ある日僕らは、マヨカビレッジのオーナー、
キャサリンにお願いして近隣の小学校を訪問した。
せっかく好きになったカタベイ、
また何か5,000円プロジェクトを実行できないかと
思ったのだ。
チカレ小学校
この学校は公立学校で教科書などは
政府から支給されているようだが、
不足分を地域の個人有志によるコミュニティが補う
いわば半官半民といった形で運営されており、
キャサリンはコミュニティの一員として
マヨカの働き手を無償提供し教室の建設などを手伝ってきている。
この日は土曜で授業はなく、
キャサリンや校長先生に色々話を聞いてみた。
目下の課題は生徒の数に対して教室と先生が足りない事、
そのためにコミュニティでお金を工面している所だと言う。
5,000円を寄付したら喜ばれるだろうし、
何かの時にはと資金援助を申し出てくれている友人も数人いる。
せっかくの縁だしマヨカとつながっていけるというメリットもあるし、
ここはシンプルに寄付というのも一案かもしれない。
ただ、うまくいったとしても新校舎の完成は半年後、
見届けることはできない。
それにこれが足りないですと言われ、
ハイそうですかとお金を渡すというのにも、
どこか抵抗があった。
とりあえず授業の様子を見てみて
何ができるかを考えてみよう、そう考えた。
その日はマヨカの大工チームから数名来ており
雨季に壊れてしまった階段の修復作業をしていた。
せっかくなので僕も手伝わせてもらった
セメントづくりにレンガの組み立て、めっさアナログだけどちゃんと階段はできる、勉強になります。
翌月曜日、教室をのぞいた僕らは、
その迫力に最初声が出ないほど圧倒されてしまった。
言っていた通り、凄い数の子供たちだ。
近隣の子どもを中心に在籍なんと900人超
それに対して先生は6人しかいない。
先生1人に対しての生徒数は政府の推奨60人に対して100人超。
やんちゃ盛りの年頃の子供たち、とにかく授業の体をなしていないクラスが多い
一部体をなしていたクラスもあったのはよかった(進学テストを控えた年長クラス)
翌日も学校へ足を運んだが、
とにかくこの学校には校舎と先生が必要だという事は確信できた。
時には生徒をほったらかしにしている先生もいて
教育の質にも恐らく課題はあるのだろうが、
他に学校がある訳でもないし、
子供たちを思うと深刻な課題だ。
*
その夜、宿に戻り美和とどうするか相談したが、
寄付以外の妙案がなかなか思いつかない。
子供たちを見て情も出てなんとかしたいと焦る美和に対し、
僕の頭にはユウコちゃんケイちゃんの言葉がよぎっていた。
「もらって当然」精神
ここで寄付をするという事は
どういう意味を持つのだろう。
自分で努力せずに援助を待つようなアフリカンを生み出す、
「長い支援の歴史」のレールに乗るだけ、
という事にならないか。
ケイちゃんはこんな事も言っていた。
「援助して援助してとねだってるばかりの人達も、
興味のある事は自分たちだけでも進めていたりする。
例えば雑貨屋とか半年に1つは新しくできている。
やればできるのに、助けてもらえるという思いが、
彼らを怠けさせてしまう事もある。
だから、誰を、どのように支援するのかが、とても重要だ。」
誰を、どのように。
納得できる考えを僕は持っていなかった。
(たとえば彼らには僕らはなにができるのだろう)
*
僕は自問してみた。
「インドのブッダガヤで椅子と机をあげた事と、
今回寄付する事は、本質的に何が違うのだろう?」
下さいと言ってきた人に寄付するのはNGで
こちらから提案したらOK?
最後まで見届けられることが重要?
でもそれらは支援側の自己満足でしかなくないか?
インドで掴んだHOPEというキーワード。
HOPEにつながるのであれば
細かい事はどうだっていいという確信が、
それ以来僕らを突き動かしてくれていた。
でも、僕は分からなくなっていた。
新たなチャレンジに直面していた。
例えHOPEにつながったとしても、
支援することの持ちうるネガティブな側面を知った今、
それに対する自身の納得感なしには
動けなくなってしまっていたのだ。
カタベイ滞在も長くなってきたので、
翌週のフェリーで次の町へ行こうと丁度決めたところ。
あと1週間。
直面した課題はとても深いしまだまだ旅は続く、
ここで無理して何かしなくてもと、
僕は半ばあきらめていた。
(続く)