ずっとずっと、ブログが書けなくて、いろいろな人に「待ってるよ」と言っていただきました。
ごめんなさい。私はどうしても書けなかった。
自分の胸の中の、本当のことを書くには痛々しすぎる、そんな日々が続いていたからです。
でも、何か月、いや何年ぶりでしょうか。やっと、やっと書きました。
いま、縁してくださったすべての人に伝えたい気持ちです。ありがとう。
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月が太ってきた。
満月まであと1日。
君は口笛を吹いている。
私は微笑みながら深呼吸する。
君の身体をまあるくさすりながら。
「もうすぐ会えるね」。
おなかの中で3㎏をゆうに超えた、
私の赤ちゃん。
ここまでくるまで、
長かった。
長いようで短かった、じゃなくて、
本当に長かった。
だって私はもう何年も前から、
君のことばかり考えていたような気がするから。
***
どれだけの、何リットルの涙を
流してきただろう。
最初は、2012年の冬。
世界一周から帰ってちょうど一年、
書籍『ソーシャルトラベル』の制作も大詰めの頃だった。
すぐにできると思っていた赤ちゃんができない。
東北復興新聞の立ち上げから書籍執筆と怒涛の日々を送っていたから
まあ仕方ないかと思いつつも、私は焦り、そして気が付いた。
そもそも、排卵と受精の正確な仕組みを分かっていなかった。
基礎体温って何? 卵子ってそんな短時間しか生きられないの?
聞いてない。高校の保健体育では避妊しか習わなかった。
当然に与えられると思っていたGIFTがもらえない。
私と勇輝に、子供ができないなんて。
裏切られた気がして、私は地団太を踏み、天命を恨んだ。
「なるようになる自信」「天に導かれる感覚」
旅の途中からずっと聞こえてた、大いなる力の声。
それが、はたと気づいたら、聞こえなくなっていた。
当然だ。信じなくなったのだから。
不妊治療を始めた。
ネットや本で知識をつけながら
恐ろしい世界に入り込んでしまったと感じた。
専門用語ばかりでよくわからない。
ネットのチャットルームには私より若い女性たちがうようよいて、
クリニックや治療法や鍼灸や漢方やマカの話をしていた。
病院選びに失敗したのか、私の性格に不妊治療が合わないのか。
まったく成果が出ず、
いわゆる3ステップの最初の2つは、ただただ
私を弱らせるだけのものになった。
タイミング法を数か月。医者の態度に傷つき行かなくなり、
女医さんの医院に変えて、人工授精を数か月。
受付の態度に我慢できなくなり、また行くのをやめた。
このころから、変な癖がついてしまった。
「ちょうど青信号になったら」「手袋の左右が当たったら」
…きっと赤ちゃんができる。
毎日、無意識に何十回も繰り返す、小さな願掛け。
(その癖はいまだに抜けないでいる。)
でも、何度願をかけようが
無情にも生理はやってきた。
月に一度しかないチャンス。
トイレで一人、ぼろぼろ泣いた。
約一年。
今思えば、まったくの遠回り。
要らない苦労だったと思う。
その間に私はどんどん傷つき、どんどん笑えなくなっていった。
街で見かける妊婦さんや赤ちゃんにも、
始めは目を細めていたけど
次第に見るのが辛くなり、避けるようにさえなった。
そんな状態だから、子供がいる友人には相談できず、
かと言って未婚の友人にも相談できず、
私は自分の内へ内へとこもっていった。
一番辛かったのは、友人たちの妊娠や出産に
「おめでとう!」と笑えなかったことだ。
あるとき、大好きな仲間たちが久々に集合する機会があって
結婚したての1カップル以外、全員赤ちゃんがいた。
苦労してやっとできた子も何人かいたし、どれだけ素晴らしいことか、
心から祝福したかったのに。私は赤ちゃんを抱くこともできなかった。
頑張って頑張って笑顔をつくって、何話してるのか分からなくなって、
ああ、だめだ、と思って帰った。
勇輝と手をつなぎ、とぼとぼ歩きながら、
人目をはばからず声を出して泣いた。
羨ましかった。羨ましくて仕方なかった。
あんな風にママになりたかった。
勇輝も皆のように、父親にさせてあげたかった。
そう、一番苦しめてきた相手は勇輝だ。
誰にも言えない辛さは、勇輝に受け止めてもらうしかなかった。
どんなときでも話をきき、向き合い続けてくれた。
病院にもよく一緒に来てくれたし、ドクターに抗議してくれたこともあった。
私が絶望した時はいつでも、絶対に絶対にできるからと励ましてくれた。
それから、たくさん悩んで話し合った末、養子縁組里親の講習を受け
申請も出した(ご縁はまわってこなかったけども)。
でも時がすぎ、私がどんどんボロボロになっていたある日。
もうだめだ、もう嫌だと、狂ったように感情をぶちまけた。
勇輝はそのとき静かに、涙を流しながら言ったんだ
「俺は美和がいれば幸せだから。子供もいなくたっていいんだよ」
悲しくて切ない、でも愛しかない風景。
私は一生忘れないと思う。
それから、悩んでいることを少しずつ人に話すようにしてみた。
そしたら意外に同じ悩みを抱える人も結構いて、
子を持つ友人たちも親身になってくれて、
ふわっと視界が広がり深呼吸ができるようになった。
2冊目の本、『3years』が完成して、春がきた。
私たちは体外受精に取り組み始めた。
一度目の移植では、卵は成長をやめてしまったけど
二度目の移植で、卵はぷくぷく分裂し、私の子宮にくっついてくれた。
嬉しかった。本当に本当に嬉しかった。
