ソーシャル合宿Feel India!②それぞれの思い

2012 年 1 月 4 日

あけましておめでとうございます。

帰国して3ヶ月がたちましたが、
年末の時点では完全にTOKYO TIMEの生活に逆戻り、
忙しない日々を過ごしておりました。
(そんな中、多くの方にご支援頂いたインド合宿の報告すら
滞らせてしまいました、申し訳ありません。)

年末年始、お約束的に2人で暑苦しく話をしましたが、
東京を離れた2年間の意義を再確認しました。
目の前の事に追われ本当に大切なことを見失う事なきよう、
精進していきたいと思います。

本年もどうぞよろしくお願いします。

===

 

2日目。
朝、現地ソーシャルワーカー達の元へ
メンバー達は出発していった。

にぎやかだった宿は一気に静かになり
いつもの通りの2人になったのだが、どうも落ち着かない。
心配性の美和はなんだか色々言って心ここにあらずだし、
僕は僕で合宿期間中のスケジュール確定のためにせわしなく調整を続けていた。

ケンゴ(33歳/ITリーマン)、ウメ(22歳/美大生/初海外)、スミ(22歳/元自衛官/初海外)
のチームAが向かったのは、カイラシュ。
ブッダガヤ近隣のハリジャン(どのカーストにも属さない被差別階級)の村で、
村民の生活向上のための活動を10年以上続けているベテランソーシャルワーカー。
課題もカイラシュの希望や実行力もある程度見えているが、
そこから3人がどのような思いとプランを持って帰ってくるのか。。。


右端。井戸をつくった村人達へ支払いの図。

 

キョウ(30歳/格闘家風)、タク( 28歳/国際NGO)のチームB。
向かったのは、隣村に住む若手のラジェッシュ、ビジェイ、カピルの3人組。
ラジェッシュとビジェイは1年前にRISE UP卒業生としてまだ大学生の頃に出会ったが、
兄貴分のカピルと共に団体を立ち上げ近隣のハリジャン村の支援活動を始めていた。
若く優秀でパッション溢れる彼らだが、実績はほぼ無く、どう出るかは正直未知数だ。


左からビジェイ、ラジェッシュ、カピル。みな22歳〜25歳と若いが妻子持ち。

 

昼過ぎ、視察を終えたそれぞれのチームと合流。

さぞかし驚いたろうと感触を聞いてみると、
感情的な感想よりも、村人の生活環境や施策案についてのコメントが多く、
皆思いのほか 冷静に受け止めているようだった。
僕らが初めて村に行った時は随分ぶったまげたのだが、
「現状を踏まえ何ができるかを提案せよ」などというフリのせいなのか、
僕らが感動屋すぎるのか、なんなのか。

 

そして、全員で目の前にあるマハボディ寺院へ。
仏陀が悟りを開いたと言われる世界遺産、
むりやり入れこんだ、1週間の合宿期間で唯一の観光タイムだ。
その後は翌々日以降開始するRISE UPでの授業のための買い出し、
プロジェクト施策のためのチームmtg、などにより午後を過ごした。


2度目だけどやっぱりここは相当スゴいです。


敷地内は土足厳禁のため裸足。快晴のため焼けるように熱い。そしてこの裏に菩提寺が。


去年僕らもお世話になったブッダガヤ唯一の文房具屋。


どんぴしゃに欲しいものがあるはずもない。
限られた商品の中から頭を使い目的達成のためにモノを選ぶのがインド。

 

夜。

前日深夜に合流したけんごを含めた初の全員集合のディナーということで、
ビールを飲める高級(?)ホテルでキックオフ飲みを行うことに。

初日の夜も会食、昼も予定パツンパツンで走ってきたため、
皆でゆっくり話す機会はこれが初めて。
一同高めのテンションでの乾杯となった。


男性陣。左からひげ、ケンゴ、キョウ、タク


女性陣。 左から未だボリパー全開な人、スミ、ウメ

 

1杯目のジョッキが空になった頃合い。
本題の本日を踏まえたプロジェクト内容の議論に入る前に、
改めてみんなに合宿への参加動機を話してもらう事に。

それともう1つ。
今後、合宿夜ミーティングの定番となっていく「THE MOMENT」 。
毎日、最も心に残ったシーンを1人1人に発表してもらうのだ。

それでは各人の参加動機とあわせ、
初日の「THE MOMENT」公開いたします。

 
ケンゴ

僕の新卒1社目、富士通株式会社の同期。
10年勤め続ける真面目さと結婚式余興が趣味というおふざけたキャラ
のバランスが愛おしい、日本代表の遠藤に激似のケンゴの参加動機は
「こんな企画に乗ってくるヤバい奴らに会ってみたかった」
THE MOMENTは
「カイラシュの背中でバイクに乗って、大通りから村に入った瞬間。
日本には無い景色を、日本には絶対無い形で見た。」
「日本のサラリーマン代表」としての彼が、インドで何を感じ、何を残すのか、
本当に楽しみに思った。

