‘Social Travel’ タグのついている投稿

ひげボ、『ソトコト』で連載します!!!

2011 年 2 月 3 日 木曜日

実は、12月から、私、働いておりました。

短い文章ながらも
目を三角にしたりバッテンにしたりしながら
頑張って書いておりました。

そうです。
なんと、なんと!!!!


私たちがマラウイで取り組んだ、ソーシャルトラベルについて
雑誌 『ソトコト』にて、
連載記事を書かせていただくことになったのです!!!


ぜ、全国誌かつメジャー誌デビューーー!!!???
どうしよう!!

 

そもそも、この機会はというと・・

上海のフジノ君が彩ちゃんにこのブログを紹介してくれて、
彩ちゃんと真優ちゃんが一緒にカトマンズに来てくれて、
真優ちゃんが鬼内さん(アフリカ大使)を紹介してくれて、
鬼内さんがソトコト編集部の方を紹介してくれて・・・・
というような、まわりまわってご縁をいただいて。
実写版わらしべ長者です。
(しかも、鬼内さんは私たちの上のスペースで記事を書いてる!)

嬉しいなあー。
本当に、ありがとうございます!!!


『ソトコト』 3月号。
2月5日(土)の発売です!

うまくいけば、半年くらい続く予定・・・です頑張ります。


(画像:ソトコトHPより)

 

日本にお住まいの皆さん、よかったら見てみてください。
ご意見、ご感想、アドバイスも、ぜひ
お願いします!

(MIWA)

もうひとつのLake of Stars

2010 年 10 月 30 日 土曜日

フェスティバル最終日、
ヘトヘトになって宿に戻り
ちょうど居たベンとジョニーと話し始める。

店はどうだった?先生たちはどうだった?
色々ケアして質問してくれ、もろもろ報告。
「スゴいじゃん!おめでとう!!」
握手どころかハグでお祝いしてくれた。
共に過ごした運営スタッフ陣の中でも
とりわけ大好きな2人、ありがとう。

そっちこそどうだった?
ジョニーに聞く。

「ああ、今日、辞めてきたよ。
もう明日から彼ら(Lake of Stars)のためには働かない。
ずっと悩んでたけど辞めると決めたらすっきりしたよ。」

まったく予想外の回答に最初意味が分からなかったが、
チャリティショップでいっぱいいっぱいだった僕らののすぐ隣で、
まったく違うドラマがあったのか。

ジョニー・メラー50歳。
彼に会いに来たのが全ての始まりだった。

 

*

今回ジョニーはメインオーガナイザーであるウィルのたっての頼みで
フェスティバルのバーやステージの建築を任されていた。
ウィルはジョニーが昔リバプールに持っていたバーの客で
ウィルはそこでUK No.1 クラブナイトに選ばれたという
「Chibuk Shake Shake」(そう、あのCHIBUKU!)
というパーティを立ち上げたという経緯がある。

僕らが合流したフェス開催の約3週間前から
毎日現場に足を運び、町に材料を調達に走り、
藪に入って木材を切り出し、忙しい毎日を過ごしていた。

 

彼とは本当に色々な話をした。
そして本当に多くを学ばせてもらった。

例えば彼はかなり信じられないレベルで、人の名前を覚えている。
僕らが3週間ぶりに突然彼を訪問したときも、
ヘイユーキ!と僕の名前を覚えていた。
1回食事を一緒しただけなのに。
名前を覚えてもらうというのは本当に嬉しいものだった。

僕だけじゃない、一緒に働いている現地の建築スタッフも
宿やホテルのスタッフの名前も1度聞いたら絶対に忘れない。
彼は知っているんだ。
名前を覚えるというシンプルな行為によって
「I know you」「I care about you 」
と伝えることで、相手がどれだけ幸せになるのか。
人がどれだけ他人からの関心、そして愛を求めているのか。

ある時彼の結婚式の話を聞いた事がある。

イングランドでは結婚式の冒頭に新郎がスピーチをするのだが
伝統的に最初に新婦への愛を誓うのだと言う。
ただ当日の朝、机に向かいスピーチを考えていた時ふと気づいたと言う。
自分は自分の父親に愛を伝えた事があるだろうか?と。
なんで妻を愛しているなんて当たり前の事をわざわざ言うのだろう?と。

彼はスピーチの冒頭に、生まれて初めて、
父親に面と向かって「I Love You」と伝えたと言う。
そして残りのスピーチは出席者それぞれに、
それぞれの目を見てありがとうとI Love Youを伝えるものだったと言う。
妻のマキシ曰く、会場全員が泣いていたという。


(はるおにセクハラをうけ苦笑いのマキシ。てかはるおの顔でかっ!!)

彼は愛の人だった。
かと言っていわゆる「いい人」って感じじゃないのがまたいい。
話をしてるとfu*kingは連発するし
大物アーチスト達のツアーマネージャーとして世界中を周っていた
昔の話を聞く限り相当のやんちゃ者だったのは間違いない。

彼はいつの間にか僕にとって師のような存在になり、
初めて小学校の先生たちにショップ出店の話を持ちかける時など
「どうしたら彼らの信頼を勝ち取れるだろうか?」
と相談しに行ったものだった。

*

ある日僕らがホテルの庭の席でネットをしながらくつろいでいると
ジョニーが真っ青な顔をして来たかと思うと、
僕らの席に座るなり声を出して泣き出した。

朝近くのローカル保育園を訪ねたら
1人の女性が小さな小さな小屋で
70人の孤児や子供たちの世話をしていたと。
昼食は弁当を持参した子供の分を全員で分けていて
10人分の小さな食事を70人で分け合っていたと。
彼女は貧しい親からお金を取れないと毎日朝から晩まで
無料でそのサービスを行っているのだと。

こんな悲しい、切ない風景を見た事が無い。
かたや自分は数十万円の予算でバーを作ってる。
やるせなくて、悔しくて、と、涙を流して説明してくれた。

一連の出来事は突然で、夢みたいなものだったが、
数日後、ジョニーはベンと共に寄付を募るホームページをつくり、
最終的には数十万円を集めて
彼女のために新たなビルを建てるプロジェクトを開始した。
(現在彼女は小屋のために毎月賃料を自腹で払っているらしい)

彼は君らのプロジェクトにインスパイアされたんだ、
種を巻いたのは君らだよ、と言ってくれた。
本当に本当に、嬉しかった。

*

そんな彼が、どうしてLake of Starsでの仕事を
辞める事になったのか。

「運営スタッフの僕の建築スタッフ達に対する
扱いがひどすぎて我慢がならなかったんだ。
直前に突然来た白人たちがエラそうにして
約1ヶ月間も炎天下でステージを作り続けた
彼らへ敬意も全く見せない。」

