こんばんはMIWA@ゴア、アンジュナビーチです。
今は懐かしきムンバイを私なりに思い出しております。

ムンバイという街は、ロンプラを見ても、人に聞いても、
「とっとと出たほうがいい」と。
物価が高いし排気ガスがひどいし、
植民地時代の建造物以外は大して見るべきものもない、と。
でもこうして離れてみると、なかなか魅力の詰まったとこだったなあ、と。

私の第一印象は、「10年前の上海に似ている」。

あちこちが工事中でレンガが積まれていたり竹の骨組みが作られていたり
(建築だけでなくテロによる破壊の改修工事も多かった)。

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道端で売られる野菜や魚、リヤカーで売られる焼き芋、
古き美しき建造物。

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都会的なショーウィンドウから路地を一歩入ると
ひしめき合うように暮らす人々の生活地帯。
道はゴミが散らばり、いたるところで悪臭がする。
混沌。カオス。あらゆるところで生々しい人々のドラマがある(犬も牛も含め)。
楽しげに話していたり、道を尋ねていたり、言い合いをしていたり、握手していたり。
皆が働いている。売っている。作っている。直している。洗っている。
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これも今東京では見られない風景。
インド人は器用だ、と言いそうになるが、
ニンゲンは器用なんだ、と思う。
モノが無ければないで、食べるためなら知恵が出るもんだ。
そういえば、東京で最後、物がほとんど無くなった部屋で、
私は鍋ひとつでパスタの素敵な夕食ができた。ははは。
ザルがなくても鍋の蓋で上手に湯きりができた。結構感動した。

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あの東京での数日間は食べるにも寝るにも風呂に入るにも、
「まてよ、こうやれば・・・」と色んなアイデアが沸いてきて、それがすごく楽しかった。
確かにインドの人々は今、もっと豊かに、もっと便利に、と思って頑張ってる。
でも豊かになりすぎると、家に<用途が1つしかないような物>があふれて、
生活のための創意工夫ができなくなっていっちゃうかもよ。と心の中で思った。

話を戻す。
かつて植民地だったことや、ビールの大瓶が1本30円程だったことも含め、
私が生活していた10年前の上海と多くの共通点があり、親近感を覚えた。

でも違うな、と思ったところ。
朝になると皆が掃除をしている。街中が掃除の時間のよう。
人々と目があう。すごい目力でぎゅーっと見てくる。そして笑う。
少し照れながら。手を軽く振って。ああ、そうだな、
当時上海ではよく「日本鬼子リーベンクイツ」と陰口を言われていたっけ。
悲しい思い出。(でも上海も中国人も大好きです)

ムンバイでの日々、一度も悪意を感じたことがなかった。
あらゆる所で助けてもらったな。
私はこれから来る人に、「ムンバイ、いいとこだよ。3日じゃもったいないよ。」
と言いたい。

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休日のインド門。
ヒンディで懸命に「アプキダサーヤ?」と聞いてくる姉弟。スミトラとヨーシュ。
どこから来たのか、という意味だった(っぽい)。
その後もヒンディ語での質問攻めは続く。警戒したけどただ話したかっただけみたいだ。
スミトラと私の会話:「あそこに座ってるのがママ。木の下に」「BEAUTYFULね」
「ママー!この日本人がBEAUTYFULだってよ!」(ママ拝むポーズ)(私も拝む)
(スミトラ満足そうに笑う)

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「シャッター押してくれませんか」と言ってきた、ムンバイのネイビーの2人組。
26歳。フィルムのカメラ。「今日はホリデーだから」と、ウキウキしていた。
インド門って雷門みたいなもん?それともネイビーだからなかなか
自由な休日ないのかな。それともデートかな?

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勇輝の散髪屋のそとに居た可愛い少年達。
さまざまな神様の描いてあるカード(不気味)で遊んでいた。どんな遊びだよ?
散髪屋のオーナーの子なのかな?取っ組み合いの遊びを始めて
散髪屋内に入ってきて騒ぎ、おっさんに背中をぶったたかれて苦笑いしてた。

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ムンバイ大学にはアートのコースがあり(インド内では屈指の、なのかな?)、
付近の路上にもアートの香りがどことなく漂う。
MGMA-M(national gallary of modern arts-Munbai)にも行った。
強いグレーや茶色、なにか、もがいているような強いエネルギーを感じる
絵ばかりだった。でも苦しみではなくて。
うまく言えないが、「心が平穏な」感じの絵は1枚もなかった。

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タクシーは古いフィアット。
それぞれが好みでデコレーションしてる。かっこよくて好きだった。

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なんでも遊びに変えてしまう子供たち。は万国共通、かな。
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「Tomorrow、Exam」と言って市場の片隅で勉強する子供たち。
他の子は恥ずかしがって隠れちゃった。歴史の勉強だって。頑張れ!

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さまざまな衣裳の人が行き交う。サリーも北スタイルと南スタイルが混在(北が好き)。
目だけを細く出したアラブ系黒装束の女性たちも(どうしてもビクリとしてしまう)。
ムスリムの服も好き。おじさんが真っ白い衣裳着てるとぐっとくる。
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女性のお人形みたいな衣裳も可愛すぎて好きだった。


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チョーパーティ海岸はお気に入りの場所となった。人々もちょっとおっとり。
このエリアで目立つのは、手をつないだ可愛い男性カップル。
ゲイカルチャーなのか、単純に仲の良い男性同士の表現なのか、誰か教えてください。

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5日間過ごした、BENTLEY’S HOTELの部屋。1泊1500R(3000円)。
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部屋代は高かったけど、天井の高さと、縦書きのカレンダーと、
外にかける鍵(外出時は2個付け)の趣味の良さが気に入っていた。
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ベッドの上で食べるパンとコーヒーの朝食。
窓からはカラスの声とクラクション。

あともう数日過ごせるなら、慣れかけてきた列車の乗り方と
定食屋での注文をマスターして、小学校も訪問してみたかった。
映画館でボリウッド観たかった。またいつか行きたいな。
どれくらいの期間で、どれくらいの変化を遂げるだろうか。

ちなみに前回書いた記事、ムンバイ最後の日のその後のオチですが、
なんだか楽しかったです。
タバコ屋のおっちゃんは、1時に行っても店番の奴が来ないって言って、
2時に再訪したら居なくて、店から携帯にかけたら

「ちかくにいるからおいでよ…一人で。」
「(聞こえないふりで)うん、ハズバンドといくね。」
「一人では来れない?」「ありえない」
「そうだね、ああー時間もないし、じゃあ、よい旅を!」「そうだね、ありがとう」
「あ・・・旦那にも宜しく・・・」
あーあ、まったくしょーもない。でもまあ憎めない。

タクシーでの観光は、素晴らしかった。
彼の住んでいるスラムに一緒に行けたのが良かった。
すごく汚かったし貧しかったけど、悲壮感なんて全くなくて、
皆が友達で皆で一緒に暮らす感じがむしろ少し羨ましいほど楽しそうだった。
その他洗濯場や、満潮になると歩道が消えるモスクなどにも連れて行ってくれた。
2時間で500Rの約束だったが、最後ゴア行きのバスが見つからなくて
必死で探してくれたのもあり1000R(2000円)払った。
みんな、元気でね。

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たっくさん歩いたムンバイ。
これから先もどんだけ歩くんだろうね。気が遠くなる。
(MIWA)