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2011 年 6 月 14 日 火曜日

ぽんっぽんっ。

陸路の国境越えはいつも少し緊張する。
だけど拍子抜けするほどほのぼのムードでスタンプは押され、
バスはアルゼンチンを出た。
続いての入国審査はさらに楽ちん。
バスに係員が乗ってきてパスポートを集め5分ほどで返してくれた。
ブエノスを出発して約15時間、パラグアイに入国した。数えてみたら20カ国目。

バスはその後2時間でシウダーデルエステに到着。
そこから添乗員のお兄さんにお願いして、
そのまま私たちが目指していた「国道を41キロ行った地点」まで乗せていってもらった。

ここでした。41キロ地点。
しーん。ぴよぴよ。
赤い土。
田舎。
なんだか、なんだか懐かしいぞ。なんだ?


スーパーへ行くと、ビニールに日本語が!


ここは、かつて日本人入植者が作った街。「イグアズ日本人居住区」。
現在はパラグアイ人はもちろんドイツ人やオランダ人も住んでいるらしいけど、
地図を見ると、日本語名の料理店、居酒屋などがあり、なんとも不思議な気持ちになった。


雰囲気は南米というより、アフリカのような、バリ島のウブドのような、
それでいて日本の田舎のような、「ここはどこだろう」と一瞬よく分からなくなるのだ。

ここへ来た目的はただ1つだった。
「“ペンション園田”に泊まってみたい」。

ボリビアで出会った日本人の女の子が、南米中をずっと旅してきて、
どこが一番良かった?との質問に「ペンソノでの2週間」と答えたからだった。

今まで、食わず嫌いというべきか、日本人宿にはほとんど泊まって来なかった私たち。
でも、彼女の南米最高の思い出の場をぜひ見学しようじゃないのっていうのと、
日本人宿には情報が集まっているから、ブラジルのビザを取るのも楽にいくんじゃないかって
目論みもあって、やってきたのだった。

 


南米に入って、女子1人旅の旅人に多く会い、
「ひえー、すっげーなー」と思ってきたのだけど、彼女たちの話を聞いて、ちょっと見えてきた。
私たちが見てこなかった、もう1つの日本人旅人の世界が。

南米各国の主要観光都市には日本人宿もしくは日本人御用達宿があって、
そこにはたいてい日本語で書かれた情報ノートや「地球の歩き方」が置いてある。
旅人たちはそこで情報を入手することも、次の目的地が一緒の旅仲間を見つけることも、
日本食を作ったり本棚のマンガを読んだり日本語で存分に話すことでリラックスすることもできる。
そして、情報ノートを参考に観光をし、次の日本人宿へ。すごろくゲームのようだ。

このようなインフラがあるおかげで、たとえ初めてでも語学が苦手でも一人でも
南米の旅を思い切り楽しむことができる若者がたくさんいるのだなと思った。

つかの間の共同生活をしながら
その中で、一生の友達と思えるような出会いを果たす人もいるだろう。
青春と名づけたくなるような、キラキラした時間を味わう人もいるだろう。

ボリビアで出会った女の子は、きっとここで素晴らしい出会いと時間があったのだろう。
この宿に流れていた、居心地のいい雰囲気。
ひさびさの、日本の「飲み会」のムードを楽しみながら、なるほどと思った。


ちょうど、明日出て行く人が多くて、アサード(BBQ)パーティだった。
写真の男性3人は宿の人。勇輝が驚いていたのは、彼ら宿の経営陣は「現地人」だったこと。
日本人・日系人ではあるが、この地に生まれ、この地で育ってきた人。
私は早々に寝てしまったが、勇輝は彼らとともにしこたま飲んで、熱く未来を語ったとのこと。
よかったねぇ。

 

で、翌日移動することになった。
パラグアイ滞在、1日かよ!

というのも、ブラジルビザ取得は、ここパラグアイでも大変と分かり、
簡単にビザを取れるという、アルゼンチンの観光地プエルト・イグアスーに行くことにしたのだ。
そう、イグアスの滝が見られるところだ。
でも日程的に、プエルト・イグアスーは2泊で抑えたい。
2泊の中でビザ取得と滝観光をラッシュで行う。
私たちの旅ではあまりなかった予定の組み方だ。ドキドキする。


街の中心へ向かうバス。見えにくいけど、前方にTVがついてて、
爆音でミュージックビデオが流れていた。運転手はマテ茶を飲みながら。このムード、好き!


途中で乗ってきた女の子がどうしても可愛くて。
街の人々もほのぼので写真も「OKOK!」って感じ。パラグアイ、好き!


おんぼろバスと爆音と赤土。アフリカを思い出さずにおれない。
ノスタルジック。胸がぎゅっとなる。
もっとこの国に、せめて1週間は居たかった。出て行きたくなかった。
きっと、また来る!!!

