(めちゃくちゃ面白かった30代前半。
でも、35歳というのは、なんというか「そう来るか・・」とか
「いや、ちょ、ちょっと待て」とか、まだ覚悟がないというか
誕生日を迎えるまでは正直、嫌だったのです。

下降線をたどるもの(※ボディとか運動神経とか)
上昇線をたどるもの(※シミとかシワとか白髪とか)
が怖かったのかもしれませぬ。

でも、誕生日を迎えてみたら、
意外に新しい気持ちになったので、それを書こうと思います。)

 




35歳になった。

 

たとえば中学の頃、高校の頃、
想像ができていただろうか。自分の35歳を。


毎年1つずつ歳を取る、それは当たり前のことなのに、

まさか自分が35歳になることなんて想像できていなかった。
あったのは、なんだかよくわからないけど、いつか大人になるという
キラキラしたイメージ。
そこに描かれていた大人の自分は、ぼやっとしているのだけど、
健康で、恋をしていて、笑っていた。

 

それはもちろん子供だったから、なのだが、
もしかしたら結構健全なことなのかもしれないと
今、改めて思うのだ。

 

 

その通りになるならないは関係なく、
社会に出てからというもの、私の未来の絵は妙にくっきりしていた気がする。
概ね「予測」と「理想」をイメージ化したものだったのだけど、
時に、それは絶望的ニュアンスを含んでいて、
時に、それは諦めのニュアンスを含んでいた。
そのときに思考の頭につけていた決まり文句は
「きっとこのままいけば……」だった。

 

面白いことに、今、私は
1年後、3年後、5年後の自分をうまく思い描くことができない。
ぼやっとしか見えない。
そしてこの感覚を気に入っている。

 

中高生の頃なんとなく描いていた、
「健康で、恋をしていて、笑っている」自分は、
叶っていて、ここにいる。
だから、今私がぼやーっと持っている
「健康で、家族と色んな人と一緒に、笑っている」イメージも、
きっと叶うのだろうと、
そして、その他のことは、
これから0からどんなことでもいかようにも創れるのだと
とても自由で、勇敢な気持ちがする。
(もちろん弱気になる日も多多ありましょうけど)。


たぶんそれはこういうことだろうと思う。
これまでは歳を取るにつれ、
する理由やしない理由、「理由」が幅を効かせてきたけど、
35歳になった今、自分の中で「直感」がにわかに脚光を浴びているから。
“なんだかわからないこと”は、怖がるものじゃなく
敬意を払うべきものだと思うから。

 

 

そういえば高校生の頃、未来に関して描いたもう1つのことがあった。
ある尊敬する女性(当時たしか40代)がこう言っていた。
「20代で学び、30代で行動し、40代で一花咲かせる。
さらに50代で行動し、60代でもう一花咲かせる」。
これが彼女のビジョンだと。
(※ここで言う一花咲かすは、世のため人のために事を為すという意)

私は・・・まだ学びの途中で、35歳になってしまった。
それじゃ、こうしよう。
「30代めいっぱい学び、40代で行動し、50代で一花咲かせる」。
・・できるかしら。
まあ、自信はなくても、意欲とHOPEはあるから、
誕生日にちなんだ決意表明ってことで、
ここに書いておきます。

 

 

最後に、
35年前、私をこの世界に誕生させてくれた
父と母、
ありがとう。
私と出会い一緒にいてくれるみなさん、
ありがとう。
私はとっても幸せです。

(MIWA)

 

 

今年の誕生日はコロンビアのメデジンで迎えました。

日付が変わるカウントダウンは、
ひょんなことから知り合った色んな国の若者と。

ちょうど、前日が誕生日の子と、今日の私と、
明日誕生日の子がその場にいあわせたのだ。


公園で飲もうぜーーってなって


なんだか楽しくて、もちろん飲むのは強~いアグアリデンテ(テキーラみたいの)で、


気づいたらこんなんなってて、

 


なんとか帰宅、でも 私はこんなことになって、


勇輝なんてこんなに(ホームステイ先の女の子になぜか膝枕を・・)なっていた。

 

誕生日の当日はステイ先のファミリーと。


私たちが夕飯(日本食)を作ってたら、部屋を風船で飾りつけしてくれてた。


なんと娘さんからプレゼントも!


なんと手作りのケーキまで!(頭にしてるのがもらったプレゼント)


そのあとこんな感じになり


「いっせーのせ」ゲームで順位にあわせ飲むという泥仕合になり


こんな結末に(裸で駆け回るという奇行)。。。。

なははー!