美和です。
明けましておめでとうございます。
投稿がずいぶん遅れました。

勇輝はきっと嫌がるんだろうけど
まあ(勝手に)年越し恒例ってことで、
ちょっと夫婦の話をしてみます。

かゆかったらごめんなさい。



ヒッピーパラダイスでのカウントダウンを夢見て
南インドのゴアで迎えた、私たちの2009→2010の年越し
勇輝は高熱で倒れ、パーティに繰り出すどころじゃなく
宿の小さな部屋でわびしく、もとい、慎ましく二人で新年を迎えた。

旅に出るまでの二人は仕事やら何やら忙しく、すれ違いが多かった。
平日はお互い寝顔を見るくらいしかできず、
週末は友人たちとわいわいやることが多く(それは素晴らしい日々だった!)、
結婚して二年、実は二人だけの時間はそんなになかった気がする。

でも熱&看病でくっついて年越しをしたから、
今年はずっと一緒にいるという意味かもしれないという、
そのときの予想というか願いというかがその通りになって、
2010年の1年間は、本当に、本当に二人ずーーーーっと、
常に、一緒にいた。

この前モロッコで会ったドイツ人に、
「夫婦で旅して1年、なのに<まだ>夫婦でいるなんて!」
と冗談まじりに、でも結構本気で驚かれた。

それでなるほどと思ったんだけど、この1年、私たちは
嫌になるほどずーーーと一緒だったけど
嫌にならなかった。どころか
1度も喧嘩らしい喧嘩をしなかった。


旅だから、
未知なるものへのチャレンジの連続だから、
力を合わせていかなきゃ無理だった、ってのもあると思う。
あとは、
日本語以外を使って異文化の中で生活して、(私は身を守るためにも)、
「ハズバンド」、「ワイフ」って口に出す機会が多く、
そうするとなんだが大切なような、守らなきゃいけないような、ありがたいような
とにかく「意識」が日本にいるときの何倍にも高まった、
ってのもあるかもしれない。
もともとの性格もあるかもしれない。
とにかく楽しくやってこれた。

そうは言っても、
二人でずっときゃぴきゃぴラブラブしてたわけじゃない。
不穏な空気が流れたことも、無口になったことも多々ある。
でも夫婦関係について、旅に出て気づいたことがたくさんあったんだ。

当たり前のようで分かってなかったのが、
お互い「変わる」こと。「変わるものなのだと認識する」こと。
出会った頃の相手、結婚式の日の相手、
そういう過去の相手と比べて怒ったり嘆いたりするのは違うと。
もし変わった方向がよくない方向だとしたら、半分は自分がそうさせたのだ。
(そしていつでも修復可能だから慌てなくていい。創っていくものだから。)

だから、もし相手が好きだと言ってくれなかったら、
愛しい目で見つめてくれなかったら、
今までの私なら相手の気持ちが冷めた、とか
相手の度量のせいとか表現下手なせいとかそっちに思考が行ったけど
おや?そうでもないな、と。
相手が可愛いと言ってくれないときは、私は可愛くないのだ。
そしてその気づきは正解だろうと思う。
可愛くなればいいのだ。そこでふてくされては余計だめなのだった。


マラウイの音楽フェスで一緒に過ごしたジョニー&マキシ夫婦がとっても素敵だったから
いつかジョニーに夫婦円満の秘訣はなにかとベタな質問をした。
その答えは「よく話すこと。」だった。

で、2つポイントがあって、相手の話は終わるまでぜんぶ聞くこと、
不満があっても「You make me sad」じゃなく、「I’m sad」という言い方をすること、
と言っていた。
私たちもお互い「どうして?」とか「これはちょっと」とか思ったときは、
深呼吸して、できるだけゆっくり話をした。「こう思うんだけどどう思う?」と。
そして私たちがこの旅で気づき、気をつけるようにしたのは、
自分と相手は違う人間だ、ってことだった。
「そう思う気持ちは自分には100%は分からないけど
相手はそうなんだな」と一旦認めることだった。
そうして試行錯誤もしつつ、場数をふみながら、
マイナスをゼロにするだけじゃなく、話をする前より幸せになって
握手をして終わるような話し合いができるようになっていった。

さまざまな気づきを得て、
この1年、私たちはゆっくり、ゆっくり、
関係を深めてこれたかな、と思う。


面白いのは、もうほとんど分かったつもりだった相手のこと、
まだ全然わかってなかったことだった。
発見の連続。
それはきっとずっと終わることはない。



このまえの勇輝の誕生日は、モロッコ・タガズートのサーフキャンプで。
カードもプレゼントも準備してなくて
とにかく思ってること(かっこいいと思う所の箇条書き)をメールに書いて送った。
そしたら勇輝が返事をくれた。
読み終わって、ものすごく夕焼けがきれいで、
宿の屋上で眺めていたら、勇輝が上がって来て、
私は何か言おうとしたんだけど喉の奥が詰まって
やっと小さな擦れ声で「おめでとう」と言うのが精一杯だった。
1歩前に進もうとしたら涙があふれてただ立ち尽くした。
そのとき勇輝からもらったメールの
最後の一節が頭をぐるぐるしていて。