「ある時は1人を会場から追い出した事もあった。
彼らは生まれて一度もコンサートも行った事も無いんだ、
入場リストバンドが何かなんて知るわけもない。
それをしてない黒人が何を言っても聞いてもらえなかった。」

ジョニーは僕の今まで見た誰よりも
ローカルの中に溶け込んでいる外国人だった。
常にローカルと一緒に過ごし、夕飯も毎晩どこかに招待されていた。
村中の人々は「俺もジョニーを知っている」と嬉しそうに話していた。
「ローカルと触れ合う」とかそんなレベルではなく
本当の意味で対等の目線で彼らと向き合い、
彼らに愛を注いでいたのだと思う。

だからこそ、許せなかったのだろう。

彼はそれを「認識の無いレイシズム」と呼んだ。
黒人を二ガーと呼ぶような分かりやすい人種差別意識ではなく
無意識にどこかローカルを下に見るような感覚。
自分はエアコンの効いた部屋で200クワチャのスプライトを飲んでる間
ローカルの建築スタッフが水道水を飲んで炎天下で釘を打っていても
何も感じない、そういう感覚。

ただ、それで仕事辞めるか?
仲間と仲違いするか?
びっくりした。

そして、ジョニーは強い正義感と共に戦ってるんだ、と思った。
この大きな世の中のシステムのような潜在意識と。

すると、自身の中に潜むレイシズムに気づき、
ガーンと頭を殴られたようなショックを受けた。

差別意識は多かれ少なかれ誰もが持っているものだと思う。
ある所を越えた人はレイシストと指をさされるだけで
認識されていないレイシズムは世の中どこにでもある。
それら全てが必ずしも悪いと言っているのではなく、
そういったものとどのように対峙するのかが重要だと思う。

自身の基準を持って疑問を持ったり批判したり戦ったりする、
そういった正義感を自分は持っていたのか・・・?
「そういうもの」としてやりすごしてこなかったか・・・?

自分もまた、この大きなシステムも一部だったんだ。

*

3日間の中で流れていった風景が蘇ってきた。

会場内でステージを見たそうにそわそわしてたケニース。
(行っておいでと言うと嬉しそうに飛んでいっていた)

息子のためにあるミュージシャンの動画を撮ってあげたジョン。

学校の時とは全く違ってドレスアップしてきたラベッカ。

「今夜ジョニーのパスで会場に入るんだ~!!」
と見た事が無いほどウキウキしていた宿のスタッフアンジェラ。

(パスを不正に手に入れたと疑われ結局はジョニーが呼び出されることになったそうだが・・・)

会場の外で耳を壁につけていた沢山の子供たち。

最終日の荷物の搬出を手伝ってくれた高校生たちが
別れ際にモジモジしながらリストバンドをくれない?と言ったこと。

 

もうひとつのLake of Stars、
それは僕らでもジョニーでもなく、
この村で育ち過ごし、この村を守ってきた、
ローカルにとってのLake of Stars、
これに目を向けるべきだったんだ。

フェスの入場チケットは1万クワチャ(6千円)。
1日2-300クワチャで生活する一般ローカルには
逆立ちしても手が出ない超高級イベントだ。

これが自分の村で行われるというのは彼らにとってどういう事だったのか。

憧れのアーチストが近くに来るという興奮、
ただ何か「スゴいもの」が行われるというそわそわ感、
「白人たちがカッコいい事やってる」という憧れ、
一部フェスでプレイできなかった地元のアーチスト達による
サボタージュコンサートが裏番組で行われるというような事はあったが、
ほとんどの人々は好意的で、そして興奮していた。

だから外の壁にしがみついてその興奮を味わおうとしたし、
アンジェラやコチェの先生など一部のラッキーな人々は
浮き足立って人生初めての体験を楽しんでいたんだ。

気づいたらテントの中で泣いていた。

彼らがどんな気持ちなのかに全然気づいていなかった自分、
そして何より、「僕らは彼らが持っていないものを持っている」
その事実が、切なくて悔しかった。

人間的に優れているわけでもなんでもないのに、
ただ日本に生まれたというだけで、
彼らが壁にしがみつくフェスの入場チケットをポンと買える、
経験済みだから浮き足立つこともなくクールにエンジョイできる、
このinequalityが悔しくて、悔しくて、涙が止まらなかった。

*

これは卑下でも自己批判でもなんでもない。
僕はレイシストマザーファ*カーでもないし、
コチェスクールの先生たちと強い絆を作れたと誇りに思っている。

ただ、より深い意味でのローカルリスペクトと、
レイシズムやinequolityを含む世の中の大きなシステムのようなもの、
それに気づかせてくれたジョニーへの感謝の投稿だ。

 

what was Lake of Stars? (後)

2010 年 10 月 27 日 水曜日

マラウイ滞在もあと2日となった
午後2時。

パムーズィロッジのバーエリアに
見慣れた顔が揃っていた。
コチェ小学校の先生たちの送別会だ。

今日の主役は、別の学校に行くことに決まった
エスメとケニース。
知らなかった・・・。
3日間フェスで一緒に過ごした2人だった。



立派な機材を調整している。
え?マイクあんの?本格的!
ってゆうか声、充分聞こえると思うけど・・・。
(と思ったのは間違いだった。爆音で音楽がかかりだす。
ああ、むしろこのために必要なのね、機材。)

中堅のラスティーナが司会だった。
マラウイ式の送別会。なんかそれっぽいじゃん。
日本とおんなじ感じだなーと思い見ていた。

ラベッカを含む新人教師が飲み物を運ぶ。
(ビールはなく、コーラかファンタだったけど。)

校長ジョンからはなむけの言葉があったあと、
まずエスメへのプレゼント贈呈。
これはちょっと日本の先生たちはやらなそうなスタイルだった。

渡す人ともらう人が向かい合って立ち、
ふたりとも曲に合わせて踊る。
踊りながら贈る方の人が少しづつ歩み寄っていく。
たどりついて渡してぎゅうっとHUG!
爆笑してしまった。
プレゼントは、女性が腰に巻くチテンジって布。
と鍋。すげえ。


