南インドで惨敗だったサーフィン的旅行だが
さすがは世界有数のサーフィン天国バリ。
クタ滞在は7日程度でしたが最高のひと時をすごすことができた。
にしても旅行全般に言えることだけど
サーフィンもやっぱり「人」。
バリでもいくつかの出会いにより
楽しいひと時をすごすことができた。
ついて初日の夜12時、ふらりと入り込んだら
ジン&コークをご馳走になったサーフショップの面々。
毎晩集まっては飲むわ歌うわの大盛り上がり、
陽気なバリニーズの雰囲気に初日からいい気分にさせてもらった。
ちなみにみんな結構イケてるのだが
話すと大体日本人の彼女がいる/いた。
バリの空気の下で若くて色黒でサーフィン激うまい彼らと
英語で話しながらホレてしまうコ達がやけに容易に想像できた。
恭介の紹介で3日間お世話になったニョクさん&弟のアリ。
ビーチ真横の激一等地に家を構えるニョクさんは大御所系、
昔日本在住時に六本木荒らしてたらしく「ヤンキー」のタトゥがウケる。
弟のアリにはドライバーとして色々つれてってもらった。
美和はアリとデートしてバリニーズの話、バリヒンドゥの話、
色々聞き出していたけど何とも謙虚で素敵な青年。
ビーチ小屋で出会った塚本さん。
バリ暦19年、ってどんだけな激バリ通やねん、
(紹介頂いたイタリアンUltimoも安くて旨かった!)
とのことで色々お話しているとあのでかぷり夫も高評価の
芝大門「むさしや」のオーナーさんでらっしゃいました。
一緒にいらしたご友人達含めサーフィンめっさ上手いし
とにかく親切に色々教えてくれるし・・・
損得なく若い奴らを世話してくれる「アニキ」、
こういう感じの先輩方が大好きです。ありがとうございました。
(翌日は電話つながらず合流できずすみませんでした)
レギャンとスミニャックの間のビーチで
パラソルレンタルしたニョマン。
一緒に海入って、なんかクールで、優しくて、
子供達もめっさ可愛くて、数年後にまた会いにきたい人。
エアポートレフトをホームグラウンドとするTETSURO。
ご機嫌ライドを連発していたが
らしからぬメタボ気味ったお腹への驚きは隠せなかった。
印象的だったのはローカル達の客との距離感というか立ち位置。
お金を払う/もらうという意味では我々が客で彼らが働く、
なのだが、対等というかフレンドリーな関係に近い。
もっと言えば、媚びない。
お客様は神様的な過剰なサービス精神については
営業マン時代から思いがあったのもあるからか
なんともそれが心地いい。
経済関係がどうであろうと人と人は対等である事、
サービスは提供しても魂やプライドは別のものだという事、
観光客の僕らはお邪魔しているにすぎないという事、
を思い出させてもらった。
この「客と対等」傾向はインドでも見られたが
逆に言えば経済が発展し産業がサービス業にシフトしていくほど
薄れていく傾向があると思う。
成熟したサービス社会においても「僕らは「便宜上」客が神様である
というルールに従った「役を演じている」だけ」(by河野さん)
という感覚を忘れないでいたいと思う。
まあいいや。というか話が反れた、
サーフィンの話がほぼ無いのでちょと書きます。
到着して最初の2日間。
目の前のクタやレギャンビーチはイマ2くらい、
聞いてまわると雨季なので基本東側のポイント、
がいいとのことでスランガンとサヌールをチェック。
が腰程度で不完全燃焼。
どうやら何処行っても波はなかったらしく
同じ宿のサーファー達もがっかりな
かなり波の無いタイミングにあたってしまったよう。
ほろにがいデビューとなりました。
続いて3日目ニョクさんホームグラウンドエアポートレフトで
「カタクライアルヨ」を信じてやったが腰程度、
翌日再度「カタアルヨ」を信じたエアポートレフトは胸、
5日目引き続きエアポートレフト胸肩たまに頭、
この3日間は結構楽しめた。
というか人生初のポイントまでのボートライド
(と透き通ったエメラルドグリーンの海!)
には何気に感動ひとしおでした感謝。
最後2日間はサイズは無いながらもメロウなレギャン北で
ニョマンと一緒にファンサーフ、これもピースで良かった。
がつんと攻めるのもいいけどやっぱ金は節約したいし
リーフ怖いしレギャン近いし。。
まあ1週間しかいなかったけど毎日攻めないくらいが丁度いい
おっさんの歳になったという事実を認めることにします。
海ではポイントはボート乗った先だったり
1人で行ってたりであまり写真が撮れなかったのですが
主にレギャン北から数少ない何枚かを。
僕らの結婚式でもさとしレナのでも撮影してくれた
イッキ先生の貴重なオフショットもあります
(岐部キャメラマンありがとう、うそ臭い出来が好きです)。
ちなみにアキ、美和も1回やったけど6″10のボードで
ガンガン立ってたぞ。
とにかくバリ、ラブ。
きっと必ず絶対また来よう。