タクシーに揺られること30分。
ガヤ駅についた。
もうすぐ電車が来て、7時間でコルカタについて、
明日の昼前のフライトでインドを出る。
疲れ果てていて、一刻も早くこの過酷な国から脱出したい、、、。
大好きなインドだけど、正直そんな気持ちでいっぱいだった。
しかし、そんな僕らを待ち受けていたのは、
列車5時間ディレイという、残酷な現実だった。
駅のホームは人であふれ、すごいことになっている。
ここで5時間。過ごすしか無い。
ヘトヘトだった。
心身ともに疲れ切っていて、2人の間で会話もほとんどない。
かろうじて横になれそうな場所を探し、
床に倒れ込んだ。
(左:手前に美和。右:まじ、イっちゃってます。。。)
その後のことは語りたくありません。
5時間遅れのはずの列車は結局6時間遅れでガヤ駅に到着し、
やばいフライト時間すら危うくなってきたと焦りだすが、
乗った後も列車は遅々として進まない。
この世の終わりのような顔で心配し、
時間が過ぎるにつれ絶望の涙を流し始めた妻を前に、
辛く切ない時間を過ごした。
そしてコルカタに到着。
30分で空港に着けば間に合うかもしれない。
一縷の望みをかけ重い荷物を背負いながら全力で走り、
タクシーに乗り込んで1分後、
ハウラー橋が、渡ろうとするタクシーで埋め尽くされていた光景に絶望。
結局、駅の1km圏内で1時間分過ごし、フライト出発時間を車内で迎えた。
絶望のどん底に突き落とされた妻は、
同乗していた旅行者にまったく構わず、大粒の涙を流し続けた。
ハラハラと、はらはらと。。。
*****
という本人達には全く笑えない、
辛い辛い結末が待っていたインド合宿 。
随分長いシリーズとなりましたが、しっかりまとめなければなりません。
とその前に、1つ追加で報告です。
僕らがインドを去った数日後、キョウとタクから1枚の写真が送られて来ました。
彼らがつくった木の下学校の、開校式の様子でした。
(しかも僕らが渡したブログ読者の方のカメラで、ラジェッシュが撮影したもの!)
無事に教師も見つかり、生徒も100名以上集まったとのこと。
すげー、すげーよキョウ、タク!
写真を見て僕らが大興奮だったのは言うまでもありません。
(この学校は現在も運営を続けております)
まとめに戻ります。
今回、そもそも合宿という形で参加者を募ったのは、
僕らがソーシャルトラベルを通して感動してきたこと、
楽しんできたこと、学んできたこと、
それらを他の人と共有したいという思いからでした。
だから、色々考えたけれど、
合宿の意義や価値を評価できるのは僕らではない。
合宿を終えて、彼ら彼女らが何を感じているのか、
それこそが、この答えだ。という結論に至りました。
実は彼らには、合宿を終えて、というエッセイの提出をお願いしていました。
これを読み、僕らとしても、この合宿の成功を誇りとともに確信できました。
エッセイの公開をもって、合宿のまとめとしたいと思います。
一問一答形式にしてくれたり、MYワールド炸裂だったり、ドキュメンタリー風にしたり。
各自の色を出しながらも、合宿で何を感じ、何を得たのか、
さらに幸せや人生とは?といった テーマまで、
本当に、本当に素晴らしい文章です。。
各自渾身の文章なので、かなーり長いですが、
最後の最後まで、是非とも読んでみてください。
僕らの旅の集大成であるこの合宿、
そしてソーシャルトラベルという旅について、
何か感じて頂けると思います。
最後になりますが、ブログを読み、また、
物資や資金の面で応援を頂いた皆様へ、
心からの感謝をお伝えしたいです。
本当にありがとうございました。
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かすみ 「First abroad, first India!」
私がインドに来た理由、それは世界を見てみたかったからです。
そしてこの合宿に参加した理由は、本当に”たまたま”誘われたからです。
でもなぜ参加を決意したかというと、、、
自分の殻を破りたかったから?
もっと自分の可能性を広げたかったから?
世界を知ってる人と話がしてみたかったから?
