幸いに被災をしなかった、
とりわけ余震の恐怖も停電の不便も買いだめの混乱も実感していない
私のような遠く離れた場所にいる者は、
毎日を、今を、一秒一秒をどう過ごしたらいいのだろう。


何かできることはないか。

そう思い
被災地への直接的な方法は自分にできることをやろう。
と動き出した。その一方で。

私は立ち尽くすような感覚があった。


何をしていても、ある瞬間ふっと
被災した方々の困難が浮かぶ。

それは津波でめちゃくちゃになった街だったり、
火の海と化した街だったり、
避難所で震える老人の顔だったり、
それらは恐らくニュースの映像のフラッシュバック。
はたまた大地震や津波の恐怖を、もし自分がそこに居たらと妄想したものだったり。

それらの像が頭に広がると、
私は手が止まり、息が詰まり、
たくさんのマイナスの感情が全身を覆い尽くした。

地震が起こってしまったやり場のない悔しさや、
多くの無垢な尊い命が失われた無念や、

先祖代々の墓、柱の傷、建てたばかりの誇らしい家、写真や手紙、
そういうたくさんの宝物たちが二度と戻らない悲しみや、
政府やらマスコミやら心ない人々への怒りや。

私がこんな想いを持っても何もならない、誰も喜ばない、
そう思って気を取り直すのだけど

美味しい食事を作っても、美しいものを見ても、大好きなビールを飲んでも、
どこかで「被災地の人はこんな状況じゃないんだよな」とか
「こんな楽しんでる場合じゃないよな」とか後ろめたく感じてしまったりもした。



ある朝ベッドの中で、
突然まぶたの裏に
サハラの砂漠の民の姿が浮かんできた。

目も開けられないような猛烈な砂嵐の中、列をつくり淡々と進む姿。
その日キャラバンに初参加した5歳の少年がいようと、
アンラッキーを嘆くでもない。
歳を取ったらくだが倒れようと、
何を、誰を恨むわけでもない。
「マクトゥーブ(それは書かれていた)」
「インシャーラ(神がそれを望むなら)」
ただ、自然の猛威に辛抱強く耐え、前に一歩、着実に進む。
それが彼らの哲学だからだ。
この世で一番強いのは自然だと。

この世界で一番強いのは自然。
でも、
だとしても、
人間は「負けない」生き物。

辛抱強く、知恵を使い、明日を生きるもの。

キャラバン隊が進んでくる。
ターバンの隙間から、まっすぐな瞳が見える。


進むのだ。

私たちは、それでも進むのだろう。

今日という平凡で輝いた日を。
自分自身の人生を。

被災地の現場で、東京で、
日本の人々の「負けない」姿が浮かんだ。
科学でも技術でもかなわない相手に打ちのめされて、
でも這い上がる、復興を始める人間たちの姿が。


立ち止まってる場合か。
私は私の今日を生きなくては。
私の今日をまっとうしなくては。



それで、大きく息を吸って、
よしと心を決めました。
前に進むことにしました。


明日の日本につながることをしよう。


仕事も、子育ても、まさにそうだと思う。
未来の日本にまっすぐつながっている。

私は、いつか日本の役に立てるように、
力をつけよう。自分を磨こう。強くなろう。
それで、人間らしく泣いたり笑ったり恋をしたりしながら
自分を創っていこう。明日のために。

勉強を始めようと思う。
さしあたって、スペイン語と農業だ。

被災地を思って手が止まるんじゃなく、
被災地を思うからこそ、腕まくりするような。
いつも出ない勇気とパワーを出して頑張るのだ。そうだ。


チリの皆さんにたくさんの元気と勇気をもらい、
そのビデオに対してのたくさんのコメントやメールで、またパワーと気づきと癒しと感動をもらい、
(もう、ほんと、関係ないのに元気づけられてばっかり)
すごくすごく嬉しかったです、皆さんありがとう。


未来は、まさに今から、今日から、
皆で作っていくんだね。
ここから私も、手をつながせてもらいます。


一緒に、明日の日本をもっとよくしよう。強くしよう。

大きな大きなhugとともに。


(MIWA)