鼻歌を歌いながら
バスの最後部座席でボヤっとしていた私は、
車内の人全員が私を見ている視線で我に返った。
「メトリ!」
「メトリ!」
皆がここで降りろと言っている。

わーーグラシア!グラシア!
バタバタと降り、手を振ってバスを見送る。

しーーーーん。
ここがメトリ。 らしい。

後ろが海、前が山。
山に入っていく道がいくつかある。

ふうむ。どうしたものか。
メモを見直し、この道かな、とか考えていると
そこに、1台の年期の入った軽トラが通りかかった。

窓が開いて、サンタさんの実写版のような白いひげのおじいさんが言った。
「マティアス?!」

はっ!
マティアスは私がメールのやりとりをしていたファームの人の名前だ。
「スィー!スィースィー!!!」

サンタさんが手招きする。
「私はマティアスのパパだ。乗りなさい」。
まじでーー??!!
やったーーー!!!

「ケ、スウェルテ!」
(なんてラッキーな!)
マティアスパパは運転しながら何度もこう言った。

ほんと、ラッキーとしか言いようがない。


山道は、想像していたよりずっと長く、険しく、人通りがなく、
私がもし一人で歩いていたら途中で不安になって立ちすくんでしまっていただろう。
無理だと諦めてプエルトモンに引き返していたかもしれない。



大きな木製の門を抜け、ファームに入っていく。
門のところで、ヨーロピアンらしき若者の集団が大きなバックパックを背負って
出て行くのに会った。
私が「ハーイ」と言うと、「バーイ」と言われた。
えっ?!みんな、出て行っちゃうの??
マティアスパパがなにやら大丈夫だみたいなこと言ったけど、よく分からなかった。


軽トラの後ろに乗っていたマキナ(マシン)は、ミエル(はちみつ)を作るためのものだった。
ここに蜜の巣箱から出した板をたくさん差し込み、ハンドルを回すと
遠心力で蜜が取れ下に溜まるという。
ちょっとワクワクしてきた。
面白い仕事がたくさんできるといいな。



マティアスが迎えに来てくれて、一緒に丘を上がる。
すごい眺めのよい場所に、一軒の家が建っていた。


「これは僕と娘が住んでる家だ」。
ボランティア用には別の家があるのだという。

後で案内するから、ちょっとここで30分くらい待ってて。洗濯してくる。
そう言ってマティアスは行ってしまった。
出た、放置プレイ!
今の私には一番怖いものだった。

家の中にお邪魔する。
その汚さに堪りかね、勝手に掃除をする。
奥さんがいないんだもんな・・・

戻って来たマティアスは、部屋がきれいになったのをたいそう喜び、
昼食を作ってくれた。

作ってくれたのは「マティアス特製」いわしバーグと、ごはんとキャベツのサラダと
絞りたてりんごジュース。
男の腕で作られたからか、オーガニック100%の野菜を使ってるからか、
ワイルドな味がした。
私はこっそりばあさんの料理を思い出し、それを恋しく思っていた。



「じゃ、君がこれから住む家に案内するよ」。
敷地の中を歩いていく。


・・・遠い。


雑木林をくぐりぬけたところに、古ぼけた一軒家があった。
二十歳までマティアスが育った家だという。

着いて、家の中を見回して、ため息を1つ。
私はまた掃除を始めた。
マティアスは帰っていった。


掃除をしながら、
私はばあさんを思い出していた。
きれい好きだったばあさん。
ばあさんの影響で毎日掃除ばかりしていたので
もしや私は掃除好きになったのかも。
だったらいいな。


最後に外に咲いてたアジサイを1輪拝借して生けてみた。
ふう、やっと落ち着ける。


これがリビング。

リビング反対側。

キッチン。

家の中のベッド2つが使いかけの様子。よかった。誰か居るんだ。
自分が寝るベッドを決め、荷物を運んでいると、
誰かが帰ってきた。

イギリス人のアイオナという女の子だった。
さっき門で見かけた1人。バス停まで送って、戻って来たんだって。
これから大学生になるという19歳。驚きの若さ。
とにかく一緒に過ごす人がいてホっとした。



6時頃、「日課があるのよ」と。ついていく。


生ゴミ用の赤いバケツに溜まったゴミをヤギ小屋隣のBOXの中へ。
それから二人でヤギたちを手をたたいで集め、小屋に入れた。


そのまま辺りをぐるりと。
街で売るんだろうか、木の苗木を育てていたり、


ラベンダーを育てていたり、


子猫がいたり、


たくさんの畑とビニールハウスがあったり。


この高床式倉庫の中には、じゃがいもとにんにくが山積み。
ボランティアの人は自由に食べていいらしい。
「他の野菜は?トマトとか・・・」
「うーん、どうだろう。出荷用だと思うけど」
なるほど。いろんな野菜を食べ放題、ってわけでもないらしい。当然か。