 

タク(たくろう)

国際NGO「国境なき医師団」の一員としてマラウィとイエメンで活動してきたタク。
マラウィでフェス出店した際に美和が会話したのが機でブログを読んでくれていて、
合宿に参加してくれた。
「医師団での活動はゆうても色々な事がオーガナイズされていたが、
今回の企画は文字通りゼロからつくりあげていくもの。
経験も自信も無いが絶対に楽しいと思った」
というタクはさすがの現場対応力を既に随所で見せていた。
THE MOMENTは
「デリー駅の改札を出た瞬間。
実は同日程でフィジーへのサーフトリップに誘われていて
インドにして良かったのだろうかと悶々としていたが、
その熱気と臭いとパワーに全てが吹っ飛んで、まさにキターーーー だった。」

 

ウメ(梅干し)

ブログから無謀にも参加を希望してくれた突撃女子大生。
自らを梅干しと名乗る事前の自己紹介メールが爆笑だった彼女、
いつも明るいが実は気ぃ使いな面がちょっと見え始めていた。
「 初めての海外旅行、過酷だけど凄いと聞くインドにとにかく興味があった。
今回うまくいけばこれから1人旅でもうまくやっていけると思った。」
THE MOMENTは
「バラナシ空港を出たら、 混沌、カオス、めちゃくちゃ、何なに?
正直壊れかけた。ブッダガヤまで辿り着けないと思ったところから、
英語もつたない自分たちを助けてくれた大勢のインド人のおかげで
何とか列車に乗り込み到着した。インド人最高!って思った。」

 

スミ(かすみ)

声も体も小さく、頼れる小学校からの親友ウメの誘いに乗り
来てしまったもとい参加してくれたスミ。
100%天然、おとぼけ癒しキャラの彼女の参加動機は
「丁度仕事を辞めたところで、これから積極的に「生きる」
ことを考えていくきっかけになればと思った」
と実はひげボ好きのアツい感じ。THE MOMENTは
「街を歩きながら路上の店を見ていた時、
売り子が「こっちの方が安いよ」と教えてくれたところ
店長らしき人が「言うなよ!」と怒って、
そしたら売り子がシュンとした時」
という、さすがの天然ワールドな回答。
(よくよく考えるとかなり鋭い視点かもとも思うが)

 

キョウ(きよし)

キャリアブレーク中にアジアを周っていたと言うキョウは、
元サッカーJFLの選手だったりタイでムエタイジムに通っていたり
アジア各国でマッサージを勉強していたりしつつ、
しゃべったらコテコテ関西人な愛すべきムードメーカー。
「ブッダガヤに以前来た時に妙に気に入って、絶対また来る、
そう思っていた。大事な事は心で決めなさいとおばあちゃん
に言われていたし、今回のきっかけは偶然じゃないと思った」
※キョウのおばあちゃんネタはこの後鉄板ネタになりました。
THE MOMENTは
「村でインド人との久々にふれあった時。家の中に誰がいようと
まったく自然体でいる人々。心の許容量が違うし、
これこそインドだと思った。」

 

要約するとこんな内容を、
1時間以上かけてわんやわんや話し倒す。

それぞれの思いを抱えたこのメンバーが、
今、インドに集結してくれた。
なんかそれだけで胸にきたし、
これから来る数日間を思うと本当にわくわくした。
なんともキラキラした時間だった。

 

そして宴も後半、本題の視察を経ての 各チームの施策について。
これには僕らもびっくり、な素晴らしいアイディア続出、
ぐおぉーーーと血がたぎりました。
については、長くなったので次回にさせて頂きます。

(続く)

ソーシャル合宿Feel India!① 始動。

2011 年 12 月 7 日

 

さていよいよ旅のラストを飾る、
インドでのソーシャル合宿 ”Don`t think, Feel India”。

旅中に続けてきたソーシャルトラベルプロジェクトは、
何度も書いてきたけど、学びと出会いと感動にあふれた最高の経験となった。
そして最後は僕らだけでなく他の人ともこの経験を共有したい、
という無謀なアイディアを妻が思いつき(大体いつもそう)、
帰国を決めた直後の6月、応募0名覚悟でブログ上で参加を募ってみたところ、
なんと5名ものバカ者もとい若者がインドに集結してれる事になった。
信じられない!僕らは手をとりあって喜んだ。

もう後には引けない。

ブッダガヤに1週間前乗りで入った僕らは
今回の企画を含めソーシャルトラベル企画における活動費を
支援してくれている東京のNPO「BOCS」の代表、CJと共に、
フル回転で事前調整を進めた。


複数のプロジェクトを行い近隣で一番とも言われるソーシャルワーカー、シッダールタ。


シッダールタの学校の校長、ディベンドラ。やはりこの学校は質が高い。


RISE-UP卒業生、みんなのHOPEだと感動したラジェッシュ達


超貧困村を対象に地道な活動を10年続けて来たカイラシュ


そして勿論この人、プラモド。RISE-UPの責任者。右の2人は孤児。


(番外編)突如僕らの宿にサドゥ(修行僧)が現れたりもした。
流れで3時間、ありがたいお言葉と手相占いとヨガマッサージをして頂く。。。

 

