ひゃっほうサファリ

2010 年 9 月 4 日

美和です。私も書いていいですか?サファリのこと!

子供の頃、多摩動物園の近くに住んでて、
毎週のように行っていた私めとしましては、
正直、サファリとかあまり関心なかったですよ。
15年程前セネガルに行ったときも
ユッスンドゥ-ルのカセット探しには夢中になっても
動物は市場の魚しか見なかった、くらいなもんで・・。

でも去年ケニアに行ってきたフユコ嬢が
居酒屋で大変興奮して
「ほんまむっちゃすごいねん!命やねん!
いただきますって心から言えるようになってん!」
と2時間ほど語ってくれて、その話
(と、フユコが少し可愛くなってたこと)がきっかけで
ちょっと気になってはいました。サファリ。

私が見た、サファリINエトーシャ。


おや・・?と思ったエントランス。(詰め所?)


はて・・?と思った入場手続き。(やっぱ詰め所?)

しばらく進んで、あれ?
鹿(スプリングボック)しかいないよ・・。
と不安になっていたら、いやいやいましたいました。



かっちょいい!オリックス。角、シャキーーーん!

孤高のオーラもまたよし。(こう見えて馬くらいでかい)


よく見かけてたクードゥも、キング(雄)のカッコよさにずきゅん!
なにその角!私も欲しい!

素敵。 もはや神だね。神々しすぎる。(こう見えて馬よりでかい)



実は私の一番のお気に入りとなったのは、「ふとっちょ鳥」(命名)。
ホロホロ鳥っていうらしいね。英語だとヘルメットなんとか。
ぶさいくな顔でポテポテ歩いてるのが可愛くて!


勇輝は鳥に無関心だったけど、私は見逃さなかった!
美しいカワセミみたいな鳥。気分は日本野鳥の会。


首ふと鳥(命名)。


するどい奴も(タカかな)。 ユーモラスな奴も。


青光りした鳥も。カラスに似てるけどちっちゃい。飛ぶと美しい。目が怖い。

 

 

 

 

 


チーターもいたのよ!(ブレちゃった) ハンサム!

ギャーー!食べられてる。。フユちゃん、命や!命やで!


ちょっとボロっとしたジャッカル。どんまい!

風味堂の、別れようと言う女に今夜だけ抱きしめさせてくれと懇願する
女々しい歌を熱唱するひげの生えた動物。

寝ているサイ(らしきカタマリ)も。
公園側が用意した木彫りのダミーじゃないの?と言って勇輝に叱られる。

笑ってるゾウさん!

あ、食べてるのか。



しまうまカップルは仲むつまじい。
いちゃいちゃ。(微笑ましい)
いちゃいちゃ。(ちょと赤面)
ちょちょーーーーっ (勇輝の投稿の!!!に続きます)
ダチョウさんもびっくり!

まけじとキリンカップルもキッス!わーーお!
ライオンさんも口あんぐり。


ふざけてごめんなさい。もうしません。



最終日。
私が夢中で撮っているのは・・・・

女子ライオン!

ではなく
ふとっちょ鳥でした。

ラグジュアリーな部屋で1泊、リフレッシュ!の翌日、2日目ですが、
もちろんテント泊でした。
パン(前日のビュッフェで拝借したハム入り)とりんごと
バナナとポテチという夕食。懐中電灯で照らしていただきました・・。
朝はスワコップムントの宿で会った夫婦に再会して
朝食をご馳走に。

というわけで、大満足のサファリ体験となりました。
なんだろう。うまく言えないけど、動物園とは全然違ったな。
子供もよいけど、大人こそ楽しめる気がする。
いっぱいドキドキしたし、子供みたいに興奮した。
行ってよかったーー。
フユコありがとう!
みんなもいつか来てほしいなーー


クセがついたのか
帰り道まで車の中から激写。
ヒッチハイクする人々。
やぎさん。
売られていく牛。やめてあげてーーーっ
乗り合いトラック。
実は一番心惹かれた、ミモザ(?)の花でお別れです。
(MIWA)

初サファリ at Etosha National Park

2010 年 9 月 3 日

アフリカといえばサファリ、
サファリといえばケニアかタンザニア、
そう思っていた。

ところがナミビアにも素敵なサファリパークがあると言う。
エトーシャ国立公園。
入国後に見た色々な雑誌を見る限り
砂漠に次いで2番目のツーリストアトラクションだ。
載っている写真とかも結構スゴい。