 


街の中心から約1時間、国境を目指し延々歩く。
すんごいぐちゃぐちゃの街。ここは、アフリカというよりアジアを思わせた。
私は途中でギブアップし、勇輝に荷物を持ってもらう。
前にかすかに見えるのが出国ゲート。あと少しだっ!

・・・。
「世界一敷居の低いイミグレ」じゃないだろうか。
ドア開けて、パスポートだして、笑顔でポン、でバイバーイ。8秒。
近所の文房具屋のお買物スタンプかと思った。
というわけでパラグアイ、出国。


建物の前に居たミニバスに乗り込む。
ブラジルの フォズドイグアスへ。
(ここからアルゼンチンに行くには、地形上一度ブラジルを抜けなくちゃいけない)

10分ほどでフォズドイグアスに着く。そこにアルゼンチン行きのバスが待っていた。

バスはブラジル出国のイミグレを通り(私たちはバスに乗ったまま)、
アルゼンチン入国のイミグレを通り(降りてスタンプを押す)、プエルト・イグアスに着いた。
うまくいった。
まだビザを持っていない私たちは、ブラジルをしらっと通りすぎることができた。ふう。

一面にティンカーベルの下手うまな絵が描かれた、その名も
「HOSTEL ピーターパン」という、ディズニー社に見つかったらかなり怒られそうな
ホステルにチェックインしたのは夜8時。たまたま、宿の向かいがブラジル領事館だった。

翌朝8時にネット屋に行き、WEBで申請書を書きプリント。
そのまま領事館へ。証明写真と約2000円の手数料を払い、おっしゃ!
明日の朝11時にビザ完成だ。
聞いていたとおり、出国する飛行機のチケットも預金残高も提示を求められなかった。


天気がイマイチだったので、この日は町をぶらぶらしてゆっくりした。
小さくてほのぼのして、いいムードだった。

翌日。晴れた!やった!
ピカピカのビザを受け取り、荷物を宿に預けて「イグアスの滝」へ。
ブラジル行きのバスは今夜10時。 それまでに充分観光できる。
一か八か今日晴れるに賭けて、よかった。

入場料が意外に高く、一人2000円。
でも中は広大なテーマパークのようになっていて、わくわくしてきた。


園内にある列車も無料で乗り放題。


滝を見るために作られた歩道。ジャングルの川の上を10分ほど歩く。


先ほどの列車も、この歩道も、バリアフリーの安心設計。
ツーリスティック、と言うのかもしれないけど、素晴らしいと思う。
より多くの人が楽しめるように、よく考えられ作られた公園だった。
お歳よりも、家族連れも、小さな子供もたくさんいた。いいなぁ、こういうの。
楽しみにして来たんだね。今日晴れてよかったね。
人々の笑顔を見て、ほくほく嬉しくなる。旅はみんなのものだ。


あ、なんだろ。煙?え?水しぶき?もしかして・・・


うへえーっ!


キターーーーー!滝、キターーーー!!!


ごごごごごごごーーーーーーーーーーー


どどどどどーーーーーーーーん


じゃじゃじゃーーーーーーーーー


正直、怖かった。すごかった。
ぜんぜん写真の画面に収まらない迫力。

 


パークの敷地は広大。先ほどの、滝の上から見られるスポットもあれば、
ジャングルの中を歩いて滝を下から見たり、↑こういう支流の小さな滝を見ることもできる。
(人気なかったけど日本だったら「双子の滝」とかいって充分観光名所になりそうな)

ボートに乗って滝つぼギリギリまで行くツアー(別料金)もある。


ジャングルコースを歩いていると、あらま、こんな可愛い動物(アナグマ?)にも遭遇。


と思ったら、わらわら出てきた。ぎゃーー

 


昨日も来たからと、おすすめスポットへ案内してくれたアメリカ人新婚夫婦、
ローズとカーチス、ありがとう!!
(この道からの眺めは本当に素敵だったよー)


ちなみに、こんなスポットもあります。
(黄色いカッパが勇輝)
お越しの際はお気をつけください。

 

と、いうわけで、大満足で滝をあとにし、
荷物を取って、バスでフォズドイグアスへ。
今度はちゃんとビザを見せて入国。誇らしい。

が、今回はバスは私たちの手続きが終わるのを待っててくれなかった。
外国人は時間がかかると踏んだのだろうか。あと1分待ってくれれば!

40分ほど次のバスを待つ。


日本人にとって南米で唯一ビザが必要なブラジルについて話す。
でもさあ。勇輝が言う。
ブラジルもさ、入国する人間を管理したいのはいいけど、

こういう「例外」があるのが解せないよな。
プエルトイグアスーだけ審査が簡単な(チケットと残高を見せなくていい)ことについて
恩恵に預かっておきながらスッキリしないようだ。
そうねえ。観光客を呼ぶため?なんか裏が・・・?

