ブッタガヤ滞在も、残り数日。
続々と出来上がる机と椅子。
作業する大工さんは、最初4セット頼んだときは2人だったが
今回は常時4人以上。若手も2人加わっているのでパワフルだ。
できたそばから、孤児の子供達と一緒にペンキを塗っていく。
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4月3日。
契約書で約束した納期の1日前。
昼、大工さんに確認すると、残りあと机が2つ、椅子が3つだという。
あれ?なんか、今日、完成、しちゃうかも??!
明日もペンキを塗る予定を組んではいたが、
子供達の頑張りもあって作業がどんどん進む。
「もしかして・・・」という空気が校舎中にふくらんでいる。

4時。せっかくいい所なのに、ブルーのペンキが切れてしまった。
大変だし時間もロスしちゃうし、諦めて明日にしようか、と悩んだが
やっぱり行こう!と、勇輝が子供達と一緒に買いに行く。

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6時。
空はもう真っ暗になって、電気のつく部屋はふたつだけになって、
それでも猛烈に全員が作業に集中している。
汗もお構いなし。ペンキだらけの身体もお構いなし。
狭い教室は、まるで文化祭前夜のような熱気に満ちていた。
7時。
若い大工さんが椅子を手に、ぽつりと言う。
「フィニシュ。」
ついに、ついに、
机と椅子28セットが完成した!!!

「フィニーーーーーッシュ!!!」勇輝が叫ぶ。
拍手とHUGでたたえ合う。

見回すと、みんな笑っていた。
ペンキまみれ。汗まみれ。ヘトヘト。
でも笑っていた。
写真を撮る余裕はなかった。

そうだった。大人と大人の約束。
そそくさと屋上に上がり大工さんと、村の焼酎で乾杯をした。
全然信用してなくてごめんなさい。猛暑の中、そして夜間まで頑張って、
約束の1日前に全部仕上げてくれたなんて。本当にお疲れさま。ありがとう。

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(↑今回総指揮をとってくれたウメッシュ)

私たちはもうすぐここを後にする。
机と椅子は完成した。
あと他にやれること、残せるものはなんだろう、
勇輝と何度も何度も話し合った。
1つ思いついたのは、
訪れた旅行者ができるだけ寄付をしてくれるための何か。
写真と手紙はどうだろう。
私たちが子供達と過ごし、机と椅子を作っていった様子をプリントし、
小さなアルバムを作った。
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アルバムの最後のページに挟んでおいてもらえるように、日本語で手紙を書いた。
何度も書き直してやっと仕上がった。

<手紙の内容、長いけど以下全文。※読み飛ばしてOKです>========

この学校を訪れてくださった日本人の方へ

はじめまして。私たちは、2010年3月にこの学校を訪問した日本人夫婦です。
ブッダガヤに滞在する間こちらの学校に通い、教師、スタッフ、卒業生などに
さまざまな話を聞きながら、約1ヶ月間、子供達と共に過ごすという体験をしました。
本日、目的を持って、もしくは偶然に、この学校を訪問された日本人の方に、
何かご参考になればと、レターを残させていただきました。

こちらの学校「Siddhartha Free Children Education Center(RISE UP)」
は、現在秘書を務めるプラモド氏含む7人の地元有志によって1996年に創設
された、村の貧しい子供達に無料で教育を提供している小学校です。

プラモド氏は、ここスジャータ村(正式名バクロール村)で生まれ育ち、
街で十数年教師を務めた後、行き届いていない村の教育の実情に奮起し、
慈善団体を設立、自らはまず教師として学校に入りました。

はじめに建てられたのが、スジャータテンプル脇の小さな平屋建ての学校。
あるアメリカ人女性の寄付で建てられたのが、河沿いの2階建ての第二ブランチ
兼オフィス。ここには親のない孤児たちも生活しています。
もう1つ別のエリアに第三ブランチがあります。

私たちが滞在中に実際会った第一期の卒業生の中には、現在大学で社会学を
学び、将来はプラモド氏のようなソーシャルワーカーになると目を輝かせている
青年もいました。他にも農村の慈善小学校をいくつか見ましたが、その中でも
こちらの学校は、本人が進学したければ実現できるレベルを真剣に目指した、
本格的な授業を提供できている学校だと感じました。

ご存知かと思いますが、ブッダガヤでは、山積するさまざまな問題の中でも
教育の問題は深刻です。貧しい農村の教育の遅れ、役人と教師の結託により
公立学校が機能していないという問題もあります。変革と大きな推進力による
教育システムの整備こそが根本的な問題解決への道なのでしょう。
しかし、こちらの学校の創設者を含む多くのソーシャルワーカーが、
その時を待つのではなく「今、ここにいる子供達」のために学校を創り、
未来の社会を変えるためにも真剣に教育をしている。そう知りました。