どれも当てはまるようなそうでもないような。
とにかく最初は偶然ここに流されてきた感覚でした。
そして、インドから帰ってきた今、ちょっと日本を見る目が変わったような、
日常がいつもより輝いているような不思議な感じです。
合宿全体を通じての THE BEST MOMENTS
ニランジャナスクールでのペイントされた壁を見た時の衝撃!
アーティストってすごいなっていうのと、
こういう形のボランティアもあるんだなっていうのと、
こんな教室で授業が受けられてうらやましいなっていうのと、
自分がなんでここにいるんだろうっていうのとか。
もうたくさんの感情や考えが一気にあふれてきて、
言葉に表すのが難しいけどただただ感動しました。
テレビで見るような世界が目の前にあることに。
参加してみて自分の中で起こった変化
当たり前なんて存在しない。っていうことを知ったことかな?
世界観が変わったって言えばいいんでしょうか。
私は日本に生まれて当たり前に生活していて、
道路はどこまでも舗装されているし、蛇口をひねればお湯は出るし、
トイレは安心して使えるし、夜はベッドで寝る、 動物は基本動物園、
それが当たり前。 日本では当たり前。
画面や活字を通せば世界を知れるとも思ってた。
けどいざ現実を目の当たりにしてみると全然違う。
いかに自分がちっぽけで、世界が広いかを知ることができた。
2週間インドにいただけでこんなにも自分の存在を再認識できると思いませんでした。
参加時の期待や目論見は、終わってみて結果達成されたか
私、英語なんて話せないし、周りに小さい子いないし
小学生の相手なんてできるかなって不安だらけだったんですけど、
たくさんの方に支えてもらい、こどもも本当にかわいくて
授業の方は個人的に大満足です。
プロジェクトの方は、今でも私って何かしたかな?;
って思うんですが、この企画に参加させてもらえただけで
私にとっては意味のあるものだったと思います。
心に残った現地の人とのやりとりや会話
バプナガール村に行くときに、
ミタレスさんのバイクの後ろに またがっていろんな話をしている時のこと。
「”ミタレス”っていう名前はすごく私には難しいです」 というと、
「ヒンディー語だもんね。でもゆっくりゆっくり覚えればいいよ。
毎日声に出して話せばそのうち覚えてくるよ」
と言われたのがすごく印象的でした。
インド人って心が広いなって思うのと同時に、
「これくらいも覚えきれないのか?」としょっちゅう怒られてた自分を思い出して、
豊かな心ってこうやって育まれるのかぁ。と思いました。
社会貢献という行為について、考えたこと、自身の信じる判断基準など
今まで私はお金だけをぽーんと出すことにあまり好感をもてなかったんですけど、
ビームスクールを訪問させてもらった時に、そういう考えはなくなりました。
それは”なんでもある”ことが当たり前に生活していたからだと思います。
何もないところにひとつの学校ができるということは
その村の人にとってとても大きなことだと思います。
あと、制服を親がすごく喜ぶっていうのもすごく印象的でした。
なので私はその、、、
困っている人に本当に必要なものを 支援することが大切なんじゃないかと思います。
0を1にするようなことが私の中では社会貢献の判断基準として持っていたいです。
「幸せ」や「人生」「希望」などについて、合宿期間中および終了後に考えたこと
けんごさんも言ってましたけど、なにが幸せなんだろう
ってことを改めて考えさせられました。
貧しい村に行っても、子どもたちはみんな笑顔で迎えてくれるし、
おじいさんだって手振ってくれる。 今までいろんなことを考えすぎてたなって思いました。
他人の視線がどうとか、噂話がどうとか。
そんな時に、もっと楽しく生きたいって思いました。
私には私っていう自分の人生があって、
それを楽しく生きる権利があるんだってことを見つけだすことができました。
私は今とても幸せです。
どこの国にもそれなりの問題はかかえているし、
なにがあって、なにがなければ幸せなんて私にはわかりません。
でも、生きてるときっといいことありますよね。って思いました。
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ウメ 「MY INDIA」
正直、合宿中の一瞬一瞬がどれもBEST MOMENTで、
振り返る度に色々な思い出が蘇りますが、私個人としてのモーメントを。。。
それは、最終日らへんにニランジャナ近くの道を歩いていて、
ひとりの男の子が「UME!」と声をかけてくれた瞬間です。
RISE UPの男の子なんだけれど、私の名前を覚えててくれて、
しかも学外で呼んでくれたことがすごく嬉しかったー!