しかし滝で会ったローズとカーチスは、
同じプエルトイグアスーであってもビザ発行手続きが厳しかったという。
(発行に数日、料金1万円近く、出国チケットと残高証明も提出しなくてはいけなかったと)
アメリカ人だから。

つくづく思うのだけど、日本人は、もしかしたら世界で一番、
世界中に行きやすい国民じゃないかと思う。
私たちの想像以上に、世界中の国を自由に出入りできる国民は少ない。
大好きになったイランなんて、先進諸国であっても
「絶対に」入国できない国民がいっぱいいる。政治的問題で。
日本の行ってきた友好路線(批判もあるが)外交の、
少なくとも旅行という点においては素晴らしいことだなと思う。

 


そんなこんなで、なかなかハードな移動をし、畑を越えて、


NYを抜けて、


大きな橋を渡って、


子供にひげを指差され笑われながら、ついた。

ブラジル南の都市、フロリアノーポリス IN サンタカトリーナ島。
通称フロリパ。

待っててくれたのは、マチュピチュトレッキング仲間、
ディエゴとエリーザ。
さすがファッションチェック第一位。相変わらず格好いいぜ!

さて、はじまります。
私たちのブラジル。

なんだかとっても、わくわくします!
(MIWA)

ボリパー ~そうだ、パーマをあてよう。~

2011 年 3 月 1 日 火曜日


チチカカ湖畔を走るバス。

ペルーからボリビアへ。スタンプポンポン、で国境を抜け、

広い広いチチカカ湖をひたすら眺め、

のどかな所でバスを降りたかと思ったら

ボートに乗れと。バスも専用ボートに乗せられる。 湖を渡り、

コパカバーナって町で昼食休憩をしたりしながら

着いたところが、ボリビアの首都・ラパス。


なんて所だ。
なんて迫力。
山をぐるぐるぐーるぐる降りていって、街へ。
遥かに見える6000メートル級の山脈。
巨大テーマパーク? 秘密基地?
やってきたぜ。ラパス。



ラパスでは、楽しみにしてたものがいくつかあった。
1つが、食事。
ペルーはローカルフードがなんでも美味しかったけど、
ちょっと肉とじゃがいもに疲れてきたし、
やはり恋しかった味があった。



かなり久々の、寿司。600円

かなり久々の、生姜焼き定食。550円 (奥はとんカツ定食)

かなり久々の韓国料理。石焼きビビンバ。600円


そして、意外に苦戦した宿探しで、快心の一撃。
これはまったく期待してなかった、

かなりかなり久々(フランス以来)の、お風呂。 1泊1800円


はうーーー。しああせ。

すみません。大人なんで。
30代、自称・エレガントパッカーなんで。

宿は、若いバックパッカーの皆さんは1泊300円とか500円のドミトリーを選んでる。
食事は、ローカル食堂で食べれば定食が100円くらいから食べられる。
(もちろんそういうのも食べてるけどねー)


いいの。
無理しないの。
ビバ、大人の旅!
らららー。


で、ラパスに来て、びっくりした。
日本人の若者をよく見かける。
上記日本料理屋「けんちゃん」にも、わんさか。
一人旅同士で仲良くなって、これから一緒にウユニ行くんです、とか。
なんか、みんな若い。青春って感じ。キラーっ


で、ラパスといえば、
そんな日本人バックパッカーの中で 「常識」があるという。
リマで会ったユウタ君に教えてもらった。というか、彼のモワモワのあたまがすべてを語っていた。

「ボリパー」。

そういうらしい。

南米各国の中でも特に物価が安いボリビアで、
500円程度でかけられるパーマが日本人の間で流行っているのだと。

「へー」。

ユウタ君の話に、まったく気の無いフリをしてたけど、実は私、
ソワソワしていた。惹かれていた。
髪型にめっぽう飽きやすい私が、ずいぶん髪をいじっていないのだ。 
我慢して伸ばしてきたのだ。
それに、勇輝の床屋企画がちょっと羨ましかったのだ。やりたかったのだ。

うん。
その手があったか。
切らずに済むもんな。


「そうだ。パーマをあてよう」。

私はスキップした。
そうだ。京都に行こう。くらいの爽やかさで。


でもね。私は30代エレガントパッカー。
街の床屋で600円って言われたけど、こっちを選ぶわ。


サロン・セシリア。広くて素敵なこの空間で、パーマ2000円よ。


シャンプー台だってあるんだから。洗面台とかバケツじゃないんだから。
ってちょちょっ!耳に泡入りまくってる!


伸ばしっぱなしで痛んでいた毛先を全部切ってもらう。
横で指示をしてるのが、セシリア。ヨーロッパで修行してきたという。一味違うオーラ。


おおっ!こんなものが! すきバサミ! 「ドイツで買ってきたのよ」とセシリア。


さて、パーマ。ダイジョブかな・・。
「街の床屋とはわけが違うのよ。パーマ液が上質なの。輸入なのよ!」セシリアが胸を張る。


うん。わかったよ任せるよ。 でも、そんな顔で巻かなくても・・。


いいねいいね。仕事丁寧。
・・・あ、れ? 私、こんな、 細いロット、
巻いたことも見たこともない、けど・・・・・・?


