ここゴカルナ。kudleビーチには、インド人よりも欧米人のほうが多い。
本を読んでる人、ヨガしてる人、走ってる人、泳ぐ人、子供を肩車してる人。
ビーチ前に並ぶカフェでは、何かを編んでいる人、日記を書いている人、
隣ではヒンディ語の勉強会。そしてPCをたたく私。
胸を張ろう。と思った。
旅を始めてから、ヨーロピアンのパッカーを前にするとあー、かっちょいいなー
と思い、それと比較して、スタイルもよくないしおしゃれじゃないし
英語下手だし、な私、に引け目を感じることがあった。少しだけど。
だっさいコンプレックス。思春期か!と突っ込みを入れたくなった。
でも、そんな後ろめたさを溶かして、海の水と一緒に蒸発させてくれる
ような所だここは。だってあまりにいろんな顔身体の人がいて、
母国語が英語以外の人ばっかりで発音もいろいろで、服装も髪型も行動も
あまりに自由。そうだよな、私、スタイルだって見方によっちゃイケてるし、
英語だって通じる。うん(そういうことにしよう)。
私は私でしかない、し、日本人だし、東京から来たし。ぜんぶ私だ。
出そうにもひっこめようにも仕方ないし、しなくていい。胸はって行こう。
まあ、いかにも旅行者が考えそうな話かしら。
それにしても、英語の発音はこうもバラエティーに富めるのかと驚く。
インド人の英語の聞き取りは難しいが(「ロール」と繰り返すから
何かと思えば「ロード」だったり、「isn’t it?」が「エナ?」だったり)、
フランス語訛りやドイツ語訛り、イギリス人やオーストラリア人でさえ
発音が強い人の英語は理解に骨が折れる。
アハン?と言いつ20%くらいしか分かってないことも多い。
英語で話してもロシア語で返してくる(なぜか会話になっている)
最強のロシア人さえいる。
つまり私たちが「これが流暢な英語ですよ」と思ってる英語を
ここでは誰も話してないのだ。もしかしてこれが地球のリアル?
中学生になって英語を習ったら、学生はみーんな一度インドを目指したらいい。
とくにゴカルナ。修学旅行でハワイとか行ってる場合じゃねーよと思った。
英語が世界の共通言語として重要と認識するだけでなく、
耳のよさ(GUESSの力、と言ってもいいだろう)と、
とにかく口に出してしゃべる力が大事(というかじゃないとやってけない)
だと学ぶだろう。そして英語はあくまで道具の1つだと学ぶだろう。
(将来自分の子と友達の子を何人か引率してこの町に来ている
シミそばかすだらけの美和オバちゃん、を妄想する。)
少年よインドを目指せ。少女よインド人と話せ。
日本人なら「全くできません」と謙遜するだろうレベルの英語で、
尋ねたことを一生懸命説明してくれる彼ら。
日本に帰ってキョロキョロしてる外国人観光客を見かけたら、
絶対May i help you?と話しかけよう。
下手でもいいから英語で一生懸命説明しよう。今してもらってるみたく。
と、心に決める。
ぼーっと、ビーチにいる人々を眺めながら物思いに耽る。
ほんとに皆自由。そしてどの顔も穏やかだ。
肩にバキバキに力を入れて、心してやってきたインドで、
なんだか優しくしてもらってばっかりだなぁ。
もしかしたら、人は好きなように生きてるとき、というか、
自分のあり方に後ろめたさがないとき、
圧倒的に他者に優しくなれるんじゃないか。
嫉妬も虚勢も言い訳もいらない。悪者も作らなくていい。
そうするとリスペクトと祈りが残る。君よ、今日も幸せであれと。
Take care. Enjoy. God bless you. Have a good sleep.
インド人、ヨーロッパ人、たくさんの人に毎日もらうこれらの言葉たちが
私の心をふわりと軽くしてくれる。
(MIWA)