それまで「ウメ」の覚えにくさに内心どうしよう・・・と思っていたから、
心にぱーっと蓮の花が咲いた瞬間でした。笑
授業を通してか、お話を通してかは分かりませんが、
自分の名前が男の子の心に残ったことが感動的でした。
参加してみて自分の中で起こった変化
私はずっと自分の将来(大学卒業後)について悩んでいました。
自分がやりたいことの不透明さと、その目的と結果がリンクせず、
ずっとモヤモヤモヤしていました。
が!なんと、この合宿に参加してそれが晴れたように思います。
私は、この合宿で子供たちに「学ぶ」ことの楽しさや大切さを
伝えていきたいと思いました。
卒業後の身の振り方はまだ考え中ですが、
将来的にはたくろうさんやキョウさんがやったように
まだ学校もないような村に学べる環境をつくりたいし、
そこで先生もやりたい・・・!
自分がかじってきた、建築とアートと文化を活かせそうな
やりたいことが見えてきたことがすごく大きな第一歩です。
そのために動き続けることが決定しました。
光が見えてマンモスうれぴー。
参加時の期待や目論見は終わってみて結果達成されたか
正直、参加時の一番大きな目的は勇輝さんと美和さんにお会いすることでした。笑
その目的は達成されたことはおろか、 貴重な経験をさせてもらえて、
もっと大きなものを得ました。
インドがブッダガヤが大好きになりました!
心に残った現地の人とのやりとりや会話
フェスティバルが終わって、 カイラシュさんやドクターが
あいさつに来てくれたときに、ドクターにフェスティバルで
子供たちへの名札付けを 手伝ってもらったことの感謝の気持ちを込めて、
「Thank you for your help!!」と言ったら
あのクールドクターがかぶせ気味で
「Thank you for your help!!!」 と興奮しながら言ってくれて
何度も何度も強く握手してくれたことが嬉しかったです。
うわー自分の気持ちを伝えることってすごく大事なんだなって改めて実感して、
合宿で皆さんが教えてくれたことがここにあるなーって気がしました。
それともうひとつ、バプナガール村の人たちがフェスティバルをやることで、
手伝ってくれたり、お話したり、一緒にご飯食べたり、
ふざけ合ったりしてもっともっと身近な距離になれたことが嬉しかったです。
社会貢献という行為について、考えたこと、自身の信じる判断基準など
フェスティバルの時に ある男の子と仲良くなって、
帰り道に偶然会ったのでお別れのあいさつがしたくて
おいでおいでのジェスチャーをしました。
だけど、男の子は笑顔で首を横に振りました。
その時に「あー変えてはいけないんだなー」ということを実感しました。
どれだけ私たちがよくしようとしてやっていることでも、
所詮は外国人の他人で、部外者で、いつかはいなくなる存在。
そんな私たちがすべてをやってあげることは間違いで、
その基礎をつくって、ある程度のことは任せる見守る
というスタンスが大事なのではないかと改めて思いました。
「幸せ」や「人生」「希望」などについて、合宿期間中および終了後に考えたこと
幸せって本当に人それぞれですね!
