ひげボの旅。 2009年12月~2011年10月。

その場その場で決めながら歩んでいったルートと、
その時々で私たちが感じてきたことを
当時のブログの引用をしながら振り返ります。
※ぜひ各地域のダイジェストページをご覧下さい!

 

南インド 2009.12.19~ 52日間

ここではほぼ全ての常識が違う。
別の常識のものに対して、評価は存在しない。
ただ、そうである。違うものは、ただ、違う。それを受け入れる。
そうやって自分の常識を少しずつ壊していっている感覚がある。

YUKI/2010.1/22「1ヶ月」より >>南インドダイジェストへ

 

東南アジア 2010.2.8~ 26日間

「○○サマサマ」。
もっと謙虚でありたい。
自分以外の力のおかげだと、いろんなことに感謝できる人になりたい。
とにかく今、私はあなたサマサマです。ありがとう。

MIWA/2010.3/13「サマサマ、に生きる」より >>東南アジアダイジェストへ

 

北インド 2010.3.7~ 51日間

パックリと開いてみたら、自分の中に「自分自分」がめちゃくちゃ詰まっていた。
時にどうしようもなく重く苦しくなったのは多分こいつのせいだ。
さらに前に進むには一度、そのぶよぶよに膨れた自意識を
できるだけきれいに拭い去って謙虚にならなくちゃいけない。
自分は何者でもない。ただのちっぽけな人間だと。

MIWA/2010.4/15「桜と自意識」より >>北インドダイジェストへ

 

ネパール 2010.4.27~ 29日間

タラの目にぐわっと涙がたまる。震えている。
次の瞬間、タラが口を開き、出てきた言葉は、今度は私たちの目の奥を熱くさせた。
できすぎなんじゃないか?という、ちょっと鳥肌が立つような感覚。心臓の音。
大げさかもしれないけど、それはまるで、奇跡のように思えた。

MIWA/2010.5/30「それは奇跡のようだった (最終報告)」より >>ネパールダイジェストへ

 

中東 2010.5.26~ 32日間

メディアが伝え(られ)ない、でも市民みんなが知っている、イランの現状。
「xxって怖い国だねえ」とか僕らが言っている間に
人民達は戦ってるんだ、自由や人権を勝ち取ってるんだ、
そんな事をより肌身で感じるようになった。

YUKI/2010.7/13「人民に罪は無い」より >>中東ダイジェストへ

 

ワールドカップ(南ア)&東京 2010.6.27~ 38日間

僕らは日本戦に、あるチァレンジをしました。
スタジアムでカツサンドを販売することにしたのです。
勝負と言えば、かつサンド。最後に愛は、カツサンド。

YUKI/2010.7/2「長い長い決戦の日①」 >>南ア&東京ダイジェストへ

 

南部アフリカ 2010.8.3~ 102日間

「何故こうなってしまうのだ?」
といったさざ波立った感情はどこかに消えていて、
大きすぎて尻込みし、旅行者だからと傍観していた「アフリカ」は、
リアルで感触のある身近なものに変わっていた。
そして僕は、やっとスタートラインに立てたような気がしていた。

YUKI/2010.9/29「見えてきた、アフリカ」より >>南部アフリカダイジェストへ

 

ヨーロッパ・モロッコ 2010.11.9~ 61日間

不幸せは自分で作り出しているんじゃないか。
計画する。時間を決める。期待をする。
期待と違えばがっかりし、思い通りいかないと憤る。
僕らは自分達で勝手に眉間にしわを寄せ、
不安になり、不機嫌になり、疲れていっているようだ。

YUKI/2010.12/25「砂漠の民に魅せられて」より >>ヨーロッパ・モロッコダイジェストへ

 

南米 前半 2011.1.09~ 100日間

旅というのは、自分の中のプリミティブが試される場なのかもしれない。
最終的には“情報” なんて意味がなくて、
瞬間的に感じる「気」や「感覚」しか頼りになるものがない。
ニンゲンってすごいって思う。生き物として。
胃があって腸があって、そういう、教科書で習った身体のメカニズム、じゃない話。

MIWA/2011.2/21「水かけ強盗と野生の雄たけび」より >>南米(前)ダイジェストへ

 

南米 後半 ~帰国 2011.5.12~ 150日間

変化のベクトルとスピードの中で二人が離れてしまわないように
お互い引っ張り上げあい、ハッパをかけあい、褒めあいながら、
一緒に変化し続けていけるのが夫婦だと思う。
何度でも、何度でも、何度でも、
変化を確かめ合い、試行錯誤し、必要があれば修復しながら。

MIWA/2011.10/27 「旅の最後に、夫婦の話。」より >>南米(後)〜帰国ダイジェストへ