北を目指した結果すぐ近くまで来ていたということもあり
じゃ、せっかくなんで、
と軽い気持ちで行って見る事にした。

写真は一部を除いてほぼkiss+100-300mmレンズ。
サファリに望遠レンズは必須と思います。

 


雑誌にあった地図。ガイド無しでも行けるSafari for Bigginnerとも書いてあった。
ちょうど四国くらいのサイズの広大な敷地をとにかく進む。
地図には何個もウォーターホールの場所が示してあり
そこが動物達の集まるポイントだと言う。


敷地内に入りメインロードを進む。わき道にそれウォーターホールをチェックする間もなく
動物達が現れる。恐らく最も多く生息しているスプリングボックちゃん。


キリンもわんさか遭遇。しょっちゅう会うんだけど毎回どきりとするデカさだ。

トリミング無しでもこのサイズで撮れる近さ。流し目が艶めかしい。


個人的には一番のお気に入りのシマウマ。ゼブラって名前もかっこいい。


!!!


と思ったらライオンだ!ぬおおおおおおー!


わざわざお立ち台に上ってポーズをしてくれた。やっぱまじかっこいい!!


単品の動物達もいいけどやはり群れはまた違う感動があった。とあるウォーターホールにて。


そこへゾウの群れが乱入してきた。


元々いた動物達を押しやりバシャバシャやりたい放題。生パオーン、いただきました。


小ゾウは超かわいかったのだがやっぱりおじいちゃんのような肌だった。


ひと暴れした後、また平原に消えていく。この間10分程度。後ろ姿にまじもだえた。


初日の夜は公園内のロッジで久々のゴージャスステイ。テント生活で痛んだ身体に潤い注入。
期待してなかったけどすげー素敵なとこだったけど、天蓋じゃなくて蚊帳。


翌朝、宿泊場所から歩いていけるウォーターホールへ。すげえ、うじゃうじゃいる。


じーぶらぁー!


牛?何?とにかく群れがやってきた。


50mm(換算80mm)の感じ。後ろからも続々来てる。いやーまじ最高。


次に行ったウォーターホールではなにやら人(車)だかりができていた。
車から外に出ると危険なのでみんな車から見る。


見るとゾウとライオンがにらみ合っていた。


まわりの動物はぴくりとも動かず凝視していた


50mm(80mm換算)のアングル。ライオンは2匹いた。
結局1度ゾウがライオンを追い回したのみで血を血で洗う争いは起きなかった。

その後ライオンがおもむろに立ち上がり周りの動物を追い回し始めた。

これも結局何も起きなかったがなかなかの迫力だった。


ちなみに日本人グループの方々もお見受けしました。
そこまで厳重装備しなくても、、、と最初思ったけど、ここまで来てるだけエラい!と思った。


夕暮れにかけてはやはり光が良く一番美しい光景が見られた。

 

ということで大満足の初サファリ2泊3日。
ケニア・タンザニアに比べてどれだけのもんだか分からないけど、
これを持ってケニア行きがなくなることとなりました。。

オジワロンゴの子供達がどうしても可愛くて②

2010 年 9 月 1 日

いつものごとく子供達の可愛さにメロメロになりながら
毎日を過ごしていると少しずつだが色々見えてきた事がある。

まずここは「もの」には困っていないということだ。
ペンや文房具、絵本からおもちゃでいっぱいの棚が
建物のあちらこちらにある。
すべてフランスから、又は現地を訪れるツーリスト
からの寄付品とのことだった。
モニクの家の僕らの泊まらせてもらった部屋も
そういったグッズであふれていた。

(キレイに陳列されていたがほぼ新品のまま。使い切れていないようだ。)

では運営上の課題は何かというと
やはり「人」に関するものだと言う。

まずは現地の親達の理解。
現在26名の生徒が在籍しているが
毎日来るのは20人弱といったところ。

子供達はあきらかに幼稚園を楽しんでいるのだが
親が行かせないケースがあるのだと言う。
欠席を減らすために食事を提供したり
(インドではこれが効果的という話だった)
ペアレンツミーティングを月に数回開いているが
その参加率も低くなかなか成果が出ないと言う。


(食事の用意は親達にお願いしているがなかなか来てくれないそうだ。
唯一てつだってくれているのはアルーシャのお姉さんのハナ。)