巻き終わり。ラップしてタオルして、放置。
お釜かぶらないんだ。髪に優しくていいね。


どこ?って思ったら、ご飯!&ドラマ観てるしっ! どんだけ平和!


勇輝はプロのハサミでおひげの手入れ。 どんだけ自由!


ちーーん。時間よーー。流すよーーー。

って!このビジュアル!ヤバくない?公開して平気?
えっ?似合う? 私、パンチ、イケる???


そうそう。 私が希望を出したイメージフォトは、これでしたの。
任せて!と自信満々だったセシリア。


お・・・・・や・・・・・? これ・・・は・・?


イメージフォトと・・・・・ちょと・・・・違う・・・・・????

?????????


ラブ イズ オーバー ~。


悲しいけれど~ 。


「コンバンハ。 オーヤンフィーフィー デス。」


LOVE IS OVER。

訳 : 百年の恋も冷める。

そんな髪型。


これじゃ、30代・エレガントパッカーじゃないアルヨ。

50代・場末のスナックママ、の出勤前、アルヨ。


ひゅる~

・・・・・


(ちゅん。ちゅん。翌日)


とりあえず縛ってヘアバンド。ってダンサー志望の方?!


そういえば、
勇輝もかける気まんまんだったね、ボリパー。

聞くと、

「ん?やめたよ。」

なぬ!??

ってゆうか、
目を見て話せ!逸らすな! 傷つく!


毎日が小春日和のように円満だった
私たちの夫婦関係に、
このパーマがもたらす影響は・・・・いったい・・・。


つづく・・・


続かないけど。

(MIWA)

フェズ、タンジェ、セビリア、そしてバルサへ

2011 年 1 月 23 日 日曜日

前も少し書いたけど、旅は「移動」の連続だ。
僕らは比較的1つの場所に長く居るから回数は少ない方だけど、
とにかく移動中は旅してんなぁ感を強く感じるし、何かと色々考える。

結局どべぇーっととにかく観光で楽しんだモロッコ1ヶ月。
を終えて皆の集まる年越しバルサへ向け移動を続けた2010年最後の日々、です。

*

12月23日 フェズ→タンジェ

列車で約5時間。
やたら近代的かつモロカンテイストたっぷりな駅
に始まりチケット購入も車内もすべて心地よかった。


ホームにはオレンジの木。取り放題。いいね!

マラケシュやフェズなど街を中心にまわったモロッコだったが、
街と街の間に広がる雄大な自然を前に「田舎はええのう・・・」と感慨に浸る。

来年、南米。
街やビーチや観光地 も勿論行きたいけれど、
どこか縁のある名も無き田舎で、
農業や牧畜などを手伝いながらゆっくり旅したいねえ。
などとしんみり話す。


夕方6時、タンジェ、到着。
夕方着いてダッシュで宿探し&お土産購入&翌日の船のチケット手配。
1泊だから全然分からないけど、マラケシュやフェズを知っていると
どこか物足りない印象だった。

*

12/24 タンジェ→アルヘシラス→セビリヤ

旅に出る前東京でルートを考えている時にやたらアガっていた
ジブラルタル海峡を渡ってモロッコからスペインへ!がついに実現。


新しくできた船着場 へ行くため、朝8時にバスに乗り込む。


が、バスがちょっと遅れ9時の船を見事に逃し絶望の図。ちょっとくらい待てよ・・・


寒空の下2時間待ち。辛かった。。


なんとか船に乗り込み青空の下ヨーロッパを目指す。


船内は複数のラウンジがありハイソな空間、を狙っているのは分かったが、
どうも客層と合ってないし客は少ないしモロッコディルハム使えないし、
軽く残念な感じだった。


1時間で着く予定が2時間かかったが、ついにヨーロッパが見えてきた!
興奮して甲板に出て写真を撮る妻。


が、一方ひげは、爆睡。
寝てしまったと言うより、睡眠を選択。
計画してるときは何にアガっていたのか自分でも疑問になるほど、
当の現場になると何かどうでもよくなっちゃっていた。

こういう事って、多い。
期待が大きすぎたりイメージを温めすぎたりすると、
結果どうってこと無くなってしまう。
インドのアジャイさんの言葉を思い出す。
「期待しない。期待するからおかしくなる。」

で、最近こう納得している。
期待はそこそこしよう。だってわくわくするのは楽しいから。
でもがっかりする のは止めよう。
こういうのって感覚的な塩梅だと思うんだけど、
ちょっとずついい感じになってきた気がする。

*

そして到着した、スペイン、アルヘシラス。
次に目指すは、、、、
南スペインに関してはガイドブックも事前サーチもゼロ。
地図を眺めてマラガかグラナダか迷ってたけど、
船の中で話したポルトガル留学生に勧められたセビリヤに行く事に。
早速バスチケットを購入、ケバブくわえてバスに乗り込んだ。


道はきれいかね。


途中に見かけた街が超キレイだった。小林さんの言ってたアルコスデラフロンテーラ?