 

インドは、彼らは、2年前と変わらぬまま、僕らを待っていてくれた。

町も、家も、学校も、人も、そこから発せられる刺激とエネルギーも、あの時のまま。
きっと世界を何周してきても僕らはこの国と彼らに魅せられ続けるのだろうと思う。

変わったものが1つあるとすれば、子供達、若者達の成長していたこと。
孤児のシャルバンは高校に進学して、ダルメンドラは明らかに大人びていた。
(↑プラモドの写真の右の2人)
そして何より、あの時大学生だったラジェッシュ達グループは、
NGOを作り、貧困層のためにソーシャル活動を始めていた。
これを見れただけでも来て良かった、本当に幸せな気持ちになった。

そしてあっという間に1週間は過ぎ、CJがインドを離れ2人になった翌日、
参加者のうち4名がブッダガヤへ到着した。

こうして、いよいよ、合宿が始まった。

 

——–合宿の内容を簡単にご説明——–

■目的

目的はとにかく”Feel India”感じてもらうこと、
それと、ただ見る、感じる、の1歩先として、
自身で主体的に何かに取り組む事で世界をより近くに感じてもらう。

■2つの企画

①先生になってみよう:
僕らが机と椅子をプレゼンとしたRISE-UPで1人1コマ授業を実施するもの。
参加者には事前に授業の準備をしてもらった。

②プロジェクトを実施しよう:
参加者5人を2つのチームへ分けて、
それぞれ近隣の村落で活動するソーシャルワーカーの所へ行き、
課題抽出→支援案の提案→実施、までを合宿期間中に行うもの。
ひげボはあくまで紹介と援助のみ、参加者のプロジェクトとして実施する。

——–という体当たり的な企画です——–

 

初日。まずは皆へ簡単なオリエン。

事前メールでも合宿内容は伝えていたが、
全然「Don`t think」じゃないかなりハードルの高い企画に
一同「本当にできるのか。。」不安なリアクション。
僕らも正直相当自信が無かったが「とにかくやるしかないっしょー!」
と、とにかく盛り上げる。


右からウメ、スミ、タクロウ、グプタさん(宿のおやっさん)。
写真に写ってないもう1人キョウを加え初日は4名。参加者の紹介はこちらから。

 

その後、昼から隣村のRISE-UPと、カイラシュの活動するバプナガール村を視察し、
夜はシッダールタとの会食、さらに部屋飲み。
最後の参加者1人ケンゴが合流し、詰め込んだ初日が終了したのは24時をまわっていた。


カイラシュを囲み簡単な説明をうけていると、村人が集まって来た。
初海外のウメ&スミに限らず、皆まだ表情カタく、質問もあまり出なかった。


CJが支援を決めた井戸掘りの作業が始まっていた。
3人がかりで手作りの設備でテコの原理で鉄柱を地面へ打ち付け続ける。
これを3−4日続けると。基礎となるレンガが揺れていたりかなり原始的。


村の内部も見せてもらう。最下層のカーストの人々が暮らすこの村には、
観光客は年間で数えるほどしか来ないという。


RISE-UPでは僕らの作った机と椅子が大活躍、素直に嬉しかった。


プラモドは本当に嬉しそうに学校を案内してくれた。
アルプス一万尺のインド版のような遊びを子供とやって見せてくれたのだが、
興奮して力が入り過ぎ「バァーン!」と手を叩き子供が超痛そう、の図。


放課後は屋上に集まり、皆様からお預かりしたグッズ(服やカメラを除く)
をプレゼント。縄跳びがかなりウケました、感謝です。


放課後は8人が生活する孤児院へ。同じくお預かりした洋服の一部をプレゼント。


みんな毎日同じ服を着ているからか、本当に嬉しそうにしてくれました。
ご協力いただいた皆様、重ねて御礼です。


夜、シッダールタ宅でディナーを頂く。
家の外に椅子を出しての死ぬほど辛い手作りカレー、なんともFeel India!


と思った時にハプニング。
タクロウが畑を歩いていたところ大出血して帰って来た。


(後日撮影)真っ暗な庭にはビーサンを貫く釘の数々が。
大事にはいたらず本当に良かったが、恐るべし、インディア。。。

 

2日目。

今日から本格的に企画②プロジェクトをやってみよう、が始まる。
実は美和とはチーム分けでかなり揉めた。
初海外で英語もそこまで得意じゃない若い女子2人を
一緒にするか、別々にするか。
結局美和の主張する、2人一緒の方が力を出せるんじゃないかという案に賛成し、
自称デキリーマンの最年長ケンゴとの3人チームが成立した。

