今日から、フランス人大学生、エステールとの生活だ。


元気を出して表へ出た。

まず部屋を暖めよう。薪を割るのだ。


大きめの薪を、燃えやすいよう小さく割っていく。
集会の日に村のおっさんがやってたやり方。
丸太に薪を立てかけて斧を大きく振りかぶらずに下ろす。スコン、という感じが大切。



林の中に入り、火種となる小枝、もっと細い枝、最初の着火に使える木の皮を集めた。
湿った薪はストーブの上で乾かす。
よし。これでしばらくはちゃんと火を入れられる。



昨日は夜遅くなってしまったため、せっかく街を通ったのに買物ができなかった。
食材がほとんどない。じゃがいもとにんにくと、少しのパスタと小麦粉。
エステールがズッキーニをもらってきた。今日の大切なメイン食材だ。


作ったのは、ズッキーニとトマトスープの素と細いパスタをぐだぐだにした、
謎の食べ物。でも、うまかった。



エステールは、「マティアスにかご編みを教えてもらおうよ」と
敷地の葦を刈り取りはじめた。
そうだね、待ってるだけじゃ何も始まらないね。


エステールは私の大好物、シウエラのジャムも作りはじめてくれた。


私はパンをこねた。


私たちは、くるくるとよく働いた。
おしゃべりもいっぱいした。
若いのだけど、大らかでちょっと古風なところもあるエステールは、素敵な同居人だった。
寒くても、食材が少なくても、「死ぬー」とか「ひもじいー」とか言ってゲラゲラ笑い合えば
辛さや不安は半分になっていた。
もしかしたら、半ばもう逃げ出したくなっていた私に
仏様が「この子を授けるから、もう少し頑張りなさい」と遣わした助っ人なのかもしれない。
とにかく、有難い。


パンとじゃがいもの慎ましい夕食を食べて、寝床へ。
しかしまあ、3日風呂に入ってない。3日まったく同じ服。
今日は部屋をずっと暖めていたから、少しましだけど
やっぱり凍えながら寝た。


翌日は日曜。
ファームの仕事もない。
私は朝、意を決して湯を沸かし、風呂に入った。
バスタブに正座し、バケツ1杯の湯を少しずつ小鍋で身体にかけるという
修行のような入浴だった。
それでもさっぱりして、ものすごく元気になるのを感じた。


今日も、昨日とだいたい同じ。
薪割り、枝集め、炊事、あと洗濯と掃除と、少しの編み物とスペイン語の勉強。

それでも心が、
充実した、とは違うな、楽しいとも違う、なんだろう、
落ち着いて、穏やかで、我慢強く、前を向いたような、
今まであまり味わったことがない類の、悪くない気分だった。


エステールは「暇だーー」と言って近くを散歩しに行き、
帰ってきてまた「暇だーー」と言って今度は地図や本をひっくり返し何か調べ物をしていた。




薪を割る仕事は、武道の稽古に近いかもしれないと思った。
身体と精神のバランスを要求されるのだ。言いすぎかな。

手の力で強引に斧を振ってもダメで、なんというか、斧に任せる感じ。
また、うまく切ろうとか、ここを狙って・・とか、余計なことを考えるとうまくいかない。
下心なく、無心無欲で斧を下ろしたとき、
当たるほんの直前の一瞬、時が止まって見え、薪が光って見えるときがある。
そんなときは何の力も込めていないのに次の瞬間、薪はパカリと割れている。
なんだか、人生みたいだなあ。

そんなことを考えながら、ひとしきり薪割りをする。
汗が吹き出てくる。
寒くて、暖を取りたくて薪を割っていたら、身体はすっかり暖まっていたという。
そういうことってあるよなあ。
これもまた、人生みたいだなあ。

