り(時には会話中ずっと)コミュニケーションするところ、
これらは自身に流れるアフリカの血だと
オーストラリアに行って強く感じた。」

そんな彼とは宗教や歴史文化のにとどまらず
家族や友人の話まで色々な話をしたのだが、
中でも印象に残っているのが、
次の3つの言葉だ。

 

(人種差別の現実について聞いたところ)
「アフリカは白人と黒人では語ることができない。
植民支配のずっと前から、長い長い間、
時には人種以上に重要な意味を持ってきたのが、
「自分は○○族」という民族のアイデンティティだ。」

 

「それがどこかの国だろうがNGOだろうが
アフリカは援助されてきた歴史が長すぎて
もうそれ無しでは存在できないようになってしまっている。」

(なんで彼らは働かないでいられるのだろう?との問いに)
「1日中自然を眺めて過ごし、日が暮れたら寝る。
彼らはそういう暮らしをしてきた人たちなんだよ。」

これら全てが正しいかの判断は当然僕にはできないし
歴史を紐解き現在の何かとの相関を証明したい訳ではない。

ただ、1人のアフリカ人の肉声として語られた
アフリカの過去と現在を、
僕は妙な納得感を持って受け止めていた。


別れ際に彼がくれた賛美歌からのことわざ集。ありがとう。

*

 

それぞれの人が、それぞれの言葉で語る、アフリカ。

アフリカを「理解しよう」、
なんてスタンスそのものが
おこがましいのかもしれない。

ただ、彼らの言葉の中から、
時には共通する何かを見つけながら、
時には過去から続く歴史と現在を結びつけ納得しながら、
徐々に「僕なりの」「現時点の」肌感を
作り出していくことができたのは事実だ。

すると、「何故こうなってしまうのだ?」
「もっとこうすれば良いのに!」
といったさざ波立った感情はどこかに消えていて、
大きすぎて尻込みし
旅行者だからと傍観していた「アフリカ」は、
リアルで感触のある身近なものに変わっていた。

そして僕は、やっとスタートラインに
立てたような気がしていた。

(続く)