朝8時、カイラシュ(ウメ、スミ、ケンゴ)とラジェッシュ達(タクロウ、キョウ)
が迎えに来てくれて、メンバーをバイクに乗せて連れて行った。

本当に大丈夫だろうか。
彼らを宿で見送りながら、期待と不安で胸がいっぱいになった。

(続く)

そして、インドへ。「美しい世界」

2011 年 11 月 29 日

 

1年のつもりが約2年になった
私たちの旅。
その、最終目的地に選んだ場所。
インド。

 

もう、ほとほと疲れていたのに、
どうしてわざわざ楽園ハワイを切り上げて、
恋こがれる日本を通り越して、
よりによってインドなんかに?!
それは自分でも笑っちゃうような、もうこれ愚行でしょって程の。

韓国で飛行機を乗り継ぎ、コルカタへ。
その晩のうちに列車に乗り、ビハール州の古都ブッタガヤへ向かう。

懐かしい、あの地。
2010年の春。
ある小学校に机と椅子を贈るために1か月滞在し、
私たちの旅に「ソーシャルトラベル」というキーワードが誕生した。
たくさん泣いてたくさん感動した思い出の地。
今度は、それらを私たち以外にも味わってもらおうと
このブログで呼びかけ、合宿を企画したのだ。

その準備のための、前乗り7日間。
旅の間の「ソーシャルトラベル」をずっとサポートしてくれてた
NPO法人BOCSの代表、CJこと茂さんに現地を紹介しながら
合宿の参加メンバー到着を待つことにした。

 


(ハワイ-インチョン間のコリアンエア。機内食のクオリティもさることながら
全員美人のコリアンCAが機内アナウンスが日本語でもやってくれて脱帽。
もちろん完璧な発音ではない。でもなんか、韓国の、韓国人の勢いを垣間見た感じがした。)


(インチョン空港。無料のワイファイカウンター。旅人のこと考え尽くされてる感にまた脱帽。)


(エアアジアに乗換え。この後勇輝、本気でイスラム教徒になるよう誘われる。)


(さすがエアアジア。乗客を動揺させるほどの煙を出してもへっちゃら。)


(コルカタ空港で初の挑戦、アライバルビザ取得。超たらい回しとか不当な両替レートとか
悪い噂をいろいろ耳にしてたのでビビってたけど驚く程優しく一生懸命で感激した。)


(到着した夜のコルカタ。まったく実感が沸かない。これ、ゲンジツ?
ハワイから来た人間にはちょっと刺激が強すぎるのか)


(ばかでかい市場へ入っていき、急いで服の買物。激しい客引きをへらへらかわしながら
蚊よけにもなって涼しいアリババズボンをゲット。※市場ではリュックは前、これ基本。)


(疲れた体でそのまま駅へ。よかった列車に大きな遅れはなさそう。右がCJ。初インド。)


(「うへえ、勘弁してー」と思いつつ、どこかで少し「そうそう、これこれ。」と喜んでもいる、
不思議な感覚で寝台車へ。汗べっとりの体、だけど熟睡。起きたらいよいよブッタガヤ。)

 

 

 

 

来た。

来たんだブッタガヤ。

列車で一晩、時間をかけてたどり着いたことで、
やっと私の五感に電気が通じ始めたようだった。

その五感が持ってきた情報を、脳で分析して解釈して、
次いで私の口から出てきた言葉は
「美しい」
だった。

 


美しい。

 


美しい。

 


美しい。

 


美しい。

 


美しい。

 

 

 

 


それらは、まったく不意をついて胸に迫ってきた。
こんな、美しい世界があったのか、と。

 

 


胸がぎゅっとなるほど美しくて

 


息を飲み込むほど美しくて

 


わーーっと声をあげたいほど美しくて

 


眩しくて見つめられないほど美しくて

 


うっかり涙が出てしまうほど美しくて

 


美しくて、美しくて。

 

私は何度もたち止まり、見とれ、涙をこらえ、胸熱くシャッターを押した。
こんなだったか。
これが今私の感じる美しさなのか。 

 

 


世界中で数え切れないほどの絶景や美術品を見てきたのに、
どうして 

 


ここにある、なんでもない日常は

 


こんなにも胸をつくのか。

 


それは生命力溢れる

 


時として生々しいむき出しの

 


素手と素足を大地につけた

 


一般には「貧しさ」という言葉で表現される生活の中の

 


淡々として温かく

 


でも辛抱強くたくましい

 


彼らの、生きるエネルギー、かもしれない。

 

これだ。これなんだ。
雑誌にも広告にもない、これなんだ。
私も、こんな類の美しさを放てたら!
本気でそう思った。 

 

 


私たち3人はこの町で


たくさん歩きまわり


懐かしい人々との再会を果たしながら


新しい出会いを楽しみながら


たくさんの美しさをかみ締めながら


5人の勇者の到着を待った。


その数日間は、私たちの予感を確信に変えるのに充分だった。

やっぱり、ここは、最高だ。

 

 

 

