2日の滞在のつもりでやってきた
ここンコポラ。

それが結局20日になった。
そしてたぶん一生忘れられない場所になった。

このフェスって、私たちのした事って、
一体なんなんだろう。
・・・・・

祭の始まり。

緊張と不安と少しのワクワク。

(ブース内の芝刈り中)

お客さんを待つ。

少しでも興味を持ってもらおうと
学校の紹介をする。
先生たちを紹介する。
1つでもいい、買ってほしいと、
10クワチャでもいい、寄付してほしいと、
祈るような気持ち。


買ってくれた人、
くれなかった人。
学校、子供たちのために、と
まったくの無条件で買ってくれる人は
結構少ないと感じた。
これなら買ってもいい、と思える商品ありきだと感じた。
甘くない。

子供たちと品物を作りながら、

クオリティ重視じゃない、やること自体が素晴らしいと
気づき、ショックを受け、方向転換した。
でも実際クオリティは求められた。
見栄えのいいものから売れていった。
これが資本主義経済の中で生きるということか・・・。

暑くて、何度も湖に飛び込んで戻って、

一生懸命売った。
売れた売れないに一喜一憂。
売れたときはめっちゃ嬉しくて本当に感謝でいっぱいになる。
売れ残った品物を眺めては胸が痛む。
作った子供たち先生たちの顔が浮かぶから。

(私は物を売る商売は向いてないな、と思う。
勇輝はラーメン屋やるのもいいとかなり昔言ってたけど
頑張って仕込んだものが全然売れなかったら
私はお店の中で泣いてしまうだろう。


1日目の夕方。

6時に店じまい。
皆で片付けて商品や募金箱をロッジまで運んだ。
「じゃあまた明日。」
1日目はなかなかいい手ごたえがあったし、
明日こと本番だって意識があった。


(朝行ったら風でブースがぺしゃんこになってたので建て直す。)


2日目の昼すぎ。
私はちょっと焦りはじめる。
完売なんてとんでもない。これはヤバいかも。
値下げしようかと一人アタフタして、勇輝にたしなめられる。


日本人の人々、青年協力隊、国境無き医師団、旅人、たちに
買ってもらったり褒めてもらったりして、元気をもらう。


(ラベッカが私たちのために作ってきてくれた夕飯。めっちゃうまかった!)

(ジョンの息子からの、感謝と応援の手紙。泣かせる。)

夜、先生たちに待っててもらって、
ロッジにテントを取りにいく。
今日は夜間営業もしてみよう。
よっし頑張ろう。
店の隣にテントを張って、先生たちにバイバイした。
一番若いラベッカが残ってくれた。
「私は踊りたいしね」
そう言ってたけど、結局ちょっとしか踊らないで
店に戻ってきて、最後は椅子を並べて寝てた。

ラベッカが早朝帰って行った。

3日目、朝、8時。
もそもそテントから這い出す。
なんかホコリまみれ、砂まみれ。
シャワーがあびたい。
テントをたたんで、商品を出して、
でっかい募金箱出して、って
黙々と作業をしながら、
今日は寄付もいっぱい集まるといいな、と思って、
ふと、手を止めて、
次の瞬間私は
あぁ、と言ったまま放心してしまった。

胸の中にもわーんとしていたものが
ついに正体を現したのだ。

それは「寄付」ということについてだった。

気づいてしまったんだ。

ここでの売り上げより、
私たちの滞在費のほうが上だって。

学校をサポートしようって決めて、
滞在を伸ばして、ビザを延長して、
宿代、食事代、ビザ延長代、材料費、ここの入場代、
みんな足したら、売り上げをはるかに上回る金額になるんだ・・・。

フェリックスに学校の現状を聞いて、
学校に連れて行ってもらって、
あの日、お金を寄付したほうが
多くの額をあげられたんだ。

そんなぁ・・・。
たくさんの人を巻き込んで、
たくさんの人に動いてもらって、
これ、結局、私たちのジコマン・・・???

