「もらって当然精神を助長するだけかも・・・」。
新たな壁に直面した僕らは、
その後の数日を得意の悶々状態で過ごした。
HOPEは絶対条件だ、これは間違いない。
でもそれだけでは足りない。
他にある、本質的なポイントは何なんだろう。
時にはまわりの人たちに相談しながら、
僕らは議論を重ねた。
「支援の果実が一過性のものにしないための継続性がポイントなのではないか?」
「いやそれもそうだが支援先の自助努力につながる事だろう。」
「とするとモノをあげるようなハード的支援よりも教育などのソフト的支援が好ましいということか?」
などなど、いずれも、HOPEと同様、
未来につながるという所がポイントに。
(例えばリッチーはジンバブエで始まった農業教育システムの話を、
ケイちゃんは自身で取り組んでいるパーマカルチャー教育の事例を、
共有してくれた)
でも、まだ、ストンと落ちるものではなかった。
何が必要条件で、何が十分条件か、整理もできていない。
たとえばインドで机と椅子をあげた「一時的な」「物質支援」は
それはそれで素晴らしいものだったと思うし。
*
先日学校に行った時の事を思い出す。
放置されていた子供たちがいたので、
近くに落ちていた教科書を手に取り試しに教えて見た。
「農業にまず必要な4要素、それはレイバー、キャピタル、ランド、
そしてマネジメントだ。それぞれ意味は・・・」
なるほどなかなかよくできた教科書だ。
その時の映像、カオス状態が伝わればと。
僕の周りに何人かの子供たちが集まってきて
目を輝かせて一生懸命耳を傾けてきた。
この時の何人かの子供の目が脳裏に焼き付いている。
もっと知りたい!学びたい!
もの凄いパワーを発していた。
彼らの目を思い出したとき、こう思えてきた。
「何がいけねえんだ」。
この子たちに、机でも椅子でも校舎でも、
勉強するのに必要な環境を与えて
どこにマイナス面があるんだ?
頭で理屈をこねくり回す必要はない。
やっぱりHOPEで、いいんだ。
支援の内容がどうだとかは条件ではないんだ。
ただ、そのアクションの持ちうる影響を認識し、
大人達を援助のシャブ漬け(失礼!)にしないための、
工夫が必要なだけじゃないか。
*
そしてその「工夫」へのアイディアをくれたのは、
マヨカのオーナー、キャサリンだった。
ある日僕らはキャサリンにストレートに聞いてみた。
支援には彼らを援助依存にしてしまうという
ネガティブな側面があるのではないか、と。
彼女の答えはシンプルだった。
「毎日のように色々な人が来るけど、
誰にでも支援をしている訳では勿論ないの。
自分で一生懸命努力をしている人。
そしてgenuin(誠実、ホンモノ)である人。
そう思えた人に対しては、
できることを惜しまずやってきたつもり。」
そしてこう続けた。
「あの学校は設立時に少し支援はしたけれど
それ以来9年間一度もお願いに来た事はなかったわ。
自分たちで努力して学校の運営をしてきた。
今回いよいよ生徒が増えすぎて大変、
ということで議題にあがっているのよ。」
僕は、自分が強い先入観を持っていた事に気づかされた。
学校は何かある度に外国人にねだってばかりいて、
白人達は安易に支援をしてきた、
どこかそう思っていた。
でも、学校は地道な努力を続けていたし、
キャサリンは、彼女なりの正義感と基準を持って
アフリカの現実に対して行動をしてた。
そう感じられた時、はっとさせられると共に、
彼ら彼女らに対して親しみの感情を感じていた。
そして、
うだうだ言わずに、
HOPEのために、
正しいと思える相手に、
できる限りでいいから、
工夫をしながら行動しよう。
そう、思った。
*
そしてキャサリンと話をしたその夜。
美和が1つどころか2つ、
「これだ!」と思えるアイディアを思いついた。
色々悩んだ末に何かができそうだという喜びと
よしやるぞ~!という興奮。
それらを同時に感じながら部屋に戻る。
手の先まで血がめぐり脳みそが高速に動き出した。
明日以降のTODOリスト、
それとアウトプットの具体的なイメージが
どんどん湧き出てくる。
久しく忘れていたこの感覚。
あーやっぱオレこういうのが好きだ。
でも酔いしれている時間は無い。
あと5日。
できるか分からないけどやるしかない。
(続く)