インド人はほとんどの人が自国が大好きで、自分のことが幸せだと言います。
マニラ空港で会ったフィリピン人の女の子で、
これからカナダに行くという子に、 カナダとフィリピンどっちが好きか尋ねました。
その子の答えはフィリピン。理由を聞くと、「home」と言われました。
それを聞いた瞬間に、あーこれだな。と感じました。
自分の国が好きで、家族が好き、だから幸せで、
それに付随してくるうんぬんは幸せを計る基準の枠外なんだなーと。
それと、もうひとつ。
値切りまくった後にインド人が呆れながら毎回聞く「Are you happy?」という質問。
笑顔でYESと答えると必ず帰ってくる、 君が幸せなら私も幸せというデフォフレーズ。笑
宗教上の考えなのかはわかりませんが、インド人、良い奴だなーーー
あと、ちょこっと希望についてですが、
わたしの当初のフェスティバルを行う目的は、
村人たちが、日本にも友達がいるぜ!っていう希望を持ってくれることでした。
そう思ってくれる人が一人でもいたら嬉しいなー。
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キョウ
みわさんとゆうきさんが話し合い
⇒ みわさんからウメスミ
⇒ みわさんからたくきょう
⇒ ウメスミ ウメスミからのありがとう
が、the best moment。
みんなのつながり全員が何かを感じた moment かなと
参加してみて自分の中で起こった変化
無変化。又は、変化に気づかない自分。
今までの自分にはなかった一面を見ました。
参加時の期待や目論見は終わってみて結果達成されたか
課題は山ほどありましたが、この合宿に参加できて本当によかったです。
心に残った現地の人とのやりとりや会話
フェスの中で村の若者に親友は誰?と聞いて
いまはあなたと答えられたこと。
結婚についての話で、親の理想の結婚が自分の理想の結婚と言う人もいれば
親の結婚により自分の人生がストップしたと親を恨む人がいたこと。
「幸せ」や「人生」「希望」などについて、合宿期間中および終了後に考えたこと
幸せは、人によりかわる抽象的な言葉。
人の心の場所次第 長期的な幸せは人との関わりの中でのみ生まれると思います。
人生について。人は生きるために生きていると考えていますが
食料が豊富にある今、楽しむために生きるべきかなと。
希望について。僕は人は希望ではなく意志で動き、
絶望ではなく諦めで動きを止めると考えています。
なので希望とは意志かなと。
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タク 「FEEL INDIA 僕らの8日間戦争2011 出会い ~座禅だよ全員集合!」
いやいや、マジ最高最強の合宿でしたよ。本当に。
勇輝さん美和さんが悩みに悩み、考えに考えた結果の合宿(?) だったので
全く押し付けのない、ピュアな感じのする8日間でした。
だから僕なりに色々考えたし、頑張れた合宿でした。
このエッセイの始めに改めて、どうもありがとうございました。
合宿を振り返って
さてさて、合宿。
今振り返っても中身の濃い、有意義なものにすることができました。
なんたってRISEUPで授業をする傍ら、 フェスティバルをしミシンを買って、
井戸を作り、 学校のない村に学校をスタートさせた。
これを1週間でやっちゃったんだから、すごいとしかいいようがないですよ!!
始まるまでの僕は こんな充実感を期待していなかったし、
終わった時こんなに感動するとは正直思わなかったです。
そもそも僕の目的もブッダガヤのソーシャルワークがどうこうではなく、
自分に新しい風を取り入れることだったんですから。
それが毎日活動したり、授業したりすることによって
無意識的に自分が変わっていったと思います。
合宿終わっても残りたいと思ったように、
これから受け取るであろう(ラジェッシュたちからの)レポートが今から楽しみなように。
これは自分の中の何かが変わったというより、
引き込まれていったという方が正しいのかな。
現地ソーシャルワーカーたちとチームみんなの情熱に。
学校をつくろうプロジェクト
僕たちが見学に行った先の一つ、BEEM SCHOOLは
日本の大学生が資金提供したということで大いに感動したと同時に、
学校を作ろうプロジェクトは間違ってないと
僕に確信させるものでもありました。
なぜならBEAM SCHOOLに学ぶ生徒は皆真剣で、
定員をオーバーしているのに学びたいとやってくる。
制服の支給だけで(日本では当たり前すぎることなのに!!)泣いて喜ぶ。
マンジャーハ村にできる学校は制服はおろか、校舎すらまだないけれど、
いつか絶対BEAMみたいな学校になるよう協力していきたい。
特に僕は24日に行った時、村人たちの期待と喜びに満ちたオーラをひしひしと感じた。
ただ行って説明しただけでこうなんだから、
ノートとか黒板配って授業始ったらどんなんになるんだろう!
