きっかけをくれたのは、彼だった。
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ブッダガヤの、いわゆるのバックパッカーエリアで
一泊150ルピー(300円)の宿に泊まり
さまざまな国からの若者と語らったり行動を共にして過ごした3日間。
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現地のインド人たち、物乞いする路上生活者たち、
オレンジの僧衣を着たモンク(僧)たち、
アジア各国からの巡礼の仏教徒たち、若い旅行者たち。
すごいMIX。
なかなか魅力的な町だな、長めに滞在しよう、と思いつつ、
部屋の蚊の多さに堪り兼ねて宿探しに出た。
歩いていると軽く道に迷い、
そこに1人の痩せた男が挨拶をしながらすうっと入ってきた。
自らを「ラマさん」とさんづけで呼ぶ彼を、はじめは
ガイド希望の胡散臭い奴と警戒した。
しかしやけに流暢な日本語、穏やかな笑顔、日本寺で働いているという話から、
なんとなくガードが甘くなり、まあこれも縁と、
知り合いのいるゲストハウスを紹介してもらい、
「明日一緒に村に行きましょう」の
誘いにも軽く乗ってみようというなりゆきになった。

ブッダガヤは、
世界中のソーシャルワーカーが活動する地という予備知識があった。
インドの中でもリッチと言われるゴア州やケララ州を含む南インド
(しかも今思えばビーチリゾートが多かった)を周っている間は
なかなかきっかけが掴めなかったが、
北インド(最貧の街と言われるカルカッタや最貧の州と言われるビハ-ル州)に
突入するにあたり、旅の中での課題の1つであった
「なにか社会貢献的なこと」を心のどこかで意識するようになっていた。

その前に滞在したカルカッタでは、有名な「マザーハウス」に足を運び、
マザーテレサの創設したボランティア活動に参加してみようかと説明会に出席した。
撮影禁止の館内で行われた説明会は、言語によっていくつかのグループに分かれ、
ひときわ大きな50人程の輪が日本人で、大学生だろうか、若い顔が大多数だった。
「数日のつもりが1ヶ月経ってしまった」という青年により、各施設
(有名な「死を待つ人の家」も含む)でのボランティア活動の説明がなされる。
ひととおり聞いたら、シスターによる面談があり、希望の施設を第三希望まで伝え、
配属先が決定するという。しばらく悩んだ結果、私達は申し込まずに帰ってきた。
・・・なぜか。
やるなら1ヶ月くらい腰を据えてきちんと役にたちたい。
と思ったのは確か。
しかし、説明が日本語だったことへの勝手な興ざめや、
なんだか制約が多そうだなあという億劫さ、青年たちのキラキラした目が
直視できないような温度感(若さ?)の違いへの躊躇。
まあ、文にすると大そうなものに聞こえるが、要は心の準備不足。
尻込みと言ってもいいかもしれない。
とにかく私たちは踏み出せないでいた。

ラマさんという現地人に村へ連れて行ってもらえるとなり、
ああもしかしたら村の貧困の現状とか学べるかな、
できたら学校とか連れてってほしいな、と漠然と考えていた。
旅に出る前に仲間達と考えたアイデア「5000円で何ができるだろう」を
なにかやってみるチャンスがあるかもな、とも。

翌日、約束した時間の1時間後、ラマさんは部屋に来た。
「自転車が壊れてしまいました」。
「はいはい(インド人のそういうのはもう慣れっこ笑)」。
3人で出発した。
町の中を横切り、ダライラマが毎年滞在するという
マハラジャと呼ばれる寺院の中を案内される。
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モンスーンの時期には大きな川になるという乾いた砂地を延々歩いていくと
コンクリ2階建ての建物が見えた。
それは小学校だった。
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「RISE UP」と大きく書かれた壁。
中に入ると土曜で休みだったのだが
一番奥の部屋には粗末なベッドが並び、何人かの子供たちがいた。
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笑顔で「HELLO-!」「ナマステー!」と元気に挨拶してくれる。
なになに?遊んでくれる人?と目を輝かせる子供たち。とてもキュンとした。
何枚か写真を撮るとものすごく嬉しそうな様子。
勇輝が「子供達の写真を撮ってプレゼントしたらどうだろう・・・」と呟いている。
責任者なのかそこにいた教師とラマさんが私たちを事務室へ促す。
ここは村の貧しい子供達のための慈善学校で、
親をなくした10人ほどの孤児の家でもあると説明を受ける。なるほど。
勇輝が写真プレゼントのアイデアを言ってみる。
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私は責任者じゃないので分かりませんね。と言った教師がおもむろに取り出した
黄色い冊子。ドネーション(寄付)ペーパーだった。できたらお願いします。
はっとして顔を見合わせる私たち。頭の中の整理がつかない。
そりゃあそうだ、写真よりお金がいい。
ここで数千円ぽんと出すことはやぶさかではない。でもちょっと待ってほしい。
私たちの答えは「また来たい。それから考えたい」。
もちろんオーケーオーケーと笑顔を返しつつ、少し残念そうだった先生とラマさん。

