ゆっくりと、
ゆっくりと日が暮れる。


太陽は、山と湖の中に消えてしまうほんのわずか前に
猛烈な光を放つ。
それを見て、ああ、夜が来る、と思う。

陽、空、雲、山。
自然の懐の深さとエネルギー。
人が少ない場所だからか、ビルや看板がないからか、
それとも寂しいからか、
私は大きな大きな自然という世界に、
ちょこんと居させてもらってるだけなんだなと感じる。

 

ばあさんはまたオソルノに行ってしまった。
愛人もとい息子と孫のもとへ。

嫁はじいさんに夕食を作る。
鶏の野菜ソースと大きめフライドポテトと、パン。
3度目の正直、のはずだったパンは、またしても硬く、失敗だった。
でも。
今回は失敗の理由に見当がついた。
粉をとく湯が熱すぎたんだ。
きっと明日は大丈夫。

はたと気づいたら、ばあさんにシャワーの湯を出す方法を聞きそびれていた。
冷たい水で身体だけ洗った。
明日からは昼間にシャワーをあびよう。
だから大丈夫。

「明日は、今日より、きっと大丈夫。」
悲しいとか寂しいとか切ないってことを考えないようにして
眠りについた。
じいさんはほとんど会話しなかった。

 

 

翌日は日曜。
なんとなく、お休み。
私にとってはいつもとあまり変わらないけど。

昼ごはんは、昨日の残りのチキンと、
ジャガイモと野菜MIXをたっぷり入れたトルティーヤ(玉子焼き)。
ジャガイモは、まな板を使わず手の中で切った。
そして同時進行で、おやつと夕飯用にパンを。
今回は、こねているときに、もう嬉しくてたまらなかった。
今までと全然違う。これだ。
膨らむ予感があった。


やっと、それらしきものが出来た。
じいさんは初めて、私のパンをいくつもつまみ食いしてくれた。

 

1つのアイデアが浮かんだ。
ばあさんが居ないなら、農作業をできないなら、
スネてないでやりたいことを何でもやってみよう。

今日まで誰にも言えなかったけど、
「馬に乗ってみたい」
私は密かにそう思っていた。

思いついたのが
カリーナの弟、エラン。
そうだ。家に行って、お願いしてみよう。

勇敢に歩き出した私に
ロルとペケーニョは勝手に飛び跳ねながらついてきた。

 

が、しかし・・・・
家、どこだっけ・・・・・

一度連れて行ってもらったきりのカリーナの家が
どうしても見つからない。
山の中を歩いて歩いて、それらしき方向へ入っていくんだけど、
違う人の家だったり、さんざん歩いたのに湖の岸にポンと出てしまったり。

歩く気を失って岸で空しくセルフタイマー撮影。
ロルは私がカメラのところに行くたびについてくるので
どうしてもうまく撮れなかった。

よっしゃ。
もう1度だけ!
よーーく思い出しながら、犬のように鼻を効かせて歩いたら、
着いた。カリーナんち。
でもエランは居なくて、パパに
「ジョ、キエロ、(私はしたい)」「カバヨ(馬)」を連発し、
馬に乗るポーズを馬鹿みたいに何度もしてみせ、
なんとか分かってくれたようで、明日の昼においでと言ってもらった。

 

やったね。
明日だってよ。私、馬に乗るのよ。頑張るね。
犬に話しかけながら家に戻った。


明日の船で帰ってくるはずのばあさんから連絡があったそうだ。
戻りは水曜になった。
あと3日、ふたりきり。

 


夕方たそがれていると必ずちびネコがくっついてくる。
ネコの耳の毛がこんなに美しいものだったかと、しばらくみとれていた。


小さいけど確かな、ネコの足。

 

夕飯は、チョリソーのグリルと、茹でとうもとこしと、キャベツのサラダ。
サラダは一度食べたばあさんのを思い出し、たっぷりのレモンとちょっとの塩で揉んだ。
こうなったら徹底的にじいさん好みにするまでよ。
「私のファームステイ」=「じいさんに食事を食べさせる努力の日々」
でも構うもんかい。

じいさんが夕飯を食べはじめると
じいっと顔をのぞきこむ私。新妻のように。
でもじいさんはあまり反応をしない。
でも大丈夫。食べ方を見れば分かる。
たっぷり食べるのを見て、心でガッツポーズ。
るんるんで食器を洗う。

この日、「ペケーニャにパンをあげる大作戦」も
はじめて成功した。
なんてことはない。
ロルを大きな声で「マテ!」と制すればちゃんと待つのだった。
おいしいかいペケーニャ。
そうだろうそうだろうよ。これはうまく焼けたパンなのよ。