そして4時間弱で、セビリア到着。
時は12月24日夕方6時。
ひげ面のバックパッカーが 宿を探すには素敵すぎる街。

宿をなんとか見つけ荷物を置き外に出るが、人がいない。


いない。


いない。


いない。


走る。が、いない。


と思ったら教会には人がいっぱいいた。

そっか今日はクリスマスイブ。
レストランもバールも閉まってる。
儲けだけ考えたらこうはならないと思うと何か嬉しかった。

結局僕らのクリスマスディナーはコンビニ飯。
ハム、パテ、チーズ、ビールが激安(各約1ユーロ)&激旨。

*

もちょいセビリアの写真。
なんか好きになったなあ、この街。


教会前のスケルトンオルガン?の演奏は素晴らしかった。


街を気に入った勢いでフラメンコとか行ってしまった。


まったく興味無かったけど半端ないねこれは。素直に感動した。


劇場の名物おやじ、超盛り上げてた。命名ハンプティー。


25日の夜にはバールも賑やかさを取り戻してた。


昼もやっぱキレイ。


*

12/26 セビリア→バルセロナ

セビリアに2泊していよいよバルセロナ。
軽い気持ちで前日列車のチェックをしたらなんと1人80ユーロ。
結局フライトの方が安くて飛ぶことに。


バルセロナ上空、かっちょよかった。

*

フェズからバルサへ移動の3日間。
電車→船→バス→飛行機。
インドやアフリカを思うと随分快適な移動だった。

ふと思ったけど、値段とその間の宿泊費を考えたら
タンジェから一発で飛んだ方が安かったはずだろう。

でも、
車窓から見えたモロッコ、スペインの田舎の景色、
期待してたのにどうでもよくなっちゃったジブラルタル、
誰もいない街をひたすら歩き部屋飯をしたクリスマスナイト、
適当に決まったセビリアで予想外に感動したフラメンコ、
上空から見下ろしたバルセロナの夜景、、、
移動の旅情はやはり格別のものがある。

移動の方法やその「スピード感」は、
旅のスタイルを大きく形作るものだと改めて思う。
もっとゆっくり、もっとまったり、やっていきたい。

ただいまプレトリア

2010 年 11 月 12 日 金曜日

夜行バスは走る。

2階建てバスの一番前を陣取ることができた
私たちは、夜の風景を眺めて楽しむ

こともなく爆睡。

朝四時。
国境を越えたバスは南ア、ヨハネスブルグに着いた。
まっ暗な ヨハネスに降りる



わけもなく、
ガラガラになった車内、
私たちは終点まで乗るのだ。


だんだん空が明るくなってきた。


都会だなーー。
やっぱ南アはあきらかに違う。


着いた。
皆さん覚えてるだろうか。
ワールドカップ日本戦のために訪れた・・・
これがここプレトリアだ。

で、私の目的は、

このベッド。

カークネスゲストハウスのお気に入りのお部屋。
(写真は7月に撮ったもの)
ワールドカップ時満室だったここ、今回は私たちだけだった。

早朝に着いた私たちは、このベッドで少し寝て(至福のとき・・!)
いちにち街あるき。

いーー天気だった。
7月と違ってあったかい。


ただいま。プレトリア。

青い空と、広い道と、
ジャカランダの木の紫の花。


各地で買った布や木彫りのものを実家に送るため郵便局へ。
船便(2~3ヶ月で着)で2千円くらいだった。航空便は1万円くらいだったのでやめた。


Do the right thing.というサイン。直球だなー


フローズンヨーグルト屋。


勇輝が買ったへんなジュース。生姜ソーダ。



夕方。
この直後突然の夕立。
「トレイントレイン」を歌いながら雨の中走る。
ひっさびさの雨!
青春だ。


雨アガル。


近所の素敵レストランで白ワインなぞ。
ステレンボッシュのシェニンブラン。絶品。
なんだかとても悪いことをしているような気分になるから不思議。
でもしああせ。

めっちゃよーーく眠れて、


あさ。
なに?夢?
ってくらいの極上の朝食をいただき、
荷物をまとめる。

マプトを早々に切り上げた理由は、
カークネスのベッド。
だけど実はその先に向かうとこがあって
チケットを取っていたから、でもある。

 

ヨハネスブルグの空港についた。

エティハドの飛行機に乗り込む。

さあー、私たちは
どこへ行くでしょう!!!???

ヒント:好きな人に再会します。
(MIWA)

ごめんよマプト

2010 年 11 月 9 日 火曜日

あぶないあぶない。
竜宮城かと思いました。
あまりに夢のような生活で
(勇輝:サーフィン、美和:食っちゃ寝)
TOFOですっかり時間を忘れるとこでした。

後ろ髪引かれながらも
キャンベル&キーズィ夫婦の車に便乗させてもらい 
(ひゃっほう!)