コチェスクールに20年居たというエスメは、
人望が厚かったのだろう。
気持ちのこもったスピーチでは、会場の多くが目を潤ませていた。


次の学校では校長先生になるんだって。すごいな、頑張って。


関係ないけど、赤ちゃんを連れてきてたクリスィー先生。
人のスピーチの最中におもむろに乳を出して授乳してたのを目撃!
はうーーーー。


続いてケニース。
色男キャラ・ケニースは、奥様が多い先生たちの中で
人気の先生だったようだ。
プレゼント贈呈のときは、HUGの奪い合い競争があり、
スピーチでは、マダムたちをキャーキャー言わせながら爆笑を取っていた。


いろんな人たちからのスピーチで
やたらYUKI&MIWAって名前出して感謝や送別の念を述べていただく。

いやいや今日は先生たちが主役なんで・・・。
なんだか申し訳なくて、ちっちゃくなってたんだけど、

「はい、ではプレゼント贈呈です」
ん?もうケニースもエスメももらったけど・・・?
「YUKI、MIWA、立って立って!」
えーー???なんで??私たち???!!!
「なに言ってんの!今日は、ふたりも送別会の主役なのよ!」
えええーー!そうだったの???
訳分からないまま立ち、
曲に合わせて踊る。先生たちが笑う。
フェリックスがマイクで一言いい、
曲がバラードになって、
前からスクールコミッティの面々が
右に左にステップを踏みながら
ゆっくりゆっくり近づいてきた。
私たちを見てほほえんでいる。
会場も皆ほほえんでいる。
曲に合わせて歌う声。
リョリョリョーーというマラウイ式の歓声。


今起こってることが信じられない。
最高に幸せな瞬間だった。


受け取って、HUGして、あけたら、
かっこいい柄のチテンジだった。
「マラウィカルチャーをいつまでも覚えていて」と。

ミリアムにぐるぐる巻かれ、一同大笑い。

 

ありがとう。みんな。




踊ったり写真を撮ったりしながら、時間は過ぎていった。

とっても愛しい時間だった。


新人もベテランも関係なく、踊る、踊る)


(見詰め合うジョンと勇輝。愛が見える・・・ブルっ)


(私の大好きな大好きなメルシー。前世は家族だったかも。えにしを感じるのだ)

スピーチの中で、握手しながら、別れぎわに、
あらゆる人から、言われた言葉。
「また来てね」でも「連絡してね」でも
まして「また寄付・・お願いね」でもなかった。

「Don’t forget us」。

それは聞くたびに私たちの心を

ぎゅっとさせた。
親しみと温もりの込もった、
でもけなげで、切ない、
いつも陽気な彼らに似合わない言葉、だった。

忘れないよ。

忘れるもんか。

日が暮れて、宴は終わった。



最終日。
勇輝は、一日ジョンと過ごしていた。

ピックアップトラックの荷台に乗り、
ジョンと会計担当ミリアムとともにマンゴチシティへ。

日本からの寄付分のお金を、学校の口座に振り込み完了。



あと、「KOCHEスクールが昨日の新聞に載ていた!?」
という情報を元に図書館のようなところに言って新聞を確認。
あった!Lake of Starsに関する記事。

内容の半分は、今年はビジネス出店もはじめた、というニュースと
出店した企業の名前の羅列だった。
そしてあと約半分のスペースを割いて、
コチェスクールのプロジェクトを紹介してくれていた。
マラウイ最大の全国紙に、学校の名前が出て、
エスメのコメントが名前入りで使われた。
スゴイことだ!と二人でハイタッチ。
(ただ、児童数にミスが。2200人なのに200人になってた。がくっ!)


その後何故かジョンの親友である実業家を紹介され、

しばし運送業に関して(日本からの不用品をアフリカに送るなら?等)
の話で盛り上がったり。

一緒に過ごした約半日。

ジョンは派手なコミュニケーションをする人じゃないけど
勇輝はとにかくひしひしとLOVEを感たのだと
幸せそうに(でもヘトヘトになって)帰ってきた。

あと、夕飯に招待されたよと。

夜。
学校の敷地内になるジョンの家へ歩く。

懐中電灯がなくて、しかも町じゅうが停電だったんだけど
大きな月がすんごく明るい夜で
木の陰ができるほどで
私たちの足元をちゃんと照らしてくれた。

 

ランプの灯りの中、シマの食事をいただきながら、
ゆっくり、いろんな話をする。

びっくりした。

ジョンも、フェリックスも、先生たちも、
そんなに売れると期待してなかった、らしい。
こんなお粗末なものが
たくさんの人に買ってもらえるもんかねと。
だから、びっくりしたと。
だから、めっちゃ嬉しかったと。
だから、すごい自信になったと。

えーー?マジでぇーー?
なんだよーーう。私たち滑稽まるだしじゃん!
でも、それで、あんなに一生懸命やってくれたの?!
素直というか、なんというか・・・。



そのあと、もうすぐ小学校の教師になるという息子さんに折鶴を教えたりして、
「ああーこれ学校で授業やってほしかったよ!」とジョンに言われて
「あちゃー!」と皆で笑ったりして、
最後は学校のはずれまで送ってもらった。


日本のミスター&ミセスキムラ、ミスター&ミセスイイジマに
どうかどうか宜しくとサンキューと伝えてと、
強く強く念を押され、手を振って、別れた。


まだ月は明るかった。

ジョンが何度となく言った言葉
「This is just biginning」
が、誇らしく、頼もしく、心に響いていた。




学校を救ったなんて程遠い。
彼らを変えられた、なんてとんでもない。
でもやってみたことで、お金が作り出せた。
だけじゃなく
先生たちが受けた刺激、新しい繋がりが生まれた。
小さなHOPEも生まれた。と思う。

それと・・・


セレモニーでのみんなの顔。歓声と拍手。
送別会に私たちの席があったこと。
先生たちがお金を出し合って私たちに贈り物を選んでくれたこと。
ジョンが今回のお金で建物を建てようと躍起になっている、
その理由が、そこにどうしても私たちの名前を入れたいからだったこと。
「寄付をする先進日本人。助けてもらうマラウイ人。」
そういう関係ではなく、仲間として受け入れられたこと。
教え教わり、いろんなものシェアして、忘れられない思い出ができたこと。


・・・

最初に10万円でもポンと
渡せていたとしても、はたしてこうなっただろうか。



私は・・・、
うじうじ悩みすぎたのかもしれない。



今回、私たちをこんなに頑張らせ、
そしてこんなに苦しませたのは、
「お金」だった。


これまでやってきたプロジェクトは、
すべて初めての経験ではあったけれど
単純寄付への抵抗ふくめ、自分たちの理想の形の中で行ったことで、
さらに「旅人なんで・・・」「シャカイコウケン初心者なんで・・・」
みたいな言い訳?逃げ場?をどこかに持っていて
だから苦労はあれど楽しかったんだと思う。


