※注意!
本投稿はR指定となりますので
未成年の方は閲覧ご遠慮ください。
それではこちらをどうぞ。
![IMG_3984_rs IMG_3984_rs](http://h-b.asia/wp-content/uploads/2010/04/IMG_3984_rs-333x500.jpg)
目の前に現れた全裸の男。突き刺さってます。。
続いてどうぞ。
![IMG_4016_rs IMG_4016_rs](http://h-b.asia/wp-content/uploads/2010/04/IMG_4016_rs-333x500.jpg)
プリティなおしりご馳走様です。
もういっちょう。
![IMG_4012_rs メガイッチャッテルヨ!コワイヨ!](http://h-b.asia/wp-content/uploads/2010/04/IMG_4012_rs-333x500.jpg)
チラム(パイプ)を吸いながら怪しく光る目・・・
彼らが、サドゥです。
なんとなく見たことある方もいると思いますが
どうやら日本での知名度は結構低いらしい。
確かに僕らもほとんど知らなかったし。
いきなりですがちょとウンチクを。
ヒンドゥ教では理想的な一生は4つの段階
(四住期)からなると言われています。
・学生期(がくしょうき)・・・訓練と教育を受け、労働する期間
・家住期(かじゅうき)・・・一家の主となり家族をつくり、社会で活動する期間
・林住期(りんじゅうき)・・・俗世との縁を断って森に退く期間
・遊行期(ゆうぎょうき)・・・隠者となる期間(徐々に解脱に思いを寄せ生きる)
この遊行期にあたる修行僧が、サドゥ。
通常はこの順番に人生を歩んでいくところを、
順番をすっ飛ばして いきなり遊行期に突入してるのが大半です。
僧であり仙人、 世捨て人で俗世に興味が無い。
期待通りなかなか強烈。
もう少し写真をご覧ください。
![IMG_4167_rs オウサマミタイデカッコE!](http://h-b.asia/wp-content/uploads/2010/04/IMG_4167_rs-333x500.jpg)
王様の様でかっこいい。虎はシヴァ神の力の象徴。
![P4177350_rs キャーカカワイイ!オナカノシタニハモチロン・・・ウフッ!](http://h-b.asia/wp-content/uploads/2010/04/P4177350_rs-375x500.jpg)
サドゥキャンプで出会ったご年配サドゥ。腹の下は勿論・・・
![P4177362_rs コノコモタブンサドゥダヨ!](http://h-b.asia/wp-content/uploads/2010/04/P4177362_rs-375x500.jpg)
子供のサドゥも稀にいます。
![IMG_4111_rs ミギノカレノミギウデチュウモク!!](http://h-b.asia/wp-content/uploads/2010/04/IMG_4111_rs-500x333.jpg)
右の彼の腕に注目!
さすがクンブ・メーラ。
数十万人とも数千万人(さすがに無いと思うけど)
とも言われるサドゥがインド中から集まってきている。
ガート沿いを歩くとサドゥにジャンジャン遭遇できる。
修行も面白い。
最後の写真の彼は「右腕を決して下げないの刑」
(腕は完全に細くなってるし爪もスゴいことになってる)
その2個上のおじいちゃんの弟子は「決してしゃべらないの刑」
(会話はひたすらメチャメチャな英語との筆談)
という、つい修行なのに「刑」と書きたくなるような、
芸人絡めたらTVの企画ができそうな事をしている。
完全に別次元の存在だ。
だが一緒に台の上に座ったりして
共に時間をすごしながら
彼ら周りの人々を観察するにつれ
印象は多少変わって行った。
やたら優しかったり
バイクで乗りつけたり携帯で話してたり
川からあがった時すごく痒そうに
ドレッド頭かきむしってたり(かなり笑った)、
つっこみどころ満載、
つくりあげていた「仙人イメージ」は
木っ端微塵に破壊された。
![IMG_4115_rs あ、グラサンっすか。。。](http://h-b.asia/wp-content/uploads/2010/04/IMG_4115_rs-333x500.jpg)