なんと希望に満ち溢れた空間だろうか。
始まってからも色々問題が起きるだろうと思う。
もしかしたら長くは続かないかもしれない。しかしそういう1つ1つが経験となり、
ラジェッシュ、カピル、ビジェイ達を成長させるのであれば(きっとそうだが)、
マンジャーハで始まったプロジェクトただの学校にとどまらず、
ブッダガヤ全体を変えていく種になりうる。
今は苦しい。お金もない。目の前で子供が死んでも何もできない。
しかしだからやらなければならないし、止まってはいけないと思う。
そしてサポートする側、つまり僕たちにも彼ら同様断固たる決意が必要だ。
僕たちがしてきたことは何だったのか
RISEUPの授業をして考えた事がある。
確か勇輝さんかプラモドが言った(あれ全然別の人だったっけ?シッダールタ?)、
ボランティアや僕たち一見さん(?)に対して言った、
「ただそこにいてくれればいい、一緒に遊ぶ、何か絵を描く、
それだけでも十分なんだ」ということ。
子供たちは僕たちを激烈ウェルカムしてくれ、
身を乗り出して授業を聞き、折り紙で作った名札をいつまでも大切に、
そして誇らしげに自慢してきた。
子供たちに教育を与えるだけが学校の目的ではない。
彼らは全てのものを吸収し、成長していっているのだ。
僕たちと過ごしている一瞬一秒も。
難しく考える必要なんて全くなかった。
僕らにできるのは「モノやカネをあげること」だけではないのだから。
フェスティバルについてはもう、ホント、
「いやそれ無理でっせ!」って言葉が出かかっていた、とゆーか少し出てた。
しかし結果はどうだろう?大成功に終わりミシンが買えたということにとどまらず、
そこからベネディクトやフランシスカと繋がった。
相手や貧しい村を想い、行動を起こす。
たとえそれが一瞬で終わるものでも長期的なものでも、
その思想を土台とする行動はよい循環や影響を与えるのだとまさに証明された。
奇跡ではない。必然だったと思う。
(いやでもマジすごいよ梅ちゃんかすみちゃんけんごさん!!度肝抜かれましたよ。)
NGO経験をふまえて、社会貢献について
実際にNGOで働いている経験もあり、
支援を必要とする村や子供たちを見ても
そこまで衝撃やショックを受けることはなかったけれど、
今回はさらに1歩足を踏み込んだ感じで
いかにその活動が過酷なものであるかを知りました。
NGOの活動ももちろん積極的に取り組んでいるけど、
超大手NGOということもあり資金、人材また物資面で大きく違います。
井戸1つ作ると言っても書類にサインして済むのと
お金やスケジュールをやりくりするのとではワケが違います。
特に資金面で厳しいながらも必死に頑張っている
現地ソーシャルワーカーたちと一緒に活動することによって
今まで「なんとなく」見てきたもの、深く考えなくてよかった事、
やり過ごしてきた数々を再考するきっかけになりました。
例えば「ソーシャルワーキング」という言葉。
一体なんやねん。
シンプルに、恵まれない生活環境にいる人々の生活を改善すること?
教育の機会を与える?物質的に豊かな生活をおくれるようにする?
では彼らは不幸なのか?どん底の状態で生活しているのか?
生まれた環境を心底恨んでいるのか?
そこに僕らが持ち込むものは100パーセント「善」なのか?
ハッキリとした答えはまだ、ない。
ただ今回見てきたもの、それを元に今ここに書いてきた感想は
間違いないと信じている。
例えばお金の必要性。これはもう言い訳無用。必要です。
ただ、「あげる」ことが全てじゃないと知った今、
皆ができるソーシャルワークの幅は無限に広がったと思う。
お金がある人は積極的に使えばいい、むしろそうして下さい。
ただそうでない人は一緒に遊んだり、話したりするという方法だって
十分立派なソーシャルワーキングだ。
また今回の活動を通してソーシャルワーキングの「現実」と
「そこには必ず人がいる」ということを学んだ。
先にも言ったけど、行動していると必ず輪ができるのだ。
そして人々は支えあい、目標に向かって行く。
シッダールタも、何度ももうダメだと思うことがあったと言っていたけれど
本当にそうだろうと思う。僕がラジェッシュだったら、
「いやいや、子供の事もあるし、他の人のことなんて知らんっつーの。」
ってなると思う。
人間の根っこにある、利他の精神
最終日、彼ら(ラジェッシュ・カピル・ビジェイ)とご飯を食べビールを飲んだあの数時間、
彼らの表情のなんと美しいこと!