そういうわけで、
私たちの旅のラスト、
ソーシャル合宿IN INDIAの投稿、始めます。

(もし良かったら
1年半以上前の私たちの軌跡
こちらを読んでお待ちくださればと思います。)
いよいよです。

(MIWA) 

 

定番には訳がある。ハワイ、サーフィン。

2011 年 11 月 21 日

 

さて夫婦や家族の暑苦しい話や、日本での東北や書籍の話、
とすっかり旅と関係ねぇじゃねえかという今日この頃ですが、
まだハワイ、最後にインド残っています。旅ブログ、もう少し続けさせてください。

ということで美和の一世一代の親孝行、
の裏というか並行して僕がせっせと励んだサーフィンのお話です。

ハワイでサーフィン。

いやあこの響き、どうですか。
もうそれだけで全てが表現されているというか、
一切の説明がなくても「ふざけんな」とか」いいなあ」とか「あそこはどうだ」とか、
反応が返ってきそうな、今までの我々の旅にはあまりなかった「定番」の力強さを感じています。

はい。それ以上でもそれ以下でもなく、
「ハワイでサーフィンはやっぱりどうしても最高でした。」
という付加価値ナシのストレートな投稿となりますのでアシカラズ。

 

ハワイで出会った同じく夫婦世界一周な旅人たかし君とともに毎日通ったのは、
アラモアナビーチパークにある”コンセッション” というポイント。


目印は10番の見張り台のあたり。遠くに見えるブレークポイントまでのゲットがややうざいが、
ボウルズなどの高レベルポイントと比べて混雑もローカリズムも厳しくなく、
でも勿論波質は全然良いし、大大大満足のポイントでした。


ホレホレのパワフルな波で有名なサンディビーチ。
ボディボーダー用でサーファーは横においやられてるけど、ここもなんか好きなビーチ。
行った時はあいにくの天気と超強風かつビッグサイズのドダンパー。
かなりデンジャラスな破壊力に怖気づきただただ傍観。


あとはやっぱ、ダイヤモンドヘッドビーチね。
ここは何度来てもどうしようもなくアガる。
まさか義母とハワイで波チェックするとは夢にも思っていなかったの図。


風が強くサーフィンよりウィンドサーフィンに向いているとも言われるこのビーチ。
凄まじいスピードで沖に出てガンガン乗ってる彼らの姿は
嫉妬もできないほどカッコいい。まじで。


車停めて、(後姿はたかし君、現地人なみの黒さと体格)


崖を降りて、


シャワーとおり越して、


ビーサン置いて、ゲットして、


山に向かってテイクオフしちゃう。ほんっとたまらないDヘッド。
波質はイマイチが多いけどホントにそんなの関係ねぇよここは。


海に入らなくても、夕暮れ時に帰途につくサーファーを崖から眺めてるだけでも
たまらなく幸せになる、大好きなポイント。とにかく意味なくホボニチ通った。

 

2年近くかけて世界まわって、ビーチもいっぱい行ってきたけど、
それでも全くあせる事のないハワイの魅力。
自然と街とカルチャーの最高のバランス、それと湿気の少ない過ごしやすい気候。
そりゃオバマも別荘建てるわと納得な夢のアイランド、満喫させて頂きました。

どうやらマウイは更に激やばいとの情報もあり、
とにかく今後の人生年に1回はハワイな生活を夢見ながら、
自己満的投稿を終わらせて頂きます。

次からいよいよインド合宿だぜ!な勇輝でした。

 

「ひげとボイン」が本になります!

2011 年 11 月 14 日

 

とても嬉しいニュースです!

先日、前々から調整をしていた出版社からご連絡を頂き、
本ブログ「ひげとボイン」、の一部、が書籍として出版されることになりました!!

ブログを以前から愛読頂いていたご担当編集者の方の
アツい思いと素晴らしい企画書で実現にいたりました。
またブログを通じて応援して頂いていた皆様にも、
改めて心から感謝の気持ちでいっぱいです。
ありがとうございました。

思えば2年前、「本でも出版できたらねぇ」なんて夢見ていたものが、
なんと本当に実現するとわ。。。。
超感激してます。ありがたやぁ、ありがたやぁ。。。。

内容ですが、テーマは「ソーシャルトラベル」。
過去の取り組みを美和がリライトし、
それにできたらloving it 的なフェチシズム系コンテンツを巻末に、、、
などという方向で制作に入ろうとしております。
カラーを使って色々写真も出しつつ素敵なデザインを入れて、
WEBとはまた違ったオモロいものにしたいと思っております。
是非ともご期待下さい!というか買ってくださいね。。。

発売予定は来年3月、
初めての試みでそれまでひぃこら言っていると思いますが、
これからもアップデートしていきたいと思います。
見捨てず笑わず、引き続きご支援宜しくお願いします!

