気づくと目の前のとても太った女性が
青唐辛子を切っていた。
小さなナイフで丁寧に、でもすばやく。

切り刻まれた緑に光る青唐辛子は
やがて口の大きなプラスチック容器に入れられた。
続いて手元にある大きなトートバッグから
なにやら色々取り出している。
ビニール袋に入った大量の土色の粉、
玉ねぎ、レモン、そして大量の水。

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何なんだこれ?
黙々と玉ねぎを刻み、レモンを絞る女性。
何でも出てくる魔法のトートバッグ。
ハリドワールへ向かう寝台列車の中、
僕の視線は向かいの席に釘付けになっていた。

どうやら全ての材料が投入されたらしい。
おもむろに容器の蓋を閉めた女性は
1Lほどのその容器を静かにシェイクし始めた。
中の液体がみるみる黄土色に染まっていき
時々緑や赤の破片が見え隠れする。

完成した液体が
これまた魔法のトートバッグから取り出された
プラスチックのコップに次々と注ぎ込まれる。
液体はシャバついていない、ドロっとしている。
コップの数を数える。
いち、に、さん、し、
彼女の横に座る旦那さんらしき人と
時おり顔を見せる若い女性、娘だろう、
をカウントしても1つ多い。
まさか。

あからまさまな僕の視線を感じていたのだろう。
予想通り1つのコップが僕の前に差し出される。
彼女は英語をしゃべらない。
ヒンディーでどうぞとでも言ったのだろう
僕はサンキュウと言いコップを手に取った。

旅行中、怪しかろうがなんだろうが
気になるメニューを
「とりあえず試す」僕の勝率は
2割といったところだろう。
たまに「ありっちゃあり」に出くわすが
醤油の香りがするインド版コーラThumbs UPしかり
泥水のような塩辛い屋台ミントジュースしかり
大体がそれはそれは残念な結果に陥る。
残念ながら4ヵ月たっても僕のセンサーは
一向に育ってはいないようだ。

ただ今回、その頼れないセンサーはYESと言っている。
しかも気のよさそうなご夫婦からの頂き物だ。
コップいっぱいに注がなくてもと思いつつ
僕は意を決して口にした。

うまい。
なんか、知ってる味だ。
甘くないカロリーメートをドロドロに
溶かしたような感じだろうか。
レモンの風味も良いバランスだ。
時おり舌に触れる玉ねぎの欠片を噛むと
さわやかな味が口に広がる。
うまいぞ。

程なく美和がトイレから帰ってきた。
案の定コップを片手にている僕をみて苦笑いする。
すると前の女性が美和にもコップを勧めてくれる。
机の上に残っていた1杯は娘さんのものと思っていたが
どうやら美和のためだったようだ。
こちらも容赦なくスレスレまでいっぱいに入っている。
丁重に断ろうとする美和だったが
こういう時のインド人は容赦ない。
「いやいや結構です」「いやいやいやいやどうぞどうぞ」
を5回ほど押収し結局押し込まれた美和。
時にチャイを時にサモサを強引に勧めるインド人、
こんな愛らしい風景を何度見たことだろう。
我慢して1口飲んだ美和も、「あれ?美味しい」と驚いている。

英語を少し話す夫に聞くと
「チャナ」のドリンクだと言う。
チャナはビハール州でとれる豆のようなもので
ブッダガヤでは路上で売られているのをよく見た。
カイラシュの家でも朝食にチャナを食べていたが
栄養いっぱいだと説明された記憶がある。
ベジタリアンが多いインドでは
豆がたんぱく質の摂取源として広く食べられているが
その代表格のようなものらしい。
「このドリンクを毎朝1杯飲むのが私の習慣です。
UP(バラナシのあるウッタウ・プラディーシュ州)の
政府に勤める身なのにビハール州のチャナを
食べてるって訳だけど(笑)。」
軽快に笑って説明してくれたけれど
僕はうまく笑えなかった。

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13時半。車内はまだ窓からの光で明るい。
列車がバラナシを出発して5時間ほど経過したが
窓から見えた景色は変わることはなく
延々と畑と荒地の世界が続いている。
旅行中もっとも感傷的になるのは移動中だと思う。
窓の外で移り行く風景を眺めながら
振り返ったり想像したり色々な思いが頭を巡る。
灼熱の太陽の下で広大な畑を数人の女性が収穫している。
延々と続く単純作業はどれだけ続くのだろう、
などと考えながら自身の旅行後の人生について考える。
いずれにしても、インドは、広い。
ハリドワールまでは19時間、まだまだ先は長い。