でもこの学校に出会って、
雨期の前にあの子たちに校舎をあげたい!と思って、
「キレイ事じゃねえ、金だ、現金だ」ってなって、
初めて、お金と真正面から向き合おうと決めて
今回のプロジェクトを始めた。


そしたら、もともと否定していたお金の寄付ってなんなんだってこととこか
頑張ることの美しさとクオリティの担保とか、自分たちの中の矛盾、葛藤、
いろんなものが湧き出て混ざってぐっちゃになって、
それでこんなに悩んでしまったんだと思う。
(コメントや個別メールでたくさん心配や励ましを頂いてしまい・・・
すみません、そしてありがとう。どれだけ救われたか。)



今回お金と向き合ってみて
正直「きっちーーなぁ・・・」「厳しいなぁ・・・」って苦しかった。
これが現実。

金額という意味での結果。
正直、目標には及ばなかった。
これも現実。


でも、真っ向から向き合ったおかげで、
がむしゃらにやってみたおかげで、
やっぱり、お金「だけ」じゃない、
と改めて、強く、感じることができたこと。
それが、
今回の総括になるのかもしれない。


お金。それはそれでもっと作れるような私たちになろう。

でも。
これまで自分たちの信じてきたもの。
お金以外の価値。
やっぱ、それだって思えたし、
お金・現実を認識したうえでこれから
私たちらしく、できること、
愛とかひととか繋がるってこととかHOPEとか
そういうものを大事に
等身大でシャカイコウケンに向き合っていこう。

最終的には、そう思えた。



荷物をまとめる。


フェリックスの車の荷台に積む。
さよなら、みんな。

モザンビーク国境を目指し、まずブランタイヤへ。

車は最後に、
学校の中を通り抜けてくれた。



わあああーーーーーー!!!!!という声。声。声。

木の下からちぎれんばかりに振られる手。手。手。



車の荷台で、私は涙をこらえながら
昨日の晩、酔っ払ったフェリックスが言ってた言葉を思い出していた。


「GIFTは人を幸せにしない。
その人の存在、ありのままそこに在る姿が、
人を幸せにするんだ」


無理をしないでいい。カッコつけなくていい。
カタチにとらわれなくていい。
こんなにありあまる、この気持ち、愛があればいい。
それで笑ってくれる人がいるなら、それでいい。

よし。



そしてブランタイヤに着き、
ケンに電話し、再会し、
私は、
アンバサダーに就任した。



キラキラした人になりたくない?

上等。
お前はキラキラなんかしねえよ。
もしくはもうとっくにしてる。
どっちみち、お前はお前。
変わりはしないよ。





ぎゅうぎゅうのバスはブランタイヤを発ち、
国境へと向かった。




(MIWA)

 

What was Lake of Stars? (中)

2010 年 10 月 25 日 月曜日

※最終まとめを書くつもりでしたがすんごく長くなったので一回切りますね。次が最後です。


 

フェス最終日。

 

日が暮れた。
「どうしようか」。
皆で顔を見合わせる。

会場の様子を見に行った勇輝が戻ってくる。
「終わりにしよう。もう、人が少ない」。

残念な気持ちと、
疲労と、終わったっていう安堵と、
複雑な表情で、私たちは店じまいした。


募金箱を開ける。
数える。
20ポンド札が1枚入っていた。
「これは、だいたい・・・5000クワチャ(3000円)」。
エスメが手をたたいて飛び上がる。

箱に入っていた寄付金はぜんぶで9700クワチャ。
マラウイならコーラ194本買える。
なかなかすごい額だ。
勇輝が「よーしこれで飲み行こう!」
と言って一同を笑わせる。

3日間の売り上げは、47200クワチャ。
商品は、3分の2、は言いすぎかな、半分以上は売れた。
ヘアバンドはかなり売れて残り5本くらい。
きんちゃく袋もいい売れ行きだったけど、
黄色と黒のちょっとクセのある柄のだけ残ってしまった。
布のチョイスミスだ。
シブークアイテムは結構売れ残ってしまったけど、
2日目の夜から、まさか売れるわけないと思っていた
ハットが(500クワチャって強気の額にも関わらず)残り1個という
バカ売れを見せた。
サイズが小さくてもちょこんと被れるように紐をつけたのと、
あとは、背の高いイケメン旅人、ホリケン君がかぶってくれて
会場で宣伝してくれた効果がでかい。

ありがと。

寄付金と合わせて総計56900クワチャ。
約3万4000円。
先生たちは、本当に嬉しそうに
喜んでくれた。

 

全部売れたら5万円だった。
簡易校舎建てるためには18万円。

それには全然及ばなかった。
ミラクルを期待したんだけどね・・・。
そんなに甘くないね。

でも、よくやった。
よく頑張ったよね!
握手して、記念撮影して、ブースを後にした。

 


真っ暗な中、
パムーズィロッジにみんなで戻る。
サンバードからはズンズンという音と
たまに歓声が聞こえ続けている。

私たちの祭は、終わった。
疲労困憊の身体で、荷物を運び終えて、
先生たちは「何か飲みたい」とも何も言わず、
笑顔で手を振り、歩いてそれぞれの家に帰っていった。


まる2日の汗をシャワーで流し、
乾杯して冷たいビールを飲み、

 


フェリックスやジョニーに報告し、
歯を磨き、
テントに入った。
とにかく疲れた。

 

暗闇の中で横になり、
テントの屋根からもれる光を眺め
しばらくしたら、
突然涙が止まらなくなった。

明確な理由を説明できない涙だった。

なぜか勇輝も隣で声を出して泣いていた。

 

そのまま、いつの間にか
眠っていた。

 



明けて月曜、朝。
校長ジョンが宿に来た。
今日学校でセレモニーをやると、その軽い打ち合わせ。
なかなかいいネクタイしてるね。
昨晩、売れ残った物から皆で1つづつもらおうって
ジョンが選んだ手縫いのネクタイだった。

宿には、最上級生の子数人が来ていた。
昨日私たちが運びきれなかった机と椅子を
ここまで運んでくれたのだ。
頼もしい。っていうか、
みんな勇輝よりでかいんじゃない??