あ、グラサンっすか。。。
![IMG_3988_rs ここにはめる指輪(チン輪?)をくれと妻が迫られていた。](http://h-b.asia/wp-content/uploads/2010/04/IMG_3988_rs-333x500.jpg)
ここにはめる指輪(チン輪?)をくれと妻が迫られていた。
![IMG_3995_rs カメラに向かって笑顔もくれる。](http://h-b.asia/wp-content/uploads/2010/04/IMG_3995_rs-500x333.jpg)
拒んでもカメラに向かって笑顔もくれる。
彼らの容姿は挙動は勿論のことだが
非常に興味深かったのは
周りの一般インド人の対応だ。
強烈なインド人だがサドゥを前には一般人。
![IMG_4004_rs IMG_4004_rs](http://h-b.asia/wp-content/uploads/2010/04/IMG_4004_rs-500x333.jpg)
足元を触り、拝み、祈る人。
![P4147286_rs そして額に灰をつけていただく。](http://h-b.asia/wp-content/uploads/2010/04/P4147286_rs-500x375.jpg)
そして額に灰をつけていただく。
![IMG_3999_rs わが子にも、とお願いする父と大泣きの息子](http://h-b.asia/wp-content/uploads/2010/04/IMG_3999_rs-500x333.jpg)
わが子にも、とお願いする父と大泣きの息子。
サドゥ、大人気。
来る人来る人サドゥにひれふし
身体に触れてはお祈りをし、お布施を残していく。
(勿論そうじゃない人もいっぱいいるけど)
結構、いやかなり真剣。
後にあるインド人にサドゥへの好待遇について聞いたのだが
「目上の者に対する敬意」だろうとのこと。
ほとんどの人は四住期における
学生期もしくは家住期を生きている中で、
その先の遊行期を生きるサドゥは先輩という訳。
なるほど。
拝んでいたインド人達はサドゥに神聖な何かを見ていたような
印象を僕は持ったけど、そういう事もあるかもしれない。
*
*
インドを旅して4ヶ月、
色々考えることはあったが
僕個人としては、大きな1つは
宗教に対してのとらえ方だと思う。
旅行に出る前は「宗教」という
ガチガチの枠を作って色々なものにはめていた。
ヒンドゥー教、経典、儀礼、お祭り、、、。
でも今は宗教と、生活に根付いた文化や常識、
この境界線が非常に緩いものになっている。
たとえば今回ふれた四住期の考え方は
インドに強く根付いているような気がする。
4ヶ月間で出会ってきた
勉学に励む事に胸を張る若者達、
社会や子供達のためと毎日を生きる大人達、
自身の成長や成功を求めるのではなく
人生の終わり方を考える年配者達。
その言葉を使わずとも、
彼らにしみついた共通の考え方として
「四住期」があるように感じた。
日本人が持っている様々な風習も
外から見れば特異だし「宗教的」と思われている。
神社でお賽銭を投げるのと
サドゥに10ルピー渡して額に灰をつけてもらうのは
なんら変わりない行為なんではないか、
そう感じるようになった。
![IMG_4008_rs サドゥに触れられてこの表情](http://h-b.asia/wp-content/uploads/2010/04/IMG_4008_rs-333x500.jpg)
サドゥを拝んだある年配女性。
非常に印象的だったこの女性。
よれよれの状態でサドゥの足や身体を触れ、
とても長い時間、何か言葉を発しながら祈っていた。
額に灰をつけられる際の目に涙をためた表情や、
その後思いつめたような表情で立ち尽くす姿に、
何故かとっても心を打たれた。
宗教だなんだという枠ではめていたら
得られなかった感動だったと思う。
世界遺産を見るためというより
とにかく世界中の人に会ってみたい!
という思いから開始したこの世界旅行。
これからも色々な国の色々な文化の人達
とふれ合っていけるだろう。
そのときは、自分の中にセットされている
様々な常識や期待や自我の意識をとっぱらって、
彼ら彼女らと向き合って行こう。
そうしたら、また今回みたいに
胸に残る体験がきっとできると思う。