薪割り、奥深し。
人生の縮図。
相田みつをの世界。



私が編み進めていたのは、靴下。
ここへ来てから、靴下2枚と靴を履いているのにつま先が芯から冷え、寝るとき辛い。
だからもっと暖かな毛糸の靴下をと考えたのだ。
でも編み方なんて分からない。「このくらいかな?」という大きさに平たく編んで、
パタンと折って縫い閉じることにした。これが、なかなかうまくいった。
太い毛糸でざっくり編んだこともあり、履くと自然に、足の形になってくれた。
これでだいぶましになるじゃろ。
そうだ今夜は湯を沸かして足湯をしてから寝よう。きっとよく眠れる。


調べ物をしていたエステールから提案が。
「明後日から、ショートトリップに行かない?ペトロウェに。」
ペトロウェってー?
基本・出不精かつファームの仕事をしたい私は乗り気なく聞き返した。
「バルカンオソルノに行くのよ!」
えっ?あの富士山みたいな山?!なら行きたい!!!
私は身を乗り出した。
エステールは地図を広げ、プレゼンを始めた。ここでバスを乗り継いで、ここで一泊して・・・
その嬉々をした姿は、なんだか勇輝を思い出させた。


バケツの足湯とざっくり靴下が功を奏し、寝袋に入った私の手足はぽっかぽかだった。
「むふーん、あったか~い」
ここへ来て、はじめてぐっすり眠れた。



翌日。
私はなにやら吹っ切れていた。
エステールも、うっぷんを晴らすかのように本格始動した。


「近所のマルコの家に遊びに行こう!」
朝から元気に歩き出すエステール。


敷地の外へ出て、2つ隣のファームを目指す。
って言っても、遠いっすエステールさん・・・


夜の間降った雨をたっぷり吸った苔とシダが美しかった。



マルコは、手作りの、ちょっと独創的な家に住んでいた。


マルコが作った毛糸を見せてもらい、紡ぎ方、洗い方、染め方を教えてもらう。
私は、玉ねぎで染めたという黄色の糸が気に入って、買わせてもらった。
エステールは白を買い、私に「編み物、教えてくれる?」と。 もちろん! 可愛い奴め。


それから、ガーデンを見せてもらった。


たくさんの野菜とハーブと花が所狭しと並んでいた。


1つ1つの作物の名前や効能、料理法などを教えてもらう。
土の中のミネラル成分を多様化させるため、1つ野菜を収穫したら
その場所には別の野菜を植える話など、農業の素人である私にはとても勉強になった。



蜂の巣箱も見せてくれた。まずフイゴのついた缶で藁を燃やす。


それを拭いて煙で蜂を払いながら、蜜をチェックした。



これは鶏小屋の金網につけられた、犬避けの電流装置。怖い。

マルコにお礼を言ってファームに戻る。


エステールはまだまだ私をぐんぐん引っ張っていく。


マティアスのお姉さん、ヒメナが作業している蜂蜜の作業小屋へ行き、
作り方の工程を聞く。午後から、この容器に入れる作業を手伝うことになった。



昼ごはんをさっと作る。帰りに採ったレポヨ(キャベツの一種)でパスタを。あとサラダ。
なんだか緑一色だねえ。と二人で笑う。もうずいぶん、肉も魚も口にしていない。


午後、マティアスのところに行って、
仕事があるか尋ねるがとくに無く、
かご編みを教えて!とエステールが頼み、葦を煮ることになった。
でっかいミルクボトルとコンロとガスをひいひい言いながら家に運ぶ。
どれも一人で持てないから何度も山道を往復する。
私は内心すごく効率が悪いことに思えて、
「葦をここに持って来たら一発じゃん」とか
「ちぇー、マティアス、車で一度に運んでくれたらいいのにぃ」とか思っていた。

そんな気持ちが顔に書いてあったのか見透かされたのか、エステールに
「ここではイージーなことは1つもないよ」と言われ、反省した。
私に染み付いた都会人の効率主義、いや、怠け者根性は、
なかなか消えてくれない。



夕方、マティアスがやってきた。
「野菜の出荷準備を手伝ってくれーーい」
ハイ喜んでーーー!!!