学校をあとにし、3人で村の奥へ向かった。
家々を抜け、たくさんの牛の脇を通り、田んぼの中を通り抜ける。
とても貧しく、でも力強い農村の生活だ。生生しい臭い。
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ボロボロになった服を着た多くの子供達に手を振られ挨拶され、
たまに着いて来られ写真を撮ってと言われお金をせがまれながら歩く。
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頭の中をさまざまな憶測が駆け巡る。ラマさんはなぜ学校に案内したのか?
学校とどういう関係なのだ?純粋な慈悲の心?
寄付をするとラマさんに多少のキックバックが?等々。

黄色いドネーションペーパーを見た瞬間のあのドキリとした感覚。
寄付が嫌だというより、信頼できる団体なのかどうか、
支援したお金は誰の何に使われるのか、
そういう不透明さへの不信感だろう。 …いや、
じゃあかつて自分は「24時間テレビ」に電話したか?
コンビニの募金BOXにお金を入れたか?
単純に、“社会貢献”が遠かったのだ。

社会貢献、というものに対する意識。
どことなく遠さがあったのだ。
どこかに「ソーシャルワーカー」という、ごく一部の限られた、
美しい心と信念を持つ立派な人々がいて、
彼らが自分の金や時間や生活を捧げていると。
「献身」していると。
素晴らしいのだけど、だからこそ、
中途半端や生半可じゃ失礼だと。
数千円の寄付金や半日のボランティア参加で
やった気になるなんて恥ずかしい、と。

そもそも、私に関して言えば、
社会貢献、世界平和、を胸いっぱいに抱えて成長してきた子だった。
大学では法律と平和学、貧困や女性の人権、紛争などの
国際問題を学び、国連職員を目指していた。
アフリカ・セネガルに行ったのも、
国連で有用なフランス語の習得に懸命になっていた時期であり、
アフリカの女性の家事労働、教育の不十分さをこの目で見るためであった。
当時の私の目はキラキラしていた。
世の中からあらゆる苦しみを無くしたいと真剣だった。
そして苦しかった。
セネガルの女性達はなんて不幸なんだ。
どうして世の中はこうなんだ。
もっともっと。力が足りない。と。
その後さまざまな挫折と選択があって民間企業へ就職し、
営業マンとして仕事をしながら、そういった問題意識、
なにか行動することについて、冷静に客観視している自分がいた。
よく言えば大人になった、悪く言えば冷めてしまった。
世界中で起こってる問題なんて政治経済宗教文化がこんがらがって
簡単にほどけない。勉強不足で何も語れない。
今は自分と自分のまわりを幸せにするので精一杯だよ、と。
でも勇輝と出会ってから、いつか、死ぬまでに、自分なりのやり方で
社会や世界に向き合い何かを取り組みたいとは思うようになっていた。
特に子供や女性や青年の教育に関わる何か。
でもそれは、もっと真剣に勉強したうえで、もっとお金を貯めたうえで、
すべてをそこに捧げる覚悟ができたうえで、のことだと漠然と考えていた。

私は昔からどちらかというとそういう考え方が嫌いじゃなかった。
なにかを掴むまでは次に進めない。
すべての準備が整わないと始められない。
(一人前になるまで結婚できない、みたいな。)
一本、びしっと筋を通したいという美意識というか頑固さというか。
けれど振り返ってみれば、そういう時は大体動き出せずにうじうじして終わる。
自分の掲げた美意識に縛られて一歩も動けずに何も生み出さずに終わる。
(踏み出せなかったとしてもその後なかなかいい経験もあって、
まあこういうことかと納得できたりするものなのだが。
結局行動するのとしないのどっちが逃げだったのかなどと考えると
収拾がつかなくなるので忘れることにする。)
つまり一本、通すような筋なんて持ち合わせてないのに、
そんな鍛錬積んできてないのに、
なにをどこに通すっていうのだ、という話だったりする。
未知なるやってみたいことは、なんであろうと、
やってみると決めてから、
すべてが変わりだす。動き出す。
そしてその新しい変化は、
動く前に描けた想像の範疇を軽々超えている。
きっとそういうものなのだ。

まあとにかく、頭の中でそんな自虐的懐古含む理屈をうにうにこねくり回そうと、
心から喜んで寄付をする気にはならなかった。

20分ほどでスジャータテンプルと呼ばれる場所に着いた。
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その裏手、大きな木の下にこぢんまりとした祠がありった。
ここはブッダが苦行の末痩せ衰え、苦行で幸せは得られないと悟り下山したとき、
この村のスジャータという娘がミルク粥を供養したという逸話のある場所だ。
(コーヒーミルクのスジャータというネーミングもこの話からきているらしい)
祠には痩せたブッダと美しい娘と牛の像が祀られていた。
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水を飲み、少し木陰で休んだ。
ブッダガヤ。ありえないくらい暑い。
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(MIWA)