ナミビアのオジワロンゴで出会った子供達の話、おまけ。

フランス人のモニーク曰く、理想は
「子供達の想像力を伸ばす教育」
だそうだけど、まだまだだとか。
絵や図工をやっても、皆同じものになってしまうのだという。
壁に貼られた絵の数々を指さす。
「見て。マッチ棒の人間はみんな一緒でしょ」。
うーん、まあそうだけど、いい線いってるんじゃないかなぁ・・。
モニクは、もっと突拍子もないものを作る子もいていいと。
先生の導き方?民族性の問題?
幼児教育云々について何も知識がないのでよく分からない。
 
 
ある日、粘土で遊ぶ時間があったので私も入れてもらった。
はるか昔、私が保育園で一番好きだったのが粘土だったから。
皆の様子を見ていると、なにやらこねたり伸ばしたりはしているものの、
固まりをいくつか作ってるだけ。先生も丸いのや四角いのを作っていた。
なんだか、子供達からワクワクした気持ちが感じられなかった。
私はよおーしと腕まくりして、子供達が見守る中、
次々と色々なものを作りだして見せた。
人、車、ゾウ、きりん、家、りんご、トカゲ・・・。

子供達の顔がみるみる変わった。
「わあーー」どんどん周りに集まりだす。
とくに、動物の目や車のライトを
粘土の小さな欠片で作ってぺタリとくっつけたりしたとき、ザワザワが大きくなった。
次に待っていたのは、「私にこれを作って!」というリクエストの嵐。
出たー!でもそうはさせません。
「できるよ。なんでもいいよ。やってごらん」
我慢強く言い聞かせたら、
1人2人が何かをつくり出し、他の子も自分の手を動かしだした。
うんうん、そうだよ。
器用なアリーシャ。真っ先に「ケーキ」を上手に作って褒められて満足顔。

へんちくりんな車を一生懸命作っていたジョセフ。おでこに粘土つけて。
(ちゃんと写ってないけど)左のマリアが喜び勇んで見せてくれたのは「豆」。いいゾそのセンス。笑

私が作った女の子。ルーツは、何も作らずそれを使って遊び始めていた。

ボスキャラ、ソフィアはどうしてもプリンセスを作ってほしいと聞かなかったので、しょうがなく
一緒に作った。最後に顔のパーツやリボンを自分でつけたら、大興奮して、
すぐに自分の席に戻り何か作り始めていた。ひらめいたのかな。
 
 
・・・こういうことって、大事なのかな。
自分でまったく新しいものを作る練習って。
はじめて考えた。
自分が子供のときってどうだったんだろ。今の日本の子供達はどうかな。
 
“子供の独創性”なんて、
大人の頭で考えてもしょうがないんじゃないかな・・と
若干思っていたんだけど、
輝きだした子供達の目を見てたら、
彼らが面白いって思えるなら、少し導く手伝いをするのも良いものだな、と思った。

でも、子供達にとって大きな学びは、
最終的に何かを上手に作れた瞬間よりも、
誰かの作ったものをいいと思って(それをちょうだいじゃなく、)
「それなら!」と
自分の手を動かしてみた瞬間にあるんだろうな。
 
ちょっと、
街の道端にビール片手にたむろしてる大人の男たちの姿が
頭に浮かんでしまった。

仕事がないんだよこの国は・・・
と文句を言ってるけど
そんな男たちにも、
「できるよ!なんでもいいよ!やってごらん!」
と言いたくなった。
 
こういうことと、子供のとき身につける独創性と(ましてや粘土遊びと)
関係があるかは分からない。たぶんコジツケなんだろうけど。
この子供たちが、将来
何かのせいにして何も始められないのではなく
完璧な据え膳の完成を待つのではなく
自分の頭で考えて自分の手で何かを創れるように、
そういう人になるように、そう願わずにはおれなかった。
 
粘土が終わったあと、先生に「ちょっとしばらくお願い!」と言われて
完全に私一人になって30分くらい子供達と過ごした。
先ほど掴んだ手ごたえをもとに、なにか子供達を導きたかったんだけど、
うーーーん、
焦るばかりで何も浮かんでこなかった。
結局子供達は思い思いに遊んで時間が過ぎてしまった。
難しいもんだね。
勉強になりました。

とにかく、
私たちはすぐ居なくなっちゃうけど、

たくさん勉強して、

 

たくさん仲良くして、
 
たくさん食べて、


たくさん考えて、



たくさん寝て、

たくさん笑って、

伸びろ!伸びろ!
大きくなあれ。
素敵な大人になあれ!
ぐんぐん育て!
 
きっと大丈夫だね。
モニクの、思いと愛情のつまった場所だもんね。
 
 
 
(MIWA)