朝起きてバンガロール旧市街を歩く。
旧市街はIT都市とはかけ離れている。
靴エリア、布エリア、XEROXエリア、、
場所毎にモノが分かれた問屋街のようで非常に楽しい。
あとここの牛はデカい。しかも日本人的な「いわゆる牛」
ホルスタインってやつ?で興奮した。
日本に送りたいものがあり郵便局を探す。
聞く人聞く人言うことが違い辿り着くのに一苦労。
やっと着いた頃には疲れがたまっていたのか軽く気分が悪くなっていた。
ブランチがてら休む場所を探すが
どこも気分が悪い中入りたいと思えるような衛生状態には見えない。
そういえばインド人以外をほぼ見かけない。
観光客向けの店が極端に少ないのだろう。
というかこのエリア、今までで一番汚い。
ゴミだらけで悪臭がスゴく空気がよどんでいる。
弱った身体には正直キツい。
マーケットに向かう汚い小道をあきらめ
先に見える大通りに出てみようと
方向を変え100mほど歩く。
大通りに出た。
凄まじい交通量、
けたたましいクラクション、
明らかに煙く臭い排気ガス。
唖然とした。
圧倒された。
絶望した。
そして2人で顔をあわせて笑ってしまった。
素敵なカフェは諦め、目に入った薄暗い食堂に入りキーマを食べる。
かなり辛いがなかなか旨い。
ボトルウォーターがなかったので
出された水を初めてそのまま飲んでみた。
チャパティ3枚込みで30ルピー、安い。
ほぼ英語が通じない店内でカメラを武器に
一生懸命コミュニケーションを試みると
なんかみんな温かくて笑顔に囲まれてとても嬉しかった。
元気回復し菓子屋で買ったエクレアもどきを片手にマーケットへ入る。
どこでもそうだがマーケットは活気に溢れている。
野菜を売ってでも
果物を売ってでも
砂利をふるって金属を取り出してでも、
力強く生きている。
悲壮感は全く無い。
おちゃらけた旅行者にナッツと干し葡萄を笑顔でくれた。
ひとしきり歩いた後バスに乗りMG通り周辺へ。
1km四方くらいの一番栄えているエリア。
バスの中で2人分払おうとすると1人分でよいと言われた。
「けが人だから」と。
膿んでしまった虫さされ痕を大げさに絆創膏していたのを見たようだ。
なんかとても嬉しい。
バスの中は女性用と男性用が別れているのだが
みんなほぼ必ず女性に席を譲っている。
僕も譲られた。けが人ということで。
インドを形容するとしたら「カオス」だと思う。
秩序がなくみんなやりたい放題。
その中での女性や弱者に対する優しさは
なんかアンバランスで「だからインドが好き」
と思う大きな一因だ。
繁華街につき街を歩きカフェで休んだ後また街を歩いた。
夕飯はマクドナルド。
ゴールデンアーチ熱は健在。
バンガロールについて初日の昨日、
僕らの親友から1通のメールをもらった。
「もっとリアルに感動を伝えて欲しい」というブログへの意見。
マックでこのことについて2人で話をした。
心震えるような感動を味わっていないのだろうか、
表現の問題だろうか、など等。
話していたら色々なことが実感として見えてきた。
ブログを書くにあたりよくこんな会話をしていた。
「こう書いたほうが面白い/伝わる」
「それはちょっとダサい、暑苦しい」
「そんなのは当たり前すぎる」
旅慣れたオレ/アタシ、イケてる夫婦、の演出狙い。
チキンナゲットをパンに挟んだだけのバーガーを口にしながら
それこそイケてないねと2人で笑ってしまった。
ちなみにこっちのマックはパンが甘すぎる。
自然と、情報インプットの際に
アウトプットをどこかで意識するようになっていた事に気が付く。
心で感じるのではなく脳を通して理解するような、
何かフィルターを通して「情報を処理」しているような、
そんな感覚。
そうして1日を振り返ってみた。
旧市街の風景、
圧倒されたゴミとトラフィック、
ローカルの生きる姿、
バスでの好意、
全てがなんかスペシャルなもので
それらを肌で感じていることが感動的だ。
初めて心からそう思えて幸せな気持ちになった。
旅行に出た理由を再確認してみる。
出発する前とは違う表現が実感としてある。
自分の常識をブチ壊す
ために旅行しているのだと感じている。
30年間生きてなんとなくできていた常識。
前向きはいいことだとかそういうのも含めたもの。
ここではほぼ全ての常識が違う。
その中で自身の常識を盾に「べき論」をふりかざすのはナンセンスだと感じる。
(巡礼に出るのを諦めたパン屋に巡礼に出る素晴らしさを語るべきか論的な)
別の常識のものに対して、評価は存在しない。
ただ、そうである。
違うものは、ただ、違う。
それを受け入れる。
そうやって自分の常識を少しずつ壊していっている感覚がある。
常識はブチ壊した後に再構築しよう。
そしてその時には胸を張ってべき論をふりかざしたいと思う。
以上長文ですが旅行に出て1ヶ月の日記的な素直な思いです。

