(※インド合宿「Don’t think, Feel India!」は、引き続き賛参加者募集中です。
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レンソイスのとある夜。
カシャーサが1杯100円で飲める雰囲気の良いバーで、
現地の若者たちと知り合った。
女性が切り盛りするかわいらしい店だった。
これでも町唯一の繁華街。石畳の細い道に机と椅子が並べられる。
彼らはツアー会社に勤める20代のガイドたち。
感じが良くて、いつも笑っていて、気持ちの良い若者達だった。
その中の1人、イスラエルとのハーフと言うアラナが言った。
「ガイドの仕事は疲れるしペイも良くないけれど、
この町と近隣の自然を心から愛しているからここにいる。
サルバドールやサンパウロ、刺激やお金を求めて出て行った仲間も、
結局みんな帰ってきた。きっと一生ここに住み続けるわ。」
誇らしげにそう言っていたのが印象的だった。
(もちろん、「誰もが誰もを知っている」という小さなコミュニティの、
心地よさと同時にある煩わしさについても言及していたけど。)
確かに、ここは本当に素敵な町だった。
夜少し出歩けば毎日同じメンバーに出会うくらい小さな町で、
(というかドドとは毎日3回くらいばったり会った)
石造りの町並みは雰囲気があるし、
子供がいっぱいで平和な空気が流れていて、
ツアーで行く国立公園まで行かなくても10-20分歩けば
見たこと無いようなキレイな自然が広がっている。
僕らは、居心地の良いこの小さな町に、心から魅了されたのだった。
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ところ変わって、こちら同じくバイーア州、イタカレ。
レンソイスの次に訪れたサーフタウンだ。
キレイなビーチとレゲエ&サーフカルチャー、
町全体をつつむ何とも言えないメロウな雰囲気。
町も自然も人も、とにかく全部いい。
ここもまた、僕らが完全に大ファンになった最高の小さな町だった。
ある日、町から少し離れたサーフポイントで出会ったのが、ファビオ。
帰りのバスが来ないのでヒッチハイクを試みていたところ、
ちょうど海からあがってきた彼に車で送ってもらう事になったのだ。
車で話していたらなんとも良い印象だったので、
その夜「働いている」と言うピザ屋に遊びに行ってみた。
(一緒に飲もうぜと言ったらホントに飲みだしたので
逆に大丈夫かと聞いたらオーナーという事が判明した。
最初からオーナーとひけらかさない感じが彼の人柄を表している)
(てか店のピザが驚くほど美味かった。サンパウロは世界有数にピザが旨いと胸を張る店員くん)
「サンパウロの銀行で15年働いていたけど、
サーフィンと柔術修行のために3年前からイタカレに住み始めたんだ。
いろいろ見たけど、ここはブラジルで一番の場所だと思う。」
サンパウロはとても良い場所だと言いつつも、
忙しないペースで一生暮らし続けるのは性に合わず、
レイドバックな空気と自然の中で生きていこうと決めたそうだ。
(ちなみに彼はまだ30歳。ブラジルでは高等教育へ進まずに、
12-3歳から働き始めるケースも一般的だと聞いて驚いた。
そしてつまり彼は完全なたたき上げで今の生活を勝ち取った訳で、
色んな意味でスゴい男だと感嘆した。)
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バイーア州の2つの小さな町で出会った若者達に垣間見た、
小さな町での生活、そして人生。
ブエノスで感じた都市生活と対をなして、
東京生まれヒップホップ育ち(ではない)の僕に、
帰国後の居住地は「やっぱり東京」と無意識に決めていた僕に、
「都市と地方」という新たなトピックを与えてくれた。
あまりに大きなトピックでとても語り尽くせるものでは無いし、
「ファック都市生活、地方サイコー」という話でも無い。
ただ、効率重視に高スピードでまわり続ける都市と、地方とは、
あるバランスを保って対にある存在である
という視点を持つようになった、とここでは書いておきたい。
単純化して書けば、
都市が息苦しい生活の代償に富を得、それによって地方がうるおっていたり、
逆に地方はゆるやかな生活の代償に都市から負の資産を押し付けられていたり、
例えばそういうバランスが存在しているのだと思う。
どちらか一つの論点を取り出して甲乙を判断するというより、
このバランス(直接的には例えば富や資源の偏り)の最適値=理想を、
都市も地方も一体となった一つの社会の構成員として、
しっかり考えていきたい、そう思った。
僕らは、将来の保障は無いにせよ、何処に住むも何をするにも、
選択肢を持っている非常に幸運な境遇にあるのだから。
心底愛する自身の生きる場所を見つけた彼らへの、
少しの羨望と敬意とともに。