2011年5月12日~ [150日間]

[ROUTE]:<アルゼンチン>メンドーサ→ブエノスアイレス→<パラグアイ>イグアス→<アルゼンチン>プエルトイグアス→<ブラジル>フロリアノポリス→リオデジャネイロ→サルバドール→レンソイス→イタカレ→サンパウロ→<コロンビア>ボゴタ→カーリ→メデジン→<キューバ>ハバナ→サンティアゴデクーバ→<メキシコ>カンクン→サンクリストバル・デ・ラス・カサス→オアハカ→メキシコシティ→マンサニーヨ → グアダラハラ→<ハワイ>ホノルル→<インド>コルカタ→ ブッダガヤ→<日本>東京

「転がる」とか「飛ぶ」とか、もう考えるのをやめて
自分たちらしく「今」を感じよう。
そう思ったら、旅が再びキラキラとしだした。

アルゼンチン、ブラジル、コロンビア、キューバ、メキシコ…
それぞれに色濃い文化を堪能し、食事を楽しみ、ダンスや音楽に酔った。
わらしべ長者のように、各国で居候が続いていった。
底抜けに明るい人々の中で、考えていったのは「豊かさって何だろう」。
より良き自分を目指すこと、変化し続けること、自然との共存、大いなる力をリスペクトすること、
そして、夫婦、親、縁してくれたすべての人への感謝………
2年間の旅でそぎ落とされ研ぎ澄まされていった「価値」。
最後に残ったのは、とてもとてもシンプルなものだった。

ここからまた、歩んでいこう。
いい旅だった。

 
 

 

その日、見る景色すべてが輝いていた。

なんだかんだ言って僕らは、
自分自身への期待にがんじがらめになっていただけ
だったのかもしれない。
(YUKI)
2011.5/26  「旅の終わり」より

 

旅慣れて、軽くなったのに、飛べなくなった。

怖さや不器用さ、迷いやぎこちなさを脱ぎ捨てた代わりに、
私たちは、知らずのうちに
とても重いものを背負いこんでいたんだ。
(MIWA)
2011.5/28  「軽くなったのに、飛べなくなった」より

 

「7~8年に一度、環境を大きくチェンジすると決めて、
その通りにしてきたんだよ」

彼らは知っていたんだ。
人は慣れるということ、鈍感になるということ、
だからこそ、変える、変わる努力が必要だということを。
(MIWA)
2011.5/28  「HINTとHOPE」より

 

神不在。強い言葉だった。

僕らで言えば仏壇や神棚に手をあわせるような感覚、
自然でも祖先でも何でも、何か絶対的なものへひれ伏す感覚、
そしてそこから派生する道徳的な概念、そういうものだと理解した。

自分の中に、神はいるのか?
絶対的なリスペクト/感謝の気持ちはあるだろうか?
(YUKI)
2011.6/19 「神不在」より

 

見送ることは、まっとうすることでもあるんじゃないか。

二度とやってこない何か、
もしかしたら二度と会えない誰か、
それを受け止めること。
精一杯生きること、愛を伝えること。
(MIWA)
2011.6/22  「サウダージ。」より

 

そのときの、彼女らの表情!!
皆の注目を浴び、少し緊張しつつ、得意げで、キラキラしていたんだ。

こんな表情が見れるのだったら、
こんな表情をつくり出せるとしたら、こういうことこそが教育じゃないかと。
(MIWA)
2011.7/14 「少年の島、ニテロイ。」より

 

山の上の小さな光は、有名な高さ30メートルのキリスト像。
そう、この街は巨大なキリストに常に見下ろされているのだ。
そして、街の光に対して圧倒的に大きな山々は、
山が街に侵食しているのではなく、大自然の中に街が間借りしているだけだという
当たり前の、でも忘れていた事実を、見るものに強烈に突きつける。
(YUKI)
2011.7/18 「Marvelous City – Rio de Janeiro」より

 

彼らのようなHOPEとなる若者に出会い、
僕は晴れ晴れしい気持ちと共に、
マラウィで感じたようなやるせなさも感じていた。

でも彼らは確かに光を放っていた。
ブラジルの小さな小さな町で。
(YUKI)
2011.7/20 「ストーリー・オブ・ドド」より

 

バイーア州の2つの小さな町で出会った若者達に垣間見た、
小さな町での生活、そして人生。
東京生まれの僕に「都市と地方」という
新たなトピックを与えてくれた。

このバランスの最適値=理想を、しっかり考えていきたい。
僕らは、何処に住むも何をするにも、
選択肢を持っている非常に幸運な境遇にあるのだから。
(YUKI)
2011.7/24 「Living in a Small Town」より

 

「餌を仕掛けてたようなもんかもしれない・・・・・・」
とてもとても悲しい気持ちになった。

町を離れるバス。
車窓から彼女の住むファベーラ(貧民街)が見えた。
(MIWA)
2011.8/8 「ブラジル小話2「餌と愛の話」」より

 

彼は言い切った。
キューバ人は幸せなんかじゃないと。
政府の規制にがんじがらめで好きなことはできないし
インターネットも見れない、国外に出ることもできない。
そんな中、きらびやかな観光客が横を通り過ぎる状況を想像してみてくれと。

ガツンときた。
理不尽な現実に憤りを感じたし、大きな難題をもらったような気がした。
(YUKI)
2011.9/5 「キューバ人は幸せなのか」より

 

長い目で見れば僕は4年前に旅という波を見つけ、
2年前からずっとその波に乗ってきたのかもしれない。

感覚をとぎすまし、焦らず、おごらず、惑わず、
次の波を見極めたいと思う。
(YUKI)
2011.9/27 「波が来る」より

 

5年後、10年後のこの大陸は、どうなっているだろう。
国それぞれの持っていた文化は次第に薄れ、
やがて皆が似たような国になってしまうんじゃないかとさえ思えた。

学者の人は、これをグローバリゼーションと呼ぶのかな。
そして私は考えこんでしまう。
「文化」って、なんだろう。「豊かさ」って、なんなんだろう。
(MIWA)
2011.10/25 「グローバリゼーションって、これ?」より

 

変化のベクトルとスピードの中で二人が離れてしまわないように
お互い引っ張り上げあい、ハッパをかけあい、褒めあいながら、
一緒に変化し続けていけるのが夫婦だと思う。

何度でも、何度でも、何度でも、
変化を確かめ合い、試行錯誤し、必要があれば修復しながら。
(MIWA)
2011.10/27 「旅の最後に、夫婦の話。」より

 

きっと、一番の親孝行は、
子の私が幸せで健やかに、生きていること。
いい顔して生きていること。なんじゃないかなと思った。

ただただ私は、これからも
ずっと あの日を、あの風景を、心に抱きながら進むのだろう。
それはとても素敵なことに思えた。
(MIWA)
2011.11/7 「ずっと、一番、したかったこと。」より

 

来たんだブッタガヤ。
列車で一晩、時間をかけてたどり着いたことで、
やっと私の五感に電気が通じ始めたようだった。

その五感が持ってきた情報を、脳で分析して解釈して、
次いで私の口から出てきた言葉は
「美しい」だった。
(MIWA)
2011.11/29 「そして、インドへ。「美しい世界」」より

*そして、ブログで参加者を募り、
ソーシャルトラベルの合宿を開催し、帰国しました。

合宿の報告は、この投稿から順に①~⑩までぜひご覧ください。
「ソーシャル合宿Feel India!① 始動。」

 

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