たまらず勇輝に話す。

ふたりでしばし絶句した。



私たちはこれまで、インドでも、ネパールでも、カタベイでも、
単純なお金の寄付には抵抗があった。
それがナゼなのか、
わからないでいた。
黄色いドネーションペーパーはダメで、机と椅子を作るのはよくて、
日本の皆に寄付をお願いするのはダメで、商品に50円乗っけて売るのはよくて、
・・・なんなんだろう。

カタベイの宿、マヨカでのある夜を思い出す。
近所の教会で床を直す費用が無いと
ローカルの人たち何人かが歌と踊りを披露して、
お金を入れてと帽子が回ってきた。
みるみる帽子は紙幣でいっぱいになった。
そのときの違和感。

なんだろうね、とあとで勇輝と話した。
私たちがその教会の人と個別に出会って、
自分たちの意思でサポートするなら、
きっと素敵なことをしたと思うはずなんだ。
ああいう、「断り辛い空気」が嫌なのかな。
(現に私たちも帽子に紙幣を入れた)
これって日本人的かな。
欧米文化、っていうかキリスト教文化だよね、チャリティって。
みんな自然に受け入れてた。
あと、歌と踊りを披露してた人たちが哀れに見えて、
そんなことやめなよ、それじゃ“ベギング(物乞い行為)”だよ、
って思う気持ちもあった。
私たちはきっと、ベギングに対してどこか
恥ずかしいことって感覚があるんだ。
武士は喰わねど・・・じゃないけど。
心は気高く、みたいな美意識。

実際、私たちはどこの国でも
「ギブミーマネー」と言う子供たちにお金はあげないできた。
むしろ叱ってきた。
「ダメ!そんなこと言っちゃ!!!」
「いい?勉強頑張って、自分で働いて、お金を稼ぐのよ!」
もらえることがたまにあるから、
良し悪しを分からずやってる子も多いから、
だから「いけないこと」「恥ずかしいこと」だって、
「勉強を頑張れ」って、
伝えようと思って。そうしてきた。
安易にお金やお菓子をあげる欧米人に
軽蔑の念を持ってさえきた。


フェス前日、私たちはある議論をしていた。
日本にいる友人たちに、寄付をお願いするメールを書くか否か。
ブログで、「もしよかったら数千円でも・・・」と書くか否か。
最後の最後、以前のプロジェクトのとき
寄付金を申し出てくれた人たちにだけ、
聞いてみようよ、と勇輝が決めて、メールの文面まで書いて、
結局、私が止めた。
それは上記のような違和感が拭えなかったから。
美しくないと思ったから。
相手がきっと断れないお願いをするのが嫌だったから。
「出す」と申し出てくれる人が居たら、お願いしよう。ね。
勇輝を必死で説得していた。


で、
私たちが今やってることってなんなんだろう。

日本の友人たちには「美しくないから」お願いしないで、
フェスに世界中から来てる“チャリティー精神のある”人々の
温情にすがろうとしてる。

しかも私は正直、ぶっちゃけ、
あんなに勇輝に反対したのに、
ブログに書いたり、メールを出したりして寄付を
お願いしなかったことを悔やんでさえいる。

そして思った。
「ベギング」と「寄付をお願いする」の
違いってなんなんだろう。

今、私たちは募金箱を置いて、
募金箱にわざわざ子供たちの笑顔の写真を貼り付けて、
フキダシで子供に「THANK YOU!」とか言わせて、
寄付をお願いしている。
やってみて、たとえ小銭でも、寄付してくれる人がいたら
めっちゃくちゃ嬉しい。

私たちは、
「寄付を待つんじゃなく、自分たちでやるんだ」とか言いながら
上手な欧米人への「ベギング」の仕方を教えてるだけ・・・・??!!!

うわぁぁぁぁぁ!!!!
ショックでワナワナする。

開店準備する他のブースをしばし眺め、
気持ちを落ち着かせる。

違うよ。
お金が欲しいのだから、
お金をめぐって成り立つ資本主義経済の仕組みを、
それを利用したお金を得る方法を、教えてるんだよ。
勇輝は言った。

私にはよくわからない。
ベギングは自分のためで、寄付をお願いするのは誰か人のため、
だからいい・・・・・・?
一生懸命、これでいいんだって思える理屈を探していた。

「そうじゃねえだろ」
心の中で誰かが言った。
理屈じゃない。足りない頭で考えんなよ。

3日間一緒にいてくれた4人。

ジョン、


エスメ、


ケニース、


ラベッカ、

彼らの献身的な姿、
1個売れるたび彼らがやったねと喜ぶ顔、
それだけに救われていた。
と言いたいところだけど、
それを見るたび心が揺れた。

「これでよかったのか?」

彼らに、たくさんお金を渡したかった。
校舎を建ててあげたかった。
美意識とかなんとか言ってないで、
もっと違う、直接的な方法を取ればよかったんじゃないか?

フェス最終日、午後。

日差しが和らぎ、いい風が吹いてきた。
日が暮れるまであと少し。

なにも答えなど出ないまま、
祭が終わろうとしていた。

(MIWA)