2010.3.7~ 51日間

[ROUTE]:カルカッタ →ブッダガヤ→バラナシ→ハリドワール→ デリー

厳しい2ヶ月だった。一番泣いた2ヶ月だったかもしれない。
悔しさ、感動、辛さ、さまざまな理由の涙。

我々の「ソーシャルトラベル」のはじまりとなる運命的出会い。
気温が刻々と上昇する春のビハール州で、村の小学校に机と椅子を贈るという
一生忘れられない体験をした。

バラナシ、ハリドワールではヒンズー教の息吹を深く吸い込む。
本当に大事なものは何か。理屈じゃない。もっとシンプルに。
そういう欲求が沸いてきたのが北インド。

全裸のサドゥにたくさん会ったからだろうか、余計なものを
脱ぎ捨てた、生身のニンゲンに近づいた感覚があった。
でも、最後は本当に辛くて辛くて、命からがらネパールへ逃げ込んだ。

 
 

 

日本で、世界中で、皆が、自覚の有無はあれど、
この世に生を受けた自分なりの使命を果たしにかかっているのではないか。
何か自分の信じる「大事なもの」を世に残そうとしているのではないか。
そういう風じゃないのか?この風は。

未来は変えられるのだと、私たちの手の中にあるのだと、そういう
希望に満ちた風が、この地球に今強く吹いている。
(MIWA)
2010.3/15「強く風が吹いている」より

 

街一番のお気に入りレストランで、僕は大泣きした。
自分の中で消化しきれていなかった
色々な思いが体中を駆け巡り、
喜びも悲しみも、楽しさも切なさも、
驚きも納得も、憤りも感動も、達成感も無力感も、
全ての感情がごちゃまぜに渦になり、
とにかく涙が溢れて止まらなかった。

旅に出てよかった。
(YUKI)
2010.3/20「猛烈に感動しています」より

→ブッダガヤの村の小学校に机と椅子を贈るプロジェクトに。(ソーシャルトラベルページへ

 

幻滅した。なんというか、一気に白けた。
この街に対して抱いていた特別な感情、
これぞ歴史これぞ文化と唸る素晴らしい街並みへの感動、
行き過ぎた観光化に対する違和感と
「ガイドブック片手の外国人」の1人という自己認識、
恐らく今までで一番悪質な一部のインド人への嫌悪、
それら全てが入り混じって、まだ消化し切れていないのだろうと思う。
(YUKI)
2010.4/13「V A R A N A S I」より

 

パックリと開いてみたら、自分の中に「自分自分」がめちゃくちゃ詰まっていた。
時にどうしようもなく重く苦しくなったのは多分こいつのせいだ。
さらに前に進むには一度、
そのぶよぶよに膨れた自意識をできるだけきれいに拭い去って
謙虚にならなくちゃいけない。
自分は何者でもない。ただのちっぽけな人間だと。
(MIWA)
2010.4/15「桜と自意識」より

 

パーソナルディスタンス、だと思う。
フィジカルにも、メンタルにも。
他人の席でも勝手に座るし隣に座れば弁当をご馳走するインド人。
あなたのものは私のもの私のものはあなたのもの。
東京人はどうだろう。
人と人は助け合って一緒に生きていくものだったのではないだろうか。
(YUKI)
2010.4/16「ハリドワールへ・・・24時間列車の旅」より

 

「そういうもの」なんだ。
4ヶ月かけてインドを旅して、最後にありえない光景を見て、
妙にストンと身に入ってきた。
「合理的で 」「正しく」あるように訓練されて生きてきたけれど、
同時にそういった理由無き何かを大切にして生きて行きたい。
(YUKI)
2010.4/20「KUMBH MELA① 巡礼者たち」より

<合わせてどうぞ>
2010.4/22「KUMBH MELA② サドゥ」

 

<<東南アジアダイジェストへ  ネパールダイジェストへ>>