イスファハンに着いた日。
列車ではしっかり眠れなかったのでめっちゃ眠く、宿で昼寝をして、3時頃町へ出る。
結構遅くなっちゃったな、と思いつつ歩いていると、謎に商店が軒並み閉まっている。
あまり人も歩いていない。なに?国民の休日?
歩いているうちにポチポチ開き出した。
(あとで分かったのだが、昼間は暑すぎるので、
商店は朝営業して、昼間は休んで、夕方からまた開店する。)
しかしさすがイスファハン。路地を歩いているだけで
モザイク仕立ての屋根やイスラムらしい文様を細工した壁を見て楽しむことができる。
開き出した商店を少し覗いてみるがなんせ余分なお金がない。
私がどうしても欲しくて買ったのが
意図がつかめないプロレスラーのシール(30円)だけだった。
食事処を探すのだが、全然ない。
あるのはサンドイッチ屋ばかり。値段も1つ300円くらいとそんなに安くない。
今日はいいか!と、1軒に入るがかなりボリューミーで中に肉もしっかり入っていて美味しい。
(後に、毎日ケバブかサンドイッチしか食べるものがないと思い知ることになろうとは・・・)
満足して歩きだすと大きな広場に出た。
エマーム広場だ。
中央に大きな噴水があり(イランは噴水の好きな国だと思う。いたるところに噴水がある)、
大きなモスクがあり、周りをぐるりと民芸品や絨毯、骨董が売られるアーケードが取り囲んでいる。
すげーーーー!!!!かっちょいい!
ブラブラと涼しいアーケード内を歩く。
楽しそうな雰囲気にふらりと入ってみた絨毯屋。
そこには気さくなスタッフがおり美味しい紅茶を出してくれた。
雑談していると、その店の若きオーナー、モルテザ氏28歳がやってきた。
結構日本語がうまい。彼は日本には行ったことはないけど、日本語の勉強中だという。
そんな話はどこでも聞くので、とりあえずへーとか言っていると、
彼は毎日勉強しているというテキストを見せてくれた。
うお!漢字を練習している!
宿題の分からないところをちょっと教えてくださいと頼まれる。
その熱心な姿とテキストに書き込まれた下手くそな字に心を奪われてしまった私たち。
結局1時間くらい勉強につきあった。
聞けば明日の朝はイラン人の先生とマンツーマンの日本語レッスンに行くという。
面白そう!見学してもいい?
「ドウゾキテキクダサイ!アサシチジハンモスクニキテクダサイ。」
うっ、早っ。
なんとか起きて待ち合わせ場所へ。
広場の裏の路地を行く。くねくねと土壁の間を歩く。
へえーこうなってるのか。一人で迷い込んだら大変そうだ。
歩く途中でも初めて聞く単語があると立ち止まってノートに書き込むモルテザ。本当に熱心。
先生が到着するまでの間、また会話の練習。
イスファハンはきれいな芝生が多くてくつろぐ場所に困らない。
(※私の顔色は気にしないでください。早起きがつらかっただけです)
彼がビジネスを始める前の話を聞いた。18~19歳の1年間で「ノマド」をしたと。
らくだや羊、やぎをたくさん連れ、イスファハンのまわりの山や村を
転々としながら生活する遊牧民のことらしかった。
10数名のパーティに入れてもらい、乳搾りから寝床作りまで働きながら過ごしたという。
なにそれ!すごく面白そう!で、そのあとは2年間兵役に出ていたという。
私の中で燃え上がっていた不平等感がちょっと薄れた気がした。男もタイヘンなのね・・・。
そんな話を聞いているうちに先生到着。
優しそうな先生、モジタバ氏。
(自己紹介で、文字のモジに花束のタバですと言われなんて素敵!と思った)。
東大で、なんとかサイエンスとかいう難しそうなものを
博士課程とその上(って何?)の5年間学んだという。さすが流暢。
(いかがですか?を教えているところ)
「今日はせっかく特別な先生が来てくれましたから、授業をお願いしましょう」。
えーっ?!
