2日目からずっとうんち緩いです。
便意がきてから我慢できるのはほんの数分
ここの下痢はなかなか即効性が高い。
その間にトイレを探せるかが一番の興味事項です。
さてムンバイでクリスマスはほぼ盛り上がっていないので
クリスチャンとパーティピーポーの集まるGOAへ
ちょっと早めに行く事に。
カオスな街ムンバイ。
たった6日なのでなんとも言えないけど、
人の多さと殺人的交通量は笑えるけど、
好きだなあ。
なんといっても人がいい。
雑誌やwebからインド人はヒドい的な
事前インプットが多かったがそんな事ないと思う。
基本常にジロジロ見られるしやたら話しかけられるけど
悪意を感じる奴がホントに少ない。
見られたら笑顔で返すとシャイに笑うし
話しかけられて話してみると売り込みでもなんでもなく
大体はただしゃべりたいだけだったり。
道を聞けば一緒に連れてってくれ、
間違って女性専用車両に乗ったときも
怒り狂う他の客から守ってくれ、
屋台でウロウロしてれば注文のしかたを
教えるどころかオゴってくれようとしたり
(名刺見たらTAJHOTELの重役で翌日ホテルで出会った)、
なんかみんな親切。
そういえば床屋を探してくれたジトゥは翌日働いてる店
(Mocha というロンプラにも載ってる有名カフェだった)
まで行ったら喜んでビールオゴってくれた。
一方、格差社会も肌で感じる。
路上生活者が多かったりすることもそうだが
現地の人のそういう人たちへの扱いがかなり差別的。
一緒に飲み行った際のウェイターへの態度
物乞いに来る少年少女の追っ払い方、
「Chinese are ・・・」「Japanese are ・・・」
話の随所に見られるステレオタイプ、
どれも悪意は勿論なく差別というか定義づけというかが
深く根付いていると感じた。
我々はなんとリベラルな国に生まれ育ったのだろう。
また昨年のテロの影響もあらゆるところで感じた。
話す人々の口から出てくることも多いし
駅やホテルはセキュリティゲートだらけだし
ムンバイ大学もテロ以降部外者は立ち入り禁止になったそうだ。
日本から見ると「あっちは怖いね」「まただね」
と何か全く違う世界という感じでとらえていたが
みんな怖がっているし怒っていた。
なんか、一緒だなと思った。
あとは最終日に連れて行ってもらった
スラムは最も印象的だった。
実際に中に入った際に感じた立ち込める埃、
腐敗臭、人々の目線や笑顔、
貧困の問題の一遍を垣間見れたのだろうが
しくみレベルで考えないと全く意味がないと
強く感じる。
まとにかく。タフすぎず辛すぎず
上々な旅のスタートを切る事ができた気がする。
–街の風景–
路上散髪ちょっと嫌そう
満面の笑みの牛使い
COLABAマーケット
髪屋?inマーケット
マーケットの先のムンバイ湾まじ臭い
衣裳がかわいかった物乞い少女
大と小を同時にする少年(注意!R15指定!)
TAJHOTEL、を撮る僕
CTS駅、Slumdog Millionairはここで?
道を教えてくれる路上のおっさんたち
笑顔のシブい屋台のおっさん
グランドでクリケット、この国街中もTVもとにかくクリケット
日本ポロシャツ
チョウパーティ海岸で愛を確かめ合うカップル達
くつろぐ犬、犬はそこらじゅうにいる
色とりどりの洗濯物が美しい団地
一緒に写真を撮りたがる少年たち、彼らの基本動作
もしくは単に写真を撮ってくれとせがみポーズを取り
見せると喜ぶ、これも基本動作
Mochaで勤務中のジトゥ
世話になったマイケルとグフラム
–スラム–
入り口、Colabaバス亭のすぐ裏の塀を越えるとゴミの世界
ゴミクローズアップ
群がる少年達
小道を入ると集落に
家の中で寝ている人
家の中の子供達
ムスリムの飾りつけ
こんなかわいい少女もいる、英語も話す
最後にみんなで記念撮影
他のスラム、ここはムンバイのランドリー
ここに生まれ、服をたたきつける毎日を送り、ここで死んでいくと。