(たまにはちょっと後ろ向きな投稿も。。。)
ザンビアの首都、ルサカのバックパッカー宿。
ナミビア北部から陸路ザンビアに入った僕らは
ビクトリアの滝を堪能した後にトランジットでこの町に来ていた。
リビングストン(ビクトリアの滝の拠点)から約500Km、
途中のいかにもアフリカなのどかな田園風景とはうって変わり
随分忙しい雰囲気に包まれた町だ。
バス停から宿までは予想外に遠く40分は歩いただろうか。
半日のバス移動とあわせ、日が暮れる前に既にへとへとだ。
僕は再度町へ出て翌日のバスの手配と夕食の買出しへ。
バスは到着時ターミナルで手配すればよかったのだが
話していた客引き達が俺の客だとケンカを始めたため出直す事にした。
荷物がある移動時は特に慎重になる。
その間美和にはテント張りや荷物整理、キッチン・シャワー・ネットな
ど宿の設備確認などをしてもらう。
新しい町に来ると宿探しに始まり色々やることがあるが
さすがに暗黙の分担が決まってきた気がする。
移動が続くとこういったTODOの処理だけでやたら疲れ
後は寝るだけの毎日となりなんとも空しい。
やはり1都市1週間は滞在するようなゆっくりとしたペースが良い。
帰ってきて出が悪いシャワーを順番に浴びつつ、夕飯の支度。
今日は缶詰めマッシュルームのパスタ。
最近少しずつ覚えてきて料理を楽しめるようになってきたが
1日だけの滞在で食材を残したくないので手抜きをした。
それにしてもこの宿は台所もシャワーも汚い。
明日は4時起きでマラウィ行きの早朝バスなので
ビールは1人1本にしておいた。
早めに寝ようと20時にはテントに潜り込んだが
周りが騒がしくなかなか寝付けない。
アフリカに着てから「定番バックパッカー宿」に
何度も泊まっているが、どうしてどこも同じような
雰囲気なのだろう。
90年代ヒットチューンの流れるダサ目のバーでのパーティ、
マリファナの香り、ドレッドヘアーの長期滞在者。
会う旅人の大半が同じルートを通り、同じ宿に泊まる。
アフリカは整備された道や良い安宿のチョイスが少ないので
必然的にそうなるのだろう。
ゆったりした空間の作り方などさすがの部分も多いのだが、
どうも好きになれない。
などと話をしているうちに
「なんかちょっとノってない」自分に気づいた。
リビングストンで見たビクトリアの滝、
確かに迫力のある凄いものだった。
滝の上にできたプールで泳いだり
滝を見下ろしたりできたのも最高だった。
でも、どこか心底感動していない、
というか白けている自分がいた。
移動中もテントの中でも宿のソファでも、
常にもやもやとした感覚につつまれていた。
辿っているルートが実はド定番だったと拍子抜けしたのか、
テント&自炊生活で疲れたのか、
外食の楽しみが無いからなのか、
よく分からないが、とにかく「慣れ」たような、感覚。
鼻をつく臭いのぎゅうぎゅうバスも、
車内に鳥を連れたばあばも、
謎のいちご売りも、
穴だけのトイレも、
大自然も旅人との出会いもテント生活も、
どれも何となく知っていて、どれにも感動していない。
その場は「いやースゴいね!」とはしゃいだりするのだが
2秒後に真顔になって「ふぅ」と一息ついているような。
外界の刺激が深く身体の中に刻み込まれず
ふっとすぐに消えてしまう。
実はこの感覚は2度目、ネパールにいた時にも感じていた。
あの時はIncredible!インドを乗り越えた直後、
ちょうど出発して半年ほどたった時だった。
その時にこんなメモを書いていた。
「旅慣れた、と言えば聞こえはいいが、どうも最近スランプだ。
何にもがむしゃらになっていない。
感動が薄れ、感謝の気持ちを忘れている。
メールやtwitterから伝わってくる
東京の仲間達が仕事をしている様子が眩しい。」
その頃美和に「あんた輝いてないよ」
とズバリ言われてへこんだりもしたが、
この慣れという奴は一番気をつけなければならないと思う。
過去に自分が成長したり充実していたのは
必ず何かにがむしゃらになっていた時だったし、
一目置く人や尊敬する人は常に落ち着く事なく
何かに向かってつき進んでいる。
いずれも、慣れという言葉とは程遠い。
ネパールのときはタラとの出会いと新たなチャレンジがあり
すっかりこの感覚を忘れることとなったが、
今回も同じようにまた何かによってテンションは上がっていくだろう。
焦ってはいない。
でもとくに結論も、ない。
ただ、旅が生活となった自分たちの「今」として、
その日常と、このもやもやした思いを書き留めておきたいと思う。