背景にはそもそも親達は教育を受けておらず
教育の重要性を理解していないという事があるのだが、
同時に「白人の学校」といった距離感があるように感じた。
(すぐ向かいにある幼稚園は英語も教えないし授業料も高いのに
そちらの方が人気があるという話も聞いた。)

これは1ヶ月この国を旅行をする中
いたるところで感じたことだが、
明確な「Black or White」 という
差別/区別意識が国中をおおっている気がする。
例えばエリアや町によって白人と黒人の数が全く違うし
同じ町の同じ店に双方がいたとしても
一緒のテーブルに座っている事をみることはほとんど無かった。

白人によって虐殺されたり僻地に追いやられたという記憶や、
アパルトヘイト終了後の逆差別政策(黒人の優先雇用等)など、
理由は歴史の中でいくらでも見つけることができるが、
一旅行者としてここまで明確に歴史の重みを感じたことはないだろう。

授業終了後に子供達を迎えに来る親達や
近所の人々との会話の中で
どこかよそよそしさを感じることが多々あったのだが、
親達の学校への理解や協力を得る難しさの根底には
そういったものがあるように感じた。


(学校の周りの風景。黒人居住エリアでモニク宅のある白人居住区とは雰囲気が全く違う)

 

そしてもう1つの課題は先生の質の向上。

2人の先生、アネリーンとロザリーンは感じが良いし
授業も毎日しっかりやっているように見えたが、
モニクいわく色々問題があるとのこと。

その一端は最終日に垣間見えた。
何時になってもロザリーンが来ない。
無断欠席だ。
よくある事では無いらしいが
貸したお金を返さないなどトラブルは他にも色々あると言う。

ナミビア人は金曜日は既に週末と思っているような所があり
生徒もいつもの半分くらいしか来ていなかったのだが、
としても先生は2人しかいないので無断欠席の影響は大きい。
とにかく常識そのものが、違うのだ。

仕事に対する意識という意味では、
失業率も関係あるのではないかと思う。
この国の失業率は外務省の資料では20%とあったが
現地の人の話を聞くと60%にも上ると言う。
確かに町はヒマそうな男達でいっぱいだ。

そんな中、「仕事がある」というだけで満足があり、
クビにならないレベルまで頑張ればそれでよくて、
そこから上の「仕事を通じた自己実現」
という所まで欲求が行きづらいのではないだろうか。
結果、仕事のやりがいとか誇りとか生徒の将来のために、
という意識が薄くなってしまう。

あくまで感覚だが
そういったメカニズムが起きている気がした。

かと言って替えのもっと良い先生を、
なんていうソリューションは勿論ここにはない。
そこで僕らは、彼女たちが自分の仕事に誇りを持つのに
少しでも助けになれば、との思いから、
滞在期間中彼女たちの写真をできるだけ撮って
それをプリントアウトしてプレゼントする事にした。


(アネリーン。毎日元気いっぱいのお姉さん格。)


(ロザリーンは元々は掃除手伝いだったのだが 才能を買われて先生に昇格したらしい)

 

僕らにとっては、インド、ネパールに続く
「5,000円で何ができるだろう?」企画の第4弾だ。
(実際かかったコストは印刷代の約2,700円となった)

正直企画としての新しさは無いけれど、
現場を見れば見るほど
生徒に直で触れ合い、
またローカルであり親達との距離も近い
彼女ら先生の重要性を感じたため、
やってみることにした。

またこの「ローカルであり」という点は、
インドやネパールでは現地のソーシャルワーカー
によるプロジェクトで感じることは無かったのだが、
外国資本の国際協力において最も大切な事だと
今回改めて感じた。

そのプロジェクトが本質的に、継続的に、
現地の人々や子供達の未来のHOPEとなるためには、
ローカルが主体になっていく事が間違いなく必要であり、
そうなるための仕組みを作ることや
ローカルの事を本当の意味で深く考え、理解していくことを
支援側は常に意識していく必要があると思う。


(「子供達の未来はあなたの手の中に、誇りを持って」とメッセージを添えてこれを贈った。)

 

残念ながら時間の関係で直接手渡すことはできず
モニクに託すことになったが、
これを見てモニクはエキサイトして喜んでくれた。
子供達を毎日しっかり教えてくれていること、
一緒に時間を過ごさせてもらったことへの感謝とともに、
彼女たち2人に僕らの勝手な思いが少しでも届けばと思う。

