バリ島(クタ、ウブド)、ジャカルタ、コタ・キナバル、
クアラルンプール(2度のトランジットだけど)を周りながら、
インドネシア語(ニアイコール=マレー語@マレーシア※でいいのかな?)
をいくつか学んだ。
英語はもちろん時々日本語さえ通じたバリ島ではあまり有用ではなかったが、
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(さすが赤道直下。影がこんな真下に!@クタ・バリ)
大都会ジャカルタでは予想に反して英語が通じなかったので、
お世話になった賢・玲奈夫婦にいろいろ教えてもらった。
(ふたりとも立派に現地語でサバイブしていた。
賢はペラペラでかっちょいいし、住んで2ヶ月という
玲奈ちゃんの上達の早さにも圧巻)
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(大きなデパートがまばゆかったジャカルタ。↑レナちゃんとドーナツを吟味中)
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(セブンイレブンにはおにぎりまで!300円だっけな高くて買わなかったけど)

インドネシア語の中でも特に好きになった言葉があって、
それが「サマサマ~」だった。
意味は「どういたしまして」。
自分で言うことは圧倒的に少ない言葉なのだが、
インドネシア人の言い方がキュートでグッとくるのだ。
とくにおっさんやじいさんが言うととても可愛い。

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(テレマカシー(ありがとう)と言うと、この顔でサマサマ~。)
ちなみにインドネシア語は繰り返す言葉が多い。
「ジャランジャラン(散歩)」も可愛くて好きだ。


マレーシアのコタ・キナバルは面白くて、文化がMIXしているので
英語とマレー語と中国語の3つが主な言語になってて、
ほとんどの人がそのうち2つ以上話せる、という印象。
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(レストランで話しかけてきた日本のマンガ大好きという女子。英語ペラペラ)
ダイビングツアーで仲良くなったローカルの30代女子2人組と
ガイドの子もマレー語と流暢な英語を話した。
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(てんとうむしみたいだねと言ったら大爆笑)
彼女たちにマレー語スラング?
(「チャンティニャ~(きゃーわいいー)」「ジャガンマルー(Don’t be shy)」など)
を教えてもらっていたとき、
そういえばサマサマが可愛くて好きなんだ、と話した。
と、話しながら、あ、と思い出した。
日本語にもサマサマってあるよ。
「へえー。どういう意味なの?」うっ・・・(なんて説明しよう)・・・。
しばし考えた挙句、私が例に挙げたのは2つ。
作物がよく育った年、自分の努力の賜物ではなく、
おてんとさまのおかげだと大自然に感謝する気持ち。
誰かに「1年も旅なんてすごいですね」と感心されたら、
自分がすごいのじゃなく、彼がいろいろケアしてくれてるおかげ、
と思う気持ち。
おてんとサマサマと、勇輝サマサマ、である。
これが日本古来のポライト(&謙虚、と言いたかったのに単語忘れた)の
気持ちなんだよ。と。
ああー、ほんとバカ!全然うまく説明できなかった。
ふたりも「なるほどね」と頷きながらも若干目が泳いでいた。ごめんよ。
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(ちなみにこのとき行ったマンタニーニ島の海。超~きれいだった)
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(子供の頃見たバスクリンのパッケージを思い出すほど夢のような光景)

上手に説明できなかったこともあってか、それからしばらく、
サマサマについて考えていた。
サマサマと思う心、私は持てていたか?って。
仕事でも、夫婦生活でも、生きていること自体でも、
サマサマを忘れるとだんだん息苦しくなってしまうんじゃないかって。
「こんなに頑張っているのに」「これじゃワリに合わない」云々。
傲慢だな。傲慢が行きすぎると今度は自信を無くし、
自分を卑下してしまう。
「どうせ自分なんて」「私がダメな女だから」云々。
サマサマの心があれば、仕事で学びや発見があること、
そもそも仕事できることに感謝だし、
夫のしてくれていることが当たり前ではなく素晴らしいギフトに思えるし、
健康や、親が産んでくれたこと、ご飯が美味しいこと、
すべてがあり難く歓喜に満ちたことだと実感できるのだろう
(と、まで美しくいかなくても、少なくともイライラは軽減されるじゃろう)、
なんて。
「○○サマサマ」。 もっと謙虚でありたい。
自分以外の力のおかげだといろんなことに感謝できる人になりたい。