具体的にこちらの学校の運営状況を聞いてみました。教師の給与
(公立学校よりかなり安いです)や、孤児の食事、消耗品、光熱費など、
月間のランニングコストは約45000ルピー(9万円)だそうです。
他に年間コストとして、教科書代や制服代などがかかっていますが、
かなり切り詰めた状況のようです。これらの費用は、すべて
訪れたツーリストからの寄付(と、創設者自身の身銭)で成り立っています。
村の中にあるプラモド氏の自宅にも何度もお邪魔しましたが、
決して寄付によって私腹を肥やしているなどということはありません。
(こんな言い方をしたら逆に失礼ですが)。とても質素な暮らしでした。

今、こちらの学校に来て、黄色いドネーション(寄付)ペーパーの束を
ご覧になったでしょうか。私たちが初めてここを訪れたときにも、寄付をお願い
できますかと言われました。正直、私たちはそんな心の準備もなかったし、
教師の(失礼ながらあまり上手とは言えない)英語の説明を聞いただけでは
信用できる団体なのか分からなかったし、その場ではお断りしました。
ただ、そこにいた子供達が可愛かったので、教室内に座って見学していたら、
採点など教師の手伝いのようなことをさせてもらうことになり、
愛着がわいてしまいました。それから、私たちの場合は滞在期間に制約が
なかったので、毎日のように通ううちに自分たちなりの形で支援したいという
気持ちになり、最終的には東京にいる友人達から資金援助も得て、
机と椅子28セットを贈るに至りました。(今も使われているでしょうか・・・)

実は私たちはもともと、社会貢献やボランティアというものに、少し遠さを感じて
いたのですが、この体験を通して考え方が変わったように思います。
プラモド氏も他のソーシャルワーカーたちも、皆、不十分なことは百も承知で
「やれることから」「やれるだけ」やっていると気づきました。
支援すべき所は無限にある、きりがない、こんな少しじゃ足りない、
そのような葛藤も、もし誰か1人でも笑顔になるなら、
誰かの希望のひとかけらにでもなるなら、その可能性が少しでもあるなら、
小さなことでもいいからやってみよう、そう思うようになりました。

もし、お時間があるようでしたら、教室を覗いて、ぜひ授業を見学してみてださい。
ぜひ子供達と遊んでいってください。それだけでも、子供達にとっては大きな
刺激だと思います。とても喜ばれますし、きっと素敵な体験になると思います。
そして、よろしかったら、ぜひ、寄付をお願いできませんでしょうか。
たとえ小額でも、とても喜ばれると思います。
たとえば300ルピーなら上級生徒1人の1年分の教科書代になりますし、
100ルピーなら、孤児の子5人分の昼食代になります。
「孤児の子に服を」「小さな子供たちに新しい黒板とチョークを」などのように
使い道を指定してもいいと思います。何かを買ってきてあげてもいいと思います。
(何がいいか自分で考え探すのもきっと楽しいと思います!)
どうか、よろしくお願いします!

もちろん、ここブッダガヤには、他にも慈善団体が多くあります。農村の小学校も
ありますし、病院、女性支援の施設、井戸を作るプロジェクトなどもあります。
いくつかを見て回られ、比較して、ご自身でどこに協力するか、協力するか否か
を決められてもいいと思います。ただ、私たちはこの学校と子供達が
大好きになってしまったので、勝手ながら推薦させていただきます。
この学校は、信用できます。私たちが保証します!(言いすぎかな・・・?)

もし学校の説明も思いもうまく伝わらなくて、せっかくご縁があって訪れて
くださったのに、よく分からないままお帰りになられたら悲しいなと思い、
このような書面を残させていただきました。

末筆になりますが、この地を訪れられたあなたの旅が、
実り多き豊かなものになりますよう、
健康、無事故で過ごされますよう、心よりお祈り致します。
最後まで読んでいただきまして、ありがとうございました。

2010年4月5日                      本間勇輝・美和

====================================

もう1つ。
資金協力をしてくれた仲間と、継続支援を検討することになった。
まず、1つ箱を作り、それを交互に送り合って、引き続き
コミュニケーションをとってみてはどうかというアイデアが出た。
最初に子供達から好きなものを送ってもらおう。絵とか手紙とか。
さっそく街で商店をまわり、手ごろなダンボールを探して譲ってもらい、
文房具屋で買った紙を貼って包装をした。
子供達に分かりやすいようにイラストを入れながら、
3ヶ月後にインドから日本へ送ってもらう箱が完成した。
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物をあげるのも、素晴らしいこと。
でも子供達の未来のために、何が本当に役に立つのか、
HOPEにつながる支援ってなんなのか、焦らずゆっくり考えていこう。
これからがまた新たなスタートだ。