 

ずっと、一番、したかったこと。

2011 年 11 月 7 日

「ソーシャル合宿IN東北」は、定員にに達したため締め切らせていただきます。
ご応募、応援声援、ありがとうございました!
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旅をしていると、 移動のとき、夜ベッドの中で、
いろいろ考える時間がある。
とくに、「なんの足しにもならないようなこと」を。 

 

東京で働いていたときは、毎日仕事のことばかり考えていた。
明日のダンドリとか悩み事とか、あれもしなきゃとか、具体的なことばかりだった。
旅してる間も、もちろん明日の予定やらブログの構成やら具体的なことも考えるんだけど、
なぜか遠い昔のある日の思い出がぽこっと出てきて
「あれはこういう意味があったのかな」と考え込んだり
当時の言動の浅はかさや自意識過剰さを猛烈に恥じてみたり。
はたまたいつとも知れない未来を、詳細まで妄想してみたり、
とにかくちっとも建設的じゃないことを考えることが多かった。
(それが、旅の本当の贅沢さなのかもしれない・・。)

そういう、旅の中での「なんの足しにもならないような」思考の中に
たびたび出てくる映像があって
これとかこれもそうだけど)
それが私が幼い頃、4人の子を育てる若き日の両親の面影だった。

一番、何度も思い出したのは、ある冬の日のこと。
私が小学校2年生くらいだっただろうか。
当時苦しかった家計をなんとかするため、
秋葉原で一人住まいしながら働いていた父。
父に会うために 母と小さな兄弟4人で電車を乗り継いで行った。 

上野公園で待ち合わせをし、西郷さんの銅像を見た。
末の弟はまだおんぶ紐で母の背にくくられていた。
半年だか一年だかぶりに会った父はとても痩せていたけど、
それでも格好よくて私は俳優みたいで素敵だと思った。
(ずいぶん後で聞いたが、昼間は電気屋、夜はバーと掛け持ちで働いたそうだ) 

一家で浅草の仲見世通りを歩いた。
いつもは無口で厳しい父が、珍しく上機嫌で「何でも買ってやるぞ」と笑った。
私は嬉しくて、目を輝かせて商品を見回して歩いた。
そんな私をふと、当時小学4年だかの兄が引っ張りヒソヒソ声で言った。
「お金が大変なんだから、物をねだったりしちゃだめだ。」
でも生意気な私はこんなことを言った。
「違うよ。こういう時はね、無邪気におねだりしたほうが親孝行なのよ!」
無邪気とか親孝行とかって言葉を使ったかは怪しいが、そんなことを言い、
結局私はちりめんが施された民芸品、兄や弟は竹でできた鉄砲やらを買ってもらった。
すっごく、すっごく嬉しかった。 

 

その夜、どこかの街角の辛気臭いホテルに泊まった。
和室6畳だったか、狭くて薄暗い部屋に、布団を敷き詰めて、兄弟でくっついて寝た。
父と母は穏やかな表情で、私たちを見つめていた。
私は、まるでこの世界には不安も不幸もなにもないように思えて、
なにも怖くないと思えて、満たされた気持ちで眠りに落ちた。

 

ずいぶん幼かった頃の思い出だから
事実とは違う部分もあるのかもしれないけど、
私はこの日のことを旅の間、何度も何度も、思い出した。 

あの頃の私たち子供はお金のことなんてなにも知らなかった。
毎日笑い、幸せだった。
幼かったからかもしれない、いや、それは
母が一度も愚痴をこぼしたことがなかったからだ。
ただの一度も。ため息さえも見せたことがなかった。
新聞配達とパートを掛け持ち、0歳と5歳の弟の送り迎えをし、家事をし、
それでも母は、いつも笑っていて、愛にあふれていた。

私が当時の親の年齢になったからだろうか、
勝手にさまざま思いをめぐらし、
胸がぎゅっとなる。
どんなに大変だっただろう。 夫婦離れ離れでどんなに寂しかっただろう。
あの夜、私たちが寝たあと、二人は涙を流しただろうか。
苦労を分かち合い、温めあうことができたのだろうか。
そうだったら、いいのだけど。 


それから数年して、父はさらに身体をガリガリにして、帰ってきた。
受験できる最終年齢で公務員になり、私たちは一緒に公務員宿舎に住めることになった。
私たち4人の子供は、毎日父を待ち、玄関まで迎え、一緒に夕飯を食べた。
父用の刺身や肉は美味しい部分が選ばれてたくさん盛られ、
よく父はそれを子供にも分けてくれた。食事が終わると子供たちで父の布団を敷き、
風呂あがりの父の身体に乗っかってマッサージをした。
これらはすべて、今思えば、母のしつけだった。
父が帰ってきてからの母は、子供たちが照れるほどに、父への愛情を隠さなかった。
一緒に住んでるにも関わらず、台所のシンクの目の前にはいつも、父の写真が
サランラップに丁寧に包まれ、張られていた。

 

忙しない東京の生活の中では思い出しもしなかった
こんな遠い記憶の断片をつなげながら、
たまらない懐かしさと愛情と尊敬を感じながら、
私は1つの思いを強めていった。

 