バリで、ガイドのアリに聞いた話を思い出した。
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バリでは、大多数が(インドとは少し違うオリジナルの)ヒンドゥー教を
信仰していて、家の前、店舗の中、車の中などあらゆる場所に
神々へのお供え物が毎日置かれている。
週に一度は(多い人は毎日)正装して寺院にゆく。
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アリは車のダッシュボードに毎日お供え物を置きながら
「今日も無事故で、いいガイドができますように」と
心の中で自分の言葉で唱えるそうだ。
そして家に帰ったらお供え物を片付けながら、
「無事故で帰ってこれたのは神様のおかげです。ありがとうございました」
と御礼を言うそうだ。これもとても素敵なことだなあ、と思う。

日本は無宗教のが多いというけれど、
「○○サマサマ」という心と言葉は日本人が昔から持っていたもの。
毎日感謝を言う仏壇や神棚が家にない人でも、
今日からできる、幸せになる方法!(苦笑)の1つかもしれぬ。
以上が、長くなったけど最近考えたことです。
とにかく今、私はいろんな人やいろんなことに感謝してやみません。
あなたサマサマです。ありがとう。


それにしても、もしかしてサマサマって言葉、
昔むかし、日本人から逆輸入したんじゃないの?ってくらい、
日本のサマサマと親和性があると思う。
「ありがとう」「いえいえこちらこそお蔭様です」で意味が通る。
例の30代女子ふたりに聞いたんだけど、
サマサマにはもう1つ意味があって「一緒に・together」だそう。
これも、「困ったときはお互いサマ」、みんなで助け合っていこうよ
って感じでなんか通じるところがある気がする。強引かな。


ちなみにコタ・キナバルでは幼稚園から英語を学ぶ子も多いそう。
日本でもそういう議論、ありますね。でも日本と決定的に違うのは、
彼らは日常で「使ってる」ってこと。
使わなければいくら幼い時分から教育してもモノにはならないでしょうな。
ふらりと行った動物園でやってた動物ふれあいショー
(もちろん子供もいっぱい見てる)でも
おにいさんがしゃべってたのはハリウッドにそのまま行けるのでは?って
程の上手な英語(&いい声)だった。
ちなみに勇輝は飛び入り参加でオランウータンと戦いました。

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コタ・キナバルの動物園に響いたYUKIコール。


あ、子供をバイリンガル、トリリンガルにしたいなら、
コタ・キナバルに住んだらいいかもしれません。笑
行ってみるまで全く想像つかなかったけど暮らしやすいし、
中華うまいし、人は優しいし、自然もいっぱいでいいとこでしたよ。
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(タンジェン・アルーの夕焼け。ほんと綺麗だった)
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(洗練されたエリアもある。でもどこかちょっとダサさがあってかわいい)
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(毎晩のように通った(ビールが安いため)肉骨茶という鍋の店。ここは中国語)
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(おしゃれが大好きなマレーボーイたち)
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(東方神起も大人気です)

(MIWA)