ジョンがチェアマンであるフェリックスに色々報告してる間、
(ジョンはフェリックスを前にすると一回り縮こまる笑)
勇輝は意地になったのか、子供たちに腕相撲をしかけていた。
でかいといっても小学生だよ・・・。
次々に負かして喜ぶ勇輝。
大人げない。

 

ジョンに誘われて、ロッジの隣にある
建築会社の簡易事務所を見に行った。

 

「柱だけレンガで、壁は板。こういうのなら安いと思うんだ」。
ジョンの行動力には本当に頭が下がる。
フェスの間、コンクリート製造マシンの人を紹介してもらったときも
すぐその場で、もらった番号に電話して話をしていた。
紹介してくれた人が最終日帰るときも、走って追いかけて
挨拶をしていた。
素晴らしい人だと思う。

建築会社のボスは快く見学させてくれた。
金額を聞く。
あちゃー。
でもジョンの目の輝きは消えない。
「壁を下半分しか作らないで、屋根をもっと薄い素材にしたら、
きっといける。うん。」

 

一旦ジョンと別れ、
私たちはネットをしに。

 

ネパールのカトマンズで一緒に過ごしたキム君。
夫婦からってことで、1万5000円預かっていた。
これをここで・・・。是非使って!とメールが来ていた。
あとは、飯島アキミワ夫婦が「よかったらお金を出したいんだけど・・・」と
申し出てくれた!1万円!
結局今回自分たちから寄付をお願いすることはできなかったし
まだ寄付って何なのかについてもやもやしている中だけど、
今回はありがたく使わせていただきます。
ありがとう。
本当にありがとう。

 

 

 

あとはオーガナイザーの1人にとっておいた商品の代金、
これを全部合わせて・・・
ちょうど、ちょうど10万クワチャ(6万円)になった!
うん、これは、
ちょっとしたミラクルじゃないか!!!??

この日の空と湖は、
はっとするほど美しかった。
毎日のように来ていた場所なのに、初めてそう思った。

 

 


11時半。
学校へいく。
ホールに子供たち、先生たちが続々と集まる。
何も言っていないのにジョンが色々手はずを整えていてくれた、
と思うとものすごく嬉しかった。

 

職員室の窓には、ブースに使ったポスターの写真プリントが張られていた。
ジョンが丁寧にたたんで持ち帰っていたのだ。

 


セレモニーが始まる。

司会のボン先生から一言あり、子供たちから
ダンスのプレゼントがあった。

BENIという名の、男子たちの激しいダンスと、
・・・?!

これはなに?!!!
ボロボロの布をまとったちびっ子が、
太鼓(手作り!可愛い!)に合わせてソロで踊る。
始めるときに小さな手をちょんと胸の前で合わせたのが
可愛くて可愛くて。
踊りは・・・華麗なんだけどいかんせんちっこくて。
可愛いさとオモロさで大笑いしてしまった。
見ている子供たちの掛け声、歓声も素晴らしかった。
ありがとう。

勇輝からスピーチと金額発表、目録贈呈。

声の通るメルシー先生がチチェワ語に通訳してくれる。
「It’s YOU! It’s NOT YUKI & MIWA.YOU made it!]
勇輝が、みんなでやったんだよ!と強調し、
メルシーが訳すと歓声と拍手があがった。
売り上げ金、寄付金。
それぞれダンボールで作った目録を見せながら金額を言うと
わーー!!!!とすごい歓声。
子供たちは目を白黒させていた。
そして、内緒にしていた・・・
日本の二夫婦からの寄付金!
ぜんぶ足して10万クワチャです!
わぁーーー!!!!!キャー!!!
今日一番の歓声が上がる。
特に先生たちが顔を見合わせ、本当に嬉しそうに
大きな拍手をしてくれた。

 

びっくりした。

 

皆の顔。
初めて会ったときと違って見えた。
とくに、子供たちの顔。
すごく、よかったんだ。
誇らしさを感じた。
一生懸命手を動かしたら、なんか大きなお金になった。
僕たち、すごいね。やったね。
そんな、誇らしそうな顔。

 

最後に寄付されたサッカーボールを紹介する。
ジョンが子供たちのほうに投げ、
しばしボールが会場を行き交う。
大興奮、大熱狂。
集まった1000人以上の子供たち。すんごい迫力。
(追って勇輝が動画をまとめてくれると思います!)

 

次に校長ジョンからスピーチ。

 

売り上げのほかに得たもの、繋がった人、学んだこと、について
丁寧に、力強く説明していた。

 

最後にスクールコミッティの一人から感謝のスピーチ。
(フェリックスはどっか行っていた)

 


こうしてセレモニーは終わり、子供たちは帰っていった。
ものすごい数の子が、手を振ってくる。
手を振りながら、一人一人の子と目を合わせていく。
目が合うと、満足そうに帰っていく子どもたち。

ありがとう。
バイバイ。

 

スクールコミッティと教師たちでその場に残る。
チチェワ語だったので分からなかったが、
ジョンが建物について、どうするのか話をしてるようだった。
何人かの先生から意見が出る。

 

ジョンの気迫を感じた。
ジョン・・・、スクールコミッティの前で話をつけようとしてる・・・。
校舎を作り始めようとしてる・・・。
すごい・・・。ジョン頑張れ!
話がまとまったかな、ってとこで
どーん、はるお登場。
ジョンが固まる。
空気が変わる。
ジョンが懸命に経緯を説明しているようだ。
いけた、のかな?
はるおから満足そうな長めのスピーチがあり、
記念撮影をして、

この場はお開き。

 

帰り際、私は、ずっと一緒に縫い物をした先生たちの顔見たら
HUGせずにおれなかった。
「本当に行くの?ここの先生としてずっと居てよ」
「何教えるのさ、生徒ならいいけど」
「チチェワ語教えるのよー!」
「無理っ!」
みたいなふざけた会話をしていたけど、
心の中では、大好きだよ、別れたくないよ、
って気持ちでいっぱいだった。
それはきっと彼女たちも。と思えた。

勇輝は、ボン先生と日本の地理についての話で盛り上がり、
明日彼のクラスで地理の授業をすることに決まったらしい。
頑張って。

あと、なにやら明日の午後、
この学校を離れる先生たちのお別れ会を
パムーズィロッジでやるらしい。
私たちも是非、と誘ってくれた。

 

 

 

学校を後にし、フェリックスの家へ。
ランチをご馳走になる。
シマ(ウガリ)、チキン、豆、オクラというメニュー。めちゃうま!