目指すは、
モザンビークの首都、マプト。


(宿を出て、大自然をひた走る)


(途中の小さな町、イニャンバネ。)


(なんか可愛い町。)

で、
着きました。マプト。

マプトといえば、TOFOにもあったファティマゲストハウスが定番なのだけど
スタッフが冷たくて悲しい思いをしたから
どうしてもファティマだけは嫌!
ってことでこぢんまりしたベースゲストハウスへ。

なにげにこの旅で初めてのドミトリーIN。
700メティカル、ふたりで1700円くらい。


大丈夫かなー。眠れるかなー。

疲れもあってか、人の出入りも気にならず、ベッドからも落ちず、まあ眠れた。


翌日。街を歩く。
当初1週間居るつもりでいた勇輝は
この街がいたく気に入ったようだった。

日差しは強いが、気持ちいい海風が吹いていて
なんとも心地よい。


大きな教会。きれいな建物が多い


ここまで居たとことは違う。街~って雰囲気に感動


アートセンターみたいなとこ。おしゃれなショップもあった


なんだっけこれ、ライブハウスだっけな。かっちょいい

朽ち果てた建物も。ホームレスらしき人が住んでる形跡&臭い。
これだけ大きな街だから、たくさんの人を潜り込ませる隙間がある


マーケットに行ってみよう。(表示・看板がポルトガル語で常に半信半疑)


ああ、やっぱマーケットだった。さすがモザンビーク。エビとイカ、魚がいっぱい。
アフリカに入ってから、特におばちゃんたちにカメラを向けるとNO!!!!と
怒られることが多かったので、若干遠めの盗撮ぎみ。
でもマプトは平気は人が多かった気がする。都会だからかなー


唐辛子!マーケットは楽しくていいね。カシューナッツを1袋250円で購入。
食べながらブラブラ。


おもむろにマンゴーを買う勇輝。これがめっちゃくちゃ美味しかったらしい。
(私は柔らかい果物が苦手 )


街を散策。靴売りが多い。道に並べて売ってるのが可愛い。


ジェラート屋!キャハーン


カフェスタンドの女の子。


なにが今までと違うって、ありそうでなかった、高層団地。

夜。
宿でひさびさの自炊。
勇輝がマーケットで1キロもエビを買ってきたのだ。
勇輝が作ってくれたのは、エビのトマトクリームパスタ。
正直、うまかった。

でもその夜、まったく眠れなかった。
暑さと蚊。
蚊帳がなかったので、蚊の襲撃にあって
耳栓してシーツ頭までかぶって寝たんだけど
そしたら汗だくで。
うきょーーーーーー!!!!!

勇輝さん。私、もうここにはいられません。
ごめんなさい。
結局2泊だけで、夜行バスに乗ることにした。

夜までまたブラブラ。

ペリペリ(唐辛子系香辛料の名前)チキン。絶品。


海沿いの通り。整備されてて、恋人たちが憩っちゃったりしてる。


路上の土産物屋も賑やか。一番惹かれたのがこちら。
持ち歩き辛いので買わなかったけど、そうそう、こうやってなんでも頭にのっけて運ぶ。
見慣れた光景、シュールな表情、さいこー。


ピカピカのショッピングモールのカフェで贅沢なひとときを過ごしていたら・・・
「あの・・・世界一周中の・・・??」と声をかけてくれたJIKA勤務のサチコさん。
私たちがお世話になってるUtutuさんの知り合いで私たちのことも聞いていたらしい。
「うちに泊まってくださったらよかったのに!」ひえーーー。それがよかった!残念!

サチコさんと別れたあと、
バスの予約を変更しようか真剣に悩み、
結局やめたんだけど、
かなーり、もっと一緒に過ごしたかったです!またどこかで!きっと!


夕方、宿に預けていた荷物を取りに歩きながら、
勇輝がこの街を気に入ってしまった大きな理由が明らかに。

木だね。


街の区画設計のときに植えたとは思えない樹齢の
立派な木がいーーーっぱい。街中に、生き生きとした、不揃いな木が生えてる。
これだー。

そっかーーー。


私が惹かれたのはキングパイスタンド。かわゆす。

そんなこんなで、
ごめん勇輝。
ごめんマプト。

あきらかに相思相愛のふたりを
引き剥がすかのように
この街を離れることにした。

 

私にはどうしても行きたいとこがあったのだ。

夜7時。
バスを待つ。

(MIWA)

 

私はジンベイザメと泳ぎたかったのです

2010 年 11 月 3 日 水曜日

勇輝はサーフィンがしたくてたまらなかったようですが、
私は、
モザンビークを目指す目的はただ1つ。

「ジンベイザメと泳ぎたい!!」
でした。
2番目にシーフード、ね。

その前に立ちはだかるは
バックパッカーの間でもハードと
悪名高きバス移動。
でもね、アフリカ入ってから
ずっとローカルバス乗ってきたわけだし、
シートが狭いとかぎゅうぎゅうとか臭いとか
激しく揺れるとか、故障して立ち往生とか、
経験済みなわけだし。
まあ言うても大丈夫でしょう、
と思ってたわけですよ。