理屈じゃなく、損得勘定じゃなく、自己満足でもない「何か」が
彼らをそうさせているとしたら。
それは彼らが特別にもっているものではなく、人間誰もが本来持っている、
でも底辺にあり過ぎて見えにくい、人としての根本の部分なんじゃないかと僕は思う。
それを彼らはまだ強く感じることができているだけなのかもしれない。
僕らはどうだろうか?
僕の答えは自信をもって、「僕らも彼らと同じ、持っている」だ。
東日本大震災後、皆が一致団結して助けあったように、
そこに何の迷いや疑問を持たなかったように。
それが証明しているように思う。
それは今を生きる僕らにとってキッカケが必要だったり、
いちいち考えないと見えないものになってしまったのかもしれないけれど。
しかし僕らも、みんなも持っているもの。
それが僕らとインドで出会った全ての人を繋げ、
あれだけのことが達成できたのだ。
今回の合宿を通して、強く、そう思う。
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ケンゴ 「世界の中心は世界中にある」~My Selfish Compassionを求めて~
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プロローグ ~はじまりはじまり~
2011年9月16日23時頃
『Rahul Guest House』
タクシーの中からこの文字を捉えた瞬間の安堵感は忘れられない。
着いたー!
先に到着していた仲間が3階のベランダから身を乗り出し、
「Welcome! ケンゴ♪」と手を振っている。
バックパック+ボストンバック+スーツケースという最強トリオを引き連れながらも
思わずホテルの階段を一気に駆け上がった。
扉を開けみんなと合流した瞬間、勇輝と美和ちゃんが抱きついてきた。
まさに「ひげとボイン」を体感したこの合宿を通じてのThe Best Momentsの1つだ。
振り返ればデリー空港からホテルまでのタクシーの中、
30分程走った後に不安が的中したドライバーの「I have no idea.」発言に始まり、
バラナシで瞬く間に「勝手にガイド団」が結成された事、
駅に着いた事を知らせる気がない電車で過ごす底知れぬ不安。
その全てを吹き飛ばすに十分なみんなの温かい出迎えからこの合宿がスタートした。
そう、今僕はインドにいるのだ。
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幸せな人生って何だ?
当たり前だが「幸せ」は主観的なものである以上、客観的な比較は難しい。
単純化すると僕にとっての幸せな人生とは「豊かである事」である。
例えば精神的に、例えば物質的に、例えば人や社会との繋がり、コミュニケーション
であったり、人に感謝する機会、人から感謝される機会であったり、
単純に量というだけでなく、質、強さ、深さだったり、色々な尺度があると思うが、
明るく豊かな人生を歩んでいきたいと考えている。
感動的な合宿INを果たした翌日、早速現地のソーシャルワーカーである
カイラシュが支援するバプナガール村を訪ねた。
(カイラシュのバイクの後ろで感じた風のにおいはThe Best Momentsの1つだ。)
そこには木の下の教室でゴザのようなものを敷き、一生懸命に何を学んでいる
村の子供たちの姿があった。
またアルジェンビガール村のソーイングセンターで、3台のミシンを25人でシェアを
しながら縫い物の技術を磨いている20代前後の女性たちと、
僕たちの訪問を物珍しそうに眺めながら近づいてくる子供たちの姿があった。
どちらの村でも会う人、会う人みんな素敵な目をしていた。
カイラシュに質問した。
「インドは経済成長していると言われており、ここブッダ・ガヤーも安定的な観光客を
見込める町だと思うが、経済成長の恩恵を受けて豊かになっていく実感はあるか?」
彼の答えは僕に滞在期間中、及び帰国してからも取り組むべき課題のヒントをくれた。
「確かに観光客の増加や、NPO等の支援により、ブッダ・ガヤー全体としては
恩恵を受けていると思う。だがその恩恵はこの村には届かない。
だから我々のような人間が必要なのさ。」
そう、村の人々の多くはその存在すら知られていない。
また仮に存在を知られていても、ブッダ・ガヤーに訪れる観光客が
村の人々に直接コンタクトを取る機会はほとんどない。
つまり村の人々の多くは完全に村の外との関わりがないのだ。
だが彼らは少なくとも不幸そうには見えなかった。
村の大人たちは現在の生活を受け入れ、彼らにとっての故郷である
村という1つのコミュニティの中で穏やかに暮らしているように思えた。
(たった数回の訪問で判断するのは危険だが。)
子供たちは、僕が子供の頃「幸せな人生って何だ?」なんて事を考えなかったのと同様に、
何も考えず当たり前のように木の下の教室で学び、雨が降ったら家に帰るのだ。
「豊かさ」は、彼らにとって幸せをもたらす要素なのか?