首をぶんぶん振る私たち。
モルテザ初挑戦の単位(量詞)について、いくつかの例を紹介してほしいと言われた。
まず、一番使う「個」でしょ、枚、本、冊、台、匹、杯、・・・うーーん。
どれをピックアップしてよいかでも迷ってしまう。
ボードに書いてそれぞれ説明していく。
紙とか薄いものが枚、ひもとか長いものが本。
1はホンじゃなくポンになる。あ、えーと6も8もポンだ。
3はボンだ。えーと。・・・
動物や魚は匹。あ、でも像とか馬は頭じゃん!
ビールは本。あ、でもそれは瓶の場合で、ジョッキだと杯だ。
・・・・うあーーー!!!日本語って超トリッキー!!!
続けて、「~に」と「~で」の違いを教えてくださいと言われる。
私は、その場所で何かする場合は「で」になる、ととっさに言ったけど、
よく考えたらそうとは限らなかった。
勇輝が目的語云々と説明をして、先生が素晴らしいで説明ですね、と。
さすが文法の鬼。私は得意科目が5教科で国語だけだったので
日本語教えるのは結構イケるハズと思ってたけど、
数学も英語もできる勇輝に負けて放心した。私の得意分野、なし・・・。
使うのと教えるのは違うスキルなのだった。
そんな間も、あっぷあっぷしながら必死にノートを取るモルテザ。
あっという間の1時間半。逆にジャマしたのでは?という感じだったのだが、
ふたりにとても感謝されてレッスンが終了した。
広場にある彼のお店に戻る。
モルテザは年下だし、日本語を話しているときは可愛い少年のようなのだが、
ペルシャ語の他に英語とトルコ語を流暢に話し、フランス語とスペイン語もできる。
そして大きなもので200万円というペルシャ絨毯を売りさばいている。
スゴイお方なのだった。
その後、
ここでやっと問題の核心に触れるが、
私たちは彼と友達になり、彼を信頼し、彼のおかげで9000円の現金をゲットする。
どうやったかは。。。
ヒミツです。
(今ヒジがデスクから落ちた人ごめんなさい!)
なはは・・
とにかく助かった・・・。
引き続き貧乏旅行には変わりないが、
これで万が一何かあったときに対応できるし、デイルにもお土産が買える。
***
これまでに出会った旅人が皆口を揃えて
「イランは良かった。人が優しかった」と。言っていたとおりだった。
道を歩けばすれ違い様でも車の中からも「サラーム!」と手を振ってくれるし、
人なつっこく寄ってきて話しかけてくれる人が多い(ほぼペルシャ語で)。
近寄り難いと思っていた女性たちも、案外フレンドリーだった(写真はほぼNGだが)。
街のシンボルである橋、シウセポールのたもとでアイスを食べていると・・・
ファイナンスを学ぶ大学生に取り囲まれ、ペルシャ語を教えてもらい、
必要な地名をメモ帳に書いてもらった。
そしてなぜか愛してると書いてお金をくれた。気にするな!と。5円相当。
ちなみにシウセポールは夜も美しい。
宿の朝食を包んで、美しい公園でピクニックしていると・・・
ふらりと寄ってきた日本語ペラペラのおっさん(35歳)。
謎に現政権がいかにダメか熱く語り出した。(でもすごく勉強になった。)
さらに観光まで「暇だからいいですよ」と色々連れて歩いてくれた。
これまでの経験で、最後まで警戒が抜けなかったのだが、
彼は私たちが帰るバス停を教えてくれ、一緒に乗り込み途中で「じゃあね!」と
降りていってしまった。ガイド料とかお茶飲みたいとか一言も言わず・・・。
なんてカッコいいんだ。思わず心で叫ぶ。「セザーーーール!!!」
優しいイスファハンの人々。のごく一部。↓
おっさんが多くて恐縮です。
しっかし、イランという国はツンデレである。
旅行者に厳しいんだか優しいんだか。
来て欲しいんだか来てほしくないんだか。
ああん、もう!!!
読めない値札。
読めないメニュー。
読めない標識。
なにこれ! お尻に注意?にんにく禁止?
(答えは数字の5、ですが引き続き意味不明)
まあ、今回のオチとしては、攻めるか守るか、
結局はイラン人の温情に守られた、なんだろうなということ。
私たちはすっかり
イスファハンが大好きになっていた。
食事のバラエティさえもっとあれば・・・!
あと女子の服装が自由になれば。。。
(MIWA)