でも・・・うん、なかなかキツかった・・・。



ブランタイヤからモザンビーク国境へのバスは数時間だったし、
超ヒット曲2曲の繰り返しも、
ああこれでマラウイともお別れかって気持ちを
盛り上げてくれたんでまあよかった。



(国境。・・・。)

(マラウイとあんま変わらないのどかな風景を抜け)

(ポルトガル語の看板にちょっとドキドキし)

(立派な橋にほえーーーって見とれてたら、町についた。)

国境からテテって町へのバスも、まあ大丈夫だった。
でも!テテ!
テテに着いて宿を探して30分くらい歩いたとき、
ひええええーってくらいきっつかった。
きゃわいい名前とは裏腹に。
宿に着いたときフラアーーーって激しい眩暈がして、
もう口もきけないくらいヘロヘロで。
着いた部屋のベッドに腰掛けて、
明日のジョーの最後の白くなってくジョー、みたいな私でした。プシュー。
(数ヶ月ぶりに見た素敵ショーケースに癒される)


数日後ある人と話していてその意味が判明。

なんと、アフリカ大陸の中で一番暑い場所は、
ケニアでもタンザニアでもサバンナでも砂漠でもない、
モザンビークのテテって町なのだと!!!!
50度を超えるのだと。
私が歩いてたとき50度超えてたかは知らないけど、どうりでーー!!!


翌日朝4時発のバス。

昼、乗り換えて
休憩なしトイレなし音楽ガンガンの狭いバスでの

1泊2日移動(しかも勇輝発熱) 。

(夕飯。車窓から買ったゆでたまご。)

まったく眠れなかった深夜、何度もつぶやきました。

「悪夢だ・・・」

目をばってんにしながら到着した、TOFO。


で、それから数日間。


着いてすぐストーム到来。立ち尽くす勇輝。
お可哀想に・・・。


大っ好物のエビに美和悶絶。参ってる図。


口内炎の数の多さに勇輝悶絶。ついにチョコラBB投与。


身体じゅうの謎の発疹と微熱にて美和、ひたすら寝る。


猫とともにずーっと寝ている日本人を奇妙に思ったのか、
宿のマネージャー、ピーターが声をかけてくれた。
これが幸せのはじまり。
あれやこれや話してるうちに、
話はまわりまわって
どういったことか
「今夜は君のためにSUSHIを作るよ!」
なぬーーーー????

うん、よくわからないがピーターは昔5つ星ホテルで修行したらしく、
今日は活きのいいのが入ってるらしく、なんだかよくわからなかったんだけど
スシナーイト!!!
なんて素敵な響き!

しかもその前の日に仲良くなったニュージーランド人夫婦の旦那さん・キャンベルは
那須のリゾートホテルでシェフをしていたらしく、
今夜はふたりの外国人男性による共演にて、私めへのスシが!!!
いやーーーーん!!!
いけないわーーーー!!!!


超いい人。マネージャーのピーターFROM南ア。


こっちがキャンベル。いい包丁さばきでした。


お、おぬし一体どこでこれをををを???!!


完成したロール2種、にぎり、サンド等。わさびに醤油。うましーーー!!!!!(涙)

でもよく周りを見渡したら
「TODAY’S  SPECIAL ・SUSHI」ってなってて
みんな食べてたっていう。
全然私のためのスシナイトじゃなかったっていう。
なはーー。
でも、幸せ。

そんでもって
翌日夕方。。。

釣りから帰ってきたキャンベル。
なにそれ!!でかーーーー!!!!

さっそくさばくキャンベル。腕、太っ!

刺身にしてくれて・・・


うんめーーー!!!

気をよくしたキャンベル、

今度は火を操り・・・

したたる肉汁・・・うんめーーーー!!!

私は思わず勇輝の肩をたたきます。
「勇輝。
これが、男子力よ。
これよっ!!!何卒!!!」


あ、

なんだっけ。
違う違う。
美和さんのおいしんぼ通信じゃないんだったこのコーナー。
そうそう、
ジンベイザメだった。
失敬!

あ、じゃあまあ適当に。。。

ある晴れた日。
ダイビングショップ「ダイバーシティ」へ。
一緒に申し込んだのはこのメンバー。

期待に胸躍る。
そのとき現れた、ホリケン(Lake of  Starsで帽子を売ってくれた旅人)!

ホリケンは私たちの前の回でオーシャンサファリに行っていた。
帰ってきたところだったのだ。

「見れなかったっすよーーーー」。

ええーーーー???!!!

そういうこともあるの?まじで?やだーー!!
落ち着け美和。
「悪いことはそれを考えてる人のとこに起こるのよ」(BYモニーク)

ぜったい会える。ぜったい会える。

勇輝@イメトレ中。

で、出発。

ビーチまで歩き、ボートに乗り込む。
いい天気だーー!
まってろジンベイ!
ヒーーーハーーー!!!