 

寝る前、
1つの決断をする。

「3日後の船で、ここを出よう」。

帰ってくるばあさんと入れ違う格好になるけど、船着場で会えるからちゃんとお礼を言える。
やっぱり農作業をやりたいから、別のファームに移ってみよう。

ここは、サンティアゴの宿で一緒だったカリーナの紹介だけど、
カリーナに会う前に私はファームステイのリサーチをしていて、
いくつかのファームに伺いのメールを出していた(正しくは勇輝が)。
その中でいい返事をしてくれていた、南のプエルトモン近くのファームに
行ってもいいかメールをするとすぐにいつでもウェルカムだと返事をもらった。
パタゴニアに行っている勇輝とも合流がしやすい。
よし、決まりだ。

決断は、現状がうまくいっているときにするのがよい。
とても前向きな、晴れ晴れした気持ちになった。

 

 

翌月曜。
やったぞ!晴れた!


馬!馬~!
朝から馬が頭のなかを颯爽と駆けてゆくのだった。

私には企みがあった。
昨日の夜、残ったチョリソーを細かく刻み、玉ねぎのみじん切りととうもろこしと一緒に
炒めておいたのは、この企みのため。
エンパナーダを作ろうと。

レシピはない。集会の日を思い出しながら作ってみた。
生地をこね、ワインの瓶で伸ばし、皿で切って・・・

でけた!たぶん生地にイーストを入れすぎたからだろう、
村の女性たちのよりぷっくら膨らんでしまったけど、味はなかなかよし。
じいさんも喜んで3つも4つもつまみ食いしてくれた。
エンパナーダを5つ包んで、いざ。
エランと馬のもとへ。
もちろんロルとペケーニャもついてくる。
昨日のとこへ行くと分かったのか、今日はペケーニャが先導してくれた。

 

途中、ものすごい音がして仰ぎ見たら、上空をヘリコプターが飛んでいった。
びっくりして心臓がドキドキした。
なにか、とても異質なものに思えて、我にかえる。
私は色んなものから離れて暮らしているんだなとしみじみ思った。

 

 

エランは馬2頭と待っていてくれた。

近くで見ると馬ってでかい。急に怖くなってきた。

近いアグアスカリエンテス(温泉)と、ちょっと遠いラグーナ(湖)、
どっちがいい?と聞かれ、なんとなくラグーナと答える。


手伝ってもらって馬の背中に乗っかると、
「OK、じゃ、行くよー」。
って、え??
私、初めてなんだけど・・・
こう、庭を一周して、とか、曲がり方講座とか、止め方講座とか・・・・
私が慌てふためいていると、「あ、そうか」とエラン。
たずなをこう、短めに持って、右に行きたいならこう引っ張る。
止まるときはぐっと引く、速く走るときはたずなの先についた紐で体をたたく。
ね。
ね、じゃないよーー!
行こう。大丈夫。


冷や汗をかきながら、山を登っていく。ときどき馬は嫌そうにジタバタしていう事をきかなくなる。
きっと私の体に変な力が入ってしまってるんだろう。
丘の上からは、私が10日過ごした世界がほんの小さな場所だったと知る、
雄大な景色が広がっていた。


はっ、よく考えてみたらこれはイケメンボーイ26歳との素敵なおデイト・・・。
むふふ。たまにはいいじゃない?夫よ、許せ。
エランの後ろにいるのは、牛さんと、牛柄の・・・あ、ペケーニャ!忘れてた!
ロルもペケーニャもしっかりくっついて来ていた。


ものすごいでかい牛さんたちの間をびくびくしながら通り、


森に入っていく。美しい森。白樺に木漏れ日。軽井沢もびっくり。


山をずっと登っていく。必死でついてくる犬たち。
きっと、「おや?遠いぞ?」とびっくりしてるに違いない。
「ラグーナまでどのくらい?」
「うーん、2時間くらいかな」
「えええーーーーー????!!!」
ロルはともかく、ペケーニャ、大丈夫か・・・。馬との足の長さ、違いすぎるけど・・・。


森の中をぐんぐん進む。藪、ぬかるみ、急な登り。
馬の体は熱くなり、心臓が速く動くのが伝わってきた。
馬ってすごい。すごい力。
だんだんと、たずなをぐっとやらなくても行きたい方向に馬が動くようになってきた。
馬を操る面白さと森の美しさ。時間はあっという間に過ぎた。


着いた。ラグーナ。深呼吸。美しかった。


エラン先生にエンパナーダを献上。犬たちも、お疲れ様。
2人と2匹で少し水遊び。超冷たい水。ペケーニャが嫌がるのが面白くてゲラゲラ笑った。
もと来た道(といっても道なき道)を戻る。
ずいぶん上手くなったと褒められ、帰りは私が先に行くことになった。