この学校を訪れてくださった日本人の方へ
はじめまして。私たちは、2010年3月にこの学校を訪問した日本人夫婦です。
ブッダガヤに滞在する間こちらの学校に通い、教師、スタッフ、卒業生などにさまざまな話を聞きながら、約1ヶ月間、子供達と共に過ごすという体験をしました。本日、目的を持って、もしくは偶然に、この学校を訪問された日本人の方に、何かご参考になればと、レターを残させていただきました。
こちらの学校「Siddhartha Free Children Education Center(RISE UP)」は、現在秘書を務めるプラモド氏含む7人の地元有志によって1996年に創設された、村の貧しい子供達に無料で教育を提供している小学校です。
プラモド氏は、ここスジャータ村(正式名バクロール村)で生まれ育ち、街で十数年教師を務めた後、行き届いていない村の教育の実情に奮起し、慈善団体を設立、自らはまず教師として学校に入りました。
はじめに建てられたのが、スジャータテンプル脇の小さな平屋建ての学校。あるアメリカ人女性の寄付で建てられたのが、河沿いの2階建ての第二ブランチ兼オフィス。ここには親のない孤児たちも生活しています。もう1つ別のエリアに第三ブランチがあります。
私たちが滞在中に実際会った第一期の卒業生の中には、現在大学で社会学を学び、将来はプラモド氏のようなソーシャルワーカーになると目を輝かせている青年もいました。
他にも農村の慈善小学校をいくつか見ましたが、その中でもこちらの学校は、本人が進学したければ実現できるレベルを真剣に目指した、本格的な授業を提供できている学校だと感じました。
ご存知かと思いますが、ブッダガヤでは、山積するさまざまな問題の中でも教育の問題は深刻です。貧しい農村の教育の遅れ、役人と教師の結託により公立学校が機能していないという問題もあります。変革と大きな推進力による教育システムの整備こそが根本的な問題解決への道なのでしょう。
しかし、こちらの学校の創設者を含む多くのソーシャルワーカーが、その時を待つのではなく「今、ここにいる子供達」のために学校を創り、未来の社会を変えるためにも真剣に教育をしている。そう知りました。
具体的にこちらの学校の運営状況を聞いてみました。
教師の給与(公立学校よりかなり安いです)や、孤児の食事、消耗品、光熱費など、月間のランニングコストは約45000ルピー(9万円)だそうです。他に年間コストとして、教科書代や制服代などがかかっていますが、かなり切り詰めた状況のようです。
これらの費用は、すべて訪れたツーリストからの寄付(と、創設者自身の身銭)で成り立っています。
村の中にあるプラモド氏の自宅にも何度もお邪魔しましたが、決して寄付によって私腹を肥やしているなどということはありません。(こんな言い方をしたら逆に失礼ですが)。とても質素な暮らしでした。
今、こちらの学校に来て、黄色いドネーション(寄付)ペーパーの束をご覧になったでしょうか。
私たちが初めてここを訪れたときにも、寄付をお願いできますかと言われました。
正直、私たちはそんな心の準備もなかったし、教師の(失礼ながらあまり上手とは言えない)英語の説明を聞いただけでは信用できる団体なのか分からなかったし、その場ではお断りしました。
ただ、そこにいた子供達が可愛かったので、教室内に座って見学していたら、
採点など教師の手伝いのようなことをさせてもらうことになり、愛着がわいてしまいました。
それから、私たちの場合は滞在期間に制約がなかったので、毎日のように通ううちに
自分たちなりの形で支援したいという気持ちになり、最終的には東京にいる友人達から資金援助も得て、机と椅子28セットをプレゼントするに至りました。(今も使われているでしょうか・・・)
実は私たちはもともと、社会貢献やボランティアというものに、少し遠さを感じていたのですが、この体験を通して考え方が変わったように思います。プラモド氏も他のソーシャルワーカーたちも、皆、不十分なことは百も承知で「やれることから」「やれるだけ」やっていると気づきました。
支援すべき所は無限にある、きりがない、こんな少しじゃ足りない、そのような葛藤も、
もし誰か1人でも笑顔になるなら、誰かの希望のひとかけらにでもなるなら、その可能性が
少しでもあるなら、小さなことでもいいからやってみよう、そう思うになりました。
もし、お時間があるようでしたら、教室を覗いて、ぜひ授業を見学してみてださい。
ぜひ子供達と遊んでいってください。それだけでも、子供達にとっては大きな刺激だと思います。とても喜ばれますし、きっと素敵な体験になると思います。
そして、よろしかったら、ぜひ、寄付をお願いできませんでしょうか。
たとえ小額でも、とても喜ばれると思います。たとえば300ルピーなら上級生徒1人の
1年分の教科書代になりますし、100ルピーなら、孤児の子5人分の昼食代になります。
「孤児の子に服を」「小さな子供たちに新しい黒板とチョークを」「自転車を」などのように使い道を指定してもいいと思います。何かを買ってきて渡してあげてもいいと思います。
(何がいいか自分で考え探すのもきっと楽しいと思います!)どうか、よろしくお願いします!
もちろん、ここブッダガヤには、他にも慈善団体が多くあります。農村の小学校もありますし、病院、女性支援の施設、井戸を作るプロジェクトなどもあります。いくつかを見て回られ、比較して、ご自身でどこに協力するか、協力するか否かを決められてもいいと思います。
ただ、私たちはこの学校と子供達が大好きになってしまったので、勝手ながら推薦させていただきます。この学校は、信用できます。私たちが保証します!(言いすぎかな・・・?)
もし学校の説明も思いもうまく伝わらなくて、せっかくご縁があって訪れてくださったのに、よく分からないままお帰りになられたら悲しいなと思い、このような書面を残させていただきました。
末筆になりますが、この地を訪れられたあなたの旅が、実り多き豊かなものになりますよう、健康、無事故で過ごされますよう、心よりお祈り致します。
最後まで読んでいただきまして、ありがとうございました。
2010年4月5日                      本間勇輝・美和