レタスをハウスから収穫し、やぎを追っ払いながら洗って、
今度はほうれん草を収穫し葦の葉で12本ずつまとめた。売れますようにと思いを込めた。


苗用のハウスから大きめに育ったものを選んで、レタスハウスの土に植えた。


1つ1つ。着実にやるしかない作業。
何度も同じ道を歩いて、手を洗っては汚して。
農業ってのは、つまりはこういうことなのかもしれないな、と思った。
派手なことは何もない。辛抱強く。何度も。淡々と。
農家の人々が強くて温かいのは、こういうわけなのかもしれない。




今日も私は、パンをこねる。
趣味でも余興でもない。
ものすごく腹が減るから、生きるためにパンを焼く。
毎日、毎日パンを焼く。



そして気が付いた。
私がファームで学んでいるものは、一言で言えば「シンプルな生活」だ。
寒ければ、動けばいい。
まだ寒ければ、靴下を編めばいい。
小麦粉があれば、パンが焼ける。
野菜を取り、乳を搾り、卵をいただく。
身体が汚れたら、湯で流しよく拭けばいい。
困ったところは、修理すればいい。
そういう暮らし。

 

東京の私の家は物で溢れていた。
台所も、風呂も。
それでもまだまだ物が欲しかった。
そういえば私は風呂に追い炊き機能がないことをずっと不満に思っていた。

物が多いから、
便利な道具や機能が多いから、
シンプルに暮らすやり方を知らなくなっていく、それは仕方ないことかもしれない。
語学も使わなければ話せないのと同じ。

いや、それより前に、
シンプルに暮らしたいという発想にならなかったのはなぜだろう。

もっと楽に、もっと優雅に、という欲求は、
あの人は素敵なものを持っている、という羨望は、
物を増やし不満を増やし感覚を鈍くさせ、
それらのごちゃごちゃしたものが折り重なって生活が埋もれていく。
芯が見えなくなっていく。
それでは慎ましい暮らしの持つ美しさなど到底見つけられっこない。


今まで私は、
本当は必要じゃないことを
ずっと必要だと思いこんで生きてきたんだな、と気づかされた。


家の中の灯りは多少足りなくたって大丈夫だし、
掃除機なんてかけなくてもほうきで充分だし、
汚れがひどくないものは洗濯機に入れる必要はないし、
そんなに毎日水と洗剤をたっぷり使って体を洗わなくたっていいし、
そんなに何品もおかずを作らなくたっていいし。

次に生活を始めるとき、
新しい家に絶対欲しいと思っていたものたちは、
ほとんどいらないものだった。
それよりも、もっと日々の生活をいつくしみ、
道具を選りすぐり大事に使い、
毎日少し掃除をし、少し整え、
簡素な食事でも野菜の甘みに気づき幸せを感じられるような、
そういう暮らしをしたい。

したいなあ。
できるかなあ。


もう1つ気づいたこと。
おとぎの国のような、じいさんばあさんとの日々で
知らずのうちに身についていたことは、
ここでの暮らしのすべてに役立っていた。

皮肉を込めて愚痴た「ベストキッド」の喩えは、まんざらでもなかったようだ。
パン作りや薪割りだけじゃない。
農業がやりたいのに・・と半ばスネながらやっていた掃除炊事洗濯、
すべてが「淡々と」「丁寧に」暮らすという素地だった。

二人の所へ今すぐ戻って
三つ指を立てて深く頭を下げたい、そんな気持ちになった。




手にできた無数の虫食い跡も、なんだか、誇らしいものにすら見えた。




***

翌日から二人で行った、
バルカンオソルノへのショートトリップ。
それは、勇輝と二人の時とはまた違う味で、
忘れられない思い出になった。
妹がいたらこんな感じだろうか。
私たちはちょっとしたことではしゃぎ、たくさん笑った。

この時期にはめずらしく空が晴れたことも、
バスをいつもタイミングよく捕まえられたことも、
ベンチで食べたエンパナーダも、
宿で浴びた久々の熱いシャワーも、

すごく幸せだった。





***


ファーム最終日。

レタスの苗床を植える作業をしてほしいと言われた。

ハイ喜んでー!
エステールは、本当はやらなくていいのに、一緒にやってくれた。


すでに苗が入っているプラスチックのカップを一箇所にまとめ、土だけのカップは土を捨てる。
空のカップを敷き詰め、新しい土を入れていく。
そして、木箱に入った小指の先ほどの苗を、カップの土1つ1つに植えていく。