途中村人に会った。


深い森。大きな木。


コケとササが本当に美しかった。

大きく開けた丘の麓まで来たとき。
エランが悪戯っぽい顔で笑いながら走って追い抜いて行った。
「あっ!そうくるか?よおし!」と私も馬をたたく。
馬は待ってました!とばかりに速度を上げ、放り出されそうになるほと大きく上下に揺れた。
まだ「駆け足」くらいなんだけど怖くて、でも必死にしがみついていると
馬はイケると判断したのか、エランの馬に追いつこうとしたのか、「走り」に入った。

それは、実際はほんの数十秒だったのかもしれない。
でも、あの感覚を今でも忘れられない。

上下の揺れがほとんどなくなって、
ものすごい、目をつぶりそうになるほどものすごい速さが出た。
エランの帽子が後ろにふっとんだ。
あっという間、というか一瞬で丘のはずれまで来てしまったので減速せざるを得なかったけど
私は興奮が収まらなかった。これかあ、これが馬に乗るってことかあ!
馬と一緒に、ほんの一瞬、風になったようなあの感覚をずっと思い出して震えていた。
かっこいい。猛烈に馬ってかっこいい!!!!

くぅーーーーーー!!!!!


エランが撮ってくれた私。
いつもの岸が眼下に見えている。もうすぐ到着。


家につく。本当にお疲れ様でした。ありがとう。 鞍をはずして休ませる。
よく見たらすごい体。筋肉。わあー。やっぱかっこいいわあーー。
(なんかここだけ読むと相当アブない女・・。)


かゆかったのか、凝ったのか、体をごろごろさせて嬉しそうな馬さんの様子。
でかいのに、可愛い動き・・・。

ああ、本当に行ってよかった。お願いしてよかった。

水のシャワーをるんるんで浴びて、
夕飯作りだ。


今の嫁は調子づいている。どんな玉も打てる感じ。
夕飯は愛情たっぷりポテトサラダと、トマトと鶏肉のぐだぐだパスタ。
おっしゃ、じいさん完食っ!!!
ばっちこーい!


少しずつ進めてきた編み物。じいさんと私の合作の編み棒は絶妙の質感。
マフラーにしようか迷ったけど、夜寒いので腹巻にしよう。

 

 
翌日。
明日の船で私はここを出る。
あと1日半だ。

気になっていたシャワールームを徹底的に掃除して
よし、と一息。
スペイン語を調べながら、エランにお礼の手紙を書いた。

シーズン中はトレッキングのガイドや乗馬の先生として働いているというエラン。
つまりプロの方に馬を習い4時間のツアーガイドもお願いしたわけだからと
昨日お礼を渡そうとしたんだけど受け取ってくれなかった。
だから手紙と、私が持っていた唯一の素敵な民芸品、
きれいな色の扇子(ハルちゃんにもらった餞別。ありがとうね)をプレゼントすることにした。
家を訪ねるとエランは居て、手紙とプレゼントを喜んでくれた。
ママのネリもすごく感激してくれた。

ネリ手作りのシウエラ(すもも?プラム?)のジャムを買わせていただいた。
シウエラのジャムは、ここに来てばあさんのを食べてすっかり惚れてしまったもの。


エラン、ネリ、ありがとう。忘れません。


昼下がりに焼いたパンは、少し黒くなったけど、カリっともちもち。上出来だった。


さっそく焼きたてを食べるじいさん。じっと見ているペケーニョ。


それから二人でサッカー観戦。じいさんが楽しみにしていた、コパ・アメリカのチリVSコロンビア。
開始前、ピッチで黙祷が始まって、何かと思ったら、日本のために捧げるものだった。
ものすごい歓声でいっぱいだった場内がピタリと静まった1分間。
感動してびっくりして泣きそうになってしまった。

試合は、なんと2-0でチリが勝った。じいさんは嬉しそうにずっとしゃべっていた。
二人で勝利のワインを飲んだ。

夕飯は、でかいチャンチョー(豚肉)を煮た。
切りやすい部分を煮込みにして夕飯に、骨まわりの肉を細かく刻んで
またエンパナーダの具を作った。
明日帰って来るばあさんのおやつに。
きっと喜んでくれるはずだ。

 
最後の朝。
荷物を詰め、使わせていただいた部屋を片付け、
家じゅうを掃除した。特にトイレを念入りに。

昼前、エンパナーダを作っていると、
ばあさんから電話があった。
戻りが今日の船ではなく金曜になったと。

残念。

ばあさんにお礼の手紙を書いた。

ウッドデッキに出ると、嬉しそうに寄ってくるロル。
私の隣に座る猫。
今日でね、お別れなんだよ。
わかんないか。

元気でね。好きだよ。

 

