あんなにも、天地がひっくり返ろうが構わないほどに、好きで好きで仕方なかったのに。
結婚してから一度も、2年間の世界一周旅をしても一度も、喧嘩なんてしたことなかったのに。
死ぬときは一緒がいいとすら、死んでも魂は永遠にそばにいたいとすら願ったほど、愛してやまなかったのに。

子供という最大のギフトによって最高の幸せを手に入れたと同時に、今まで体験したことのない大きな試練が私たちにやってきた。

当然私たちらしく二人で子育てできると思っていた私と、新しく始めた意義ある仕事を集中して頑張りたい彼。
妊娠生活の喜びと戸惑いにふわふわしているうちに、どんなライフスタイルを選ぶのか、どんな子育てをするのか、子供たちに何を見せたいのか、きちんと話し合いもしないまま、子は生まれ、なし崩し的にワンオペ生活が始まった。

私は訴えた。
「無理だよ」「ワンオぺ嫌だよ」「働き方を変えてよ」
しかし彼には、わがままにしか映らなかったと思う。
みんなやってる。みんなそうやって子育てしてる。母親が持ち場として家庭を担当してる。それをやってくれよと。俺には社会で果たさなければならない責任があり、家族を養うという役割があるんだからと。

その通りだと思った。周りに相談しても、ほとんどの人が「仕方ないよ、私もそうだった」と苦笑し、自分の母親には「腹をくくりなさい」と叱責された。彼も周りに相談したが「奥さん、大変だな…」と肩を叩かれた。

もちろん、彼のやりたいことを思い切りやらせてあげたい気持ちはあった。「まかしといて!行っといで!」と送り出すカッコいい女になりたかった。でも、どうしても辛かった。何かが違うと心が叫んでいた。ひたすら迷い、自分を責めた。

自分の母親世代を見習って「家庭は私の持ち場だ」と言い聞かせ、気持ちを押し殺したり、鼓舞したり、入れ替えたり、そらしたり、いろいろやってみた。
ご褒美の甘いものとかマッサージとか、たまには温泉とか、そういうのもやったし、もちろん親や近所や行政に頼ったり、家電や便利グッズやサービスを活用したり試行錯誤した。

自分自身の仕事や充実感が足りないのが原因かもと、母親向けサイトを立ち上げたり、地域コミュニティの場作りにチャレンジもした。ボロボロの中でよく頑張ったし、かけがえのない友を得ることができた。

そうして数年、体を痛めては治し、心を落ち込ませては立て直し、たくさん泣いたり怒ったりしながら、毎週毎週「あと○日」と週末を目指して自転車操業的に日々を過ごした。同時に「お前は誰だ」「どこへ行きたいんだ」と、細切れの思考の中で自分に問い続けた。一言で言えば、もう壊れていたし、壊れながらもがいていた。

でも結果として。とても申し訳ないことだが、私は彼に笑いかけられなくなった。
私たちは話せば話すほどすれ違い、徐々に気持ちが離れ、ついには見損ない合い、泥沼化する議論に疲れ果てた。

なぜこんなことになるのか、分からなかった。
彼が悪い、私が悪い、社会が悪い、、どれもそうなようでどれも違うように思えた。
5年、10年したらいろんなことを許せるようになるのだろうか。穏やかな関係、空気みたいな関係になるのだろうか。
でもきっと、そのとき手はつなげないし、愛してるとは言い合えない気がした。こんなに溜まってしまった怒りや恨みが、何年経ったら消えるのか、考えただけで気が遠くなった。
私は、どうしても嫌だった。解決したかった。諦めたくなかった。

週1度あるかないかの限られた夫婦の時間。私は必死で寝室から這い出し、彼を待ち、話し合いを求め、挑み続けた。
彼は、疲れて帰ってきた所に恨めしい顔で待ち構えている私から逃げず、泣きながら取り乱しながら話すまとまらない話に耳を傾け続けてくれた。何とか解決しようと向き合ってくれた。
傷口をえぐり合いながら、汚い膿を出し合いながら、原因は何か、なぜ痛いのか調べていく作業だったように思う。
何度泣いて終わっても、何度罵り合って終わっても、絶望しても、傷だらけの体でリングに上がり続けた。


3年ほど経って、分かってきた。
産後、お互いの話している言語が変わってしまったのだということ。
私は、狼の言葉を話していて、彼は人間の言葉を話していた。
私は、月が2つある世界に来ていて、彼はいままで通りの世界に居た。
私は、愛と魂の話をしているのに、彼は現実と責任の話をしていた。
どちらも悪くなかった。違ってしまったことに気づかなかっただけだったんだ。
なのに私は、彼をなんて冷たくつまらない男だと軽蔑し、彼は私をなんて感謝のない傲慢な女だと悲しんだ。


私はずっと、自分が何に対して怒っているのか、何が悲しいのか、ちゃんと分からなかったし、それを人間の、男性が分かる言葉で伝えられなかったんだと思う。

混乱していた産後1年。初めてづくしの子育てに右往左往しながら、感情の乱高下と体の不調、心の混沌にただただ狼狽していた。
ワンオペの物理的精神的苦悩をどう軽減できるか考えた次の1年。悩み、不満をぶちまけ、喧嘩し、たくさんの手を打っては失敗した。

そして、自分自身の心と向き合いながら、夫婦での話し合いを続けたもう1年。
心の一番深いところにあったのは、怒りではなく悲しみだった。
彼が、私の手を離し、私を置いて行ってしまったということ。
助けてと言っているのに立ち止まってくれなかったこと。

辛かったのは、孤独だったからだ。
苦しかったのは、本当に大事なものが分からなくなったからだ。
悔しかったのは、愛したかったからだ。

私が欲しかったのはソリューションじゃなかった。
何よりもお前が大事だという、表現と態度だったんだ。

常識はずれと笑われようが。甘えんなと叱られようが。
私は、親になったくせにではなく、親になったからこそ絶対に、自分の信じる価値観と直感に、まっすぐ正直に生きたいんだ。
愛と信頼、家族の笑顔の食卓、自然と歌、旅と魂の声、出会いと感謝。
そんな、美しき人間の日々を生きたいんだ。大好きな人と一緒に。
すべては、1つめの「愛と信頼」があってこそなんだ。

やっとわかった。
何を求めているのか。

わかった上で。静かに叫んだ。

これは、私たちのテイクすべきライフスタイルではない。
帰ってきてほしい。私のところへ。
やり直そう。旅に出よう。
もう一度、猛烈に恋しよう。
もう一度、くっついて眠ろう。
腹をかかえて笑いながら、
本当にやりたいことに本気で挑戦しながら、
新しい私たちの物語をつくろう。
お金がなくてもいい、仕事がなくてもいい。
でもあなたとの愛を失って私は生きることはできない。
子供たちに見せたいのは、こんな冷め切った父と母ではない。
本物の愛と信頼を見せないで何が教育か!!!!


やっと。
やっと伝わった。
彼は仕事を辞め、長い手紙をくれた。
手紙の最後に「もう手を離さないよ」とあった。
涙が止まらなくなった。


帰ってきた。
私のヒーローが。



彼の41歳の誕生日。子供を親にお願いし、二人でちょっといいお寿司屋に行った。
隣で笑う彼がかっこいいと思って、目を見て「かっこいいよ」と言えた。本心で言えた。そのことが、表へ出て踊り出したいほど嬉しかった。
そんな私に彼は「きれいだよ」と言ってくれた。
私たちはたくさん飲み、たくさん話し、たくさん笑い、
ぎゅーっと腕を組んで家に帰った。





勇輝、ありがとう。
(MIWA)