朝起きてバンガロール旧市街を歩く。
旧市街はIT都市とはかけ離れている。
靴エリア、布エリア、XEROXエリア、、
場所毎にモノが分かれた問屋街のようで非常に楽しい。
あとここの牛はデカい。しかも日本人的な「いわゆる牛」
ホルスタインってやつ?で興奮した。
P1184520_cowbudd_rs

日本に送りたいものがあり郵便局を探す。
聞く人聞く人言うことが違い辿り着くのに一苦労。
やっと着いた頃には疲れがたまっていたのか軽く気分が悪くなっていた。

ブランチがてら休む場所を探すが
どこも気分が悪い中入りたいと思えるような衛生状態には見えない。
そういえばインド人以外をほぼ見かけない。
観光客向けの店が極端に少ないのだろう。
というかこのエリア、今までで一番汚い。
ゴミだらけで悪臭がスゴく空気がよどんでいる。
弱った身体には正直キツい。
P1184498_gomi_rs

マーケットに向かう汚い小道をあきらめ
先に見える大通りに出てみようと
方向を変え100mほど歩く。
大通りに出た。
凄まじい交通量、
けたたましいクラクション、
明らかに煙く臭い排気ガス。
唖然とした。
圧倒された。
絶望した。
そして2人で顔をあわせて笑ってしまった。

素敵なカフェは諦め、目に入った薄暗い食堂に入りキーマを食べる。
かなり辛いがなかなか旨い。
P1184500_kema_rs

P1184513_kema2_rs

ボトルウォーターがなかったので
出された水を初めてそのまま飲んでみた。
チャパティ3枚込みで30ルピー、安い。
ほぼ英語が通じない店内でカメラを武器に
一生懸命コミュニケーションを試みると
なんかみんな温かくて笑顔に囲まれてとても嬉しかった。
P1184518_shokudomiwa_rs

元気回復し菓子屋で買ったエクレアもどきを片手にマーケットへ入る。
どこでもそうだがマーケットは活気に溢れている。
野菜を売っていたり
果物を売っていたり
砂利をふるって金属を取り出していたり。
1日何円になるのか分からないが
力強く生きている。
悲壮感は全く無い。
高いカメラをさげた旅行者にナッツと干し葡萄を笑顔でくれた。
P1184549_market1_rs

P1184538_market3_rs

P1184523_market4_rs

ひとしきり歩いた後バスに乗りMG通り周辺へ。
1km四方くらいの一番栄えているエリア。
バスの中で2人分払おうとすると1人分でよいと言われた。
「けが人だから」と。
膿んでしまった虫さされ痕を大げさに絆創膏していたのを見たようだ。
なんかとても嬉しい。
バスの中は女性用と男性用が別れているのだが
みんなほぼ必ず女性に席を譲っている。
僕も譲られた。けが人ということで。
インドを形容するとしたら「カオス」だと思う。
秩序がなくみんなやりたい放題。
その中での女性や弱者に対する優しさは
なんかアンバランスで「だからインドが好き」
と思う大きな一因だ。

繁華街につき街を歩きカフェで休んだ後また街を歩いた。
夕飯はマクドナルド。
ゴールデンアーチ熱は健在。
P1184570_mac_rs

バンガロールについて初日の昨日、
僕らの親友から1通のメールをもらった。
「もっとリアルに感動を伝えて欲しい」というブログへの意見。
マックでこのことについて2人で話をした。
心震えるような感動を味わっていないのだろうか、
表現の問題だろうか、など等。

話していたら色々なことが実感として見えてきた。

ブログを書くにあたりよくこんな会話をしていた。
「こう書いたほうが面白い/伝わる」
「それはちょっとダサい、暑苦しい」
「そんなのは当たり前すぎる」・・・
旅慣れたオレ/アタシ、イケてる夫婦、狙いの演出かっつーの(違います)。
チキンナゲットをパンに挟んだだけのバーガーを口にしながら
それこそイケてないねと2人で笑ってしまった。
ちなみにこっちのマックはパンが甘すぎる。

自然と、情報インプットの際に
アウトプットをどこかで意識するようになっていた事に気が付く。
心で感じるのではなく脳を通して理解するような、
何かフィルターを通して「情報を処理」しているような、
そんな感覚。

そうして1日を振り返ってみた。
旧市街の風景、
圧倒されたゴミとトラフィック、
ローカルの生きる姿、
バスでの好意、
全てがなんかスペシャルなもので
それらを肌で感じていることが感動的だ。
初めて心からそう思えて幸せな気持ちになった。

旅行に出た理由を再確認してみる。
出発する前とは違う表現が実感としてある。

自分の常識をブチ壊す

30年間生きてなんとなくできていた常識。
前向きはいいことだとかそういうのも含めたもの。
ここではほぼ全ての常識が違う。
その中で自身の常識を盾に「べき論」をふりかざすのはナンセンスだと感じる。
(巡礼に出るのを諦めたパン屋に巡礼に出る素晴らしさを語るべきか論的な)
別の常識のものに対して、評価は存在しない。
ただ、そうである。
違うものは、ただ、違う。
それを受け入れる。
そうやって自分の常識を少しずつ壊していっている感覚がある。

常識はブチ壊した後に再構築しよう。
そしてその時には胸を張ってべき論をふりかざしたいと思う。

以上長文ですが旅行に出て1ヶ月の日記的な素直な思いです。

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