 


最後にもちょい子供達の写真を。何故か赤ちゃんのマネキンを抱いて。


授業前と食後はいつも庭の砂場で遊びだす。


気付いたら「ブーン ブゥーン!」と運転手ごっこ。かわいすぎ。


最終日に完成したジムの上に乗って。手前で泣いてるのはナオミ。


そのナオミはずっと美和に甘えていた。抱き上げてすっかり母の気分の美和の目は遠い。


僕に泣きついてきたのはビートリス。みんなすっかりなついてくれた。


また会いに来るよーと心の中で思いつつ、1週間でお別れをした。

 

オジワロンゴの子供達もどうしても可愛くて①

2010 年 8 月 30 日

クードゥ来訪のショックの翌日から
僕らはモニク&マシューのお手伝いをさせてもらった。

彼女たちが支援しているのは
フランスの大使館が1年前に建てたという
4歳と5歳の地元の子供達を対象にした幼稚園。

設立後はフランスにあるNGOが運営をしており、
運営資金の調達をフランスで行い、
現地のマネジメントはナミビア歴の長いモニクが
任されているという事だった。
ボランティアのマシューは大学院生だったが
そのNGOを通じて2ヶ月の任期で来たそうだ。


(囲む土壁はもろく雨季に崩れてしまうと言っていたが建物は随分しっかりしたものだった)

ナミビアでは小学校以上は義務教育となっているが
公用語の英語を喋れなかったりしつけがなっておらず
幼稚園からしっかり教育することが
その後のためにも重要だと話すモニク。

授業の内容は読み書きから算数(の初歩)、
図工やお絵かきなどかなり充実していた。
また先生達は結構きびしく子供達を指導しており
躾けをしようという意思が感じられる。

子供達とのふれ合いはインド以来となるが
アフリカではどのような感じなんだろうか。
期待を胸に授業を見学させてもらった。

 

(1日の始まりは歌の合唱。ナミビアはキリスト教が広く普及しており教育現場にもその影響が。
短い聖歌や童謡を10-20曲、10分ほどかけて振り付けつきで合唱する。)


(腰をくねらせてカッコよく踊りながら歌う子も、4歳にしてさすがのポージング。)


(その後は歳により2組に分かれ2人の先生が授業を行う)


(初日は体育の授業もあるとのことですぐ隣にある体育館へ向かった)


(この建物はドイツの大使館からの寄付。にしても子供達の服がカラフルで可愛い。)


(その後は食事の時間、いただきますもキリストへ感謝のお祈り)

 

モニクは僕らを送った後仕事へ行くので
現場に残るのはマシュー。
少しだけ彼のお手伝いをさせてもらった。


(大人気のマシュー、2ヶ月の任期ももう少しで終了お疲れ様)


(彼がここに持ち込んだものの1つは歯磨き文化、フランスから持ってきた歯ブラシと手作りの棚)


(最初は模型を使って講義をしたそう。その成果もあり、なかなか様になっているよう。)


(もう1つ、裏庭でガーデンを作った。毎日水をやり野菜を育てることを教えると。これも根付いてた。)


(そして最後のミッションとなるジムの構築を途中から手伝わせてもらった。)


(ペンキを塗り、柵となる枝を磨いた)


(あとは勿論子供達を遊ぶこと、ある日美和は30分ほど場を任されていた)

 

とにかく子供達が
やっぱり可愛くて、かわいすぎて。
それは日本でもインドでもアフリカでも変わらない。

残念ながら翌週から休みに入り
モニクとマシューもフランスに帰るとのことで
滞在期間は1週間と限られているけれど、

彼ら彼女たちの未来のHOPEのために、
ここでも少し何かできたら。
ぼんやり考えながらペンキを塗り、枝を削った。

 

(いたずらっこのベゲナフォとダンスのうまいルーツ)


(小さくてぶちゃっとしてとにかく可愛いルーツの妹のナオミ)


(やんちゃで泣き虫のビートリス)


(甘えん坊のブレンダン)


(身体が大きくて暴れん坊のエルダリーク)


(ちょこまか絡んできてはポーズをとるジョセフ)


(いつも笑顔で元気いっぱいのシャーメイン)


(ちょっとおしゃまなアリーシャ)

