26 de Julio、7月26日。
キューバを旅する中で嫌でも目にするこの数字。
フィデルカストロ率いる ゲリラ隊が政府のモンカダ兵営を攻撃した、
キューバ革命の起点となる記念日だ。


革命博物館にあった、農民らが農業機械を改造してつくったと言う戦車。
LIBERTAD O MUERTE:革命か、死か。革命前の独裁政権の酷さを物語るのか。

 

その7月26日は革命記念日として休日となっており、
その前後を利用して「カリブ海最大」とも言われるカーニバルが開催される。
開催地はキューバ第2の都市、サンティアゴ・デ・クーバ、
カストロが襲撃したモンカダ兵営のある、革命開始の地である。

10日間のハバナ滞在を満喫した僕らは、
前日の7月25日、12時間かけて島を横断し、革命の地を目指した。


バスが満席で取れず、乗り合いタクシーでのかなり厳しい移動だった。
小さなセダンにでギュウギュウになりながら田舎道をひた走る。


ひょんなことから途中の小さな集落でひと休憩。
未舗装の道路と裸足の少年達。ハバナには無かったゆるい空気が流れる。


1人の少女が革命記念日のためか、家のまわりを国旗で飾り付けをしていた。
集落中が旗や横断幕などで彩られ、7月26日がいかに大切な日かが伝わってきた。

 

なんとかサンティアゴに到着。
ハバナとはまったく違う、のんびりとした印象。

支度をととのえ、さっそく街に繰り出した。


カーニバル会場に行って見たが、昼間は人もまばらだった。


人だかりができていたのは、会場からほど近くにある1本の道だった。


屋台が道をびっしりと埋めていた。


フライドチキン、ライス、ポテトのギトギトプレート、80円なり。


豚の皮から揚げ20円なり。どれも安くて良いのだがとにかく揚げ物ばかりでかなりキツかった。


通りでは大きなスピーカーが何台も置かれガンガンに音がかかっている。
曲は流行りのレゲトンが中心でちょっと萎えたけど。


美和いわく「世界で一番カッコ良くないDJ」


ファッションとか体型とか雰囲気とか、典っ型的なキューバの若い兄ちゃんたち。


もちろん生バンドも。だいたい何故か高齢だったけど。


午後4時ごろに出会ったのは、もうすぐ舞台だと言うかわいらしいダンサーズ。
カーニバルは5時から子供たち、7時から大人の部、となっている。


夜になると、なるほどカーニバル会場の大通りにも人が増えてきた。


子供たちは山車の上に(勝手に)乗って踊りだしムードを盛り上げる。足ながっっ!


一方ビール屋台では熾烈なビール確保合戦が始まる。(中央僕ね、キツかった~)
みんなプラスチックのMyジョッキ持ってて屋台でリットル50円で入れてもらう。


あ、右端の彼が持ってるのがMyジョッキね。洗面器素材で、風呂かトイレを彷彿させる。


ストリートもアツくなってきた!なんかそこらで激しく踊ってる。


中でも僕らの心をわしづかみにした1人のおば様。彼女の踊りは神がかっていた。

 

そんなこんなで会場に戻るとまさにパレードが開始されるところだった。
道をはさむように設置された観客席へなんとか滑り込む。


子供が結構多かった。みんなが楽しみにしてるのが伝わってくる。


パレードは各チーム50人ほどが音楽とや踊りで練り歩くのだが、かなり手作り感いっぱい。


途中から山車も登場。半裸でブリンブリン踊ってて中々の迫力だが、なんかほのぼのしてる。


個人的に萌えたのは太鼓隊たち。ホンキで叩きまくる姿にはグっときた。


あとはやっぱ地球を救うゴルダ達ね。これこそキューバカーニバルの切り札では?

 

そんなこんなでなんともアットホームなカーニバルを楽しんだ。

観光客的に「見たこと無いような」「凄まじいレベルの音楽やダンス」を求めていたら、
もしかしたら消化不良になっていたかもしれない。

でも、パレード中に先生らしき人が一緒になって踊りながら
汗まきちらして声を出している姿、
それと目をキラキラさせてパレードを見ている観客達、
パレード後に踊り終わったダンサー達の清清しい表情、
よかったなあ~。


中央の全身白でキメてる人とその右のボディコンちゃんが先生たち。
ジェスチャー満載でダンサーを鼓舞する。「笑顔ぉー!」(妄想)


観客席もアツい。このおばちゃん、声だして、踊って、手振って、全部全力投球だった。


お疲れ様なダンサー達。なんかホントいい雰囲気だったんだ。

 

そう、祭りの主役は観光客じゃあなくて、彼らキューバ人。
彼らが、年に1度の一番のお祭りのために練習し、
それをみんなが楽しみにしていて、
当日少ないお金でもガンガン飲んで食べて笑って騒いで、
その様が美しかった。

よく日常(ハレ)と非日常(ケ)について考える。
旅行も、非日常の代表的な例だと思うけれど、祭りもまさにそれ。
苦しかったり、大変だったり、時に飽き飽きするような「日常」は、
「非日常」があるからこそ輝くし、乗り越えていける。
国や文化や宗教を問わない、人類の共通の工夫だと思う。

ハバナから遠く離れた革命の地で垣間見たキューバの非日常、
たんまり堪能させていただきました。

 


翌日、朝から大きなトラックが何台も来てセットを片付けていた。
彼らの日常が、また始まっていった。