1つの場所で滞在が長くなると、
少しずつ視野が広がっていく感覚がある。

初めは美味しくてイケてる側面に夢中だったブエノスでも、
次第にその影になっていたものが見えてきた気がする。
見えてきたものは一言で言うと、
この街を包む、疲れた空気感、だろうか。

バス停でイライラ顔でバスを待つ人々、
バス内でうつむき携帯を見ながら到着を待つ人々、
ショップで客が来ても立ち上がらずだらだらしている店員たち。
みんなどこかに疲れを感じているように見えた。

そういえば「肉は美味いし何でもあるブエノス最高!」
とローカルに伝えた時、大体の場合ちょっと微妙な顔をされた。
インド人にありがちな「そうだろうスゴいだろう!あとはな、、、、」
といったウザ目の会話になることは一度も無く、
その後は「うん、でもね。。。」というコメントが続いた。

そんなこんなで、滞在後半は、
前述の医大生3人組サンティアゴ達が言っていた
「みんな文句ばかり言ってる」という言葉を何度も思い出していた。

 

そしていつの間にか、
僕らは2人でこう話すようになっていった。

「なんか、東京に似てない?」

 

はたから見れば誰もがうらやむ素晴らしき街、
Buenos Aires、そしてTOKYO。
輝きの合間に流れる疲弊した空気。

これは、多くの大都市が共通に抱える空気なのかもしれない。
でも、もし僕の感覚が正しいとすれば、
何で人々は疲れているのだろう?
何で文句ばかり言ってるのだろう?

議論好きなサンティアゴ達と小難しい話をしてると
「こいつらはボリビアで絶景を見ながらも政治の議論してたんだぜ」
なんて言いながら、いつもちゃかしながら笑ってたハビエル。
この質問へ彼が答えた言葉が忘れられない。

「この街には神がいない。だから感謝の気持ちが欠如している。」

神不在。
強い言葉だった。
キリスト教?と聞いたら「リスペクト」という言葉を使い
宗教に限定した神ではないと言った。
なんか、すごく分かった。

僕らで言えば仏壇や神棚に手をあわせるような感覚、
自然でも祖先でも何でも、何か絶対的なものへひれ伏す感覚、
そしてそこから派生する道徳的な概念、
そういうものだと理解した。

自分達自身を省みてみる。
アフリカではバスが来るだけで、無事に着くだけでありがたかったのに、
ブエノスでは10分来ないだけでそわそわしている。

感情は期待と結果のギャップから生まれ、
期待は環境に寄る所が大きい相対的なものだ。

僕はそれは「そういうものだ」と思っているし、
何にも期待しない仏のような人にならなくては
という脅迫観念は無い。無かった。

でも、ハビエルの言葉は、大きなクエスチョンを投げかけてくれた。

自分の中に、神はいるのか?
絶対的なリスペクト/感謝の気持ちはあるだろうか?

 

文明や発展の象徴ともいえる都市。
そしてそこに住む僕らの多くは、
絶対的な神(でもなんでも呼び名はいいけど)
とのつながりやリスペクト、そして道徳の代わりに、
効率や合理性という名の新たな神の基で
価値観やルールを定めて生活をしてきたと言えないだろうか。

道徳はマナーという名に変わり、
「人としてダメなものはダメ」は通じず、
いつでもどこでも「ダメな理由」 が求められるようになった。
多くの人が共生するために必要な変化だったのかもしれない。
でもその結果、そこに住む人々は疲弊していったのではないか。

でももし、僕らが自身の中に神を持つことができれば、
「この環境の中では良い」といった相対的なものではなく
絶対的な感謝やリスペクトの気持ちがあったら、
僕らの心はバスの遅れにさざ波立つことは無いのではないだろうか。
ただそれがある事に、その人がいる事に感謝できるのではないだろうか。
そして、毎日をより多くの笑顔をともに過ごせるのではないだろうか。

なんか結局「ありがちな議論」に派生していったけれど、
そんな事を考えさせられた。

 

最後に、派生ついでにもう1つ考えたことを。

僕らはソーシャルトラベルのプロジェクトを通じて、
社会貢献活動の現場を見て、色々悩み考えてきた。
その中で、全てはブログには書いていないが多くの外国資本NGOを見てきて、
実は少し違和感を感じていたことがあった。
ずっとよく分からなかったけれど、今回その正体が分かった気がした。

それは「貧しきに施す」というスタンスだった。
あとは、口には出さないけれど明確に存在する、
「与えるもの」と「与えられるもの」の上下関係のようなもの。

それはそれでいいのかもしれない。
というかそもそも勝手な解釈なのかもしれない。
正直分からない。
でも、「自身の中の神」、もしくは絶対的なリスペクトがあれば、
上下関係の無い社会貢献活動を実現できるのでは、
そう思ったのだ。

自分自身、まだ帰国後の人生は設計中としか言えない段階だ。
でも間違いなく決めているのは、
この旅で出会った人々と今後もつながり続ける人生を送りたいということ、
特にインドのプラモドやネパールのタラ、マラウィのジョンやケン、
彼ら現地のソーシャルワーカーに貢献できる活動をしていきたいということだ。

だから、今回得たヒントをもとに、
自身で納得できる社会貢献活動の形を探していこうと思います。
うまくまとまらないですが、
ブエノスで感じたもやもやからの妄想連想、
お付き合い頂きありがとうございました。