長野県御代田町(みよたまち)に引っ越しをした。今年から小学生の長男が隣町の軽井沢の学校へ通い始めたからだ。
初めての長野、初めての山生活への期待や思いはあるけど、ここでは9年住んだ湘南(藤沢市鵠沼海岸)について書こうと思う。
始まりはバーベキュー
東京生まれ東京育ち。中学校からは別の町にある私立の学校へ通っていたこともあり、20歳まで住んだ場所はあるけれど、「地元」と呼べる場所を僕は持っていない。
そんな僕にとって、初めてできた地元が鵠沼海岸だった。
2年間の世界一周旅行から帰国したのは10年近く前。半年間の新宿雑居ビル生活を経て、「海の近く」で「目の前が壁じゃない庭と縁側」を条件に探した末にたどり着いた場所。
物件はちょうど住宅が並ぶ場所の中心にあり、4-5件に囲まれるように庭が位置していた。小さな庭だったけれど、後に目一杯ウッドデッキを拡張し、町内屈指のパーティ会場に育てていった。
最初の1-2年はご近所との関係はほぼないに等しかった。目があったら「どうも〜」という会釈程度、よくある感じだ。関係性が変わったきっかけはある夏の日のバーベキュー。お隣やお向かいなど、近所で幼稚園〜小学校くらいの子供がいる同世代の皆さんに声をかけた。
詳しく覚えていないけど、大いに飲んでめっちゃ盛り上った記憶がある。なんというか、「みんな求めてた」んだなと思った。会釈だけの関係はぎこちない、でも自分から変える何かをするほどでもない、みたいな均衡状態がそれぞれの中で続いていたのかもしれない。
友達以上、家族未満。いや、家族?
そこからご近所付き合いはどんどん深まっていった。
平日休日問わず、時間があれば小さな子供を見合ったり、遊びに行ったり、お泊まりしたり。たとえ1時間でも(1日ずっとどこかの家とかもざらだったけど)子供がいないホッとできる時間がどれだけ貴重なことか。記念日には夫婦で外で夕飯をさせてももらった。
一緒に小さな農園をつくって耕し、旅の土産やたくさん作った料理を分け合って、夏祭りに花火、忘年会はスナック貸切。位置的に中心にあったわが家の庭に集まって酒盛りも日常茶飯事。まさに理想と描いていた状態をみんなでつくっていった。
ご近所という偶然から始まる関係は、仕事や友達から始まるものとは違う広がりがある。例えばお向かいの旦那さんは鳶職の会社を経営されている。最年長であだ名は「アニキ」。特に長男はホントなついて夜アニキと一緒に寝ることもしばしば。目の前の家の塗装工事用に足場を作ってるところを見れたのもよかったなあ。
自分たちをいれて5家族。9年間で交わした会話、空いた缶と瓶、もらった気持ちの量は文字通り計り知れない。遠くの親戚より近くの他人とは言ったものだけど、少なくとも家族より友達よりもたくさんの時間を共に過ごしたのがご近所のメンバー達だったことは間違いない。
というか、これって家族だよねって思った。強く。
どこぞの辞書で家族とは「《家》によって結ばれた繋がり・共同体」という記載があった。シェアハウスの例を出すまでもなく《家》の解釈は広がっていること、あと小さい子供を抱える中で暮らしを成り立たせる難しさを考えると、狭義の家族ではなく「共同体としての家族」という視点で生きていくことが自然だし豊かだと強く確信している。
(ちなみに家族については参議院のこのドキュメントが面白かった。家族が今の血縁を中心とした形になったのは江戸時代以降で、もともとは奴隷農民も含めた概念だったこととか。これからを考える上でも時代とともに変わってきた家族の形を見るのは有益だった)
家族はコミュニティの一番ちいさい単位と位置付けられる。そこから範囲が広がったところに地域コミュニティがあったり、仕事とか趣味とかオンラインとかいろんな軸でコミュニティが重なっていく。そんな構造と理解している。いろんなコミュニティ議論があるけど、強く感じているのは「やっぱ一番大切なのは家族だよね」ってことなんだよ。
当然いろんな環境の人がいるのだけど、いや、だからこそ、みんながいい感じに家族を築けたらハッピーだと思う。少なくとも僕は新しい「家族」ができて、暮らしの記憶があって、生まれて初めてそこを地元と思える場所ができたことを、心から幸せだと感じているから。
7丁目ご近所メンバーへの愛を込めて。