旅人たちは、それぞれの旅の終わりを、
どのように決めているのだろう。

予算や予定していたルートを消化した時だろうか。
もしくは何かの目的を達成したとき、
または疲労や倦怠感といった理由もあるかもしれない。

僕らのそれは、突然やってきた。

*

メンドーサ滞在中のある昼下がり。
街路樹の並ぶ広々として気持ちのよい通りのレストランのテラス。
僕らはアサード&ビールの最強ランチを楽しんでいた。

秋に入ったばかりのメンドーサは、
木漏れ日と暖かな風が本当に心地よい。
2本目に突入したビールの酔いも相まって、
僕は心底幸せな気持ちに浸っていた。

その時、本当に自然に、ふと思った。
帰国しよう、と。

「美和。もう、帰ろうか。」

何の説明もしないでぽつりとつぶやいたら、
美和は驚きもせずゆっくりと頷き、
うんそうだね、帰ろうか、と言った。

そして僕らは追加のビールを注文し、
今日までの日々を振り返りながら、心の内を話し始めた。

*

転がる石のように。

いつの間にか自分たちの旅を、
このように形容するようになっていた。

心をオープンにして目の前の事と向き合っていたら、
想像もしていなかった方向に道は開けていった。
ちっぽけな僕らは導かれるがままに転がり続け、
結果、本当に素晴らしい経験を重ねることができた。

出発からインド、東南アジア、ネパールを経て、
「これだ 」という手ごたえを感じていた。
よおしと腕をまくってアフリカに入り、僕らはそこでも転がり続けた。

去年10月。
マラウィの音楽フェスでの出店を終えた後、
一旦転がるのを止めようと思った事がある。
疲れたから、ちょっとヨーロッパで休もう、
その先の北・西アフリカ、翌年の南米に備えよう、と。

でも、石はふたたび転がり始めることは無かった。
弾み方も転がり方も忘れてしまったかのように。

そして今年に入り待望の南米に突入。
ペルー、ボリビア、北アルゼンチン、チリと3ヶ月半、
僕らはずっともがいてきた気がする。

スペイン語学校に通い、現地NGOを訪問し、
出会いを求めてツアーに参加し、
最後には別行動をしてみた。

すべて本当に素晴らしい体験だった。
でも、石は転がらなかった。

*

今ここメンドーサで久しぶりに一息ついたら、
それらの因果がすうっと身体に落ちてきた。

そして、今までお互いに口には出さなかったけれど、
2人とも「転がらない事」に常にどこか違和感を感じてきたこと、
だから必死にもがいてきたんだということ、
でも結局転がらなかったということ、
それらを口に出して2人で認めてみた。
そしたら本当に気持ちが良かった。

「駄目だったけど、よく頑張ったよなあ俺ら」

2人で笑いながら、 僕らは旅の終わりを決めた。
正確には、当てもなく直感を頼りに続ける旅の終わりを。
9月中旬に帰国日程を確定し、それまでに行く場所もほぼ決定した。

この感覚はうまく説明できないんだけど、
「転がらないから、もう帰ろう」だけじゃない、
色んな気持ちが混ざった、清清しいものだった。
もがいた時間も含めて最高だった、
もう充分だ、という 誇らしい気持ちであり、
行けなかった場所は次に取っておこう、とか、
帰国までの時間をめいっぱい楽しむぞ、とか、
帰国後はどうしようこうしよう、とか、とかとか。
とにかくなんか幸せで、わくわくしていた。

転がる石はもう終わり。
意志を持った新たな生活のスタートだ。
言い換えれば、そんな人生の転換点にいるように感じていた。

*

数日後、自転車でのワイナリー巡りに行った。
素敵なボデガで一番のワインを見つけ、
ふいに大好きな曲が流れ出した時、猛烈に感動して涙が出た。

その日、見る景色すべてが輝いていた。
昨日まで何も感じず素通りにしていたかもしれない何気ないことも
急にいとおしく感じられ、幸せな気持ちになった。

今こうして旅をできている事、
地球の裏側でめいっぱい好きなことをできている事、
こんな素晴らしい事は無いと心から思えた。

なんだかんだ言って僕らは、
自分自身への期待にがんじがらめになっていただけ
だったのかもしれない。