 


10歳でお父さんが亡くなって、お母さんに女手ひとつで育てられたって
フェリックス言ってた。その、お母さん。
豪快、かつ素敵な人だった。

ナミビアでモニークに、
「アフリカ人の自宅に外国人が食事に招待されるまでには時間がかかる」
と言っていたのを思い出す。
そういえば、アフリカに入ってから、家で食事をご馳走になったのは
これが初めてだった。

 

部屋に帰り、ゆっくり過ごす。
長かったマラウイも今日入れてあと3日。


子供たちの顔が浮かんでいた。

2200人。
元気な子、シャイな子、しっかり者の子、お調子者の子、優しい子。

思えば、この目だった。
この目ににやられたんだった。
この子供たちに会ってしまった、そこから全ては始まったんだった。

 


みんな、どんな大人になるんだろう。
あの中にきっと村のリーダーになる子がいる。
きっと教師になる子も。
ビジネスを成功させる子もいるだろう。
アーチストになってLake of Starsに出る子も、いるかな?

いつでも、どこの国でも、
子供の可能性は無限だ。
2200人の持つ可能性。
想像したら、身体がしびれるように、
じーーんとしてしまった。すごい。

 


いつもなんだけど、
子供たちみんなに、
頑張れ、伸びろ、ぐんぐん育て、と
祈らずにはおれなかった。
そして、たくさん学ばせてくれて、ありがとう、と
胸に手をあてずにおれなかった。

セレモニーで皆の笑顔を見て、
心がふわーっと軽く、あったかくなっていた。
だけど、ほんの、ほんの少し、
心の底のほうに
「この額でごめんね・・・」という申し訳なさが
澱のように沈殿して残っていた。


(MIWA)

What was Lake of Stars? (前)

2010 年 10 月 20 日 水曜日

2日の滞在のつもりでやってきた
ここンコポラ。

それが結局20日になった。
そしてたぶん一生忘れられない場所になった。

 

 

 

このフェスって、私たちのした事って、
一体なんなんだろう。
・・・・・

 

 

祭の始まり。

 

 

緊張と不安と少しのワクワク。

(ブース内の芝刈り中)

 

お客さんを待つ。

 

少しでも興味を持ってもらおうと
学校の紹介をする。
先生たちを紹介する。
1つでもいい、買ってほしいと、
10クワチャでもいい、寄付してほしいと、
祈るような気持ち。


買ってくれた人、
くれなかった人。
学校、子供たちのために、と
まったくの無条件で買ってくれる人は
結構少ないと感じた。
これなら買ってもいい、と思える商品ありきだと感じた。
甘くない。

子供たちと品物を作りながら、

クオリティ重視じゃない、やること自体が素晴らしいと
気づき、ショックを受け、方向転換した。
でも実際クオリティは求められた。
見栄えのいいものから売れていった。
これが資本主義経済の中で生きるということか・・・。

暑くて、何度も湖に飛び込んで戻って、

一生懸命売った。
売れた売れないに一喜一憂。
売れたときはめっちゃ嬉しくて本当に感謝でいっぱいになる。
売れ残った品物を眺めては胸が痛む。
作った子供たち先生たちの顔が浮かぶから。

(私は物を売る商売は向いてないな、と思う。
勇輝はラーメン屋やるのもいいとかなり昔言ってたけど
頑張って仕込んだものが全然売れなかったら
私はお店の中で泣いてしまうだろう。


1日目の夕方。

6時に店じまい。
皆で片付けて商品や募金箱をロッジまで運んだ。
「じゃあまた明日。」
1日目はなかなかいい手ごたえがあったし、
明日こと本番だって意識があった。

 


(朝行ったら風でブースがぺしゃんこになってたので建て直す。)

 


2日目の昼すぎ。
私はちょっと焦りはじめる。
完売なんてとんでもない。これはヤバいかも。
値下げしようかと一人アタフタして、勇輝にたしなめられる。


日本人の人々、青年協力隊、国境無き医師団、旅人、たちに
買ってもらったり褒めてもらったりして、元気をもらう。


(ラベッカが私たちのために作ってきてくれた夕飯。めっちゃうまかった!)

(ジョンの息子からの、感謝と応援の手紙。泣かせる。)

夜、先生たちに待っててもらって、
ロッジにテントを取りにいく。
今日は夜間営業もしてみよう。
よっし頑張ろう。
店の隣にテントを張って、先生たちにバイバイした。
一番若いラベッカが残ってくれた。
「私は踊りたいしね」
そう言ってたけど、結局ちょっとしか踊らないで
店に戻ってきて、最後は椅子を並べて寝てた。

 

ラベッカが早朝帰って行った。

 

 

3日目、朝、8時。
もそもそテントから這い出す。
なんかホコリまみれ、砂まみれ。
シャワーがあびたい。
テントをたたんで、商品を出して、
でっかい募金箱出して、って
黙々と作業をしながら、
今日は寄付もいっぱい集まるといいな、と思って、
ふと、手を止めて、
次の瞬間私は
あぁ、と言ったまま放心してしまった。

胸の中にもわーんとしていたものが
ついに正体を現したのだ。

それは「寄付」ということについてだった。

気づいてしまったんだ。

ここでの売り上げより、
私たちの滞在費のほうが上だって。

学校をサポートしようって決めて、
滞在を伸ばして、ビザを延長して、
宿代、食事代、ビザ延長代、材料費、ここの入場代、
みんな足したら、売り上げをはるかに上回る金額になるんだ・・・。

フェリックスに学校の現状を聞いて、
学校に連れて行ってもらって、
あの日、お金を寄付したほうが
多くの額をあげられたんだ。

そんなぁ・・・。
たくさんの人を巻き込んで、
たくさんの人に動いてもらって、
これ、結局、私たちのジコマン・・・???

