スカーフと貞操
イランという国について、考えていた。自分の中で「オトシドコロ」が分からない。納得ができない。どうもずっとモヤモヤしている。女性に定められた服装、ヘジャブは実際に身体に応えるだけでなく私をそういう苦しめ方さえした。
規則が厳しければ、必ず破る勢力も出る。学校の校則を思い出さずにはおれない。実際痴漢も多い。男子校
なんで法律でそれを定めるのさ。プリンセスプリンセスの「ダイヤモンド」が何度も頭の中で流れた。「好きな服を着てるだけ~」って、それさえも叶わないってヒドイ!(それにしてもあの曲の歌詞の意味なさ加減。今頃気づいた・・・)
いろんな人に話を聞いた。女性にも、男性にも。
30年前は、女性達はスカーフをしていなかった、街のあちこちにバーがあって、誰もが酒を飲めたと。イランの通貨リヤルが強くて、日本人も出稼ぎに来ていたほどだったと。イラン革命ですべてが変わり、でも徐々に緩みかけていた規制が近年の選挙でまたぎゅっと引き締められ、今日にいたるのだと。
男子も兵役があると知って、酒も(闇で入手しないと)飲めないし、風俗もないし、ああ、なんだ、男子も大変なのか。とちょっと気がまぎれた。というか、国中の女性が真っ黒な布で覆われてちゃ、男性だって可哀相、かもしれないな。
不平等感。フェアじゃない。それってなに??ギブアンドテイク。等価交換。完全にフェアな世の中。出た!
UAEのシャルジャ空港に着いた。さすがの暑さ。イランと5度は違うだろう。Tシャツに熱風を受けながら、久々の開放感を存分に味わう。でもどこか違和感があった。なんか、急に裸で歩いてるみたいで恥ずかしい・・・。街に出るバスに乗り込む。最前列に2席×両サイド分、女性専用の席が設けられていた。自然にそこに乗り込む。走り出したバスが停車するたび次々に男性が乗ってくる。程なくぎゅうぎゅうの満員になったバスは、私を除いて全員が男だった。外国人だから、なんだろうけど皆の視線が刺さるように感じた。逆サイド2席の女性用座席には男性が座ったが、私は自分の隣1席の上に置いたバックパックをどけることができなかった。意地が悪いとは思いつつ、できなかった。後ろに座っている勇輝に声をかけ、隣に来てもらおうかとも思ったがそれも嫌だった。さらに、私は何を思ったか、スカーフを取り出した。あれだけ嫌だったそれを、頭にかぶり、うなじと横顔が見えないようにした。
音速で大陸を一気にまたぐと、こういうおかしな感覚になることがあるんだ。止まっちゃってるエスカレーターを階段としてのぼるような。気持ち悪い、おぼつかない、オカシナ感覚。脳だけが何かを覚えていて、その何かが手足をうまく動かさない、というような。私はUAEの男性の距離感が嫌だったのだ。それば微妙に、ほんの少しだけイランより近い、くらいの違いだったのだろうけど、やめて来ないで見ないでと拒絶する何かが自分の中にあった。残っていた。
※ひさびさのガールズトーク投稿は、
皆さんの期待に反してちょっと重めのイラン回顧です。

「ありえない・・・・」

「ありえない・・・・」

テヘラン空港を出てから、私はずっとぶつぶつ言っていた。
ずっと眉間に苦々しい皺が寄っていた。


情報収集不足で知らなかった私が悪いとはいえ、
これはひどすぎると、憤りがつのっていくばかりだった。
首を流れる汗の粒とワキ汗(※密かに女子にワキ汗を流行らせようとしています)、
「ありえない・・・」というつぶやきはずっと止まらなかった。

肌を出しちゃだめ=長袖、
身体のラインを出しちゃだめ=丈の長いゆったりした上着、
髪や首元を出しちゃだめ=スカーフ、
くるぶし見えちゃだめ、サンダルもだめ、
婚前交渉もだめ、飲酒はもちろんだめ、
自転車に乗るのもだめ、競技場でのサッカー観戦もだめ・・・。


これが家でのしつけならいいでしょう。
「好ましくないとされている」っていう文化・風習でもいいでしょう。
ありえないのは、それが国の法律で定められてるってとこだ。



(当然ショッピングも盛り上がらない。心なしかマネキンもオラオラ顔)

(映画やTVドラマも、女優が肌を出せないので設定が難しそうだった。
ボンドガールも峰フジコも無理。キスシーンもラブシーンも無理。
男性が主人公のシリアス物やコメディが多かった。製作側も大変だな。)

(広場にあった無料のレンタサイクルサービス。私は女だから借りられなかった)