「二人に、海外旅行をプレゼントしたい」。 

ずっと苦労をかけてきた両親に、パスポートも持ってない両親に、
生まれて初めての海外旅行をさせてあげたいと。

旅を始めて半年たったくらいにふと思いつき、
思いを温め続け、膨らませ続け、リサーチを続け、勇輝と相談し、
旅の最終地点。 

ずっと、一番、したかったことを
ついに実行に移せるときがきた。

ハワイ。

ハワイに、私の父と母を招待した。

放蕩娘の、一世一代の親孝行だ。

それはそれは、

それは素晴らしい時間だった。

嘘みたいで、嬉しくて嬉しくて、
天にものぼるような、幸せな5日間だったんだ。 

 

 

勇輝は、全日程車を借りてくれた。
私たちは毎日、たくさんドライブした。

父はダイヤモンドヘッドのビューポイントをいたく気に入ったようだった。

 

ハナウマ・ベイではシュノーケリング。私たちが必死に探しても会えなかったウミガメに
父と母は4匹も会ったそうで、子供みたいに興奮してあがってきた。で、ちょっと昼寝。

 

ロコモコとかマヒマヒとかハンバーガーも食べたけど、やっぱり毎食はキツいらしく
スーパーでカートいっぱいに買い物をして、毎日手作りの夕飯を食べた。
帰ってきて、順番にシャワーあびて、洗濯物干して、冷えたビール飲んで、
(ほぼ勇輝がつくる)夕飯たべて、リラックスしていっぱいおしゃべりして、
眠くなってきてそのまま流れで寝る。 ハワイでのそんな日々。たまらなく幸せだった。

 

サンドイッチを作って2度目のラニカイビーチ。気持ちよかったね。

 

母がこんなに泳ぐのが好きとは知らなかった。

 

この木なんの木も見に行ったね。いちおう元社員だしね。
この木の下でみんなで昼寝をしたのが、私の一番のお気に入りの思い出。

 

 

あっという間に5日間は過ぎた。

もっと、素敵なホテルを取ってあげたかった。
一回くらい高級ホテルでコース料理でも食べたかった。
二人に素敵な服でも選んであげたかった。
もっと、してあげたかったことはあったんだ。

 

でもね、

こんな笑顔を見られたから、

面白くて楽しくて仕方なかったから、

二人がとっても仲良しで幸せそうだったから、

精一杯の、私の「ありがとう」と「愛してる」を伝えられたと思うから、
充分だって思った。

最高。最高だよ。
嬉しくて、嬉しくてたまらない。

 

 

満たされた気持ちで二人を空港で見送り、
ホテルへの帰り道。

最後まで、「無事に帰ってきて」と繰り返していた二人を思い出し
ちょっとはっとする。


 

(まだ親になったことがないので当てずっぽうだけど、)
きっと、一番の親孝行は、
子の私が幸せで健やかに、生きていること。
いい顔して生きていること。なんじゃないかなと思った。
たぶん、ずいぶん開いて2番目が、孫の顔を見せること、かな。

一世一代の親孝行、
なんて気合充分臨んだけど、
ハワイ旅行なんてランキングの下のほうなんだろうなと。

 

でも、それでいい、と思う。


ただただ私は、これからも
ずっと
あの日を、あの風景を、心に抱きながら進むのだろう。

それはとても素敵なことに思えた。

(MIWA)

 

 

PS:ラニカイビーチ含め、ハワイの情報を教えてくれて、
素晴らしい時間を
一緒に過ごしてくれた、隆くん彩ちゃんご夫婦、本当にありがとう。

 

 

東北と。東京と。そしてソーシャル合宿第2弾!

2011 年 10 月 31 日

 

(妻のどうにも恥ずかしい投稿に反響を頂いたメキシコでしたが、
どうしても書きたい事があり、割り込んでリアルタイムinジャパンなお話、
お付き合い下さい。)

 

先日、友人に誘われ(半ば拉致られ)東北へ行ってきた。

仙台から出発し、震災で津波の被害にあった沿岸部を岩手の釜石まで車で北上、
そこから内陸へ入り、福島を経由して東京へ。
「東北へ行く=ガテン系ボランティア」だろうと腕をまくっていたらそんな事は無く、
とにかく現場を見てみよう、という2泊3日の小旅行だった。

そこで見た景色。
正直に言うと、そこまでショッキングなものではなかった。

無意識に、海の向こうからネットを通じて見てきた信じられない光景と比べていたのだと思う。
瓦礫はある程度片付けられ、積み上げられ巨大な山になっていた。
そのすぐ横では車が往来し、一部のお店も開店していて、生活が静かに始まっていた。
そんな今の東北の姿を、かなり冷静に見ていた気がする。

 

でも、初日に丸1日かけて色々見させてもらうにつれて、
元々は町だったと言われても全く想像もつかない空き地を目の前にし続け、
徐々に居心地の悪い気持ちになってきた。