IMG_9030_rsレーシアのコタ・キナバルは面白くて、文化がMIXしているので英語とマレー語と中国語の3つが主な言語になってて、ほとんどの人がそのうち2つ以上話せる、という印象。ダイビングツアーで仲良くなったローカルの30代女子2人組もマレー語と流暢な英語を話した。彼女たちにマレー語スラング?(「チャンティニャ~(きゃーわいいー)」「ジャガンマルー(Don’t be shy)」「マンジャ(えこひいき)」など)を教えてもらっていたとき、そういえばサマサマが可愛くて好きなんだ、と話した。と、話ながら、あ、と思い出した。日本語にもサマサマってあるよ。「へえー。どういう意味なの?」うっ・・・(なんて説明しよう)・・・。しばし考えた挙句、私が例に挙げたのは2つ。作物がよく育った年、自分の努力の賜物ではなく、おてんとさまのおかげだと大自然に感謝する気持ち。誰かに「1年も旅なんてすごいですね」と感心されたら、自分がすごいのじゃなく、彼がいろいろケアしてくれてるおかげ、と思う気持ち。おてんとサマサマと、勇輝サマサマ、である。これが日本古来のポライト(&謙虚、と言いたかったのに単語忘れた)の気持ちなんだよ。と。ああー、ほんとバカ!全然うまく説明できなかった。ふたりも「なるほどね」と頷きながらも若干目が泳いでいた。
上手に説明できなかった悔しさもあってか、それからしばらく、ずっとサマサマについて考えていた。サマサマの心、結構忘れがちだったんじゃないか?と。仕事でも、夫婦生活でも、生きていること自体でも、サマサマを忘れると息苦しくなってしまう。「こんなに頑張っているのに」「これじゃワリに合わない」云々。傲慢だ。傲慢が行きすぎると今度は自信を無くし、自分を卑下してしまう。「どうせ自分なんて」「私がダメな女だから」云々。でももし、サマサマの心を持って毎日過ごしていたら?仕事で学びや発見があること、そもそも仕事できることに感謝だし、夫のしてくれていることが当たり前ではなく素晴らしいギフトに思えるし、健康や、親が産んでくれたこと、ご飯が美味しいこと、すべてがあり難く歓喜に満ちたことだと実感できるのだろう(と、まで美しくいかなくても、少なくともイライラは軽減されるじゃろう)。「○○サマサマ」。もっと謙虚でありたい。あらゆることは自分以外の力のおかげと感謝できる人になりたい。サマサマの心は一見、へりくだり一歩下がる消極的な印象だが、これは究極の楽観主義かもしれない。なぜなら同じ事象に対して、眉間にシワを寄せるか、笑顔で温かな気持ちになれるか、は雲泥の差があり、そして最後に行き着くのが卑下や絶望ではなく、とにかく自分や相手や未来を信じる、少なくともそう祈る気持ちだからだ。
バリで、ガイドのアリに聞いた話を思い出した。バリでは、大多数が(インドとは少し違うバリスタイルの)ヒンドゥー教を信仰していて、家の前、店舗の中、車の中などあらゆる場所に神々へのお供え物が毎日置かれている。アリは車のダッシュボードに毎日お供え物を置きながら「今日も無事故で、いいガイドができますように」と心の中で自分の言葉で唱えるそうだ。そして家に帰ったら「無事故で帰ってこれたのは神様のおかげです。ありがとうございました」と御礼を言うそうだ。これもとても素敵なことだなあ、と思う。
日本は無宗教の人が多いというけれど、「○○サマサマ」という心と言葉は日本人が昔から持っていたもの。毎日感謝を言う仏壇が家にない人でも、今日からできる、幸せになる方法!(苦笑)の1つかもしれません。以上が、長くなったけど最近考えたことです。とにかく今、私はいろんな人やいろんなことに感謝してやみません。毎日、サマサマです。ありがとう。
それにしても、もしかしてサマサマって言葉、昔むかし、日本人から逆輸入したんじゃないの?ってくらい、日本のサマサマと親和性があると思う。「ありがとう」「いえいえこちらこそお蔭様です」で意味が通る。例の女子ふたりに聞いたんだけど、サマサマにはもう1つ意味があって「一緒に・together」だそう。これも、「困ったときはお互いサマ」、みんなで助け合っていこうよって感じでなんか通じるところがある気がする。強引かな。
ちなみにコタ・キナバルでは幼稚園から英語を学ぶ子も多いそう。日本でもそういう議論、ありますね。でも日本と決定的に違うのは、彼らは日常で「使ってる」ってこと。使わなければいくら幼い時分から教育してもモノにはならないでしょうな。ふらりと行った動物園でやってた動物ふれあいショー(もちろん子供もいっぱい見てる)でもおにいさんがしゃべってたのはハリウッドにそのまま行けるのでは?って程の上手な英語(&いい声)だった。ちなみに勇輝は飛び入り参加でオランウータンと戦いました。コタ・キナバルの動物園に響いたYUKIコール。

子供をバイリンガル、トリリンガルにしたいなら、コタ・キナバルに住んだらいいかもしれません。暮らしやすいし、自然もいっぱいでいいとこです。
(MIWA)