「日本は何年に独立したんだ?」
ナミビア、オカハンジャという町の路上で
ある男性に突然話しかけられた。
その日はヘレロ族という部族の祭典の日で、
僕らはモニク、マシュー、それにモニクを紹介してくれた
アネリーナとその彼も加わって見学に来ていた。
ヘレロ族は約100年前、あるドイツ人将校によって
大虐殺が行われたという歴史がある。
祭典は数千人のヘレロが伝統衣装を身にまとい
被害者の墓地をまわる慰霊行進で、
話しかけてきた男性は
「悲しい歴史を忘れないために、そして二度と繰り返さないために」
と説明してくれた。
冒頭の質問。
当然わが国は植民地の歴史が無い事を説明したのだが
(事実上どうだったという議論は置いておきました)
アフリカの人々にとって植民地支配やそこからの独立戦争が、
どれだけ深く身に刻み込まれているものなのかを感じ、
強く印象に残った。
その後もモニクらフランス人を交え歴史議論へ。
■
最初彼はモニクらをドイツ人と勘違いし、
「過去に虐殺した人々の行進を今カメラ片手に観光しているが
そのことについてどう思う?」
などと挑戦的な質問もあったが、
ここアフリカでは歴史に限らず宗教や家族の話なども
初対面で普通にする雰囲気がある気がする。
*
W杯フィーバーとゴージャスケープタウンしか
味わわなかった南アに続いてアフリカ2カ国目
となったナミビア。
約一ヶ月間の滞在では、
よりリアルなアフリカに触れることができたが、
何より、その歴史の重みを強く感じる体験となった。
あるナミビアの地図。細かく線が引かれている。
これは農地区画地図で、
それぞれの区画には白人の個人名が書いてある。
日本の約2倍の面積の国の全国地図。
それに見えるほど広大な農地を少数の白人が所有しているということだ。
と教えてくれたのは首都のウィンドフックでお会いしたJICAの田中さん。
他にも色々教えて頂き、お世話頂き、本当にありがとうございました。
その区画線は北部アンゴラ国境付近に突如なくなる。
ここが、言い方はよくないが白人達に追われる形となった
多くの黒人達が住んでいる地域だ。
この約1割ほどの地域に人口の半分近くが集結しているという。
この国の、砂漠や大自然とはまた別の顔を見てみたいと、
ナミビア最後の滞在地にその中のオンダングワという町を選ぶことにした。
1時間車を飛ばしても人っ子ひとり見かけなかったような
南部と比較してオンダングワ周辺はまったく違う雰囲気だった。
数km-10km毎に集落が現れる。人が、多い。
そして各集落で必ず見かけるのがバーとバーバー。
お洒落でお酒好きなんだなあ、というほど素敵なものではなさそうだ。
町を歩くと平日の昼間から飲んだくれる若者たちがいっぱいだ。
失業率の高さを肌で感じる。
逆にしっかり働いている若者の1人、ネット屋オーナーのシノ25歳。
外交官の父を持つ彼は大学卒業後に
キャンピングカーでアフリカ中を旅行し帰国後に店を立ち上げた。
「競合は少ないしニーズもある、今のところビジネスは上々だ」
と軽く言う彼だが、仮想OSのしくみ*を導入するなど
なかなかのやり手と見た。
*15ほどある席に実はPCは1台も置いてなく
各席のスクリーンとキーボードから全て同じ1つのサーバーにアクセスする。
ユーザーからはあたかも別々のPCをいじっているようになるしくみで、
各種設定やセキュリティ対策などを複数台に行う必要がなくコスト削減になる。
国の将来のためにはとにかく教育だと熱弁をふるう。
ただ、今の政治家は20年前の独立戦争で活躍した軍の人で
政治をまったく分かっていないため、
教育システムそのものがおかしいんだと嘆いていた。
また唯一の成功した政策投資は道路の整備だと言いながら
(確かにナミビアの道路網はアフリカ有数のクオリティだ)
成長する観光産業も上が経済を分かってないから
政策がお金に結びついていないとも言っていた。
ナミビアは南アフリカ、ボツワナと並んで
「アフリカの優等生」と言われる存在ではあるが、
やはり課題は多いのだろう。
もう1つ目についたものがある。
CHINA SHOP。言葉通り、右も左も、CHINA SHOP。
中国人のアフリカ進出については
国際社会におけるアフリカ票獲得のための支援、
などとなんとなくニュースで見ていたが、
現場でここまで存在感があるとは思っていなかった。
ただし日用品を安価で手に入れられるようになった
という恩恵を受けているものの、どうも評判はイマイチ。
英語や現地語を話さず現地人の雇用もあまりせず、
全て中国人で完結させてしまうためナミビアに何も残らない、と。
(少なくともその勤勉さは学べるのでは、と個人的には思うが)
CHINA SHOPに限らず彼らの存在感は建設現場でも大きい。
町には建設中の建物が多いが働き手を見ると大半が中国人だ。
南アから来たある建設業関係の方から聞いた話では、
中国建設業者は「強力な競合」であり、
圧倒的に安くてスピードが速いとのこと。
ただその背後には24時間シフト制で、
しかも恐ろしく安い賃金で働く中国人労働者がいると言う。
(左側にテントが見える)
ヘレロの祭典での会話しかり、
農地区画線や失業率統計を裏付ける町の風景しかり、
躍進するチャイナ・イン・アフリカしかり。
教科書の中にしかなかった歴史が、
テレビの中にしかなかったニュースが、
温度と臭いをもったリアリティとして目の前に現れた。
過去の歴史と、未来には歴史となる今、
それらが密接に人々の生活と結びついているのを
目の当たりにし、日本では感じることのなかった、
歴史の重みを痛感していた。
*
その他。
砂漠や海や動物以外の、ナミビア写真。
北部の山奥にいるヒンバ族、スワコップの町に普通にいた。
主食の1つはイモムシ?だった。カリカリで味はほぼナシ後味きも目。
あとローカル飯は肉ばっか。大好物の内臓系もあったがかなりグロかった。。
携帯の普及は本当にすごい。
キャンプ生活で出会うキャンパー達。
どデカいキャンピングカーでアフリカ縦断とか、旅して5年とか、ざら。
男子力生活力の高さやピースなマインド、学びは多かった。
ヒッチorミニバスのピックアップ場となるガススタにて。
大好物のカオス状態。席取り合戦だが案外みんな優しかった。
そして。
オンダングワで転がり込んだタケシさん他、JICAナミビアの皆さん。
いつもは各任地で1人で頑張っているメンバーが、
ちょうど国で1番のビジネス展示会「TRADE FAIR」
が行われており終結していた。
皆さんでJAPANブースを出展、
日本食の販売や着付けサービス、歌の演奏などで
わが国をプロモートしていた。
バカ話ばかりにつき合わせてしまい
活動の内容などはあまり話できませんでしたが
本当に素敵な人たちで毎晩楽しく過ごさせてもらいました。
異国で国の看板を背負って戦う日本人たち、
ありがとう、そして応援してます。
*
気づきと学びと出会いにあふれたナミビア滞在。
まだ始まったばかりのアフリカだけど、
もっと色んな国を見たいとこの先の旅程へ期待に胸を膨らませた。