アフリカ的ハプニング

2010 年 8 月 29 日

オジワロンゴに到着しカフェで地図を広げ
旅情に浸っていると
あるフランス人貴婦人が僕らを迎えに来てくれた。


モニク エスキュラット61歳。
会計士としてナミビアに長く住んで来たが、
1年前からフランス大使館が建てた
ある幼稚園のマネジメントを任されている。

アフリカにおいてもソーシャルワークの現場を
見てみたいとかねてから思っていたところ、
スワコップムントで出会ったフランス人ジャーナリスト、
アネリーナからモニクの話を聞きとにかくこの町に来て見た。

到着後とりあえず電話してみたところ
昼食を食べていたカフェまで迎えに来てくれたのだ。
簡単な自己紹介をしたところ家に泊まって良いと言ってくれたモニク、
の家はそれはそれは素敵なところだった。


(平屋の一軒家+いくつもの庭もちろんプールつき、庭の草木はガーデナーが整備)

家にはフランスから1人ボランティア、マシューが滞在しており、
フランス&日本の異文化交流共同生活が始まることとなった。

そしてそれは僕らが家について
荷物を下ろしたちょうど直後の事だった。

お手伝いのオレリアが
「庭にクードゥーがいる」と騒ぎだした。

クーズー【kudu】
ウシ科の哺乳類で、レイヨウの一種。アフリカに分布。頭胴長1.9~2.5メートル。
やや小形のものにレッサークーズーがある。(goo辞書より)

カートラブルで足止めをくらったアウスで
「夜は絶対運転するな、クードゥーが光に向けてアタックしてくるぞ」
と注意されていた、危険な動物。

庭に出ると奴は確かにいた。
クードゥーにしては小さいらしいが十分でかい。

マシューと共に庭の外に追いやろうとするが
茂みにかくれた彼女(メスだった)は
なかなか動こうとしない。


(棒で音を立て威嚇しながらおいやろうとするマシュー。)


(告白します。美和がホースを取り出した時、僕はビビって2m後ろで傍観していました。)


(ブーゲンビリアの茂みに隠れたクードゥちゃん、可愛げだけどデカい。)

30分ほどたってもまだ動かないクードゥ。
報をうけ仕事先から戻ってきたモニクは
自治体へ電話をして専門家に相談していた。

しばらくして「Ministry of  Environment」
と書かれたシャツ を来た人がやってきた。

ところが専門家と期待した彼も恐る恐る様子をうかがうだけ。
現地語で同僚と話をしているがこちらには何も言わない。
しびれを切らしたモニクが状況を聞く。

「どうするの?」
「よだれをたらしています。狂犬病にかかっている恐れがあります。」
「で、どうしてくれるの?」
「その場合、残念ですが銃で射殺する必要があります。」
「で?」
「でも私は銃を打つことができません。」

お前は何のために来たんだ?
という場の空気に気付く様子もない
アフリカっぽいやりとり。

そして更に待つこと数十分、
ついにガンマンが登場した。
我々と会話をすることなく数秒で現場へ直行 した。

パァーン!と響き渡る乾いた銃声。
ドサっと何かが倒れる音。
そして「残念ですがこうするしかないのです。」
と一言残してガンマンはその場を去っていった。

到着からその間わずか1分程度。
目の前で大きな身体の動物が倒れている。
一瞬だったがショックで心臓がバクバク言っている。

 

不謹慎かもしれませんが、リアリティということで。
下記、見事に脳天を打ち抜かれたクードゥーの
断末魔から車へ乗せられる映像です。 

クードゥの狂犬病ウィルスは基本的には
人間には大丈夫だと言っていたけど
これは日本で大騒ぎのBSEとか口蹄疫とかそういう類じゃないのか?
ホントに大丈夫なのだろうか?
などと焦ること自体がなんか場違いで空しい。

そしてクードゥの息は間もなくとして途絶えていった。
頭以外は問題ないらしく食肉として処理されると言っていた。
クードゥを含む鹿系の肉はスーパーでも「game」
として干し肉(ビルトンという定番)として売っているし 
それを見て感傷的になることは無かったのだが
目の前の殺生はショックが大きい。

自然とむき出しの状況で生活するということは
こういったハプニングがいつ起きてもおかしくない
ということなのだろう。
毎日、新聞には載らないどこかで、
多くの命が失われているのだろう。
そう思うとなんだか身がひきしまる感覚になった。