たまらず勇輝に話す。

ふたりでしばし絶句した。



私たちはこれまで、インドでも、ネパールでも、カタベイでも、
単純なお金の寄付には抵抗があった。
それがナゼなのか、
わからないでいた。
黄色いドネーションペーパーはダメで、机と椅子を作るのはよくて、
日本の皆に寄付をお願いするのはダメで、商品に50円乗っけて売るのはよくて、
・・・なんなんだろう。

カタベイの宿、マヨカでのある夜を思い出す。
近所の教会で床を直す費用が無いと
ローカルの人たち何人かが歌と踊りを披露して、
お金を入れてと帽子が回ってきた。
みるみる帽子は紙幣でいっぱいになった。
そのときの違和感。

なんだろうね、とあとで勇輝と話した。
私たちがその教会の人と個別に出会って、
自分たちの意思でサポートするなら、
きっと素敵なことをしたと思うはずなんだ。
ああいう、「断り辛い空気」が嫌なのかな。
(現に私たちも帽子に紙幣を入れた)
これって日本人的かな。
欧米文化、っていうかキリスト教文化だよね、チャリティって。
みんな自然に受け入れてた。
あと、歌と踊りを披露してた人たちが哀れに見えて、
そんなことやめなよ、それじゃ“ベギング(物乞い行為)”だよ、
って思う気持ちもあった。
私たちはきっと、ベギングに対してどこか
恥ずかしいことって感覚があるんだ。
武士は喰わねど・・・じゃないけど。
心は気高く、みたいな美意識。

実際、私たちはどこの国でも
「ギブミーマネー」と言う子供たちにお金はあげないできた。
むしろ叱ってきた。
「ダメ!そんなこと言っちゃ!!!」
「いい?勉強頑張って、自分で働いて、お金を稼ぐのよ!」
もらえることがたまにあるから、
良し悪しを分からずやってる子も多いから、
だから「いけないこと」「恥ずかしいこと」だって、
「勉強を頑張れ」って、
伝えようと思って。そうしてきた。
安易にお金やお菓子をあげる欧米人に
軽蔑の念を持ってさえきた。

 

 

 


フェス前日、私たちはある議論をしていた。
日本にいる友人たちに、寄付をお願いするメールを書くか否か。
ブログで、「もしよかったら数千円でも・・・」と書くか否か。
最後の最後、以前のプロジェクトのとき
寄付金を申し出てくれた人たちにだけ、
聞いてみようよ、と勇輝が決めて、メールの文面まで書いて、
結局、私が止めた。
それは上記のような違和感が拭えなかったから。
美しくないと思ったから。
相手がきっと断れないお願いをするのが嫌だったから。
「出す」と申し出てくれる人が居たら、お願いしよう。ね。
勇輝を必死で説得していた。


で、
私たちが今やってることってなんなんだろう。

日本の友人たちには「美しくないから」お願いしないで、
フェスに世界中から来てる“チャリティー精神のある”人々の
温情にすがろうとしてる。

しかも私は正直、ぶっちゃけ、
あんなに勇輝に反対したのに、
ブログに書いたり、メールを出したりして寄付を
お願いしなかったことを悔やんでさえいる。

そして思った。
「ベギング」と「寄付をお願いする」の
違いってなんなんだろう。

今、私たちは募金箱を置いて、
募金箱にわざわざ子供たちの笑顔の写真を貼り付けて、
フキダシで子供に「THANK YOU!」とか言わせて、
寄付をお願いしている。
やってみて、たとえ小銭でも、寄付してくれる人がいたら
めっちゃくちゃ嬉しい。

私たちは、
「寄付を待つんじゃなく、自分たちでやるんだ」とか言いながら
上手な欧米人への「ベギング」の仕方を教えてるだけ・・・・??!!!

うわぁぁぁぁぁ!!!!
ショックでワナワナする。

開店準備する他のブースをしばし眺め、
気持ちを落ち着かせる。

違うよ。
お金が欲しいのだから、
お金をめぐって成り立つ資本主義経済の仕組みを、
それを利用したお金を得る方法を、教えてるんだよ。
勇輝は言った。

私にはよくわからない。
ベギングは自分のためで、寄付をお願いするのは誰か人のため、
だからいい・・・・・・?
一生懸命、これでいいんだって思える理屈を探していた。

「そうじゃねえだろ」
心の中で誰かが言った。
理屈じゃない。足りない頭で考えんなよ。

 

3日間一緒にいてくれた4人。

ジョン、


エスメ、


ケニース、


ラベッカ、

 

 

彼らの献身的な姿、
1個売れるたび彼らがやったねと喜ぶ顔、
それだけに救われていた。
と言いたいところだけど、
それを見るたび心が揺れた。

「これでよかったのか?」

彼らに、たくさんお金を渡したかった。
校舎を建ててあげたかった。
美意識とかなんとか言ってないで、
もっと違う、直接的な方法を取ればよかったんじゃないか?

 

フェス最終日、午後。

 

 

日差しが和らぎ、いい風が吹いてきた。
日が暮れるまであと少し。

 

なにも答えなど出ないまま、
祭が終わろうとしていた。

(MIWA)


 


Lake of Stars …Day 2&3

2010 年 10 月 19 日 火曜日

Day2

人はあきらかに多く売れ行きは昨日よりもよい。

1000クワチャクラスをポンと出してくれる寄付者も出てきた。
(左の人のさりげない感じがホントにカッコよかった~)

こちら最大寄付者。生徒の1人が作った木彫りの像を気に入って、
「いくらでもいいですので寄付を」と言ったら20ポンド約5000クワチャの寄付、
さらに靴や遊具まで後で持ってきてくれた。

そしてこの英国&仏国カップルはサッカーボール×2+空気入れを寄付してくれた。

単純寄付には抵抗があるなんてカッコつけた事言ってきたけど、
結局こういう人たちに助けられてるんだと、
寄付を請う身になって初めて身にしみた。
そしてみんな、キラキラしてるだけじゃなくて、なんか魅力的だった。

この日は音楽以外のパフォーマンスが素晴らしかった。

ある中国(?)からの僧がやっているという孤児院からの小林憲法の出し物。
ある意味このイベントで一番よかったかも。

少年たちの表情がとにかく真剣で、その裏の凄まじい練習量が想像できて、涙がほろり。

太鼓のパフォーマンスも相当よかった。

表情がいいよね~みんな。

一番暑い10時~15時を越えるとキモチいい時間が訪れる。

混み過ぎず、空きすぎず、ちょうど良い雰囲気。

やっぱビーチパーティは最高。

陽が暮れる。売り上げはかなり伸びたがまだ完売は遠い。

てことで夜間営業を決定した。
夜間だけで2日目の売り上げの4分の1を稼いだ、やった意味あってよかった!

この日のベストアクトは間違いなくこちらNoisettes。
そこそこ有名らしいけど知らなかった。けどパフォーマンス力半端ない!

そしてゲストとして初日のヒーローTinasheまで登場、超嬉しかった!!

 

Day3

この日は明確に人が少なかったが(そうか、明日からみんな仕事だもんな・・)
BBCのチャリティチャンネルから取材されたのは良かった。

この日はフェス主催の近隣孤児院訪問イベントがあったのでジョインさせてもった。
アーティストやカメラクルーがわんさか。

演目はポリッジの配給など。

そこで今回作ったシブークグッズやファブリックグッズの作り方を子供たちに伝授することに。

その絵を撮ってもらってのパブ効果狙い。

そしてすっかり大ファンになったTinashe様がここにも!!!