敷地内を歩いてみて、
じいさんばあさんの所より色んなものを作っていて、すごいと思ったんだけど
感動するというより、どんどん冷静になっていく自分がいて、不思議に思った。
野菜や動物や木の実をもう見慣れているからか、
ルパンコ湖みたいにおとぎの国のようじゃないからか。

少し考えて1つ分かったのは、
たくさんのビニールハウスやホースやプラスチックのケースや様々な機械、
敷地内にちらばっているそういったものたちに
街とのつながりを強く感じたということだ。

ここは、自給自足のためじゃなく、街で売るために農業をしている。
そこにあるのはお金を得ることと厳しい現実だ。
歌を歌いながら実を摘んでジャムを作ったり、縄をまわしながら羊を追いかけ
ゲラゲラ笑ったり、なんてわけにはいかない。
でもこれが、普通の、リアルな農業なんじゃないだろうか。
私はもっと真剣に向き合わないといけないんじゃないだろうか。


そんなことを考えながら、家に戻った。

2階に上がり、私が使わせてもらうことにした部屋の掃除をはじめた。
ベッドの上に、たくさんのミントの枝が置いてあったのを片付けていると
「それは虫よけ。あ、気をつけて。ここ相当ノミがいるから」。
アイオナは腕をまくって刺され跡を見せてくれた。
「それなら私も持ってるよ」
私も腕をまくって見せ、一緒に笑う。

やれやれ・・・またプルガ(ノミ)かよぉ・・・。

毛布はなく、荒く織った厚手のブランケットだけ。大丈夫かな・・・

落ち込まないように、落ち込まないように、
気持ちを強く持つんだけど、
アイオナが放つ言葉が私の急所を刺すのだった。

「えーと、シャワーは、水しか出ないの。鍋で湯を沸かして身体を洗うといいと思う」
げっ出た。・・ま、大丈夫。慣れたもんよ。

「でね、私明日の夜から別のファームに行くから。
ここ、ほらちょっと環境がね・・キツいし・・・。あまり仕事もないし・・」
OH!
バッドニュース for me!!
19歳がキツいのかここの環境!仕事もあまりないのか!

いや、それより、マジ?行っちゃうの?
でもほら、もう1つベッドが使われて・・
「その子は農作業じゃなく組織側の仕事してて、しばらく別のところに泊まってるの」
ひーーー!
いや、アイオナ待って無理!行かないで!

・・とは言えなかった。


落ち着け俺。
ストーブに火を入れる。
が、薪は大きくてなかなか火がつかない。紙と小枝を使って時間をかけてやっと火が入った。
でも竈が小さすぎるのか、部屋は全然暖まる気配がなかった。
夜になりどんどん冷えてきた。
隙間風がすごい。

落ち着け俺。
パンをこねる。
が、オーブンにうまく火が入らず、フライパンで焼いた。
キッチンに残っていたじゃがいもとにんにくと、いつのだか不明な卵でトルティーヤを作った。
アイオナは喜んで食べてくれた。

食後、今日までやってきたみたいに、気合でシャワーを浴びてみた。
アイオナが、お湯を沸かしたら?と言ったけど、迷ったけど、まあ大丈夫、と。
結果は惨敗。
無理でした。死ぬかと思った。
水が冷たすぎ。芯から冷えた。


とにかく寝ようと、ベッドに入るも、ちっとも寝付けない。
何枚も着込み、ブランケットも2枚掛けてるのに身体が凍えて仕方ない。
しかもベッドの虫たちが狂喜乱舞して私の身体に向かってくるイメージが私を怯えさせた。

嗚呼、ダメかもしれない。。。
「もう帰りたい」。
どこか暖かい所の素敵なリゾートホテルで眠る私を必死に妄想して
手足をこすり合わせ続けた。



翌朝。
アイオナが支度をする物音がする。
全然よく眠れなかった。とても寒い。
ベッドから出て、ダウンを着て1階に下りる。寒いので着替えたくないのだ。
私の身支度=ダウンを着る、以上、であった。

昨日言われた通り、2人で7時にマティアスの家へ。
まだ真っ暗で、懐中電灯で道を照らしながら山道を歩いた。

3人で車に乗りこみ、今日ペンキ塗りの作業をするという小学校を目指す。
車は海岸沿いの曲がりくねった道をプエルトモンに向け爆走する。

これからしばらくはこうやって学校に通って作業を進める日々になるのかな。
マティアスに聞くと、
「いや、学校の仕事は今日だけでいいよ」と。
「じゃ明日は何するの?」
「明日は俺は別の仕事で街に出るから、そうだな、ゆっくりしてよ」
ぎゃ出た!放置!嫌!
あの家で一日・・・一人・・・。
「まわりを散歩したりするといいさー」
マティアスはのん気に言った。