根気がいる作業だった。ハウスの中は暑く、汗をいっぱいかいた。
手足が長いエステールが、私の届かない奥の部分をやってくれた。
半日かけて、すべての苗を植えた。


マティアスに、「早い!上手だ!」とすごく褒められた。
私たちはハイタッチして喜んだ。


明日の朝出ることを告げ、二人でお礼を言った。
こちらこそ、ありがとうと、マティアスは優しく笑ってくれた。

 



子猫にも、お別れを。

暖を求めてか、私たちを見ると必死にへばりついて
ダウンの中に入ろうとする甘えん坊だった。




エステールが夕日を見ようと言いだした。

誰かに行き方を聞いていたらしく、裏山に入って行った。
でも、途中迷ってしまって、山の中で1時間ほど歩き回った。

諦めて帰ろう、もう日が暮れちゃうよ、何度も言いそうになったけど
エステールは頑張り続けるのだった。


そして


ついに夕日の見える山の上へ。


満足そうにずーっと眺めていたエステール。
それを見て私も嬉しかった。

そうなんだ。
私は、自分のエンジンをなかなか勢いよく吹かせられないけど、
そういう私には、でっかいエンジンを持った人が自然と傍に来てくれるんじゃないかな。
だから、無理して小さなエンジンを毎日キーキー動かさなくたっていい。
人には向き不向きってのがある。
世界が回り縁が回るのに任せてたらいい。
私は、大事なときにちゃんとエンジンを全開にできればいい。きっと。


私を連れ出し、たくさんのものを見せてくれて、
ありがとう。


***


最後の夕飯は、エステールがパンを焼いてくれた。


なんか私と違う作り方だなあ・・・
時間かかるんだなあ・・・


焼きあがったパン。すげえ!
超ふっくら!!! っていうか、エステール、すごい技隠してたのねー。


私は丁寧に、心をこめて、サラダを並べた。
マティアスにトマトをもらったおかげで、彩りがきれいだった。
今までより、野菜を有難く、大事に触るようになった自分に気づいた。



私はこっそり作っていた箸をプレゼントした。


エステールは、彼氏へのマフラーを完成させた。


こうして私たちの1週間が終わった。




「ケ、スウェルテ!」
(なんてラッキーな!)


私は重いバックパック、エステールなんてバカでかいスーツケース。
汗をかきながらよちよちしていたしていた私たちは、高床式倉庫のところで、
白いひげのサンタさんの車に拾われた。


「よかったーーー!!!」「嘘みたーーい!!!」
荷台に揺られながら、二人で大きな声で歓声を上げた。



プエルトモンのバスターミナルで別れるとき、エステールは
「アリガトウ」と言った。
ずいぶん前に、一度きり、教えた日本語だった。
私たちは固く抱き合って、さよならした。


 

***

 


やっと、やっと、
22日ぶりに再会した
勇輝の顔を見て
私はただぼろぼろと泣いてしまい、
しばらく話ができなかった。


辛かったよう、なのか
素晴らしかったよう、なのか
会いたかったよう、なのか
どれも違うような、どれもそうなような、
わけの分からない涙だった。


箇条書きにして分かりやすく誰かに伝えることなんてできない、
でも確かに私の中に増えたものの数々。
これらはきっと、これからの人生の中で
ポロポロと出てきては
じいさんやばあさんや犬たちを、
メトリのオンボロの家を、エステールを、
私に思い出させるのだろう。

なんて、素敵なことなんだろう。


「一人で農場にいってみよう」。
サンティアゴの居心地のいい宿であの日決めたのは
この旅最良の決断の1つだった、と振り返って思う。


みなさん、みんな、本当に、
本当にありがとう。




念願叶って、勇輝のためにパンを焼いた。



終わり

(MIWA)