8時間の直行フライトで、ヤンゴンにはあっという間についた。sim購入もスムーズ&激安で簡単に常時ネット接続環境が整った。”アジア最後の秘境”への旅も随分と身近になったものだ。

空港には、四半世紀来の親友、ちかひろが迎えにきてくれていた。奥さんのあきらちゃん、2歳になる娘のいとちゃんも一緒。インドと比べると優しすぎる客引きの間をぬけて、早速タクシーに乗り込み街を目指す。

ちかひろ家に荷物を置かせてもらい、夕飯に彼の経営する日本食レストラン「家津」へむかった。フライトの到着は16時半だったが、慢性的に渋滞のヤンゴン。店に着いた時には19時をまわっていた。

ダウンタウンの中心にある「鮨&そば 家津」。初めてヤンゴンに来た6年前には開店直前だったところから、ヤンゴンに数ある日本食レストランの中でも人気の繁盛店に成長していた。

店ではちかひろの友人のアンソニーが待っていた。中国系アメリカ人で、民族衣装のようなものを着ている。お店の人と勘違いして、挨拶したときに「英語うまいね」とのたまわった恥はかき捨てることにする。コンサルやPaypal、米国での起業を経て何を思ったのかヤンゴンで起業したという彼とはやたらウマがあい意気投合。ヤンゴンの好きな場所を聞くと間髪いれずに「DALA(ダーラ)」という答えが帰ってきた。

隠れちゃってるけど僕と美和の間がアンソニー
ほら、ちょっと民族衣装っぽいでしょ

DALA。
ダウンタウンから川を渡ったヤンゴンのローカル地域で、橋が無いから船で行くしか無い。ヤンゴンの一部だがこっち側とは全く全てが違う。夕方以降は電灯がなく暗くて危ないから行かないほうがいい。でもなんか大好きなんだよね(byアンソニー)。(一説によると人の流れがよくなりすぎて欲しく無い政治的な理由で橋がかからないとか。)。。

いやーーーいい匂いしかしない。行くでしょ絶対。

ということで、無理やり旅程に入れ込み行ってきたDALA。随分長いこと使ってなかった心のどこかの場所で、なにかがムクムクと芽生えるような、そんな景色がそこでは広がっていた。

6年前に来た時に感じた、むき出しの生、動物人間の暮らし営み、その匂い。僕は以前それを「アジアの中のアフリカ」と表現した。6年の年を経て、というかもっとずっと前から続く大きな時の流れの中で、ヤンゴンの「川のこっち側」ではなかなか感じられないと感じていたそれが、DALAにあった。

DALAに向かう港がまず良い。平日の真っ昼間。いい若いもん達がセパタクローを楽しんでいる。
なかなかの迫力。思わずカメラと笑顔だけを武器に近づいていった。
インドを思い出す、港の屋台街。スパイシーな揚げもの屋のおっさんの表情はカタいが、写真を見せたら顔面崩壊する。
車ごと船に乗りこむ。こういうの、まさに僕らが好きなやつ。
土色の川と浮かぶ小舟たち。これも好きなやつ。

ノロノロと進む船だが、それでも寝る暇もなく気づいたら川の向こう岸に到着していた。ダウンタウン近くの港から10分で着く異空間。それがDALAだ。

川の「向こう側」。所狭しとビルが立ち並ぶ姿だけがヤンゴンではない。
トイレを借りた食堂の厨房を盗み撮り。美しかった。
メイン通りを10分ほど走った先に広がっていたのは、ゴミの世界。民家もまばらなだだっ広い土地に、街で消費されたプラスチックが積まれていた。
適当なところで車を停めて、路地を探索にでかけた。
高床式の住居。ロンジー(腰巻)姿の女性。かかってる水の入ったビニール袋はカラス対策かな?
子供たちは世界中どこに行っても変わらず美しいけど、デジタルじゃないだけで、舗装がないだけで、何故かより愛おしくなる。
口数少なめで、どこか恐る恐る集落を歩いていた長男。
どこに行っても変わらずマイペースな次男。
こういう日常が好きなんだ。
やっぱり緊張してたのかな。声をかけてくれた可愛いお姉ちゃんと。

そう、こういう景色を、子供たちに見てもらいたかった。毎日の暮らしがただただ美しいっていうこと。美しさはひとつじゃないということ。世界は、君たちがいつも見ているものとは違う、もっともっともっと色んな顔を持っているということ。聞くんでも見るんでも想像するでもなく、感じてもらいたかった。

だから僕らはここに呼びよせられたんだと思う。