「Now, I`m very happy.」

プロジェクトを始めてからあなたの人生はどう変わりましたか?
という問いに、彼女はまっすぐに僕の目を見つめながら
そう言った。そう言い切った。

確信に満ちた透き通った目はとても力強く
言葉以上に多くを伝えてくれた。
それ以上の質問はいらないと直感的に思った。
強い決意や思いは身体中から様々な形で発せられる。
言葉はコミュニケーションのほんの一部
でしかないと感じさせる素敵な会話だった。

この笑顔に心をうたれました

この笑顔に心をうたれました

ポカラ2日目。
土産物屋とトレッキングショップが並ぶ
レイクサイドの街並みには少し興ざめしていた。
美和の療養なんて言って来てみたはいいが
これからこの街で毎日何をするのだろう。

なんとなく物足りなさを感じていたが
出会いは自然にやってきた。
強く求めた訳でもなく、
まるで向こうからやってきたように。

表にかかっていた1つのバッグに目を留め
入ってみたあるハンドクラフト屋に彼女はいた。
Tara Timilshina(タラ・ティミルシナ)。
この店のオーナーだ。
最初は気づかなかったが店の名は
Women Skill Development Project。
インド同様ここネパールでも
女性の社会的不遇は大きな問題であり、
そんな女性達のためのNPO/NGOを運営する
ソーシャルワーカーでもある。

真ん中のピンクとブルーのバッグがお気に入り

真ん中のピンクとブルーのバッグがお気に入り

ブッダガヤでも女性のための裁縫教室は数多く見てきたが
共通の課題は「つけたスキルが職や収入につながらない」
という事だった。出口が無いのだ。
この店は奥が作業場となっており
スキルの育成だけでなく職の提供までを
行っているようだ。

興味を持った僕らはいくつか質問をしてみた。
聞くとどこか母体がある訳ではなく
2年前に個人で開始したプロジェクトで
現在22名の女性に職を提供していると言う。
丁寧に、優しく、目を見て答えてくれる
彼女に非常に好感を持った。

当日は遅かったので再訪を約束し
店を出て夕食へ向かう。
途中いくつかの店でも同様に
「Woman Skill」を掲げている事に気づく。
意識が変わると景色が変わるとはこの事か。
何軒か簡単に話を聞いてみたが
ほとんどは販売のみをしている店で
あまり収穫はなかった。
やはりタラともっと話してみようと意を決し
夕食中はどんな提案ができるかをブレスト。
俄然盛り上がってきた。

プロジェクトの資料。かなりクオリティ高かった。

プロジェクトの資料。かなりクオリティ高かったがあるフランス人が無料でデザインと印刷をしてくれたそうだ。

翌日。僕ら自身の紹介もした上で
まずはインタビューをさせてもらった。
事業内容もそうだが彼女自身の人生についても
もっと聞いてみたい、と。

15歳の時に結婚(アレンジドマリッジ)したタラ。
結婚後3人の子を出産。
10年間は夫Khim(キム)の運営するトレッキングショップで働いた。
キムは商才があり店はうまくいっていたという。

転機は数年前。
体調不良が続いていた中、
たまたま友人の助言がありカトマンズの病院で
検査をしてもらえたのだが、即刻入院を勧められた。
その後の精密検査の結果は子宮ガン。
その時点ですぐに摘出手術をしないと命は無いという状況だった。
ネパールもまた世界最貧国の1つ、
カトマンズを除くと医療の現場は厳しい。
手術は成功し彼女は幸運にも一命をとりとめたのだが
その裏で若くして命を落とす人々は数知れないだろう。

1年半におよんだ闘病生活の中で、
「今の命は1度死んで新たにもらったもの。
この人生はお金儲けではなく人のために費やしたい。」
こう確信したという。
よく死の淵を見た人間は強いと言う。
彼女も優しい笑顔の裏側に力強さを感じる。

翌日撮影。照れ屋で目線は頂けません。

翌日撮影。照れ屋で目線は頂けません。

復帰後どのように人に貢献できるかを考えた際、
いつも家で機織りをしていた母親を思い出したと言う。
母に鍛えられた裁縫のスキルを活かして
ビレッジの女性達のために職をつくりだしたい、
そう考えた彼女はカトマンズでティーチングを学んだ後、
銀行で借りた60万ネパールルピー(約75万円)
を元手に2年前に店兼作業場をポカラに開業した。

働く女性は新聞広告などでネパール中から募り
わざわざ住む村を訪れて家庭状況等のチェックをして採用。
採用後は2週間の無料教育を経て勤務開始となる。
給与は出来高制で製作した商品を下取る形だが、
大体月間4~5000ネパールルピー(6000円前後)
の給与が支払われている。
農村の生活レベルから言うと結構な給料だ。

課題は「人に関するイロイロ」。
勤務態度や生産性に問題のある人、
家庭のいざこざを持ち込む人、
まあ色々あるでしょう。
対応として週に1回は一緒にランチする機会を設けたり
(月に1回は店持ちでご馳走もしてると)
働く環境の改善にも心がけているというのは
なんとも心温まる話だった。

ブログを見せつつ自己紹介。興味をもってもらえた。

ブログを見せつつ自己紹介。興味をもってもらえた。

インタビューには店にいた夫のキムも同席してくれた。
店舗運営経験のあるキムだがこのプロジェクトには
「一切口出しさせてくれない」と笑いながら話していた。
そこへタラからぴしゃり。
「He can make money. But I want to make women.」
美和が横でシビれている。

そして冒頭の質問、あなたの人生はどう変わりましたか?
「毎日課題はたくさんあるけれど、とにかく今、幸せだ。」
こう力強く言い切れる人はどれだけいるのだろうか。
そして目標はより多くの女性達に職を提供すること。
現在22名の働き手を300人くらいまで増やしたいと言う。
そのためには各村に作業環境を構築すること、
販売チャネルを増やすこと(外国への輸出)、
やらなくてはならないことは多いけれど
そのために毎日頑張ると、笑いながら彼女は言った。

店の奥では機織り機で布を織っていた。一編み一編み結構大変そう。

店の奥では機織り機で布を織っていた。一編み一編み結構大変そう。

隣の部屋では4台のミシンが。ここで布が製品になっていく。

隣の部屋では4台のミシンが。ここで布が製品になっていく。

店頭でもこの通り。楽しそう。

店頭では、機織り機に設置する土台の糸を作っている。ちょっと楽しそう。

この女性は明日出産予定日とのこと。「でも働きたい」そうな。

この女性は明日出産予定日とのこと。「でもお金が必要で」だそう。大変だ。

こうして僕らの「できることから社会貢献」
第二弾が始まった。

ブッダガヤの時とは違い、
今回はすんなりと、自然な気持ちで
「これはどうだろう?あれはどうだろう?」
と半ば楽しみながら動き出せた。
なんでもいい、できることから、少しずつ。
誰かのためになるならとにかくやってみよう。
何ができるか助けになるか分からないけど
ラーメンすすりながら考えた
いくつかのアイディアをぶつけてみよう。

てことで今しこしこ色々やってます。
形になったらブログアップします!