マラウイ南部の街「マンゴチ」、から車で30分の湖畔の集落、ンコポラ。
高級リゾートホテル「サンバード」、から徒歩10分の宿、パムーズィロッジ。

 
そこの外のテーブルで、これを書いています。
今日まで、えーと、色んなことがあって、
ぐるぐる回り回って、スゴいことになってます。
今日までのことをなんとか、急ぎ足で、数回にわけて、
アップデートしたいと思います。
 

感動のグッバイ・カタベイから、退屈と戦った船上3日。


こんな鳥がいた)

(積み下ろしに毎回6時間。船つき場作れよぉとヤキモキ)


『数独』を15問くらい解いてビギナー向けでは物足りなくなり、
布製きんちゃく袋を3つ完成させてもあまりに暇で
袋にYUKIなどとキモい刺繍まで施した末、


へろへろになって私は(勇輝は楽しかったらしい)、
モンキーベイに上陸した。

そのまま暗闇の山道を、乗り合いピックアップトラックの
すし詰めの荷台で、大きくて真っ赤な月を眺めながらやり過ごし、
世界遺産登録らしいこぢんまりしたリゾート地、
ケープマクレアに到着。
静かで穏やかな2日間を、湖を眺めて過ごした。

(世界遺産なのにじゃぶじゃぶ洗濯しちゃってる・・・)

(我らがテントは皆の物干し場に)

(大きなバオバブの木の下で)

(見て赤ちゃんのお尻!)

(歌を歌いながら遊ぶ子供たち)

(息を呑む光景)

それからまた荷物を背負い、荷台に乗り込み、

(プロレス関係者の方、じゃなくて宅の主人です)
大通りでマンゴチ行きの軽バンバスに乗り換え、
手前のンコポラで降りる。
自転車タクシーでホテル・サンバードに到着した。


マラウイに入って最初に泊まった
首都リロングウェの宿で出会った英国人、
ジョニーに挨拶するためだ。
彼は、10月15日からここホテル・サンバードで行われる音楽フェス、
「LAKE OF STARS」でステージやバーの建築を任されている。

久々に嗅いだオーガナイズの香りにうっとりするのも束の間、
「どうしたらそこまで?」
「俺たちが何をした?」
という程、恐ろしく感じの悪いフロントの女性(後に和解)に
ジョニーはここではなく、近くのパムーズィロッジにいると聞き、
そちらを尋ねてみる。
私たちの名前をちゃんと覚えててくれたジョニーは
再会を喜んでくれた。

私たちはこのロッジに2泊することにした。
2日後、陸路で国境を越えモザンビークへ。
旅行者が少ない、北のモザンビーク島を目指す。
悪名高いハードなバス移動の連続になる。
一息ついて備えよう。

ジョニーが
「あそこは居心地が悪くて。ここはアットホームでいい」
と言った言葉に納得。
パムーズィロッジのスタッフは皆、優しく温かかった。
質素だけど丁寧に掃除された部屋に通され、
私たちはすっかりホっとして、身体を丁寧に洗ったり
大量の洗濯をしたり、ぶらぶらと近所を散歩して、
村の祭に遭遇したりしながら
のんびり過ごしていた。

(太鼓の音と歌声に誘われて村に入っていくと・・・めっちゃ人がいる!
なんでも、ある年齢の子供が大人の仲間入りをするイニシエーションなのだと)

(太鼓もハモりの効いた歌もなかなか美しいものだった)

(今日の主役はこのワラに入った10~12歳男子。皆の前で数人ずつ踊らされる。
腰を振るキワドイ振り付けもあり、大人への階段を上がる儀式かぁと妙に納得。でも早くない?)

(その後女たちの乱舞。見ていたら血がぐわーーと逆流するような感動
が)

(勇輝は得意のゲーヒーダンスで会場を沸かせていた。写真はそんなに沸いてないが

夜、ジョニーと飲む。
地元の人らしい3人の男性も一緒だった。
そのうちの1人、水野はるおに激しく似たフェリックスは
この宿のオーナーで、近所の村の小学校のチェアマンでもあるという。
フェリックスが突然、鼻息荒く、小学校の現状を訴えてきた。
「校舎が足りなくて、低学年は外で授業してて、
雨期には授業ができなくて・・・」