最後はお決まり?のお菓子配給でした。

アーティスト連れて孤児院を訪問してポリッジを食べる絵を撮る、
お菓子を配る絵を撮る。
みんな本当にいい奴らで悪気はまったく無いのだろうけど、
これが映像となって世界に配信され
ティピカルなアフリカの飢餓や貧困のイメージをつくっているんだな~
と複雑な気持ちになった。

気を取り直して会場に戻ると、Tinashe様(しつこい?)がその足でステージへ!
今日は小さなステージでアコースティックライブを。最高だぜ!!

そんなこんなでDay3も終了、今日は人が少ないので夜間営業は無し。
最後はメインオーガナイザーのウィルを含めて記念撮影。
みんなホントに最後までお疲れ様でした!そしてありがとう!!

荷物を宿に持ち帰る途中、ステキな歌声に誘われビーチ沿いのステージに行くと、
またまたNoisettesが!しかも超至近距離で見れた!

ボーカルの彼女が最高なんだけど、実は隠れファンが多いのが
バックコーラスのこのお2人。ソーキュート!

最後に現地まで来てくれた先生たちをご紹介。
新卒23歳のギャル教師ラベッカ、と校長のジョン(カメラ目線完璧で笑った)。

実は女ったらしとの噂のケニース。

そして教頭のエスメ、優しい優しいお母さん。

本当はシフトを組んで12人の先生がスタンバっていたが
入場できるのが4人に限定されたため校長と教頭、それに独身の2人、
この4人が3日間通しで出張ってくれることに。本当にお疲れ様でした。

 

そんなこんなで、めっさ頑張り、めっさ楽しんだ、3日間。

3日間の総売上は47,200クワチャ、寄付が9,700クワチャ、
総合計で56,900クワチャ(約34000円)。
お金をつくるのはそう簡単じゃない、厳しい現実だったけど、
実りも本当に多かったと思う。

コメントやメール、tweetくれた皆さん、
心から、ありがとうございました。
総括は別途書きます。
取り急ぎの投稿でした。

Lake of Stars …Day 1

2010 年 10 月 16 日 土曜日

昨日の晩。
ブログには雰囲気で「おやすみなさい」って書いちゃったけど、
そのあとがまあ大変だったですわ。

宿に戻って、ブースの装飾作り。
眠い。


針金でフックを作ってみたり。
眠いー


そうだ値札がなくちゃね。
うおーねみい


学校のこと伝えるポスターを書いて・・
はぁ、はぁ、もうだめだー

クッキーと、ジュースと、持ち物準備して・・・・
テントに入った(前からの予約でついに部屋が使えなくなった)のは、
夜2時。
もうー、明日は7時にはるおが迎えに来るのにぃ。
むにゃむにゃ・・


・・・ピヨピヨ。チュンチュン。

「グッモーニン。」

じゃねえーーーよ!
はるお、まさかの寝坊。
1時間遅れ。
先生が待つ学校へ。

私は一足先にブースへ。看板が完成してたので

そのへんに落ちてた棒とくぎで看板を組み立て。
知恵を使って生きたぜ。
ってゆうか誰このおばはん!

で、
直射日光のすさまじさに、たまにフラーとかなりながら


なんとかブースが完成!
「いらっしゃませーーー」
シーン。
朝10時半。まだ来場者はぜんぜんおらん。


11時をすぎ、だんだん人が増えてきて・・・

なんとこちら、シェイクシェイクシブークの会社の取り締まり様!
思わず謝っちゃった。御社の商品で勝手に・・・すいません。
写真撮らせてよ、と言われ、1000クワチャの寄付をいただいた。寄付第一号! 
あざっす!!!


会場の結構はずれにあるのに、来て、見てくれる人。それだけですんごい嬉しい。


ヘアバンドお買い上げー!よっ大将!お似合いです!
そういえば勇輝も私も元営業マン。腕の見せ所、なのだが。。。


まあ、そんなに忙しくない。(つまり、たまにしかお客が来ない)
来てくれた先生たちと作業したり修理したりお茶のんだり。


パムーズィロッジで約二週間一緒に過ごした、マキシ、ベン、ローズ。
ついにこの日が来たね!お疲れさま!ありがとう!大好き!
ずっと準備してる私たち見ててくれたからね・・・
たくさん買ってくれた・・・。心から感謝。


お買い上げ、以外の収穫が結構大きかったかも。
右の男性は政府の教育分野(文部省みたいなもん?)で働いてて、
コチェ小学校に興味を持ってくれて、今度視察に来ます、だって!やったね校長!!!
あとは近隣の大きな町マンゴチの教育コミュニティの人が
今度の会議でこのプロジェクトのこと発表します、とか、
最新のレンガ製造マシン(従来よりセメントを節約できるとか)を扱ってる人、の友人が
無料(チャリティ)でマシンを借りれるように話をつけてくれたり。
BBCのラジオの取材を校長が受けたり。
なんか、やってみるもんだね。外に出てみるもんだね。
それにしても、メイン会場の中にブースを持たせてくれたことがデカい。
(会場の外にはたくさんの屋台や土産物が並ぶエリアがあった)
あらためて、エディ、(きっとプッシュしてくれた)ジョニーに感謝だ。



イベントはなかなかの盛り上がり。
でもバキバキではなくどこかほのぼのしてる。のがいい。

6時。閉店。


そして、荷物を置きに帰って、また会場へ。


だんだん盛り上がってきた。

今、浜辺で、裸足で、ビールとともにこれ書いてます。
今流れてるのは、アフリカンミュージックのバンドで、
ドラムベースギターに木琴が入ってて、超いい感じ。

インドのカンドリムで行ったサンバーン以来だな。
ひさびさの、腹に響く重低音。野外フェス。
へろへろなんだけど、
「気持ちいいー!」


肝心の、今日の売りあげは。。。

売上金:14,300クワチャ。8600円。

でした。

なんか、厳しいな。。
一番売れたのはリストバンドで、15個くらい。
シュシュは1個も売れなかった。。。(これって日本人趣味?)
でも、みんなで頑張ってここまできたんだ。
できることを、やるのみだ。
押忍。

校長も、教頭も、先生たちも、
休日なのに、来てくれて、
一生懸命お客さんに説明してくれて、
ありがたい。
でもってイベントってことでちょっとソワソワ楽しそうなのが良い。

明日も暑いぞーーーー

頑張るぞーーーー

(MIWA)