列車がスピードを緩め、
賑やかな声が聞こえ始めた。
大きな駅に到着したようだ。
チャナ夫婦が落ち着かない様子だ。
娘を呼んで何か話をしたかと思うと
慌しく荷物をまとめている。
「私達はキャンセル待ちのウェイティングなんだ」
つまり席は取れていなかったのだ。
窓から外を見ると大量のインド人が
飛びつかん勢いで列車に乗り込もうとしている。
ハリドワールまで行くというチャナファミリー、
どうするのか聞くと「なんとかする」と言う。
迫り来る大勢のインド人。
この状況でどのようになんとかできるのだろう。

程なくものすごい数の人が車両に乗り込んできた。
予約制のエアコン寝台車だけに
皆ある程度ちゃんとした身なりの人が多いが
やはり大量にいると迫力がある。
彼らのやたら大きな話し声で
静かだった車内の雰囲気が一変する。

間違って僕らの所に来ないでほしい、
勝手に僕らの所に座らないでほしい、
僕らはそう願いながら横になり様子をうかがう。
目の前の席にやはり誰か来たようだ。
ドサドサと荷物を置いている。
40代くらいだろうか。
口の上に立派な髭をたくわえた体格のいい夫が
携帯で何か話している。体格同様やたら大きな声だ。
チャナ夫婦が何か話かけている。
笑顔も見えるので顔見知りなのかと一瞬思うが
そんなはずはないと思いなおす。

駅には15分ほど停車していただろうか。
その間何人もの人が目の前の席に来ては
大声で話をし、時には座り、去っていった。
列車が出発する頃にはその慌しさもおさまり
各々がそれぞれの席に落ち着いている。
見るとチャナファミリーの太ったお母さんは
相変わらず目の前に座っている。
先ほどの大きな男性は隣にいる。
横に座らせてくれとお願いしたのだろう。
何事もなかったように2人は談笑している。
なんとも微笑ましい。

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がしかし。
ふと横を見ると僕の席の端っこに
初老の女性がちょんと座っていた。
ちょうど足を曲げて寝ていたのが災いしたようだ。
エクスキューズミーもハローも何も無かったが。
前のチャナママを見ると目が合う。
「いいでしょ、彼女も」と目が訴える。
なるほど今まで見なかったが彼女も
チャナファミリーの一員らしい。
チャナアーントだろう。
ドリンクの借りもある、
精一杯の笑顔で僕はOKの回答をした。

列車は随分ゆっくりと走ってゆく。
約800Kmの工程は日本の新幹線だったら
どれだけ短時間で快適なものだっただろう
と一瞬頭をよぎる。
しかし激しい揺れと狭い席のバスと比べれば
揺れも少なく足を伸ばして寝れる寝台車は
随分快適だと思いなおす。

へとへとになって辿り着いた宿のシャワーが
すずめの涙ほどの出だった時、
腹痛で駆け込んだ街の公衆トイレの衛生状態が
武論尊が書いたように最悪だった時、
裸で、もしくはパンツを下ろしながら、
僕は自虐をこめて自身にこう言い聞かせる。
「求めない」。
「足るを知る」と。
僕が本当にこの足るを知る領域に
達する時は来るのだろうか。
移動の車内、やはり僕は感傷的だ。

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快諾した席の提供だがせっかくのベッドで
足を伸ばせない体制が延々と続くのは
それはそれで辛くなってきた。
見ると最初はちょこん座りだった彼女は
いつのまにか奥まで腰掛け
足はベッドに乗っかって伸ばされている。
僕の領域はあきらかに侵されている。
何故自分は耐えなければならないのだろう?
というかこの人は誰なんだ?
その前にここはどこだ?
いや求めるな勇輝負けるな勇輝。
自問を続けながら懸命に寝ようとするが眠れない。

夕暮れ、耐え切れなくなった僕は
会釈をし腰を動かしてもらい足を伸ばしてみる。
一向に表情を変えない彼女だが
ムっとした様子も無く体制を変える。
あぁやはり気持ちがいい。
と思ったのもつかの間、
彼女の背中が足にもたれかかってきた。
ゴワついたサリーの感触と
彼女の体温が足に襲い掛かる。
そうきたか。そうだよな。