湖のほとりの村での13日間。
山、雲、大きな木、可愛いあひるたち、元気な豚たち、静かな牛たち、
臆病な羊たち、もっと臆病なリャマ、のびのびした鳥たち。
嬉しそうなロル、恥ずかしそうなペケーニャ、甘えん坊の猫、
ストーブからの煙と、薪を割る音、夕焼け、星。
静かなところだった。
とても静かなところだった。と、後できっと思うのだろう。

 

1時45分。
船は3時半だから・・ということでのんびりしていると、
じいさんが急に大きな声を出した。
「なにやってるんだ、早く行け!急げ急げ!」
え?船は3時半って言ってたよね?
「船を降りてバスに乗るのが3時半だ。船がここを出るのは2時!
走れ走れ!」
ええええーーー!!!ぎゃーーー!!!!
荷物をまとめてしょって、半泣きで家を飛び出す。
じゃあねーーーーーー

船は私が乗るつもりなんて知らないはず。
時間が来たら行ってしまう。
でも走れば間に合う。間に合って!

20kg近いバックパックを背負って山を駆け下りる私。
その形相はかなり恐ろしいものだったと思う。
赤子が居たらナマハゲが来たと泣くかもしれないほどの。

ロルが嬉しそうに走りながら体当たりしてくる。
違うの!遊んでるんじゃないの!
お別れなのよ!

丘の上から船が見えた。
おーい!おーい!と叫んで、叫びながら転がるようにして丘を下る。

よかった!間に合った!!!

 


私が船に乗ると、状況が分かったらしく、2匹がピタリと止まる。乗ってこない。
よし偉いぞ、と思うと同時に愛しくて切なくなった。


船が出る。すると2匹はとことこ岸を並んで歩き出した。
私はそれを見て、泣くのを堪えていた。


ありがとう。

小雨まじりの変な天気だったけど、私は甲板に立って景色を眺めながら、
じいさんにきちんとお礼とハグができなかったことをひたすら後悔していた。

船は勢いよく進んでいく。

シーズンはずれと天気の悪さで農作業は手伝えなかったけど、
身体じゅうに痒い湿疹ができたけど、
私がここで時間をかけて学ばせてもらったものがきっとある。
それは生活の仕方とリズム、だったのかもしれないな、と思う。

薪を割ること、火をたくこと、やかんに湯を沸かしておくこと、
長靴を履くこと、馬に乗ること、日が沈んだらワインを飲んで眠ること。
少しずつ、自分の中に染み込んでいった何か。
少しずつ、その土地に自分を合わせていった感触。
それはつまり何を意味するのか、
うまく頭の中でまとまらないけれど。

とにかく、
本当にありがとう。

 


船を降り、待っていたバスに乗り込む。オソルノ行きのバスは、私ひとりだった。


時々動物を避けながら、バスはオソルノへ。

ターミナルに着いたら、宿探し。
幸い近くにすぐ見つかり、熱いシャワーを浴びて1泊した。

 


翌朝、プエルトモン行きのバスに乗る。
窓口の人もコーヒー売りの人も、皆親切にしてくれた。

2時間半で南チリの街プエルトモンへ。
確かファームがあるメトリという所まではバスで40分。
ターミナルで「メトリ、メトリ」と言っていると皆があっちだと案内してくれた。
言われたミニバスに乗り込むと、すぐに発車した。

うまくいったぞ。
ほっとして、それから気がついた。
やばい。

ファームからもらったメールの、行き方の部分をメモに書き写していたのだけど、
肝心の、ネットで翻訳した方の文章を写すのを忘れていた。
慌てて辞書で単語を調べる。が、どうもよく分からない。着ける気がしない。
こういう類のことは今まで全部勇輝任せだったのだ。
おうおう、これが一人旅の不安と醍醐味かよ。(いや、お前が忘れただけだろが)

とにかく、メトリとやらで降りてみるしかない。
うーむ。
うまく着けるのか、なにが待ってるのか、やっていけるのか。
今さらだけど、大丈夫だろうか・・・。

でもこのファームはたくさんのボランティアを受け入れている所。
きっと、仕事もいっぱいある。きっと、人もいっぱいいて楽しい。
言い聞かせるようにして、無理に鼻歌を歌ってみる私。
曲はサザンの「希望の轍」。
そうだ。これは私の冒険なのだ。
バスはぐんぐん山へと進んだ。

 

続く

(MIWA)