明日、突然現れた男、ケン・ウィリアムと
一緒にブランタイヤに行く。
1日の暇ができた私たちは、
宿の主人フェリックスがチェアマンを務める
村の小学校を訪れてみることにした。
何もできないとは思うけど、見るだけ・・・。
車で10分。フェリックスが喜んで連れて行ってくれた。
わらぶき屋根の家がぽつぽつ並ぶ
乾いた土地を進むと
急に視界が大きく開け、
レンガ造りの校舎が見えてきた。
広い。
そして・・・なんか、子供、多っ!!!
職員室に通され、校長、教頭に紹介をされた。
落ちついた物腰の二人は温かく迎えてくれた。
今一番求めているものは、新しい教室。
11月から4月の雨期の間も授業をするためだ。
2教室、140人収容の校舎を1軒建てるのに
300万クワチャ(180万円)かかるという。
次に急務なのが教師の住宅。
給料は国から支払われているが、教師の住宅費は学校持ち。
現在、32人の教師がいるが、学校の敷地内に建てた住居は4人分しかない。
残りの教師は近くの村に住み、住宅費を1人2000クワチャ(1600円)
学校から支払っている。
その他、ガードマンやメンテナンスなどに年20万クワチャ(12万円)
かけており、これらの費用はフェリックスはじめ
学校をサポートする理事たちの寄付と
一部の父母から集めているわずかな学費でまかなっている。
校舎を建てるべく少しずつ建設費用を積み立ててはいるが
まだまだ遠く及ばない。
雨風をしのげる簡易的な建物であれば、
あと30~40万クワチャ(18万~24万円)
あればなんとかなるのだが・・・。と。
なるほど、分かりました。
いずれにせよ、私たちがポンと渡せる金額ではない。
ちょっと厳しい・・・な・・・。
次に各教室を見て回る。
すっごい人数。
校舎を離れて歩く。
見えてきたのは、木の下で授業を行うクラスだった。
私は言葉が出てこなかった。
Overwelmingってこういうことだろうか。
カタベイのチカレ小学校の比じゃない。
もんのすごい子供たちの数、いや、
彼らの発する声、目の輝き、
溢れ出しているエネルギーにだろうか、
たじろいでしまった。
しかしもっと驚いたのは、
ぎゅうぎゅうの教室でも、木の下の教室でも、
しっかりと授業が成立していること。
教師が女性が多いが、毅然と、丁寧に、
児童を導いているように見えた。
(テスト中だった。ちょっと「?」って思うとこもあるけど・・・。Good Luckでは?)
給食もあった。
WFPから無料で配布されるポリッジを、
母親たちがボランティアで調理し、配ってくれているのだと。
学校からの帰り道。
私の頭のなかをいろんなものが
ぐにゃぐにゃ膨張したり融合したり、まとまらない。
大きくは2つ。
1つは、
「ああ、見なきゃよかった・・・」。
つまり、もうダメだ、降参。
何かしたいと思っている自分がいるってこと。
あの目を見てしまった。声を聞いてしまった。
そして子供たちのために頑張る親たち、先生たちの姿!
自然に「何ができる?」と考えを巡らせてしまう。
もう1つは、憤り。
「なにやってんの政府は!」。
カタベイでもそう。なんならインドでもそう。
なんで自分の国の学校をちゃんと整備できないの?
なんで国連とか海外のNGOとか外国人に面倒見させてんの?
恥ずかしくないの?
ちゃんと予算つけろよぉ学校にぃ!
勇輝は勇輝で圧倒されていた。
「これが、アフリカか。。。」
援助漬けの歴史を批判だけしててもしょうがない。
こんだけ子供がいて、政府が金を出さなくて、
そりゃNGOだろうがなんだろうが金出してくれるならすがるわな。
とにかく金、金が必要。
これが、リアル。。。
二人で話し合う。
何か、したい。
そして、現実を考えれば考えるほど、
「工夫をして」とかじゃなくて、
「工夫をして」とかじゃなくて、
ストレートに彼らの課題に向き合いたい気持ちが強かった。
これは、「ちょっとイイコト」でお茶を濁してる場合じゃない。
逃げるわけにもいかない。
・・・
お金が、必要だ。
逃げるわけにもいかない。
・・・
お金が、必要だ。
雨期の前に建物を建てないと。
勇輝は横でファイナンスだ
(目の前のお金が無いならお金を貸してくれる
ところがあればいいのでは、あとは長期的に
積み立てるとかのしくみをつくればいいのでは)
とか、マーケティングだ
(足長おじさんを待つのではなく
WEBなりつくって自分たちで積極的に寄付を募る
そのためのノウハウは提供できないか)
とか言ってるけど、どうも現実に落ち無そうだ。
延々考えた結果、
1つのアイデアを思いついた。
ヒントは、船の中で暇つぶしに作った布の巾着袋。
「来る音楽フェス、LAKE OF STARSに、
学校として出店できないかな。
いろんなもの作って売って、みんなでお金を作る。
だって、あの小学校のある、この村に、
世界中から人が集まるんだよ!」
なんとも無謀な考えであることは分かっていた。
入場者4000人、とはいえ、
入場者4000人、とはいえ、
世界20フェスの1つに入るらしい大イベント。
しかもフェス開催まで2週間だ。
しかもフェス開催まで2週間だ。
OKが出るわけない。
でも、まあ、聞くだけ聞いてみよう。
メモに、子供と一緒に作れそうなグッズは何か、案を書き、
すぐにその中の1つ、布製のシュシュ(髪飾り)を
そうだ、カタベイで作ったシェクシェクシブークグッズも!
フェスだからその場で身に着けられる・・・ブレスレットはどうだろ。
バッグに入っていたシブークの紙片と針金で
ブレスレットを作ってみた。
宿に戻り、フェリックスにアイデアを話すと、
いいねいいね、と言いつつ、まあ半信半疑、って感じだった。
夜、ジョニーのボスで、イベントの運営を任されている
(25歳で!)エディに時間をもらい、話をしてみた。
「私は」、と強調した上で、
「すごくいいと思う」と賛成してくれた。
作ってみたサンプルやグッズのアイデアも、面白がって見てくれて
とくに、シブークブレスレットがツボにはまったようだった。
でも、トップにかけあってみないと分からないと。
「出店したいという話はたくさんあるし、
すべてOK出すわけにもいかないしね・・・。」
優しく、さりげなくだけど、釘を刺すことも忘れなかった。
じゃあ、明日からブランタイヤ行くから、
分かったら、メールちょうだいね、と言って
私たちは部屋へ戻った。
可能性は多めに見積もって半分、かな。
勇輝がつぶやいた。
その日の手帳に私は
こんなことを書き付けていた。
「なんでこんな展開に?道はどっちへ?
なんだろうこの気持ち。武者震い。
大変なことになった。怖い。恐ろしい。果てしない。
でもやってみたい。やらせてほしい。
どこかで確信がある。きっとうまく道が開ける。
それが私たちの“やるべきこと”なら。
そうじゃないなら、きっとポシャる。
でも道がある限り、どんなに苦しくても、やり遂げよう。
子供たちのHOPEのため。これは大人たちのHOPEでもある。
いや私たちのHOPEでもある。
子供も大人も私も、みんなで汗を流して、
そうやってやってみたい。」
うまく眠れなかった。
*
翌正午。
ケンが車でやってきた。
バックパックを宿に預け、
小さな手荷物だけ持って車に乗り込んだ。
3時間のドライブ。
ブランタイヤを目指す。
緊張で、私の口はヘの字に
結ばれ続けていた。
<続く>
(MIWA)