気づきをくれたのは、彼だった。
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机と椅子の発注をした日の夜、近所のカフェ。
仲良くなったカナダ人の女の子にその話をしていたら、
近くに座っていた初老の男性が話しかけてきた。
それがイダンだった。
イギリスで船舶業を経営する60歳。
一年のうち半分をブッタガヤで過ごし、
自らの立ち上げたソーシャルワーク事業を16年間進めてきたという。
「よかったら、僕のやっていることも見においで」。

早速数日後、イダンが最近手をかけているという村のうちの
1つに連れていってもらった。
オートバイ3人乗り。
不可触民(ハリジャン)の住む村だった。
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村に着くと、スーパーバイザーをしているインド人のカイラシュと、
初めてイダンに会ったとき一緒にいた青年セロが何か報告している。
セロは旅行中になりゆきでイダンを手伝うようになったという。

一緒に井戸に向かう。
井戸のねじが盗まれたかなにかで無くなっていて、水が出なくなっていた。
担当していたらしい村の男性も数人いた。
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F*CKINGを連発しながら烈火のごとく怒るイダン。
もう一度チャンスをください、直します、と
カイラシュが村の男の言葉を英語に訳していた。
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「怒ることが彼の仕事なのかもな」。勇輝がつぶやく。
え?あれ演技なの?
「演技も多少あると思う。インドでことを進めるには」。
そういうものかもしれない。

次に、最近形になってきたという、
農村の未婚女性が裁縫をトレーニングする教室を覗いた。
村で生まれた女性には、人生で選び取れるものが極度に少ない。
服が縫えるようになれば町でお金をつくることもできる。勤めに出ることもできる。
女性としても価値が上がり、結婚のとき父が払うお金(ドーリー)が減る。
結婚相手の選択肢も増える。のだそうだ。
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狭い一室に15人くらいギュウギュウ詰め。
ミシンは2台しかなく、他の女性は新聞紙を切って縫って
洋服のモデルを作っていた。
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みんな真剣(カメラを向けると緊張してしまうのが微笑ましい)。
でも女同士の空間、親密で朗らかな雰囲気が流れている。
農業と家事に追われるだけの毎日にもたらされた学びの場。
それはどれだけ嬉しいものだろうと思う。

手に持ったものを次々に見せてくれる。
私の体に当ててくれる。
これがワンピース!これがズボン!
これは子供のパンツで
ほら見てここにフリルがあって!!
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・・・胸がかあっと熱くなった。
彼女たちの目の中にあったもの。

それは「HOPE」だった!!

なんて美しいんだ!

ソーシャルワークに限らず、
たとえば自分の子でも部下でも友人にでもいい、
人にあげられるものがある。
お金、食べもの、サービス、安全、リラックス・・・。
あらゆるものの中で一番素晴らしく、
一番難しいのが
HOPEをあげることなんじゃないか!!?

ああ、あのキラキラしたHOPE!!!
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帰り道、私はイダンのバイクの後ろで、
胸がいっぱいで、
わーーーー!と叫びだしたくて、
どうしたらいいか分からなくなっていた。




イダンに聞いた。

「なんでこんなことを続けているの?」
「FUN、だな。僕の人生のグル(導師)はダライラマなんだ。
彼に何度も会ってるんだけど、あるときこんな言葉をもらった。
“selfish compassion”(自分勝手な思いやり)。
いいでしょ。」

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「FUNってなにが?」
「チャレンジしていくこと。
長年やってきたけど、常に驚きと怒りの連続。
インド人を充分理解できたなんて思えたことは一度もない。
それでいい。それが楽しいんだ」。

イダンは長い間、すべて自身で活動資金を出してきたという。
よく考えたら、逆に自分の時間やお金を、全部全部
自分や身内に使わなくたっていいんだよな。
それでもって、「これじゃ足りない」「きりがない」でも、それでもいいんだよな。

心の中にずっとあったモヤモヤが、少し晴れた気がする。

根本的には、公立学校の教育の腐敗にメスを入れなくてはならない。
(公立小学校は街にも村にもたくさんあるのだが、
役人と教師が結託し私腹を肥やしている現状があるという。
教師は勝手に休んだり、授業もせず座っているだけで給料をもらい、
登用してくれた役人にキックバックする。どの学校も酷い状態だという)
それでも、ここに子供たちがいるから!と学校を作る人々がいる。
今ここで自分のできることをし始める人々がいる。
それに胸打たれて、机とイスを贈る私たちがいる。
子供たちの目に、未来へのHOPEが1欠片でも増えるといい。
それは私たちのselfish compassionだ。
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どこでもどこの国でも、なんでもいいんじゃないか。
思いつきでも、好きなものだけでもいいんじゃないか。
できること、できる範囲でいいんじゃないか。
掃除を手伝うでもいい、一緒に遊ぶでもいい、手をずっと握っているでもいい。
ああ、と胸打たれたもの、
おお、と引き付けられたもの、
それがあったら、なんでもいいからやったらいいんじゃないか。




イダンが作ったという、村の小学校も見に行った。
村の一角。大きな木の下。
青空教室だった。
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女の子たちが可愛い声で歌をプレゼントしてくれた。
歌が終わるとイダンはお気に入りの?(顔が飛びぬけて可愛い!)子に、
皆の見ている前で指輪をはめてあげた。羨ましそうなまわりの視線!
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これにはド肝を抜かれた。エコヒイキしていいの??!

そして待てよ、と思う。

イダンがどうこうじゃなく、自分の中にあった違和感を俯瞰する。
そこには、ソーシャルワーカーは清い人間でなくては、
完璧に善なる人でなくては、という勝手な思い込みが。
そうだよな。聖人じゃなくてもいいんだ。
っていうか聖人を目指さなくていいんだ。
自分らしい等身大でいい。凡人のままでいい。
可愛い女の子に目がない、それでもいい。
無理しないで、余計なところに力入れないでいいんだ。
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勇輝と話した。
100人の立派なソーシャルワーカーが育つのもいいけど、
100000人が気軽に人助けできる社会になったらいいな。
見慣れていた渋谷のスクランブル交差点の風景が浮かんだ。
「シャカイコウケン?そんな別に特別なことじゃないよ」
そんな言葉が皆から出るような、そんな未来が来たらいい。
それには・・・。
街頭でスピーカーで訴えてもCMを流してもきっとダメだろう。
私たち大人が子供たちに見せられたら。
ちょっとは変わっていくかもしれない。

そんなこと考えながらネット屋に行くと、東京の母からメールが入っていた。
今日はある小学校の式典で、掃除と設営の手伝いに夫婦で行ってきたと。
今日も二人のことを祈っていると。
短いけど明るい、青空のようなメールだった。

私たちもそんな夫婦になろう。

なんだか心が軽くなっていた。

ブッダガヤ、まだ一週間目。
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(MIWA)