「これから、まだまだ
長い時間が僕らを待っている。
ずいぶん先に光る何かだけを頼りに、
全然見えない道のりを進んでいくんだね。

何も確かな事はない。
と思ったら、ひとつだけあったよ。
俺と美和が一緒にいるってこと。

最後の最後まで、ずっと一緒だよ。
すごい事だね。
書いていて涙がこぼれたよ。」



私は幸せだ、と思うし、
その幸せは日々二人で創っていくものなんだなって
改めて思う。

だから私は進化しつづけなくちゃと思う。
もっと、可愛い人に。
もっと、優しい人に。
もっと、勇敢で豪快で、頼もしい人に。


そうやって、お互い伸びて、褒めて、
意地張って強がって、強くなって、褒めて、
ダメダメで、たしなめあって、励ましあって、褒めて、
そうやってやってこれた気がする。
ちょっとずつちょっとずつ積みあげてこれた気がする。

私たちがキッチン付きの部屋に移ったから、
サーフキャンプで仲良くなった男の子たちが
遊びに行きたい!と言って、パーティの約束をした。

じゃあ日本食でおもてなししよう!と思って
その日はサーフィンを午前で切り上げ、
二人でバスに乗って市場に行き、
時間をかけて料理して客人を待った。
私たちは携帯がないから、とにかく待ってたんだけど
彼らは来なかった。ネットのつながるとこに行って
スカイプで電話したら急遽来れなくなって
ごめん明日!絶対!と。
だから翌日、また張り切って作って待ってたんだけど
彼らはまたやんごとなき理由で来れなくなった。


なんか、この出来事は私にとって大きかった。

彼らが来れなかったこと自体はどうでもいいんだ。
二人で部屋を掃除して、床を磨いて、
料理して、氷作って、テーブルクロス敷いて、今か今かと待った風景。
二人で食べた、ツナの巻き寿司。わかめのサラダ。
わざと明るい会話。笑顔。黙々と片付けて寝た風景。

次の日の昼間に
1人で海を見ながらそれらを思い出して、
それはそれは切なくて、愛しくて、涙がいっぱい出た。

私ひとりで準備してすっぽかされたんだったら泣いたりしないから、
きっと勇輝の思いや頑張りが結果的にぞんざいにされたことが悔しかったんだろう。

でも半分は、感動していたのかもしれない。
もう、完全に、家族なのだと。身内なのだと。
これから、こういうふうに、
寂しいときも、苦いことも、悲しい出来事も、
二人でいくんだなと。
分かちあって労わりあうんだな、と。
なんか不思議な感覚だった。
はらはらと落ちた、それは私の弱点でもある、
渡部家(実家)ネタの時に泣く涙と同じ種類だと気づいた。

2010年の大晦日。
勇輝はまた40度の高熱を出した。

しょうがない人だね。

(バルセロナの正人梨花宅居候中だから
キッチンも使えてゆっくり休めて助かった。)

そうだね、
今年も一緒にいるって意味だねきっと。

2011年。

今年は、旅の後編と、たぶん帰国。
新生活、新たな挑戦の開始。願わくばご懐妊。

大変だぞー。
でも、きっと、大丈夫。
力を合わせて頑張ろう。


(勇輝が照れて嫌がるので)全然ないのだけど、
二人で写った写真を探しだして、こっそり眺めてみた。(きもい!)

でも、そこには必ず撮ってくれた人がいて、
思い出があって、その人の優しさが伝わってくるというか、
素敵なもんだなぁと思いました。


(出発1ヵ月半。南インド、ケララ。撮影:列車で一緒だったおじさん)


(2ヶ月半。インドネシア、バリ。撮影:キベジュンイチロウ)


(3ヶ月目。タイ、バンコク。撮影:亜矢)


(4ヶ月目。北インド、ブッダガヤ。撮影:ソヌ)


(6ヶ月目。ネパール、カトマンズ。撮影:キムラユタカ)


(7ヶ月目。UAE、アブダビ。撮影:デイル)


(8ヶ月目。東京、実家。撮影:徹(弟))


(9ヶ月。ナミビア、オカハンジャ。撮影:マシュー)


(11ヶ月。フランス、パリ。撮影:アネリーヌ)


(12ヶ月。モロッコ、サハラ。撮影:イブラヒム)


(つい先日。スペイン、バルセロナ。撮影:正人)



ありがとう。

ふぅーーー。
なんだかんだ言って、

皆さんのおかげで
私たち幸せなんだね。


ありがとう。

まだまだダメダメな二人だけど
精進します。頑張ります。

どうぞ今年も宜しくお願いいたします。


(MIWA)