4月5日、月曜日。
プラモドのはからいで、第一・第二ブランチの生徒を集めて、
机と椅子の寄贈セレモニーをすることになった。
9時頃学校へ行くと、授業中だった。
夏季に入り授業時間は朝7時から午前中のみに変更されている。

新しい机と椅子が、すべての教室に入っていた。
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ここで、みんなが学んでいく。育っていく。
それは眩しくて、くすぐったくて、誇らしい、最高の光景だった。

みんなでぎゅうぎゅうに座り、セレモニーが始まった。

まず子供達から歌のプレゼントがあった。
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(↑上級生。緊張しすぎてカチコチ。思わず笑ってしまった)
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(↑ナーサリークラスの子。踊りは揃ってないけど可愛いすぎてメロメロに)
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(↑1人で歌ってくれた子。一生懸命な姿がたまらなくぐっとくる)

続いて、スピーチ。英語教師のウペンドラが通訳。
駆けつけてくれたプレジデント、勇輝、(私も一言だけ)、
↓嬉しそうに興奮して何言ってるか分からなかったプラモド、
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ゲストとして来てくれたアメリカ人旅行者のエレナ(前日私がcafeで
黄色い箱を作っていたら話しかけてきて、それなら是非見に行きたい
と言って、僧侶の友人を連れて来てくれた。)と
マハボディの僧侶からも子供達へ祝福の挨拶が。
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子供達が花の首飾りをプレゼントしてくれた。
寄贈の記念撮影をして、
(↓左端がプレジデント。撮影はエレナ)
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皆でお祝いのビスケットを食べた。
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ほとんどの子が1枚しか食べずに胸のポケットに入れている。
家に帰って弟妹にあげるのかな?大事にゆっくり食べるのかな?

外に出て、大きな木のある広場に集合した。
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なかなか集中できない子供達と、
私たちの大好きな大好きな子供達と、
最後の記念撮影。

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2、3日のつもりが、結局26日間になったブッダガヤ滞在。
泣いたり笑ったり怒ったりしながら、多くの学びがあった。
ソーシャルワークに対しての葛藤、うまく物事が進まない苛立ちもあった。
行動する喜び、たくさんの人と協力して得た感動もあった。
いっぱい遊んだし叱ったし、父と母になるトレーニングもさせてもらった、かな。
何年後、またここを訪れかれるかは今はまだ分からない。
でもきっとここに来よう。みんな、どんなふうに成長しているだろう。
そのときまで、共に頑張ろう。学ぼう。大きくなろう。
離れているけど一緒に、ね。競争だ。

その夜、私たちは大きな荷物と、たくさんの思いを抱えて、駅へ向かった。
街中のリクシャがストで動かなかったため、仲良くなった現地の人に助けてもらい
車を回してもらった。後部座席、眠気と疲れで身体が動かない。
駅に着くと、1時間遅れのはずだった列車がすぐにやってきた。(危ないところだった。)
列車に飛び乗り、席を探し、狭い寝台に滑り込む。
すぐに意識が朦朧としだす。
深夜1時、満員の列車は静かにバラナシへと発った。

ちょっと、寂しいな。
でも、そうだった、旅は続いていくのだ。

応援してくれた皆さん、メールをくれた皆さん、
読んでくれていた皆さん、本当にありがとう。
(MIWA)