うんうん、そうかい・・・。

ジョニーが、こんな素敵な夫婦だよ、という意味で
私たちが今までやってきたプロジェクトの話を
フェリックスに紹介してくれていたらしい。
「これはチャンス!」と思ったかは知らないけど、
自分たちにも何かしてもらえると思ったようだ。

ごめん、フェリックス・・・。
私たちはすぐモザンビークに発つんだよ。
でも、アイデアならあるよ。
勇輝が、カタベイでキャサリンにと作った
「テーブル・フォー・ツー」モデルの資料を見せ説明する。
なるほど・・・。宿のレストランでやってみようか・・・。
素直に感心してくれたフェリックスだったが、
ちょっと残念そうに見えたのは気のせいだろうか。

そのときの私は正直、
「うん、でも、今回は・・・ごめん!!!」と思っていた。
カタベイ滞在が長くなったのもあり、
寒くなる前にヨーロッパ入りしたいのもあり、
旅を先に進めたかったのだ。
 
翌日。
モザンビーク行きに備え、荷物の再整理。
服を少し減らすことにした。
数枚のTシャツを持って、ホテルサンバード前の
土産物を売る若者たちのところへ。
「これとなんか取り替えて」。
シレっと言ってみたが初の試みだった。
数分の交渉の末、私は前から気になっていた
ワラ編みの無料レッスンをゲット。
小さな小さなマットを完成させ、指に小さな水ぶくれができ、
なんだかとても満足していた。

いよいよ明日出発、というその夜。

そのとき歴史が動いた。
って程でもないけど、私たちの進路が変わる出来事が起こる。
 
1人の黒人男性が
「コンバンワ」と私たちに話しかけた。
 
前大統領のアドバイザーをしていたという彼は
ケン・ウイリアム・モハンゴ。55歳。

今は政府を離れ、あるNGOのマラウイ代表をしているという。
アップキャンという、アフリカ全土にネットワークのある
子供の人権を守る活動を行う団体だ。本部はケニアのナイロビ。

彼は今、ユニセフ主催の3日間の会合に出席するために
ここンコポラに滞在しているという。
彼の活動の話、私たちのしてきたことの話、
しばし3人で話し込んだ。
 
聞けば聞くほど、ケンはビッグマンだった・・・。
宿の主人、フェリックスのいとこでもあるらしい。
しばらくするとケンがゆっくり深呼吸してから
こう言った。
 
「これは神のめぐり合わせか。
美和、あなただ。
あなたのような日本人を探していた。
最初に日本語で話しかけたのは、
中国人かもしれないと思ったから。
私は、あなたに、
我がNGOの日本アンバサダーになって欲しい」。
 
 
えっ?ええええええええーーーっ?????

 
 
いや、えーと、
あ、あたし??!
英語下手だし。
無理無理無理。ってゆうか、
アンバサダーって何?
「親善大使?」
ええーーーっ!?
徹子さんとかアグネスチャンとかのあれ?

ああ、じゃあ勇輝でお願いします。
「いえ、女性がいいのです。」
はぁ・・・。
 
 
近くの席で打ち合わせをしていたジョニーに慌てて聞いてみる。
こんなこと言われたんだけど・・・。
「君のほかに誰がいるのさ。It’s YOU,  MIWA!」
そんなぁーー!
私たちからのたくさんの質問を
丁寧に返してくれるケン。
ケンは信用できそうだし、そうだなあ。
詳しい説明も含め、とにかく一度、
オフィスや学校を見せてくれないかな。
喜んで!一緒にブランタイヤに行こう。
会合はあと1日で終わるから、明後日の正午に迎えに来るよ。

じゃそうゆうことで。

ケンが去ってから
急に、心臓がドキドキいいだした。 
ちょっと怖くなった。

 
ころころ転がる石のように。

ふらりと、ジョニーに一目会いに来てみたら
なんだか、何かが動きだしている。
ケープマクレアではなんにも感じなかった
予感みたいなものを感じる。


運命的なものなのか、ナリユキなのか、
肩透かしか、思い過ごしか、そんなの分からない。
でも流れに乗って行ってみよう。

なにが待ち受けているんだろう。
これは何を意味するんだろう。

 

そんなこんなで、私たちはとりあえず、宿を1泊延長した。
モザンビーク行きはちょっと延期。
ケンと一緒にブランタイヤに行ってみよう。

ころころ転がる石のように。
<続く>
(MIWA)