人にはそれぞれ急所というかどうしても弱いものがあり、
私にとってそれは家族ネタ、つまり渡部家ネタである。

苦労してきたけどすこぶる明るい両親と
仲の良い4人の兄弟(シャイな兄と優しい弟と可愛い弟)。
全員で肩組んでカラオケ歌ったり、晩酌中父が幸せだと泣き出したり。
よく暑苦しいと言われる私の性格の源泉はどう考えてもここだ。
今だにどうしても泣いてしまう思い出まである。
<あれは小学高学年の夏休み。上の兄弟3人で
会津の田舎に行こうとしていた前の晩、7つ下の弟当時3~4歳が
小さなリュックにおもちゃをつめて枕元に置いて寝る。行けないのに。
浅草駅へ行き、出発間際、母が小さな弟を抱いて列車を降りようとする。
「僕も行くの」と3回程駄々をこねる弟。皆の困った顔を見て全てを悟る弟が
はたと静かになる。ホームで小さな手を振る弟。号泣して手をふる私たち3人。>
ほらね。こんな具合に今書きながらもう涙が止まらないのだ。


友人たちとの涙のHUGから2日。
到着翌日は日曜だったため、ネット屋が開いてなかった。
(今や世界の中心であるインドの、さらに中心である
BY:映画『スラムドック・ミリオネア』、IT都市ムンバイだが
ホテルの部屋で無線LUNが使える所は皆無だった。これには驚き。)
やっと入ったネット屋でまさかの事実を知る。

渡部家が成田に見送りに来ていたのだ。
でも便も私も見つからず、仕方なく屋上デッキで飛行機を待ったんだそうだ。
でも飛行機も見れなかったんだそうだ。
小さな甥は私たちの名前を読んで空に手を振ったんだそうだ。

出発の前々日、見送りに行くよと言われ、
朝早いし、父が白内障の手術をしたばかりだったし、
来なくていいと突っぱねた私。
便名も教えなかったし、その後携帯も解約したし、諦めるだろうと思っていた。
でも彼らは来ていた。9時15分に成田にいた。
私が友人たちとレストランで朝食を食べていた時間に。
父から送られた1枚の写真。写ってるのはANA!
ああ、ターミナルが違うよ。
ばかだな。
ああどうしてちゃんと強く聞いてくれなかったんだ。
ムンバイ行きじゃなくクアラルンプール行きじゃなきゃ見つからないのに。
ばかだな。
ああどうして私は最後の日に泊まる夫婦の携帯でも教えておかなかったんだ。
どうして朝食を食べながら電話を借りてかけてみなかったんだ。
ほんとばかだな。

ネット屋でひとしきり泣く。
画面が全然見えない。
ああ、ダメだこれは。1ヶ月は思い出し続けるな。
だからここに吐き出すことにした。もう泣かなくてすむように。

大好きだよ。ほんとに大好きだよ。それだけだよ。ありがとう。

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前々日の様子。残りの洗濯物も全部させてもらって総出で干した。

(MIWA)