結果的には「机と椅子をあげてみよう」
の影にすっかり隠れてしまったのだが、
実はもう1つ、小学校へ実施した施策がある。

写真を撮ってプレゼントしてみよう

というものだ。
村に住む人々の大半は月の収入300ルピー以下と聞く。
そもそもカメラを持っていないし
1枚5ルピー(10円)のプリント代も決して安くない。
実際家に遊びに行くと随分大昔の写真、
主に誕生日や結婚式などの行事のもの、
が大切に保管されていたりする。

↓ラマさんの家の奥から出てきたもの。インド的七五三?
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1人1人をしっかり撮ってあげて、
それをプレゼントしたら喜ぶのではないか。
しかもそれは自分だけが写っているもの。
自尊心が満たされ、生きる、勉強する、
モチベーションになるのではないか。
そう考えた。

これは、友人達と考えた
「5,000円で何ができるだろう」企画の第2弾。
飲み会1回分お金は何を生み出せるのか。
今回は5ルピー×200人としても1,000ルピー、
諸々入れても3,000円もあれば足りるだろう。

*
*
プラモドや先生達と相談して撮影の時間をもらう。
甘く見ていたが2つの校舎で合計200人近くの
生徒の撮影は結構大変だった。
光の関係で炎天下での撮影、
1度撮った子からの「僕をもう1度撮って」攻撃の嵐、
欠席生徒のための度重なる撮影。
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ビシっとポーズを決めてくる子、
じっとしていられずブレてしまう子、
「ハソーッ!(ヒンディーで「笑って」)」
何度言っても断固として笑ってくれない子、
ピースサイン(何故か指3本)で
どうしても顔が隠れてしまう子。
子供達との共同作業は
いつも愛らしい驚きや発見でいっぱいだ。
ちょっと多いけどいっぱい載せます。
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できあがった写真を勇んで子供達に渡しに行く。
どんな反応だろう。
喜んでくれるだろうか。

先生が「これから写真を配るよ」と伝えると
歓声があがり大興奮だ。
1枚1枚写真を見せ、1人1人に配っていく。
次は僕のかな?私のはまだ?と興奮する子、
とにかくがっついて他人のものももらおうをする子、
恥ずかしそうにもらって行く子、
反応は色々だったがみんなとても喜んでる!
僕らは大満足で写真を配ったのだった。
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*
*
大成功に思えたこの写真をあげよう企画だったが
ちょっとしたわだかまりを感じていた。
美和に話すと彼女も同じようなことを感じていた。

写真は未来の何かにつながったのだろうか?

確かに喜んでくれた。
後日ロッカーやかばんの中に
大切に保管してある写真を
わざわざ見せてくれた子が何人もいた。
嬉しかった。
でも、極端な話、お金やお菓子をあげても
彼ら彼女ら喜んでくれただろう。
それと写真では、何か大きな違いはあったのだろうか?
一時的な喜びをあげただけだったのではないか?
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また、写真をあげた事により
子供達(や周りの大人たちも)の行動に
少し変化があらわれた。
写真を撮ると「フォト、ギブ?」
現像してもらえると期待して頂戴頂戴と
言ってくる回数があきらかに多くなったのだ。
喜びをあげられたどころか
次にツーリストが来てカメラを向けられる度に
ギブミーを連発するようにしてしまったのではないか?

実はサッカーボールもプレゼントしたのだが
似たようなわだかまりを感じていた。

サッカーが好きだという子供達、
でも学校にボールは無いと聞いた。
自分自身もそうだったが、
スポーツを通じて子供達は色々な事を学べる、
そう思いボールをプレゼントした(約300円)。
当然子供達は喜んでくれた。

でもすぐさま教室の中で遊びだした。
これでは逆に勉強の妨げになるかもしれない。
学校がボールを与えていない理由があったのに
無視して勝手なことをしてしまったのかもしれない。
何のためにボールをあげたんだろう?

*
*
子供達は、かわいい。
それはそれは、かわいい。
だからモノをあげたくなる。
喜ぶ顔を見たい、好きになってもらいたい。

それは否定するものではないと思う。
そういいのさ、selfish conpassionで。
でも1つ、モノをあげるときに
絶対に意識しなければならないこと、
それは「子供達の未来」だと、
今回確信するに至った。

写真にしてもボールにしても、
もしかしたらお金にしても、
ただあげるだけでなく
それが未来につながるために
必要な事をすべきだと思う。
それは時にメッセージを伝える事、
そして何より伝え続ける事だったりする。

サッカーボールに関して言えば、
毎日、幾分過ごしやすくなる夕暮れ時、
僕は一生懸命彼らと遊んだ。
「ノープレイインザルーム!」
「ドントユーズハンド!」
「パス!パス!ファインドユアチームメイト!」
何回も何回も叫んだ。
何度言っても聞かない子供達には
大声で怒鳴り背中をバシっとひっぱたいた。
(子供をぶん殴れない教師が可哀想だと思った)

たった数日でも、伝え続けると変化は出てくる。
ハンドした子に対して僕を見ながら怒り出す子供達。
前はボールを持つと1人でドリブルしていたのに
パスでつなぐ喜びを覚え楽しそうな子供達。
そうだ、彼らの頭も身体も未来も全部、
まだまだ真っ白で、どうにでも変化していけるんだ。
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写真もそう。
なにかをもらったらサンキューとお礼を言うこと、
ギブミーギブミーではなくて感謝すること、
ものは大切にすること。
一生懸命伝えた。

伝えた事が正しかったかどうかは分からない。
正しく伝わったかどうかも、分からない。
けれどモノをあげるという行為を通じて
僕らと彼らの間に新たなコミュニケーションが生まれた事、
それにより彼らが新たな体験をした事、それは事実だ。
写真、サッカーボール、机と椅子をプレゼントする。
たった、たったそれだけのことでも、
僕らは子供達の未来に対して責任があるんだ。
そんな当たり前のことを、今回肌で感じさせてもらった。

ちょっとのほろ苦さを感じたこの企画だったが、
最後は僕らなりの納得感を持って受け入れる事ができた。

ああ。
結局僕らは、また彼らから教えてもらってしまったようだ。