スゴい事に気づいてしまいました。
ヘッダーに「貯金尽きたら即帰国」と書き
予算状況をアップしているにも関わらず
「じゃあ予算は全体でいくらなんじゃい?」
に全く触れていないということに。。。
ずばり、ふたりで400万円。です。ハイ。
当初の分配イメージ:
①諸々準備で50万円
②生活費で200万円(1日予算5000円目安で約1年)
③移動に150万(1人5万のフライト×2人を10回+α)
使い方イメージ:
①基本はうまく節約はしながら(安宿暮らし、タクシ使わず、ネゴはしっかり)
できるだけ長く旅行を続けられるようにしよう
②でも月に1回くらいはいわゆる「良いホテル」で極上サービスを味わいたい
③移動はコスパ重視、ただ安さを求めるだけでなく例えばLCCもうまく活用しよう
④一期一会、ガイドやツアー、フェスなど含めお金で買える体験は買おう
つまり学生時代の極貧旅行よりはちょっとオトナに旅行しようね、と。
てな感じで、いつものようにとりあえず、走り出してみました。
が、僕の見積もりの甘さはそれはそれは定評アリ、実績アリ。
あぁいろんな人の顔が浮かぶうゴメンナサイゴメンナサイ・・
実際は準備予算が既に17万円超過していたり、
列車がいつも予約パンパンで取れず
(いつものことながらインド人、多すぎ)
12時間激揺れバスの拷問を味わったり、
つうかインドなのに結構使っちゃってたり、
まあ勿論いろんなことは起きています。
なので今後の状況を是非見守ってもらいたいです。
というかお金の使い方、ガシガシつっこんでもらいたいですマジで。
欠かさず読んでる内田樹のブログより。
今回のお題は「学びと労働」である。
どうして子どもたちは学ぶことを拒むようになったのか、どうして若者たちは「クリエイティブな仕事」を求めて転職を重ねるようになったのかという、このところよく訊かれるお題である。
それは「消費文化」のせいであるとお答えする。
「消費文化」とは「人間は消費を通じて自己実現する」というイデオロギーのことである。
どんな家に住み、どんな家具を並べ、どんな服を着て、どんな車に乗り、どんな音楽を聴き、どんなレストランでどんなワインを選ぶか・・・といった一連の「商品選択」を通じてその人の「個性」は表現されるという考え方のことである。
現在のメディアが「個性的な」という形容詞で記述している人間的行為の99%は「どんな商品を購入しているのか」という水準で語られる。
氏はこの文化を批判しているし僕もその意見に同調しているが
消費から今の僕たちの考え方やスタイルが見えてくることは事実。
例えば市内でも基本タクシー/リキシャーは使わないようにしている。
バスでは圧倒的にローカルが多く触れ合いも多かったり
歩くことによりタクシーのスピードでは見えない発見や感動があったりするから。
同じ店に通って店員とコミュニケーションをはかったり
かなり悲惨な衛生状況でもローカルで賑わう店に行ったりする。
そうすると今まで見えなかった細かい違いが見えてくる事がある。
(インド人のサービス感覚や同じ「masala」の中の色々な違いなど)
これらは節約を目的としたものではなく
勿論利便性を目的としてものでもなく
僕らの(少なくとも旅行における)スタイルであり
価値観からくる行動だと思う。
ただ全く自身の考え方を確立できていない事も多い。
例えば物乞いの人々への対応。
僕は基本お金をあげていないが
これは「自立をうながさない」という考え方の受け売りから。
ただ「貧しきに施せ」という教えを信仰する
ヒンドゥー教徒やイスラム教徒は結構あげてたりもする。
これはまだ全く消化できていない事の1つ。
いずれにしても文化も経済状況も全く違う場所に行く中で
金の使い方は予算云々を超えて大きなテーマであり
これ公開することで
皆さんと議論していくことで
何か見えてくれば、と思っています。