ホセインさん一家と過ごす。

外出のとき、4歳のマエデは肌も髪も出したままなのに対し、
9歳のファテメは長袖を着、スカーフをかぶる。
ホセインさんに聞くと、定められた服装、「ヘジャブ」は9歳からだという。
ファテメはこの先の人生、スカーフを手放せないのかと勝手に暗い気持ちになる。
なぜ9歳からかと聞いたら、昔のイスラム法で婚姻は女子は9歳から、
つまり9歳から少女は<女>とみなされていたためだと。
当時は多妻を持つ男性も多かったが、今は婚姻も18歳からになり、
複数の妻を取るのは相当のお金持ちだけだし、それには本妻の承諾が必要となったという。
(まあ、お金持ちの中には内緒で若い子を囲ってる男も多いけどね・・・と。)


なんだよそれぇー。と思った。

イスラムの教えとか法とか言うけど、結局、
男の都合のいいように女を扱っているだけじゃないか、と。
もっと言えば、男のあらゆるフェチズム満載じゃないかって。
若くて誰の手垢もついていない処女を妻にして、
外出時は他の男に顔も肌も見せないようにして、
自分だけのものっていう満足感を得て、
自分は、他にも女を作ってよくて。
女の人生は、男への貢物か!って。
チキショーーーーー!


気持ちが収まらなくて街を歩いている若いギャルたちに
どう思ってるのか聞き回った。
「私たちも大嫌い」
「暑くて倒れそう」
「こんなの脱ぎたい」
「政治家がバカなの」
「旅行者なのに、ごめんね」


そうだよね、そうだよね。
よかった。やっぱそうだよね。
いや、こちらこそごめん。
私はこの国を出れば済むわけだから。
あんたたちはずっとだもんね。
おしゃれしたいよね。

女子の最大の楽しみとも言っていいおしゃれ、ファッション。
これが奪われる絶望感ったらないと思う。

でも、どっかの国みたいにすべての情報が遮断・操作されているなら
まだ幸せなんだと思う。
(国はそうしたいのだろうが)イランには情報は入ってくる。
正規ルートのものなら映画も雑誌も広告もスカーフ姿の女性しか出てないが、
たとえば街には海賊DVDが出回っていて、数十円で買える。

そこには、肌をあらわにし、さまざまなヘアスタイルの女性が登場する。
映画には、ロマンチックもしくは過激なラブシーンもある。
ネットにはユーチューブやツイッターはじめ様々規制がかかっているが、
まあ結局なんだって見れてしまう。
こういう刺激がありながら、自分はできない、というのは苦しいことだと思った。

(シールにもファッションへの憧れが見てとれる)


毎日炎天下を歩きながら、
プリンセスプリンセスの「ダイヤモンド」が何度も頭の中でリフレインする。
「好きな服を着てるだけ~悪いことしてないよ~」
のん気な歌である。
好きな服着てるだけで、ポリスに捕まるよお~。
切実である。

 

 

イランはまるで、校則の厳しい高校みたいだと思った。
でも、どんな厳格なお嬢様女子高でも、
規則が厳しければ厳しいほど、破りたくなる。
実際、トンでる女性たちはスカーフをできるだけ後ろにずらし、
盛りに盛った金髪の前髪を輝かせていた。
化粧も(もとの顔が派手なのに)バキバキで、
コートはわざとタイトなものを選び、
ぎゅっとベルトをしめてくびれを演出していた。
警察がいたらサッとスカーフを深めにし、ベルトをゆるめるのだという。
(規則を破る方向性がなぜか一律ヤンキー方面なのは面白かった。)
また男性たちに関しても、男子校を思い出させた。
禁じられれば禁じられるほど、男子は女子が気になる。
それが思春期である。
実際、地下鉄の女性車両と男性車両の連結部分から
男性たちの刺すような視線の束が熱を帯びていて恐かった。
人ごみでの痴漢行為も多いという。
でも本当の女子高・男子校は、オトナになれば開放されるのだからいいけど、
イランではこの高校から出られない。
風紀が乱れるという理由で、自分たちの良識に任せてもらえない、
いつまでたっても信用してもらえない、ってのも悲しいなと思った。

(ホセインさんとファザネの結婚記念写真。顔見えん!)

(こんなに美しいのに、限られた人にしか公開できないとは・・・)



イランに着いてから1週間ほど、
私はずっとイライラ、モヤモヤしていた。
ひどい顔をしていた。
ヘジャブを身にまとうことの暑さと煩わしさ、
何で男は自由なのに女だけ?!っていう理不尽、不平等への憤り、
それでもこの国で生きていかねばならない女性達への同情、
あと・・・でも、でも、
このままの感情で帰るのは嫌だという気持ち。
なんとかしてこのヘジャブのいい所も見つけたくて、
少しでもいいから自分の中で認めたいという気持ち。
(この時点で1つ。「太っててもばれない。」しか思いつかなかった)

 

なんとも日本人的発想かもしれないが、
自分の中で「オトシドコロ」がほしかったのだ。


道を歩きながら、
バスの中で、地下鉄の中で、バザールの喧騒で、

私はじっと考え込んでいた。

 


続く。
(MIWA)