「サウダージ。」
ディエゴとエリザにいくつかのポルトガル語を習った。
サウダージは「郷愁」の意。
これをを説明するとき、エリザは
「悲しいんだけど、でも悪くない気持ちで・・・」と言った。
朝、彼らの家の前に立ち空を見上げる。
涼しい風が大きく吹きぬけて、笹の葉がざざざーーーっと音をたてた。
ちょっとだけ泣きそうになる。
何かに似ている。何処かに似ている。
八王子の春か、会津の夏か、・・・記憶を探るのだけど見つからない。
とにかく幼かった頃のなにか。
傍らに大きな愛情があった感触がある。
懐かしくて、切なくて、あたたかな気持ち。
これかな。サウダージ。
うまく取り出せないのがもどかしいけれど、
私の中にはいろんな記憶がたっぷり詰まっているのだと思ったら
なんだか嬉しくなった。
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「ちゃんと見送る」。
ちゃんと見送ることができる人になりたい。
好きですやありがとうや頑張れを込めて
姿が見えなくなるまで手をふれる人に。
今まで私たちを見送ってくれた、たくさんの人たちの顔が手が浮かぶ。
私は、ちゃんと見送ってこれなかった気がするんだ。
見送ることは、まっとうすることでもあるんじゃないか。
二度とやってこない何か、
もしかしたら二度と会えない誰か、
それを受け止めること。
精一杯生きること、愛を伝えること。
今日という日が終わる。
ありがとうと見送る。
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「もっと祈りを」。
傲慢の反対側にあるものを考えていた。
それは謙虚なんだろうけど、
日常の中では掴むのが難しくて
どうしても自分の小さな自我の世界に囚われてしまって。
もう少し実体のある態度や行動としての何か・・
そしてはたと気づいた、というか
すっかり忘れていたというか、それが
祈ること、祈る気持ちだった。
もっと、祈りを。
毎日の中に、大切な人たちの顔を思い出す時間を、もっと。
遠いところからだけど、届くだろうか。
あの人に、出会いとチャンスを。
あの人に、希望と勇気を。
あの人に、奇跡を。
あの人に、稲妻が走るような恋を。
あの人に、あたたかさと愛情を。
あの人に、笑顔を。
1人1人、ノートに名前を書いて想いを飛ばす。
海を越えて、どうか届くように、
強く強く祈る。
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ここには、
じっと物思いに耽させるような、
なんだかセンチメンタルにさせるような、
そういう風が吹いているのだった。
そんな投稿でした。
(MIWA)