プエルトモンの街に入り、友達だというマルコというおっさん(謎にドレッドヘア)を乗せると、
車はさらに北へ。今日行くのはオソルノの近くだという。
オソルノ・・・私、そこから来たんよ。
じいさん、ばあさん、ロル、ペケニャ、元気かな・・・。



1軒のファームに到着した。
どうやら、今日の仕事の指揮をとるのは、ここのおじさんとおばさんらしい。
300ヘクタールの土地があるという立派なファーム。

ここの家に、エステールというフランス人の女の子がいた。
スペイン語がすごく上手。
彼女が、もう1つのベッドを使いかけている子だった。


皆で車に乗ってしばらく、着いたのがこの建物。
オーガニック農業を大人に教える学校にするのだと。


庭に、立派なシウエラ(プラム)の木があった。
私の大好物のシウエラジャム、作れるかな。


甘そうに熟れたのをたんまり収穫させていただいた。


さて、はじめますか。


ペンキ塗り開始ーー。


こちら、黙々と窓枠を塗る私。(エステール撮影)
このとき考えていたことは、ホームセンターのCM用キャッチコピーだった。
(もちろん依頼されたわけではない。)

「それは、あなたの腕ではありません」。
私が使っていたハケが古くてボサボサしてて、なかなかうまく塗れないため考えたコピー。
このコピーが出たあと、
「我がホームセンターでは、あなたの腕を生かすツールを各種取り揃えております」
と商品が出てきて、締めにホームセンター名が歌に乗せて・・・

そんなこと考えてるうちに、午後に。
私は熱中してペンキを吸いすぎたのか、寝不足か、
フラフラして頭痛がして気持ち悪くなった。
少し外で休ませてもらった。

面白そうだと張り切って始めたペンキ塗りだったけど、なんだか乗り気がしなくなっていた。
気持ち悪くなったのもあるけど、
部屋を全部塗ると思ったのに、壁下部のグリーンと窓枠の白だけでいいと言われたから。
もうすぐ終わっちまう。



私は、ゆっくり自分の心と話をはじめた。
そして、かなりがっかりしていることを認めた。

それは何なのか。
私は何を期待していたのか。

そうか。
私はどこかで、こんな絵を描いていた。
きちんとオーガナイズされた心地よい居場所があって、
そこはもちろん熱いシャワーと清潔なベッドがあって、
使い勝手がいいキッチンがあって、
たくさんの取れたての野菜を食べてよくて、
毎朝迎えが来て「はーい、今日はこれをしますよー」って
色んな種類の野菜作り、乳搾りや蜂蜜作りやチーズ作りをして、
たくさんの若い仲間がいて、世界中の話をして、
スペイン語もうまくなって、めっちゃ勉強になる、
っていう絵。
そんなわけない。農業体験ツアーかっつうの。
勝手に描いた夢みたいな絵と違って、勝手にがっかりしてるんだと気づき、
自分に呆れた。バカみたい。

そして何より愕然としたのが、自分の中から、
あらゆることへの感謝の心が消えていた。
こんなんじゃ、どこへいったってダメだ。

でも、もう1つ。
そうやって心の中をガサゴソやってたら、
拭い去れない辛さがあることも認めざるをえなかった。
なんとも言えなく、シンドイ。
たぶん、ルパンコ湖のシャワーもベッドも、私の身体には結構こたえていたんだと思う。
その蓄積の上に、これから始まる生活。
痒さ。寒さ。汚さ。眠れない苦しさ。

「ただ、清潔で暖かなベッドさえあれば。」

突き詰めていったら、私が一番求めていた欲求がそれだった。

私はいい歳を取った、きれいな東京育ちの、甘っちょろい人間だった。



帰りの道で、マティアスは車を止めてくれた。
バルカンオソルノ(オソルノ火山)だった。
私はこのときはじめて見た。胸がぎゅうっとなるほど、びっくりして、感動した。
こんなに美しいものだったのか・・。
うまく言えないけど、このときのバルカンオソルノは私に何か語りかけているようで
私は何か受け取ったように感じて、とにかく、私の中で大切な山になったと思った。


車はメトリへ帰っていく。
私は後部座席。隣には、エステール。
なんと、エステールが今夜から1週間ほど、あの家に泊まると言ってくれたのだ。
本当に、本当に嬉しかった。


「明日は、今日より、きっと大丈夫」。
バルカンオソルノを思い浮かべながら、
少しだけ勇気が沸いてくるのを感じていた。



続く
(MIWA)