「どうすんだ?これ??」

震災直後から地元の方々、国やNPO、大量のボランティア達が瓦礫を処理して
ここまで持ってきた。凄まじい量の瓦礫、本当にすごい事だと思う。
でも、これから、どうなるんだろう。。。。


(地震により地盤が沈下した結果、湿地帯となっているエリアも多くあった)

 

こんな状態から町って作りなおせるのか?
お金はどんだけかかる?何から手をつけるべき?誰が?
全部元通りを目指すのか?最適なプランニングは?何年かかる?
てか、何時間もドライブしてきたけど、この状態がまだ先も続いてるって。。。。

絶望に近い、とても嫌な感覚。

仕事とかしててもよくある、デカすぎてどうしていいか分からない感じ。
先が見えれば大変でも頑張れるし1つ1つ終わらせて前に進んでいけるんだけど、
課題がデカすぎて、やる事多すぎて、道筋がまったく見えなくて、力が入らない。

いやいや僕は所詮東京生まれヒップホップ育ち海外逃亡暦ありのヨソモノですよ。
現地でホンキで頑張っているNPOや復興のプロに任せるしかないと思ったし、
絶望したとか言ったって東京に帰って震災忘れて過ごす事できるし、
東北復興に命をささげる覚悟も無い男でございますよ。
とにかく、「これは大変だ。。。。」
と立ち尽くすしかなかった。

 

翻って、東京である。

東北から東京に帰り、帰国直後と言う事もあり色々な人に会わせてもらった。
旅の話から近況報告、バカ話まで色んな話をする中、
「東北へ行って来た」と当然話すことになる。

が、どうも、ウケない。

そこから色々聞かれる事も、話が盛り上がる事も少ない。
なんというか、「特にいらない」話のようだった。

リアリティのある納得感があった。
3月11日。僕らは東京はおろか日本にいなかった。
地震の被害も無いし、余震の恐怖も、停電の不都合も、知らない。
それでも、なんか分かる気がした。
旅行中に「東北に行っている」という友人のメールに
ちょっとバツの悪い気持ちになった事を思い出した。

今、放射線や東海地震などの新たな不安とともに、
新しい自分の生活が始まっていて、たとえ気持ちはあっても、
時間的にも環境的にも、東北の支援に関与するのは難しいという現実がある。
(そりゃそうだ、平日に東北旅行に行けるのは僕がいま無職だからだ。)

でも世の中には「東北に関与してたらエラい」みたいな空気があって、
どうしようもないだけに、あまり触れたくない気持ちになる。
なんか、分かる。 。。

 


(山肌に「全世界のみなさんありがとう」という文字が。こういった看板をいっぱい見かけた。)

 

今回の東北旅行で1番印象に残った場面がある。
岩手の釜石で復興活動をしている現地NPOを訪問した際に、
代表の方が行った言葉。

「人ゴトでもいい。でも、東北のことを、忘れないで欲しい。」

家も店も家族も被害にあわれたのに、
自身だけでなく地域のために、日々活動している方の言葉。
すごく、重かった。

 

今の僕らの結論。

どうすべきか、何ができるかはぜんぜん分からない。
でも、ほっとけない。
だから、色々な形で関わっていこう。
なんたって、今僕らには時間があるから。

そしてまずは、時間が無い東京の人でも
東北を「忘れない」でなんらかの形で関われる道を模索したいと考えました。

ということで、やってみたいと思います。
“第2回ひげボソーシャル合宿~東北、ほっとく??~”

すべては現地を知ることから。
現地を見て、現地の方の話を聞いて、
その上でみんなと一緒に今後について話し合いたいです。

下記、概要となります。
既に行った事がある人も、気になってたけど行った事無い人も、
興味のある方、こんな僕らですが一緒に東北に行きましょう!

 

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期間:
2011年11月12日(土)9時~11月13日(日)夕刻

場所
岩手県内

スケジュール:
・12(土)
9時      盛岡駅集合
9時~15時  沿岸部視察(宮古、大槌、釜石など)
17時     花巻へ移動し温泉旅館へ。現地NPOの方々のお話をうかがう。
19時     懇親会
・13(日)
9時~15時 前日の話をうけ会議実施および現地リサーチ。チームとして提案を作成。
17時     盛岡駅で解散

定員:
7名

費用:
すべて参加者にて実費負担をお願いいたします。
想定項目は下記の通りです。
・盛岡までの往復交通費(片道東京から新幹線13,840円or前日発の深夜バス4,000円~)
・岩手県内での交通費(レンタカーシェア、数千円)
・ランチやコンビニ代
・12(土)の温泉宿2食つき(約9,000円+酒代)

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参加希望やご検討に際してのご相談・ご質問につきましては、
当ブログ記事へのコメントもしくはhigeboin@ジーメイル.com宛てに、
2011年11月4日までにお送りください。
是非ともご家族ご友人を お誘いあわせの上、ご検討ください。

なお、定員に達した後はお断りさせて頂く場合がありますのでご了承ください。