そんで、こういう(違う日に撮った↑)かんじで、海へ。

揺れる揺れる!
何度も、おえーーーって気持ち悪くなりながら
約・・・1時間?
運転手とガイドが目をくるくるさせて海を見渡す。
ひれとか尾とかを探してるんだそう。

いない・・・いない・・・
ああ、「オーシャンサファリ」ってこういうことなのね。 
海を、ジンベイさんを探してぐるぐる回るのね。
えーなんか無理な気がしてきたー。とその時!
「潜れ!マンタだ!」
訳分からないままドボン。いろんな人に頭を蹴られながらバタバタ。 
はて・・・。
居なかった。
最初に飛び込んだ勇輝ともう1人しか見られなかったのだそう。
勇輝の顔を見ても、なんだか感動してるって感じでもない。
贅沢な!

で、また発進。寒ーーーーーっ!
ぐるぐる・・・

ボート上の皆が敗北を予感したその時・・・

「ジャイアント!ホエールシャーク!!!」

「キターーーーーーー!!!!!」

じゃぶーーーん!

(ここから、再現イラストでお届けします。)
勇輝と私が海に飛び込んで、目の前の泡が消えた、
そのとき・・・!!!ぬーーーんと
でかい顔が!!!そんで平べったい口が、ぱっかーーーーーと!!!

ぎゃーーー!勇輝どいてどいてーー!!!
バタバターーー
(事前講習で、目の前に行くと下に潜って行ってしまうので絶対ダメといわれていたので)
っていうか、単純に怖かった。
私、すっぽり入りうる!この口に!!!ヤバい!

もみくちゃ、めちゃくちゃになってなんとか横にどくと・・・・

もう、それはアメイジング。
夢かマコトカ、すんごい光景だった。

ジンベイザメと泳ぐ。
でっかい。
でかすぎてエラとか尾とか一部しか視界に入らないくらい。
下のほうには子供たちらしき、私の身長と同じくらい?の赤ちゃんが2匹。

嘘でしょ?
なんか、別の世界にトリップしたみたいだった。
水がさあーーって、キラキラして、
すんごい速く泳いでるような、ゆーーっりのような。
実際は5分とかそこらなんだろうけど、
感覚では15分くらい。
すいぶん長く、一緒に泳いだ。
泳いでくれたんだな。優しいなーー。
好き。そう思った。ジンベイザメ。


とにかく、結論。
よかったーーーーーー!!!!

ほんとすごいです。

みなさまにお勧めします!!!


そんなわけで、私のモザンビークは
もう大満足です!

あざーーーっす!

(えーーこんな終わりかた??)

(MIWA)

Ilala Ferry

2010 年 10 月 7 日 木曜日

カタベイから乗り込んだフェリーその名はILALA FERRY。
マラウィ湖を縦断し目指すは最南端の港モンキーベイ。

さっそく出発時刻が半日遅れだが約40時間の旅という。

 

ツーリストや一部の金持ち用のファーストクラスは3Fのデッキの上。
といっても席がある訳ではなくマットを1日180円で借りて寝るのみ。
(ファーストクラスで6000円程度、1F、2Fのセカンド、サードクラスは
1000円くらい。残念ながら写真は無いが魚や鳥や人でごった返す
1F2F は凄まじい事になっていた。。。)

途中いくつかの港に停まるのだが、
港は無く沖に停泊しボートで荷物と人が運搬される。

1週間に2度来るこの船の荷物運搬を生業とする海もとい湖の男たち

こういうのに萌えるんだよなあ。

停泊時間は長い所では10時間。
その間何度も何度も小さなボートで往復し荷物を運搬する。

最初の夕焼け。

最初の朝日。この頃はまだ毎朝撮ろうと思っていた。

2日目。やることは日焼けくらい。
英国から留学中の医学生のトムとアレックスは超キラキラナイスガイズ、大丈夫ストレートです。

モナ&アレキサンドラfromドイツはジャーナリストとか。

美和さんfromジャパンはアフリカン布で手縫いのバッグをひたすら作っていた。

こちらキリスト教の協会からのマザーズユニオンの皆様。ずっと歌ってた。

挨拶すると家族構成について聞かれ、とにかく子供を産めと説教されたとのこと。

あとする事があった、洗濯。でもなんか油で真っ黒になってしまったorz。

2日目の夕日。

とにかく暇な時にパソコンの偉大さを痛感します。

3日目、まだつかない。これはどこだっただろうか。

ああ確かモザンビークの国境の港だったかな。
(マラウィ湖を越えると向こう側はモザンビーク)

そして。

予定の40時間から20時間ほど遅延した
3日目の夕方。

やっと着いたぜモンキーベイ。
快適な船旅も60時間はやはり長かった。
みんなお疲れ。

 

※10/8映像追加しました