僕にはわからなかった。
ただカイラシュのようなソーシャルワーカーが存在するからこそ
彼らの生活が成り立っている事実があり、
村の子供たちが将来、意思(HOPE)を持って行動した時、
チャンスを得られるためにも教育の機会は必要なんだと思った。
だからカイラシュのような存在を増やすためにも、彼らの存在を世の中に知ってもらう事は、
彼らの幸せ(HOPE)に繋がると信じたい。
社会貢献って何だ?
この合宿に向かう飛行機や電車の中で、勇輝と美和ちゃんの
「シャカイコウケン」ブログを読みながら活動のコンセプトを理解した。
そして「Selfish Compassion」という考え方、その判断基準は「HOPE」に繋がる事
という考え方に共感した。
僕自身、結構良い奴だと思うし、なるべく客観的に評価しても、どちらかというと
人の痛みもわかるタイプの人間の部類に入ると思う。(自分で言うなってか!)
ただそんな僕でも、これまでいわゆるボランティア活動をした経験はないし、
何かに寄付をしたこともなかった。
勇輝と美和ちゃんが言うように僕にとって「社会貢献が遠かった」のである。
だが今回合宿に参加した事で、僕にとって社会貢献が近づいた。
それは実際現地で困っている人を見たという事もあるけど、実はもっと単純で、
勇輝と美和ちゃんの活動を知ったからだ。
その事実によって社会貢献がぐっと近づいてきた。
これまで30年以上生きてきて、色々な人と出会い、その人達に影響を受け、
今の自分が存在するわけだが、間違いなく2人は僕にとって
良い刺激をくれるイケてる夫婦だし、そんな2人がやっている事なら応援したい、
実際自分もジョインしてみたいって思った瞬間に、
「My Selfish Compassion」を探し始めていたと思う。
今時点でのMy Selfish Compassionは、2人の活動に注目し続けるという事と、
意思を持って今回の自分の活動も含めて、周りの人々に話しまくる事だ。
影響は小さいかもしれないけど、少しずつでもプラスのスパイラルが生まれるように、
まずは活動を知ってもらう事が重要だと思った。
(僕に社会貢献が近づいたように、僕の周りの人にも社会貢献を近づけたい。)
あと 一応10年くらいビジネスマンをやっているので、その観点からも
社会貢献について論じてみたい。
「社会起業家」という言葉が世に出てから久しいが、僕自身が初めて耳にしたのは
5年くらい前だったと思う。
「ビジネスの手法で社会的課題(貧困等)の解決を目指す」というコンセプトは
それまでの「社会貢献」に覆いかぶさっていた「儲けるなんて有り得ない」という
固定概念を吹き飛ばす事により、「継続性」という重要なエンジンを示し、
「社会と事業の間に共通価値を見出す」というチャレンジングな命題を突きつける事で、
世界中の優秀な人材を引き寄せる事に成功しつつある点において、
非常に大きな役割を果たしたと思う。
そして今回の活動を通じて、社会起業家として重要な事は、
支援の対象である貧困の被害者たち自身を、
社会起業家の当事者として育て上げる事ではないかと感じた。
やはり金銭的な援助に頼っていてはいつまで経っても自立できないと思うし、
実際に金銭的援助の額と 一人あたりのGDPの成長は
負の相関関係があるというデータもある。
(金銭的援助を否定する気はないが、もし金銭的援助が有効であるならば
アフリカで貧困問題が解決しないのはおかしい。単に金銭的な援助する
だけでなく、政治を含めた社会構造を変えなければ問題は解決しない。)
今回のバプナガール村のチャリティ・フィスティバルは、
村人自身がゲストに対して何らかの付加価値を提供し、