すれ違う全ての人に言いたいほどだった。
でもすぐに、それに勝ってしまうほどの、
大きな大きな怖さが襲ってきた。
命ができた瞬間に生まれた、失う怖さだった。
心音が聞こえなかったらどうしよう、
流産してしまったらどうしよう、
これまでの傷が痛すぎて、これ以上の悲しみが来たら
自分がどうなってしまうのか、
二度と立ち直れないんじゃないかと
怖くて仕方なかった。
間もなくうだるような夏が来て、
重いつわりで何も食べられず、
一日中うつぶせになって汗をだらだら流しながら
泣いてばかりいた。
このぺこぺこのおなかが大きくふくらんで
無事に出産までこぎつける、その自信がどうしても持てなかった。
それから湘南の家も、新宿の事務所も、実家も、
どこへ行っても音がうるさく感じてすごく嫌だった。
ここではないどこか、静かな所へ行きたいと祈っていた。
秋が来て、勇輝がインドに行き、
私は一人旅に出た。
能登半島と、京都。
京都は弟に来てもらって一緒に過ごした。
弟が先に帰った翌日、盲腸で担ぎ込まれ手術をした。
CTに全身麻酔に、虫垂の破裂。私は絶望してボロボロ泣いた。
帰国翌日の勇輝は仙台から新幹線を乗り継いで駆けつけてくれた。
手術のあと。
ひとつの変化が生まれた。
君の声というか、心というかが伝わってきたんだ。
(勝手な思い込みかもしれないのは百も承知で)
そしたら、君は口笛を吹いていたんだ。
「だいじょうぶだよ、へっちゃらだよ」って。
どんな検査をしても、
本当に君は元気いっぱいだった。
そして私は知った。
この子は最初っから生まれる気満々で、
この世界を絶対見てやろうって思ってて、
それでいろんな力を味方につけて手術もうまくやって。
(実際、不思議すぎるラッキーがいくつも重なった)
それに性格は私じゃなく勇輝に似ていて、
全然くよくよメソメソしないのだった。
むしろ頭をなでられているのは私の方、そんな気さえした。
私は、泣くのをやめた。
代わりに、信じることにした。
程なく、君の身体の動きが分かるようになって、
心強さは増していった。
美味しいものを食べているとき、あったかいお風呂に入っているとき
勇輝と一緒にいて安心してるとき、君は嬉しそうにごろんと動いた。
でも一番激しく反応するのは、私の魂に対してなのだった。
私が本来の私らしく、笑ったり夢中になったり、張り切ったりすると
すごくすごく喜んでくれた。
自分の心にまっすぐ向き合う、逃げない、ごまかさない、
君に見ててもらいながら、私は少しずつリハビリをしていたのかもしれない。
たくさん泣いて、じたばたして、
苦しい1年半だった。
こんなに思い通りにならないことが
今までの人生であっただろうかと思った。
38歳になってしまったことを悔やみ、
あんなに最高だった世界一周の旅さえ、
行かなければよかったと、出発のときはまだ33歳だったのにと、
そんなことさえ思ってしまったほど。
思い通りにならない。
でもそれが命というもの、つまり自然なのに。
自然を前には、謙虚になるしかないのに。
祈るしか、信じるしか。
でも君はきてくれた。
一年前でも三年前でもなく、
いまの、この私たちの、もとへ。
今までの人生を後悔などしなくていいのだと、
ここから、前を向いて歩いて行けばいいと、
そして、これから素敵なことがたくさん待っているんだと、
そう、君が与えてくれたものは
HOPEだった。
君は、もしかして
ぜんぶ知ってて、待っててくれたのだろうか。
それは、既に書かれていたのだろうか。
***
月が太ってきた。
満月まであと1日。
いわゆる予定日というやつはもう過ぎた。
けれど君は、月と星と潮を感じながら、
よしと思ったときに誕生してくるのだろう。
きっともうすぐ。
不安はない。お産への怖さは…少ししかない。
きっと大丈夫だ。
今私を包んでいるエネルギーは今、
とてもあたたかくて強いから。
何と表現したらいいのだろう。
君が出てくる、この季節が持つ独特の雰囲気。
冬が終わり春がやってくる、
きっと訪れる何かの素敵な予兆を感じさせる
空や香りや風や光。
くすぐったくて、眩しくて、
泣きたくなるような感覚。
命の息吹と、鮮やかな色彩と、膨らむ希望。
そんな、ただでさえワクワクする時期に
君はやってきて、私は、母というものになろうとしている。
これから始まるまったく未知なステージに、
何が待っているのか、どんな景色が見られるのか、
自分がどう変わっていくのか、想像ができなすぎて
世界一周の出発前よりもずっとワクワクしているんだ。
もうひとつ。間もなく君を抱き止めるこの両手は、
大きくて強い愛に満たされている。
まず君のお父さん。今までで一番大きな愛でいっぱいで、
私の、大好きで大好きで大好きな人。
私たちはね、君が男だろうと女だろうと、どんな君であろうと
その命を、魂を、ぜんぶ受け止める。
たくさんの時間をかけていっぱい話をして、そう決めたんだ。
そして、私たちの周りを、輪を描くように包み込みながら
ようこそ!と君を迎えてくれるたくさんの人がいる。
嬉しいね。早く会いたいね。
Welcome to the World.
きれいなものばかりじゃない。EasyやFunばかりじゃない。
むしろ汚いものの方が多いかもしれない。
そんな、この世界だけど、
見せかけではない本物の
美しいものを探しに行こう。
頭を垂れる稲穂に、漁師の手のひらに、インドの村の生活に。
いったい、君は何を見るだろう。
さあ、おいで。
素晴らしい君よ。
冒険を始めよう。
(MIWA)