おもむろに顔を覗き込み目が合うが
やはり彼女は一向に表情を変えない。
他のファミリーは会釈や懸命の英語で
コミュニケーションを試みてくれるが
彼女はそれも全く無い。
主に年配の方々に多い傾向だ。
見つめあう目と目。
言葉がいらない世界。
他人の席に座ってもよいという「当たり前」が
伝えられること無く目の前に存在する。
そして「そんな事を気にしている自分」。
こんな小さな出来事を含め
旅行は「異」との遭遇と受け入れる努力の連続だ。
僕はスっと足を引き、
むかし母に腰に良いといわれた
海老の体制になって寝る努力に戻った。

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やっとのことで獲得した睡眠という神の恵みは
3時間後、やはりチャナファミリーによって妨げられた。
日も落ち真っ暗だった車内を
唐突に照らす蛍光灯の強烈な光。
チャナママと娘が美和を揺すり起こしている。
「ディナー!」
寝起きの朦朧とした状態に飛び込む笑顔。
はじけんばかりの満面の笑みだ。
手にした紙の皿にはチャパティとカレーが盛られている。
僕の足元に座る女性がつくってきたのだと言う。
おおっと彼女の顔を見るがやはり表情は変わらない。
いや、てか、ありがたいのですが、
やっと寝付いたところで、、、
やめよう。
嬉しいじゃないか。
昼に試した車内の食事サービスはまずかったので
夕食抜きを決めていたじゃないか。
僕らはありがたくチャパティとカレーと、
油べっとりの手製クッキーを頂いた。
特段美味しくも無かったが空腹と
彼女達の笑顔のおかげで満足度の高い食事となった。

パーソナルディスタンス、だと思う。
フィジカルにも、メンタルにも。
2人席に4人でも5人でも座ってしまうインド人。
男同士でもいい大人が小指を絡まして歩いてしまうインド人。
他人の席でも勝手に座るし
隣に座れば弁当をご馳走するインド人。
あなたのものは私のもの私のものはあなたのもの。
人と人の距離感が全く違う。

アジャイさんの家でお会いしたドクターマノジ
との会話を思い出した。
明日うちに来てお茶でも飲みましょうと誘ってくれた。
それでお茶を飲んだら次来る時はファミリーだ、と。
1回うちに来るだけでファミリー?
そう聞くと答えは「そうだよ、それがインド人さ。」
日本人はどうだろう。いや、東京人は。
パーソナルディスタンスは、とても遠い。
人への配慮ができるきめ細かさや奥ゆかしさなど、
日本人が誇るべき美徳の結果という部分はあるだろう。
でもほぼ全員が携帯を凝視している
人の温度を感じない電車の車内を思うと
それだけではない気がする。
(成田から東京へ出る電車の中で驚いた
という外国人旅行者の話を聞いたことがある)

便利さや富を得た結果、
それらや自分という「個」を守るために
人を遠ざけている部分があると言えないだろうか。
ただ人とのつながりは欲している。
だから自身の安全が保たれた(ように見える)
ネット上でのバーチャルなコミュニケーションには熱心になる。
でも人の温度や血の通いづらいコミュニケーションで
つながったと言えるのだろうか。
そしてそこには「個」はあっても
「共同体」という意識が欠けているのではないだろうか。
人と人は助け合って一緒に生きていくもの
だったのではないだろうか。

東京に生まれ育った僕は東京以外をよくは知らない。
が福島にある美和の田舎を訪れた際に
共同体の空気やパーソナルディスタンスの近さを
とても印象的に感じた覚えがある。
インド人を見て福島を思い出した訳だ。
海の外に出ようが結局気づいたものは
近くにあった、ということなのかもしれない。

なんてちょっと乱暴な論理を展開しながら眠りにつく。
22時だ。到着予定の3時半まであと5時間半。
つくのはクンブ・メーラの最も重要な日、
1日で2千万人の人がこの街を訪れると聞く。
どんな熱狂と混乱が僕らを待ち受けているのだろう。
(実際列車は最後遅れに遅れ、
到着は出発から丁度24時間後の朝8時すぎでした)

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