その対価を寄付として受け取るという体験をするという点が、
非常に重要なポイントであった。
(当日不在が本当に悔やまれる。)
彼らにとって彼らの村が彼らの生きる世界の中心であり、
あとは彼らが自主的に、継続開催をできるように
サポートする方法をみんなで相談したい。
長くなったけど最後に①と②の合わせ技みたいな内容について論じたい。
勇輝もキューバ編のブログで書いていたが、
「大きな政府」と「小さな政府」の議論について、
イギリスのキャメロン首相はそのどっちでもない「大きな社会」という概念を提唱してる。
一言でいうと「国を形成するものは人々が織り成す社会であり、
社会の役割を大きくしていく事は、必ずしも政府を大きくする事ではない」という考え方。
これからの社会貢献を考えていく上でも注目したいキーワードだなと思った。
特に日本は財政再建を果たす上で、政府、企業、個人の役割を
再定義するべき時期にあると思うし、
役割の再定義という観点で社会貢献を考えてみるのもヒントになると思う。
それをグローバルな視点も加えて考えてみようと思った今日この頃である。
みんなとの出会い
期待していたけど、ホント期待以上の仲間と出会えた事は
僕の人生を豊かにしてくれた。
色々なバックグラウンドを持つメンバーが集まった事でまさに
「Good Chemistry」が生まれたって感じだよ。
だから早退するのは非常に残念だったけど、きっとうまくいくと思っていたし、
絶対晴れるとも思っていた。(笑)
(ちなみにフィスティバルについては地味に日本からツイッターで宣伝してたんだよ。
でも当日の2日前のツイッターでは間違えて23日11時PMってツブやいてた。)
この合宿を企画してチャンスをくれた勇輝と美和ちゃんに改めて感謝したい。
個々へのメッセージは再会した時に取っておくので、
是非レビュー会を企画したい。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
エピローグ
2021年10月10日
ふと立ち寄った東京駅構内の本屋で『地球の歩き方(インド)』を手にした。
352ページから358ページまで「ブッダ・ガヤー」の記事が載っている。
355ページの「豆情報」という欄に目が留まる。
『ブッダ・ガヤーに来たなら村のフィスティバルに参加するのがオススメ』
ブッダ・ガヤーでは小さな村がいくつもあって、
数年前から各村が年に1、2回お祭りを実施しており、
村人と観光客が交流できる場である事、
村の子供たちの歌と踊りが非常に魅力的である事等が記載されていた。
村によって開催時期が異なるため、事前の情報収集方法について
詳細リンクも記載があった。
2011年~2012年版『地球の歩き方(インド)』には
記載されていなかった情報だ。
異国の人口3万人程度の町の記載内容更新について、
日本で生まれ、日本で暮らしている人たちの内、
どれだけの人が気付いているだろうか?
恐らくほとんどの人は気付いていないだろう。
だがバプナガール村の人々にとっては「世界が変わった」のである。
「世界の中心は世界中にある」
我々の10年前の活動はほんの小さな一歩に過ぎなかったが、
その後村人たち自身が、HOPEを胸に世界を変えたのである。
その一助を担えた事を横にいる妻に自慢しつつ、
丸ビルで夕食を楽しんだのであった。
————————————————————————–
以上、ソーシャル合宿FEEL INDIA!のご報告を終わります。
参加者のみんな、お疲れ、ほんと最高のチームだったよ。ありがとう。
ブログを読んで下さった皆様、支援・応援 頂いた皆様、
本当に、ありがとうございました。